第5話 亀田の嘘

文字数 1,090文字

 では、妻子がいるというのは嘘なのか? 扶養家族がいるという事にして、各種手当やら見舞金とやらを得るためなのか。でも、あの時喫茶店でしていた妻子にまつわる話には真実味があった。「妊娠中の妻に転職を反対され揉めた」とか、「子どもに会いたいので、幼稚園に入る前がよかろうと早速こちらに呼び寄せた」とか。どれもあまりにも自然に話していたではないか?

じゃあ埼玉の実家のことは? お母さんが倒れたのも嘘? そうなると、東京の有名美大卒という経歴も怪しいものだ。ウチぐらいの規模の会社でしかも中途採用の場合、面接時に卒業証明書の提示などしないところがほとんどだろう。それでも、デザインのクオリティは確かに納得のいくものだった。ますますわけがわからん!

 私の頭の中は軽くパニック状態に陥った。私はとりあえず社長に、その不可解なフォルダ類についての報告をした。社長は亀田さんのデスクに座りPCをいじってあれこれしていたが、しばらくすると黙ったまま社長室に消えていった。

 ややあって社長室で何やら電話していた社長が出てくると、とんでもない話をし始めた。

「あいつな、亀田、どうやら常習犯らしいぞ。前に居たっていう会社に問い合わせたら、そこも同じような経緯で出社しなくなったあげく、パワハラやらなんやら、会社にとって身に覚えのない事で訴訟を起こしてるらしいんだ。まったくとんでもない奴だ!」

 もう、びっくりである。前の会社にいたのは事実らしいが、普通にネットで応募して面接に来たらしい。じゃあ、伊勢神宮でのドラマチックな出会いは? 意気投合したという社長の田丸さんはどこ行った? 何、いまこれ何が起きてるのよ。

 私は亀田さんのどこにでもいそうな、普通に善良そうな顔を思い出す。あの人懐っこくさわやかな亀田スマイル、それも仮面だったというのか。彼はいったい何者なんだ、一体どこまでが本当で、どこからが嘘なのだ! 

 こうなったらもう推測するしかないが、彼はおそらく、我が社にも出たり休んだりしながらしばらく居座ったあげく、とにかく難癖をつけて退社に持っていき、慰謝料だのなんだのを請求してくるつもりだったのだろう。しかし彼の誤算は、ウチの社長の尋常でない気の短さとカンの鋭さ。おかげでウチは事なきを得たわけだが。

 週明けの月曜日。亀田はノコノコやってきて、例のUSBをはじめ私物を持って帰ったらしい。らしいというのは、我々デザインスタッフが出社する前、事務の子しかいない時間帯に来たからだ。USBの中身を見られている事に気づいたかどうかは知らない。まあもしわかったとしても、何も言ってこれないだろうが。
 
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