第9話
文字数 4,135文字
そして・・・
「ほんとにやってしまった」
雪子はホテルのベッドに横になったまま放心している。
正直、良かった。
三回もいってしまった。
深田とは本気ではないと思いつつも、雪子は何度も大きな声をあげ、体をうねらせた。
体は正直だ。
「雪子さん、なんか飲みます?」
「いい」
「そうですか」
深田がホテルのミニ冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、腰に手をあて、ぐいっと背を反らしあおる。
深田は全裸だった。
前回は下着を履くまでは股間を抑えて移動していたのに、この変化はどういうことだろう。
回数が増えるに従って気安さが出てきたのだろうか。
簡単に、軽く見られているのか、心の距離が近くなって親しくなったのか。
雪子はどっちだろうと思いを巡らせる。
ごくごくと音がし、深田のそれほど大きくはない喉仏が上下している。
「はあーっ、うまいっ」
深田がにこりと笑ってこちらを見た。
雪子は苦笑を返した。
恋人でもなんでもない男とのセックスの後のやりとりはなんとなく照れくさく、気まずい。
「家のほう、大丈夫でしたか?」
「うん。こっちの友達の家に泊まるって言った」
深田がシャワーを浴びている間に家には連絡を入れておいた。
母は、そう、あまり迷惑かけちゃだめよとあまり関心のない様子だった。
雪子に男の存在は全く感じてないらしい。
しかし、男はする前はこういった確認はしないのに、した後はどうしてこういったことが急に気になるのだろう。
出した後じゃないと冷静になれないのか。出した後、現実に戻るのか。
「そうですか。良かった」
深田はミネラルウォーターを飲みながら窓際に移動し、カーテンを細く開けて、街を眺めている。
週末の深夜とはいえ、騒ぐ者が悪目立ちするほど小倉の駅前は静かなものだ。
東京や横浜とは違う。
深田はそれを見て、どう思うのだろう。
深田の意外に肉付きのいい尻がこっちを見ている。
「ちょっとシャワー浴びてきますね」
深田がベッドの前を横切り、バスルームに入っていく。
さきほどまで自分の中に入っていたものが目の前でぶらぶら移動していくのを雪子はなんとなく眺めている。
明日(というか今日)はどうするんだろう。
このあたりじゃ地味だから博多あたりに移動するか。
そんなことを考えながら、雪子は心地よい眠りに落ちていった。
雪子はそれからチェックアウトの時間ぎりぎりまで熟睡してしまった。
深田に起こされ、部屋を出る支度をする。
「寝顔もかわいいんですね」
隣で深田は笑っている。
雪子はどんな返しをしていいものか戸惑う。
深田とは東京を去る前にやけくそで寝た。それきりのはずだった。
それなのに、深田は自分との縁をつないで、小倉まで会いに来た。
そして、雪子は友達でも、彼氏でも、セフレでもない深田とまたセックスをしてしまった。それも何度も。
「博多って、思ったより都会ですね」
「そうね。小倉とはやっぱ全然違う」
「そうですね。でも、あの感じも僕けっこう好きですよ」
「私も。あれぐらいがちょうどいい」
ちょうどいいか。
隣を歩く深田を見あげる。
深田は自分にはちょうどいいとは言えない。
若いし、深田の持っている要素(身長だったり年収だったり、勤務している企業だったり)は、雪子より若くて傷の少ない女を十分に引き寄せられる。
自分には似つかわしくない要素だった。
日曜日の街は若者や家族連れで溢れている。
「何か食べます?」
深田がこちらを見ている。
「そだね」
さっきまで全裸の無防備な姿を自分の前で晒していた男は、街で見るとかなりマシな容姿をしていて、かっこいい部類に入ることがわかる。
でも、そんなことを確認してもむなしいだけだ。
深田は自分のモノではない。
深田がとんこつラーメンの店を見つけてはしゃいでいる。
