第4話

文字数 3,267文字

 焼肉を食べる男女はできている。
 そういうが、焼肉のあとにできてしまう。そういう男女もスタンダードなのだろうか。
 隣で寝息をたてている深田を盗み見てから、雪子はホテルの真っ白い天井を見て、小さくため息をついた。
 良かったけど、疲れた。
 さすがに深田は若い。二発やったのに、けろりとしてて、そしてコロリと眠った。
 寝たり起きたりのスイッチの切り替えが早いのは若い証拠だ。
 年を取らないとわからないだろうけど。
「久々に、いったな」
 それも二回も、男相手に。
 自分でするときを除いて、きちんといったのは何年ぶりだろう。婚活を始めるずっと前に彼氏がいたときだから・・・雪子は年数を数えるのを止める。虚しいだけだ。
 もう一度、深田の顔を見る。
 やっぱり好きな顔だと思う。自分はこの顔につられてホテルまでのこのことついてきたのだ。
 認めざる負えない。
 深田はあっさりとした癖のない、整った顔をしていた。
 卒業した大学の偏差値よりずっとずっと低い顔面偏差値をもつ正社員たちの中で、大学の偏差値並みの顔面偏差値をもつ深田は際立っていた。
 それが原因でおっさんたちの嫉妬を買い、昇格のスピードが遅れている、なんて噂を聞いたこともある。
 とんでもない話だが、とんでもないことが横行するのが日本の会社だ。個人の能力より、周囲にどれだけ溶け込んでいるかのほうが重視されるのだから、それが理由で階級が人より低くても決してめずらしい話ではない。
 深田が起きたら聞いてみようか。こーゆー関係になったのだから、多少は踏み込んだ質問をしても構わないだろう。
 雪子は思った端から、自分の考えを却下する。
 答えるのに窮するような質問をしてどうする? 意地悪したい相手ではないのに。
 それに、セックスしたから急に近しく振舞うなんて、馬鹿で思いやりのない女のすることだ。絶対にそうはなりたくないし、そう思われたくなかった。
 二度と会わない相手だと思いながらも、点数を下げたくないと思っているのは、やはりベッドを共にしたことが原因だろう。
 雪子は寝ると気持ちまで入ってしまうタイプだった。
 若い時は都会的にもっと遊べたらいいのにと、人と比べて強めの性欲を持て余しながら思ったものだ。
 そんな雪子だが、婚活で出会う相手に欲望を抱くことはほぼなかった。
 今後ずっとこのひとと一緒に過ごすかもしれない。そう思うと迂闊なことはできないというブレーキが働いた。
 加えて、婚活で出会う男だちはおしなべて雪子の好みのルックスではなかった。
 年収などの条件を重視すると、顔立ちや身長などの項目はどうしても捨てざる負えなかった。
 三十を超えている雪子も男たちにとっては理想的な女とはほど遠い。それがよくわかっていたから、条件を絞ったのだ。
 将来も約束されない、好きなルックスでもない、もちろん気持ちがあるわけじゃない、そんな男たちとのセックスは考えられなかったし、誘われもしなかった。
 結果、長く男と交わらない日々が続いた。
 しかし、一度だけ、婚活で出会った男と寝たことがある。
 いかなかったのは、男との相性が悪かったのではなく、男とは将来があると思い込んだ雪子が自らを開放できなかっただけの話だ。
 男は深田とは逆で、少し濃いめの顔をした、いい男だった。
 年齢も雪子より三つ上で、彼と出会ったとき、そして、その目の中に自分への興味をすくいとったとき、雪子は心の中で秘かにガッツポーズを作った。
 しかし、彼の関心は雪子の思うようなものではなかった。
 男は婚活で出会う男たちと違った。こまめにメールや電話やラインをよこし、畳みかけるように関係を進めようとした。
 それを雪子は男の自分への欲求と受け取った。うれしかった。久々に自分が女であることを思い出した。
 婚活をしていたにもかかわらず、雪子はそんな感覚を長く抱いていなかった。
 だから、二度目のデートで保険に入ってほしいと言われたときは、一瞬迷った。
 しかし、「嫌かもしれないけど、保険業界で働いていると結構当たり前のことだからさ」という男の言葉をあっさり信じた。信じたかったからだ。長く、空振りが続くだけの無駄な婚活を早く終えたかったからだ。
 雪子は冷静さを失っていた。婚活の熱にうなされ、熱中症のような状態になっていたのだと思う。
 多くの男と会い、短期間でイエスかノーを出す。もしくは出される。
 出たくもないマイナー映画のオーディンションを受け続ける売れない女優にでもなったような気分だった。 
 もう止めたい。
 男のことを好きだと思うより、この気持ちが強かったことを、今の自分なら素直に認められる。
 男は雪子が保険に入ると、雪子をホテルに誘った。
 雪子は男とは将来があると思っていたから(思いたかったから)、拒否しなかったし、しかし、奔放に振舞ってはダメだなとおかしな計算も働いた。
 男とのセックスは短く、一度で終わった。
 彼は早い人だったのではなく、早くいったのだろうと雪子はなんとなく思った。
 保険に入れてしまった罪悪感から雪子を抱いたのだろう。もしくは、抱いたことでイーブンとしたかったのだろうか。
 いずれにしても男とはそれきりになった。
 今思えば、馬鹿みたいな、よくある話だ。それにダメージを受けていたあの頃の自分が、やはり馬鹿らしい。

