5話 (擬似)家族

文字数 3,299文字

本物になり過ぎた。その言葉を咀嚼しきれぬうちに、木崎は話を続けていった。

「あるとき、とある大学病院の営業担当になってな。それまでは赤ちゃんを望むカップルがメインの担当だったんだが、その病院では事故や病気で子どもを亡くした家族に紹介することになって。同じ擬似家族でも、新生児と、ある程度の人生経験を経た子どもを提案するのは訳が違う。だから、実体験することで、よりお客様の気持ちに寄り添った言葉を紡げると確信して会社からレンタルした。レンタル料には社割が効いたし、何よりお客様のためになることが一番だから前向きに、いや、前のめりにレンタルを決断したよ」

「いつもお客様第一なとこ、木崎らしいな」

「ありがと」

互いに空になったグラスを見て、ドリンクを追加オーダー。今夜は長くなりそうな予感がして、烏龍茶を頼んだ。ドリンクを待つ間、木崎の弟さんの話が進む。彼は高校生の時に中学生だった弟さんを交通事故で亡くしているそうだ。

「実家にある弟の写真をもとに、実年齢に成長した弟の姿を再現してもらったんだ。二十三歳だったかな。どんなふうになるか想像つかなくて、弟と認識できるか不安もあった。でもラボに迎えに行って一目見た瞬間に、涙が溢れたよ。そこにははっきりと弟の面影が見えたから」

お冷を飲んで溜息をつき、必死に涙の生成を止めようとしている。けれど、木崎の瞳は潤って輝いていた。

「開口一番、弟は俺に言ったよ。『(しゅん)にい久しぶり。元気してた?』って。呼び名も、照れ隠しで後ろ手になりがちなクセも、俺自身が提供した情報なのに、とても懐かしいと思ったんだ。目の前にいるのはしばらく会えなかった弟なのだと、事故など起きていなかったと、無意識のうちにそう思い込んだ」

「もし俺が同じ立場にいたら、絶対同じように思うよ」

「ああ。それからの日々は本当に楽しかったよ。家に帰れば弟がいて、笑って俺を癒してくれる。料理苦手なのに、俺の好きな料理を作ってくれたりもして。離れていた時間を取り戻すかのように、思い出をたくさん詰め込んだ」

「うん」

「おかげで仕事は面白いくらいに順調だった。お客様が抱える“家族を失う痛み”は理解しているつもりだし、擬似家族を迎える幸せも身に染みてわかっていたから、輪をかけて説得力が増し成績は右肩上がり。そんな俺のことも弟は褒めてくれたっけ。だけどある朝会社から受けた通知で、笑顔の日々は終わった」

「通知?」

「ああ。レンタル契約が満期だから、弟を返却しろって。言われるまで完全に忘れてたよ。たしかに俺は、三ヶ月の期間限定レンタルを申し込んだ。だけどそう聞いてもレンタルの意味も、返却の意味もわからなかった。当時の俺にとって弟はモノではなく人間で、俺の家族。会社のモノという概念が抜け落ち、受け入れられなかったんだ」

「……なるほどな」

「今でもはっきり覚えてる。その後上司の引き留めを無視して家に戻ってさ、弟とどこか遠くへ逃げようと思ったんだ。予期せぬ早帰に弟は驚いてたけど、でも、笑っておかえりって言ってくれたんだ。一緒にいられる時間が増えて嬉しいって。それを聞いてすごく嬉しかったのに、同時にとても苦しかった。(かい)は、弟は、優しくて真面目な子だった。だから、本心でそう言ってくれているのがわかるのに、でも“本物なら”会社に戻れと励ますんじゃないかって、そう疑い出したら止まらなくなって」

「木崎……」

「そこでようやく、擬似家族の真価に気付いたんだ。彼らは、擬似なんかじゃない。本物でもない。本物以上の、他人なのだと」

木崎は軽く目元を拭った。

「最後にもう一度海を抱きしめて、会社に戻って辞職を申し出た。ある程度の退職金が出るはずだったんだけど、それは海を買上(もら)う資金に充てた。会社に渡すことは選択肢になくて」