雪子は昨日も結構飲んだし、ちょっと腹にもたれるなと思いつつ、異を唱えることなく深田に続いた。
「今日も泊まっちゃおうかな」
「だめ、ちゃんと帰りなさい」
「はーい」
隣を歩く深田の影が雪子を覆う。
博多の街はそろそろ屋台の灯りがともりはじめる。
夕方の街を、これから飲みにいく人と家路につく人が交差していた。
「また来ていいですか?」
「え?」
「っていうか、福岡に異動願い出しちゃおうかな」
「何言ってんの。ダメよ。こっちに実家があるわけでもないのに」
「でも、僕、雪子さんのそばにいたいです」
「え?」
「いまいち伝わってないみたいですけど、本気ですよ」
「何言ってんの。からかってんの?」
「からかってなんかいません。本気です」
「ちょっと」
雪子は深田を小さな路地に引き込んで言った。
「こんなおばさん追っかけて九州に渡ったりしたら、会社の笑い者よ」
「笑われてもいいじゃないですか。誰に笑われてもかまわない。人の目を気にして、好きな人を諦めるなんて愚かじゃないですか」
人のセックスを笑うなって小説あったな。
「好きな人って、私たちは、たまたまその、セックスが良かったっていうか、そっちの相性が良かっただけで」
「それじゃダメなんですか」
二位じゃだめなんですか。
厳つい女議員の言葉が頭をよぎる。
二位でもだめじゃないけど・・・
「時間を無駄にすることになるわよ。私も、あなたも」
「え? どーゆーことですか」
「こんな関係、最初はちょっと物珍しいけど、すぐに色褪せて、なんだったんだろうって思うようになるってこと。何の結果にもつながらないってこと」
「結果ってなんですか? 結婚とかそーゆーことですか」
「そうじゃなくて」
結婚という単語に反応して、雪子の語気が少し強まる。
深田に結婚をせまってると思われたらどうしようと焦ったのだ。そんなつもりはないのに。
「ちゃんと付き合いませんか?」
「え?」
「僕じゃ嫌ですか?」
「嫌じゃないけど」
「けど?」
「深田さんならもっといい人狙えるでしょ。私と違う、もっと条件のいい子を」
「条件って何ですか?」
「年とか、容姿とか、学歴とか仕事とか」
「そんな条件考えたことないですね」
「それは結婚を考えたことがないからよ。結婚して子供を産むって考えたら一歳でも若いほうがいいし、容姿も頭もいいほうがいい子供が生まれるし」
「いい子供ってなんですか、それ」
深田が冷めた声で言う。初めて聞く低い声だった。
「やっぱり結婚なんですか?」
「ちがう。そうじゃない。あなたとの結婚なんて考えてないし」
「どうしてですか? 遊びでこんなことしてんですか? 意外です。驚いたな」
「そうじゃない。遊びとかそんなんじゃないけど、でも、付き合うとか結婚とか、そんなこと考えてないから」
「俺が年下だからですか?」
俺って初めて言ったな。
雪子は深田を見る。深田もまっすぐにこっちを見ていた。
「結婚とか、雪子さんが急いでるなら、俺もちゃんと考えます」
「急いでないわよ。むしろ、諦めていま開放されてるところだから」
「じゃあいいじゃないですか。俺と付き合ってください」
「え? なんでそうなるの?」
「ダメですか? 年下だからですか?」
「そんなに年下でもないじゃん」
結婚というしばりが外れれば、八歳の年の差などどうでもいいように思えてくる。
ということは、やはり深田を結婚相手として見ていたのだろうか。
「じゃあ、俺が嫌いですか?」
「嫌いじゃないけど」
「けど?」
「でも」
「じれったいな。俺は好きですよ、雪子さんのこと」
「だから、それはこのちょっとおかしな状況に踊らされてるだけだって」
「踊らされてるって何ですか? ポンポコリンじゃあるまいし」
意外に古いところから持ってくるな。
深田との会話がそれほど「ずれ」なかったのは、深田のこういった感覚に助けられていたのかもしれない。
「ポンポコリンって・・・」
深田が小さくため息をついて続けた。
