桜(現代詩手帖新人作品選外佳作)

文字数 973文字

鳴りやまない音に、疲弊した感覚がして、起きるのが遅くなった。窓の外の景色は移り変わっていき、午後の日差しが窓から差し込んでいる。車椅子に乗って、キッチンで料理をしている面影を探した。散歩に行こうと言っていた。今ではただ仕事をしていた頃を思い出す。買い物をして、話を何度もした。体は重かったが、洗面台で顔を洗い、歯を磨いた。リビングの隅に車椅子が置いてある。ニュースを見ていると、外国で店を破壊する映像が流れた。コーヒーを飲みながら、過去のことを思い出す。初めは虚ろな目で見ていた。いつしかそれが、同じ感覚に変わった。誰も乗っていない車椅子を押してアパートの階段を降りて、歩いていく。時々通り過ぎる人がこちらを一瞥したが、何もなかった。手紙に書いたことは意味があったのか考えていた。仕事が変わって、過ごし方もいつもとは違う。あの頃、桜が咲いていた。彼女と寄り添いながら町を歩いた。ぼんやりした不安を押し殺して、時々感じることも受け流していった。誰かの視線が冷たく感じたのは、現実だったのか、今でもわからない。公園へ行って、レジャーシートの上でビールを飲んだ。もう何度もした話を繰り返す。きっと出会ったのも意味があることだったのかもしれない。僕らは夕方までそんな風に過ごした。平穏な風景が通り過ぎていき、仕事にも慣れたかもしれないと思う。僕は今日も公園まで行った。彼女は今頃何をしているのだろう、誰と一緒にいるのだろうか。僕はそんなことを思い出しながら、先ほどコンビニエンスストアで買ったビールを飲んだ。夜になり街灯の光が町を照らしている。車椅子に腰かけながら、夜桜を見ていた。冬の間は、そんな気配はなかったし、気が付くこともなかった。それは当たり前のように存在していたし、どこか遠くで起きていることのような感覚だった。環境が変わって感じたことが、今でも僅かに残っている。そして鬱屈した日々の中で、思い出すことになった。だから僕はこの町について考えた。何度も脳裏で変わっていく景色を思い浮かべた。だけれど、それはいつかのように、ただ消えていくのかもしれない。しばらくすると、誰も乗っていない車椅子を押して、帰り道を歩いた。人はもういなかった。だから僕は鼻歌を歌っていた。時々、こんな風に思い出を探すことがある。今となってはもう過去のことかもしれない。
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