長い夢(現代詩手帖新人作品入選)

文字数 830文字

運ばれてきた箱から、漂う匂いに、傷が付いた林檎が、残っている。何処かで拭き取ろうと思っても、それは暗闇の中で探し物をするようなことで、部屋の中のコーヒーの匂いに紛れていく。何度か扉を叩き続けた先にあるものが、徐々に弛緩していく。並べられた記号の中で、果実の甘みと共に、失われた風景が浮上する。僕は林檎を棚に置いて、しばらく眺めていた。

時計の画面を見ながら、遠くの景色を見ていた。午後の日差しの中に曖昧に散らばっていく。考えていたことが複雑に関連して、脳裏を通り過ぎていった。それは何処かへ向かおうとする引力によって、求められていたので、今日も新しい場所を探索していく。友人と話をしたことも、今では記憶の中で変容して、また同じ輪郭を帯びて、先へと進んでいく。

通りを歩いた先には、夕暮れの中に線路があった。電車の音と共に言葉が宇宙を浮遊している。ただ続いていくのに、寂しさに紛れて、風景を記憶する。オレンジ色の光の中に無数の願いが溶けていく。思い出した痕跡を元にして思考を繋いでいく。そこにいたのは誰だったのか。今では何もわからずに、懐かしさだけが残り続けていく。遠くに向かって、感情を投影していた。

ビルの窓から見ていた夜景に、放課後の教室が浮かんだ。画面に打ち込んだ文字を見ながら、鞄に書類を仕舞う。街灯の下を歩きながら、喧噪を眺めていた。誰だかわからなくなるほど、曖昧な影の中で、きっとそれは他の人も同じだろうと思った。ビールを飲みながら、話をしていると、春の夜風が吹いて、想像していたことが消失していくのを感じていた。

ベランダから見ている景色に、もう何度も繰り返してきたことが浮かぶ。星空は平等に降り注ぎ、気が付くと、どんな形だったのか思い出せなくなっていた。ただ過ぎていく時間の中で、思いが生じては、旅をしている。だから閉じた魔法の中で、暗闇に祈っていった。きっとそれらは結び付いていて、新しい景色が現れるだろうと、長い夢が終わるように言葉を紡いでいった。
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