「なるほど。じゃあ、弟さんは今も木崎と住んでるのか?」

「いいや。ラボで眠ってる。これまで通り、一緒に笑いあえる自信がなくてさ。ラボに眠らせておくにも費用は掛かるけど、弟を二度失うより断然ましだ。まったく、不甲斐ない男だよな」

「そんなことない。そんなこと、絶対ない。木崎は優しい兄貴だよ。弟さんも、夢の中でそう思ってるはずだから」

「……ありがとう、蜜谷」

再び目元を拭いながら、「程よくやれよ」と笑って励ましてくれた。


**


木崎の話を聞いてからというものの、暇さえあればエフとの関係性を考えるようになった。エフは家族として迎えた存在ではなく、一緒に住んでしばらく経った今でも家族な気分ではない。ご主人様と呼ばれてもそこに主従関係はないし、木崎のように打ち解けた友達になる予感もない。ただひとつ確かなのは、悩むこともあるけれど隣にいると笑顔が増える、その事実だけ。


次の休日の朝は焦げ臭い匂いに起こされた。ベッドに横たわったままキッチンを見やると、エフがオーブントースターを覗き込み首を傾げていた。眠い目を擦りながらそちらへ向かうと、エフは俺のパジャマの裾をつまむ。

「ご主人様、おはよう。あのね、パンが黒い。どうして?」

「焼き過ぎだな。焼き直すよ、一枚でいい?」

「ううん、これはご主人様のぶん。ういんなも焼いた」

指差す先には、大量のウインナーと、ところどころ皮が残るりんごが大皿一つに盛られている。ウインナーは焼き慣れているからか、そちらはちょうど良い焼き加減。これは食べ応えがありそうだ。

「ありがとな」

するとエフは頭を垂れた。何をするのか見守ったが何も起きず、エフは顔を上げる。

「頭撫でないの?」

「なんで?」

「ご主人様がその顔をするときは、頭撫でたいときだと思ったよ」

「そっか。じゃあ撫でる」

「耳もいっぱい撫でていいよ」

「ハハハッ撫でねえよ」



「ねえご主人様、疲れた?」

朝食後、トイレから戻るとエフがすり寄ってきた。疲れるも何もその日は休日だし、特に疲れることはしていないが、エフの言葉で質問の理由が判明した。

「あのね、疲れたときはマッサージがいいって、テレビが言ってる」

「そうか」

なんとなく付けていたテレビには健康特集が流れている。エフの優しさに甘えて早速お願いしてみたところ指圧の力が弱過ぎて若干くすぐったいが、その気持ちだけで嬉しかった。最近のエフは、お礼以外の感謝方法を試行錯誤しているみたいだ。とはいえ今朝のパンのように必ず成功するわけではないが、その気持ちに触れると心がほぐれて心地よい。

少し前まで、エフのいう「ありがとう」すら信じきれず、全ての行動が生前に設定された知性に基づくものと思っていた。けれど、今は違う。たとえどんな知性や性格を持って生まれたとしても、今のエフは自らの判断基準を持ち、自分で考え行動する普通の人間だ。猫耳が生えてるいるけれど、若干ふわふわしているけれど、それは個性だ。そして俺はその個性を好ましく想う。

エフとの関係性に悩むのは、もう止めよう。関係に名前を付けて定義を当てはめたって、二つの個性がその型にフィットすることはなく、自由を愛するエフが定義に束縛される必要もない。この関係に名前はない。だからと言って“何かにならねば”と恐れるのは、もうやめた。



その日も夜散歩に出かけ、いつも足を休める公園で夜空を見上げる。エフは北斗七星を判別できるようになり、ついでに「ういんな座」と「リンゴ座」そして「ご主人様座」を勝手に創りあげた。逆に俺はそれらが判別できない。そこへ、珍しく足音が近づいてきた。平日の散歩時間よりやや早めだからかと思ったが、彼らの姿を見るなり俺の背後に隠れたエフの様子で緊張感が走る。身なりの良い中年男性と黒スーツを着た男性のペアが近づいてきて、予期した通り目の前で足を止めた。

「夜な夜な散歩をしているという噂は本当だったね」

毅然とした態度でエフを庇っていると、相手は鼻で笑って見下した。

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