「俺は雪子さんが運命の人だなって思ってます」
運命。
ずいぶん大袈裟な言葉を取り出してきたなと思いつつ、胸が急にドキドキしてくる。
理性で抑えつけようとしても、胸が躍っているのだ。
ポンポコリンは私だ。
「あんな会社で知り合って、運命もくそもないでしょうに」
喜んじゃだめ。舞い上がっちゃだめ。ときに男は大して覚悟もないのに大仰なことを言う。
そう思って憎まれ口をたたいても、胸の高鳴りは抑えられないのだった。
「あんな会社だけど、いい出会いがあったから辞めないで良かったなって思いました」
深田がじっとこちらを見ている。
深田の若く白く澄んだ白目に雪子の視線が奪われる。
いつの間にか周囲は薄い闇に包まれていた。
「でも、さあ・・・」
婚活で抑えていた何も頭で考えずにわがままに誰かを好きになりたいという衝動が一気に噴き出しそうになる。
それを目の前に男にぶつけていいのか。
女のソレを見て、この男は逃げないか。
雪子の体は硬くなる。
そんな雪子の体を、深田はそっと抱きしめた。
「大丈夫ですから。俺たち、きっと、うまくいきます」
「結婚ってこと?」
やはり自分は結婚にこだわっている。こだわりすぎている。
雪子は認めざる負えなくなる。
「結婚でもなんでも、いいですよ」
深田の胸の中で大きく息をする。
深田の臭いがする。
この人の臭いが好きだと、雪子は思う。
「とりあえず遠距離恋愛だね」
「いいんですか?」
「うん。結婚とか、そーゆーのはどうでもいいから」
雪子は小さな虚勢を張る。
深田と付き合えば、こんなふうに意地を張らないといけないときが度々あるだろう。
それでも、今の雪子はそれを越えてみたいと思った。
「わかりました。とりあえずエンレンですね」
「そうエンレン」
何でも略したらいいってもんじゃないぞ。
そう思いながら、雪子は深田の背に手を回し、その体を自分のほうにぎゅっと引き寄せる。
大通りからは街の賑わいが流れてきた。
「ほんとにやってしまった」
雪子はホテルのベッドに横になったまま放心している。
正直、良かった。
三回もいってしまった。
深田とは本気ではないと思いつつも、雪子は何度も大きな声をあげ、体をうねらせた。
体は正直だ。
「雪子さん、なんか飲みます?」
「いい」
「そうですか」
深田がホテルのミニ冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、腰に手をあて、ぐいっと背を反らしあおる。
深田は全裸だった。
前回は下着を履くまでは股間を抑えて移動していたのに、この変化はどういうことだろう。
回数が増えるに従って気安さが出てきたのだろうか。
簡単に、軽く見られているのか、心の距離が近くなって親しくなったのか。
雪子はどっちだろうと思いを巡らせる。
ごくごくと音がし、深田のそれほど大きくはない喉仏が上下している。
「はあーっ、うまいっ」
深田がにこりと笑ってこちらを見た。
雪子は苦笑を返した。
恋人でもなんでもない男とのセックスの後のやりとりはなんとなく照れくさく、気まずい。
「家のほう、大丈夫でしたか?」
「うん。こっちの友達の家に泊まるって言った」
深田がシャワーを浴びている間に家には連絡を入れておいた。
母は、そう、あまり迷惑かけちゃだめよとあまり関心のない様子だった。
雪子に男の存在は全く感じてないらしい。
しかし、男はする前はこういった確認はしないのに、した後はどうしてこういったことが急に気になるのだろう。
出した後じゃないと冷静になれないのか。出した後、現実に戻るのか。
「そうですか。良かった」
深田はミネラルウォーターを飲みながら窓際に移動し、カーテンを細く開けて、街を眺めている。
週末の深夜とはいえ、騒ぐ者が悪目立ちするほど小倉の駅前は静かなものだ。
東京や横浜とは違う。
深田はそれを見て、どう思うのだろう。
