7話 エフと奏 〜後編・幸せのお礼〜
文字数 1,750文字
「あっつい……」
翌朝はうだるような暑さで目が覚めた。左体側にエフがぴったりとくっつき体温が上昇。すでに全身汗だくで、前髪は額に張り付き、起き抜けから不快指数が限界を振り切っている。一方のエフは涼しい顔で快適そうに夢の中を旅行中だ。汗腺の機能も調整されているのだろうか、羨ましく思いながらそっとベッドを離れた。
「ご主人様、おはよう」
「おはよ。ごめん起こした?」
「ううん。起きたいから起きる」
「そっか」
浴室に向かうべく背を向けると、エフが背中にくっついた。
「エフ、今はそれおすすめしない。濡れてるから後にしろよ」
「今がいい」
「俺も今シャワー浴びたいんだけど」
「じゃあ一緒に浴びる。お背中流す」
「風呂狭いから無理。だからほら、エフはウインナーとパン焼いててよ」
「うん」
短いシャワーから出ると部屋に味噌の香りが漂っていた。エフは頼んだ料理に加えて味噌汁作りに挑戦したらしく、コップにそれらしきものが注がれていた。具が入っておらず味噌が多めで豪快な味を予想させる。
「ご主人様、おみしょしう好き?」
「え、なんて?」
「おみしょしう。暑い日に飲むといいって、テレビが言ってた」
「そうか。わざわざ作ってくれたんだな、ありがと。おみしょしう好きだぞ」
いつものように頭を垂れて、嬉しそうに撫でられるエフ。優しい休日が始まる予感に、胸が弾んだ。
*
穏やかな時間が流れ、気づけばあっという間に午後四時。夕飯の買い出しに行く前にスーパーのチラシを物色していると、エフがお菓子コーナーを指差した。そこにあるのは、贈答用の上品な焼き菓子セット。
「ご主人様、お家にこれある?ボクこれ好き」
「ないな」
「じゃあこれは?」
残念ながら老舗のフルーツゼリーも準備はない。
「安いチョコならあるけど、エフの口には合わないかも」
「チョコ好きだよ。それちょうだい」
どこにでも売っている一口チョコを、エフは美味しいと言ってくれた。元いた場所であれば、こんなチョコなど比較にならないほど上質な逸品を望むまま口にできただろうに。今舐めているのは特売で買ったやつだなんて、恥ずかしくて言えない。
昨夜の一件で、エフと一緒にいたい気持ちが強く育っていることがわかった。けれど気持ちだけでは生きていけない。二人で生きるには、暮らしには、人生には、必要なものが沢山あるのだから。
いつの間にかエフを見つめていたらしい。エフはチョコを咥えて身を寄せた。
「お口で半分こする?」
「しない」
「……。ご主人様、元気ない。チョコ好きじゃないの?」
「いや。そうじゃなくて」
顔元に伸ばされた手をそっと戻し、背筋を正した。
「美味しいチョコじゃなくて、ごめんな」
「え?」
「フルーツゼリーもないし、狭い部屋で、何があるでもない俺と一緒で、ごめんな」
「ボクは、ういんなと、フルーツと、冷たいミルクと奏の愛があれば充分」
「愛なんて、あげられなかっただろう」
「どうして悲しい顔するの?頭撫でてくれるのを、ボクは愛だと思った。ありがとうの言葉も、愛だと思った。自由にそう思ったの。だからボクは、幸せな時間を過ごしてるよ。昨日も、今日も、たぶん明日もそうだよ。その証拠に、幸せのお礼が三つも貯まってるしね」
エフは、ずっと示してくれていた。全身全霊で、教えてくれていた。誰とも比較せず俺を見て、エフの思う幸せを感じてくれていた。幸せな時間をもらっていたのは、むしろ俺だ。心が愛しさで溢れた。
「ありがとな」
まだ来てもいない未来を恐れ自ら不安に浸り、どこにも踏み出せずに終わる日々はもうおしまいだ。未来が見通せないなら、今を真剣に見つめていけばいい。現実は不確かなことばかりだけれど、この先で見る“今”もきっと君と一緒にいたいと思うはずだから。君と一緒の今を選んで、君と一緒の明日を作る。それが、俺の目指す場所 。
柔らかい微笑みがいつもそばにある。揺れ動く猫耳は幸せの象徴。エフが隣にいれば、俺は充分。
「なあ、エフ」
その艶めく愛しい唇を、迎えに行く。