 ホルモン屋を出ても、深田は駅へと向かわなかった。
「ちょっと散歩しましょうよ」
 そう言って、深田はレンガ倉庫のほうへ向かって歩き出した。終電にはまだまだ時間がある。
 おごってもらったし仕方ないか。雪子はそう思って深田の後に従った。
 深田は全く会話をリードしなかった。
 雪子が話題をふり、会話を膨らませた。深田は質問には真摯に答えるが、自分から何かを切り出すことはない。
 ただ、雪子の言うことをニコニコとうれしそうに聞いている。
 男と女が逆なんですけど。
 そうだったら理想的な会話風景なんだけどな。あ、でも、年の差は性別を超越するか。なら、これが正解か。
 見つけてもむなしくなるだけの答えを見つけ、雪子はため息をつく。
 そんなことを繰り返しながら、二人は中華街の入り口まで歩いてきた。
 雪子は関内駅に向かおうと思い、スタジアムへと足を向けた。
「崎本さん」
 振り向くと深田が瞬間接着税でも踏んづけたかのように、棒立ちしている。
「何? どしたの?」
 数時間を一緒に過ごしたことで遠慮がなくなっていた。雪子はため口で尋ねる。
「ここ、泊まっていきませんか?」
 深田が指差しているのは、一階がコンビニになっている、石造りのレトロな雰囲気を醸し出すこじんまりとしたきれいなホテルだった。
 そこは・・・一度は泊まってみたいと思ってたところだけれども・・・
 そーゆー問題じゃないだろう。
 雪子は笑う。
「何いってんの? いくらリモートワークだからって、ちゃんと家にぐらい帰りなさい」
「そうじゃなくて」
「ん? じゃあ何?」
 深田は雪子のほうに二歩三歩と踏み出す。その歩幅の大きさに雪子はドキッとする。
 深田は雪子の手を掴んだ。
 男の手は自分の手よりずっと熱い。いつも。
 雪子の上半身は自然と後ろに逃げた。
「ダメですか?」
「え? 何が?」
「嫌ですか? 僕じゃ」
 やっぱり、誰かの指示じゃないの?
 目の前の深田は真剣な眼差しだ。
 そんなに性質の悪いことをする子にはどうしても見えなかった。
「じゃあ、ちょっとだけならいいよ」
 ちょっとだけってどーゆーこと? 
 口だけとか手だけってこと? 
 普通にするより、そっちのが全然ビッチなんですけど。
 雪子は自分の不用意な発言に密かに打ちのめされる。
 そんな細かすぎる雪子の反省は当然深田には伝わるはずがない。
 深田は華が咲いたようにうれしそうに笑うと、雪子の手をひき、洒落たホテルへと入っていった。
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