深田の意外に肉付きのいい尻がこっちを見ている。
「ちょっとシャワー浴びてきますね」
深田がベッドの前を横切り、バスルームに入っていく。
さきほどまで自分の中に入っていたものが目の前でぶらぶら移動していくのを雪子はなんとなく眺めている。
明日(というか今日)はどうするんだろう。
このあたりじゃ地味だから博多あたりに移動するか。
そんなことを考えながら、雪子は心地よい眠りに落ちていった。
雪子はそれからチェックアウトの時間ぎりぎりまで熟睡してしまった。
深田に起こされ、部屋を出る支度をする。
「寝顔もかわいいんですね」
隣で深田は笑っている。
雪子はどんな返しをしていいものか戸惑う。
深田とは東京を去る前にやけくそで寝た。それきりのはずだった。
それなのに、深田は自分との縁をつないで、小倉まで会いに来た。
そして、雪子は友達でも、彼氏でも、セフレでもない深田とまたセックスをしてしまった。それも何度も。
「博多って、思ったより都会ですね」
「そうね。小倉とはやっぱ全然違う」
「そうですね。でも、あの感じも僕けっこう好きですよ」
「私も。あれぐらいがちょうどいい」
ちょうどいいか。
隣を歩く深田を見あげる。
深田は自分にはちょうどいいとは言えない。
若いし、深田の持っている要素(身長だったり年収だったり、勤務している企業だったり)は、雪子より若くて傷の少ない女を十分に引き寄せられる。
自分には似つかわしくない要素だった。
日曜日の街は若者や家族連れで溢れている。
「何か食べます?」
深田がこちらを見ている。
「そだね」
さっきまで全裸の無防備な姿を自分の前で晒していた男は、街で見るとかなりマシな容姿をしていて、かっこいい部類に入ることがわかる。
でも、そんなことを確認してもむなしいだけだ。
深田は自分のモノではない。
深田がとんこつラーメンの店を見つけてはしゃいでいる。
雪子は昨日も結構飲んだし、ちょっと腹にもたれるなと思いつつ、異を唱えることなく深田に続いた。
「今日も泊まっちゃおうかな」
「だめ、ちゃんと帰りなさい」
「はーい」
隣を歩く深田の影が雪子を覆う。
博多の街はそろそろ屋台の灯りがともりはじめる。
夕方の街を、これから飲みにいく人と家路につく人が交差していた。
「また来ていいですか?」
「え?」
「っていうか、福岡に異動願い出しちゃおうかな」
「何言ってんの。ダメよ。こっちに実家があるわけでもないのに」
「でも、僕、雪子さんのそばにいたいです」
「え?」
「いまいち伝わってないみたいですけど、本気ですよ」
「何言ってんの。からかってんの?」
「からかってなんかいません。本気です」
「ちょっと」
雪子は深田を小さな路地に引き込んで言った。
「こんなおばさん追っかけて九州に渡ったりしたら、会社の笑い者よ」
「笑われてもいいじゃないですか。誰に笑われてもかまわない。人の目を気にして、好きな人を諦めるなんて愚かじゃないですか」
人のセックスを笑うなって小説あったな。
「好きな人って、私たちは、たまたまその、セックスが良かったっていうか、そっちの相性が良かっただけで」
「それじゃダメなんですか」
二位じゃだめなんですか。
厳つい女議員の言葉が頭をよぎる。
二位でもだめじゃないけど・・・
「時間を無駄にすることになるわよ。私も、あなたも」
「え? どーゆーことですか」
「こんな関係、最初はちょっと物珍しいけど、すぐに色褪せて、なんだったんだろうって思うようになるってこと。何の結果にもつながらないってこと」
「結果ってなんですか? 結婚とかそーゆーことですか」
「そうじゃなくて」
結婚という単語に反応して、雪子の語気が少し強まる。
深田に結婚をせまってると思われたらどうしようと焦ったのだ。そんなつもりはないのに。
「ちゃんと付き合いませんか?」
「え?」
「僕じゃ嫌ですか?」
「嫌じゃないけど」
「けど?」