「お礼を受け取ってくれないか」
『エフ』了
翌朝はうだるような暑さで目が覚めた。左体側にエフがぴったりとくっつき体温が上昇。すでに全身汗だくで、前髪は額に張り付き、起き抜けから不快指数が限界を振り切っている。一方のエフは涼しい顔で快適そうに夢の中を旅行中だ。汗腺の機能も調整されているのだろうか、羨ましく思いながらそっとベッドを離れた。
「ご主人様、おはよう」
「おはよ。ごめん起こした?」
「ううん。起きたいから起きる」
「そっか」
浴室に向かうべく背を向けると、エフが背中にくっついた。
「エフ、今はそれおすすめしない。濡れてるから後にしろよ」
「今がいい」
「俺も今シャワー浴びたいんだけど」
「じゃあ一緒に浴びる。お背中流す」
「風呂狭いから無理。だからほら、エフはウインナーとパン焼いててよ」
「うん」
短いシャワーから出ると部屋に味噌の香りが漂っていた。エフは頼んだ料理に加えて味噌汁作りに挑戦したらしく、コップにそれらしきものが注がれていた。具が入っておらず味噌が多めで豪快な味を予想させる。
「ご主人様、おみしょしう好き?」
「え、なんて?」
「おみしょしう。暑い日に飲むといいって、テレビが言ってた」
「そうか。わざわざ作ってくれたんだな、ありがと。おみしょしう好きだぞ」
いつものように頭を垂れて、嬉しそうに撫でられるエフ。優しい休日が始まる予感に、胸が弾んだ。
*
穏やかな時間が流れ、気づけばあっという間に午後四時。夕飯の買い出しに行く前にスーパーのチラシを物色していると、エフがお菓子コーナーを指差した。そこにあるのは、贈答用の上品な焼き菓子セット。
「ご主人様、お家にこれある?ボクこれ好き」
「ないな」
「じゃあこれは?」
残念ながら老舗のフルーツゼリーも準備はない。
「安いチョコならあるけど、エフの口には合わないかも」
「チョコ好きだよ。それちょうだい」
どこにでも売っている一口チョコを、エフは美味しいと言ってくれた。元いた場所であれば、こんなチョコなど比較にならないほど上質な逸品を望むまま口にできただろうに。今舐めているのは特売で買ったやつだなんて、恥ずかしくて言えない。
昨夜の一件で、エフと一緒にいたい気持ちが強く育っていることがわかった。けれど気持ちだけでは生きていけない。二人で生きるには、暮らしには、人生には、必要なものが沢山あるのだから。
いつの間にかエフを見つめていたらしい。エフはチョコを咥えて身を寄せた。
「お口で半分こする?」
「しない」
「……。ご主人様、元気ない。チョコ好きじゃないの?」
「いや。そうじゃなくて」
顔元に伸ばされた手をそっと戻し、背筋を正した。
「美味しいチョコじゃなくて、ごめんな」
「え?」
「フルーツゼリーもないし、狭い部屋で、何があるでもない俺と一緒で、ごめんな」
「ボクは、ういんなと、フルーツと、冷たいミルクと奏の愛があれば充分」
「愛なんて、あげられなかっただろう」
「どうして悲しい顔するの?頭撫でてくれるのを、ボクは愛だと思った。ありがとうの言葉も、愛だと思った。自由にそう思ったの。だからボクは、幸せな時間を過ごしてるよ。昨日も、今日も、たぶん明日もそうだよ。その証拠に、幸せのお礼が三つも貯まってるしね」
エフは、ずっと示してくれていた。全身全霊で、教えてくれていた。誰とも比較せず俺を見て、エフの思う幸せを感じてくれていた。幸せな時間をもらっていたのは、むしろ俺だ。心が愛しさで溢れた。
「ありがとな」
まだ来てもいない未来を恐れ自ら不安に浸り、どこにも踏み出せずに終わる日々はもうおしまいだ。未来が見通せないなら、今を真剣に見つめていけばいい。現実は不確かなことばかりだけれど、この先で見る“今”もきっと君と一緒にいたいと思うはずだから。君と一緒の今を選んで、君と一緒の明日を作る。それが、俺の目指す
柔らかい微笑みがいつもそばにある。揺れ動く猫耳は幸せの象徴。エフが隣にいれば、俺は充分。
「なあ、エフ」
その艶めく愛しい唇を、迎えに行く。
「お礼を受け取ってくれないか」
『エフ』了