「深田さんならもっといい人狙えるでしょ。私と違う、もっと条件のいい子を」
「条件って何ですか?」
「年とか、容姿とか、学歴とか仕事とか」
「そんな条件考えたことないですね」
「それは結婚を考えたことがないからよ。結婚して子供を産むって考えたら一歳でも若いほうがいいし、容姿も頭もいいほうがいい子供が生まれるし」
「いい子供ってなんですか、それ」
深田が冷めた声で言う。初めて聞く低い声だった。
「やっぱり結婚なんですか?」
「ちがう。そうじゃない。あなたとの結婚なんて考えてないし」
「どうしてですか? 遊びでこんなことしてんですか? 意外です。驚いたな」
「そうじゃない。遊びとかそんなんじゃないけど、でも、付き合うとか結婚とか、そんなこと考えてないから」
「俺が年下だからですか?」
俺って初めて言ったな。
雪子は深田を見る。深田もまっすぐにこっちを見ていた。
「結婚とか、雪子さんが急いでるなら、俺もちゃんと考えます」
「急いでないわよ。むしろ、諦めていま開放されてるところだから」
「じゃあいいじゃないですか。俺と付き合ってください」
「え? なんでそうなるの?」
「ダメですか? 年下だからですか?」
「そんなに年下でもないじゃん」
結婚というしばりが外れれば、八歳の年の差などどうでもいいように思えてくる。
ということは、やはり深田を結婚相手として見ていたのだろうか。
「じゃあ、俺が嫌いですか?」
「嫌いじゃないけど」
「けど?」
「でも」
「じれったいな。俺は好きですよ、雪子さんのこと」
「だから、それはこのちょっとおかしな状況に踊らされてるだけだって」
「踊らされてるって何ですか? ポンポコリンじゃあるまいし」
意外に古いところから持ってくるな。
深田との会話がそれほど「ずれ」なかったのは、深田のこういった感覚に助けられていたのかもしれない。
「ポンポコリンって・・・」
深田が小さくため息をついて続けた。
「俺は雪子さんが運命の人だなって思ってます」
運命。
ずいぶん大袈裟な言葉を取り出してきたなと思いつつ、胸が急にドキドキしてくる。
理性で抑えつけようとしても、胸が躍っているのだ。
ポンポコリンは私だ。
「あんな会社で知り合って、運命もくそもないでしょうに」
喜んじゃだめ。舞い上がっちゃだめ。ときに男は大して覚悟もないのに大仰なことを言う。
そう思って憎まれ口をたたいても、胸の高鳴りは抑えられないのだった。
「あんな会社だけど、いい出会いがあったから辞めないで良かったなって思いました」
深田がじっとこちらを見ている。
深田の若く白く澄んだ白目に雪子の視線が奪われる。
いつの間にか周囲は薄い闇に包まれていた。
「でも、さあ・・・」
婚活で抑えていた何も頭で考えずにわがままに誰かを好きになりたいという衝動が一気に噴き出しそうになる。
それを目の前に男にぶつけていいのか。
女のソレを見て、この男は逃げないか。
雪子の体は硬くなる。
そんな雪子の体を、深田はそっと抱きしめた。
「大丈夫ですから。俺たち、きっと、うまくいきます」
「結婚ってこと?」
やはり自分は結婚にこだわっている。こだわりすぎている。
雪子は認めざる負えなくなる。
「結婚でもなんでも、いいですよ」
深田の胸の中で大きく息をする。
深田の臭いがする。
この人の臭いが好きだと、雪子は思う。
「とりあえず遠距離恋愛だね」
「いいんですか?」
「うん。結婚とか、そーゆーのはどうでもいいから」
雪子は小さな虚勢を張る。
深田と付き合えば、こんなふうに意地を張らないといけないときが度々あるだろう。
それでも、今の雪子はそれを越えてみたいと思った。
「わかりました。とりあえずエンレンですね」
「そうエンレン」
何でも略したらいいってもんじゃないぞ。
そう思いながら、雪子は深田の背に手を回し、その体を自分のほうにぎゅっと引き寄せる。
大通りからは街の賑わいが流れてきた。