第2話 純愛

文字数 1,843文字

 辰雄は川を見つめている少女を見た。バイクで通り過ぎたが、気になり戻った。ただごとではない。後ろ姿が悲しみを表していた。バイクを降り声をかけた。

 彼女の頬は涙で濡れていた。
 この瞬間が私の一生を決定した……

 最初、辰雄は警戒された。どこから見ても真面目な男には見えないだろう。中3にも見えなかっただろう。
 かたくなな少女の腹の虫が泣いた。大きな音がした。泣いていた少女は恥ずかしがり真っ赤になった。
 かわいかった。この子のためならなんでもできる。早々に投げ出していた人生を取り戻すことができる。

 少女は警戒心を解いた。
「こんなところにいたら変に思われるよ」
 パン屋でサンドイッチとコーヒー牛乳を買い、近くの公園で食べさせた。

 少女から死神は去って行った。辰雄は自己紹介をした。
「篠田辰雄。家は近くだよ。中3。頭は悪い」
少女も同じように自己紹介をした。
「大江操。家は隣の区。中3。頭は……いい」
冗談を言った。帰れない、という操をどうすることもできず、歩いた。バイクを押して。
「無免許?」
「ハハハ」
「やめなさいよッ!」
強い口調で意外だった。
「やめるよ……」
口から出ていた。
「……不登校なの? 高校は?」
「どうだっていい」
「……バチ当たり!」
「……?」
「行きたくても行けない人がいるのに」
操は話した。母が亡くなり父は酒浸り。働かないの。進学できない。
「この間、スカウトされたの。家のそばでドラマのロケやってたから、見に行ったら名刺もらった。やる気があるならおいでって」
辰雄は操の顔を観察した。あながち、嘘ではあるまい。
「君は、なりたいの? 歌手や女優に」
操は首を振った。
「目立つのは嫌い。引っ込み思案だし……音痴なの」
それに、有名になれば調べられる。出生を。
「働きながら定時制に行こうかな。H高は定時制があるから」
「じゃあ、オレもH高にする。定時制なら入れるかな?」
辰雄も話した。親のこと。母は亡くなった。再婚した父に連れ子。グレている自分のことを大袈裟に。死にたいのは君だけじゃないさ、と。
 
 辰雄は操を送った。帰るところは他にはなかった。狭い路地に面した古くて小さな平家。すぐそばに小さな公園があった。
「オレはそこの公園にいるから、なにかあったらすぐに出てきな。おとうさん、心配してるぜ。きっと」
「もう寝てるわ。酔っ払って」
 辰雄はしばらく家の前を行ったり来たりした。そして公園のベンチで眠った。

 朝、操は制服を着て出てきた。辰雄を見ると驚いていた。
「怒られなかった?」
「寝てたわ。なにも覚えてなかった。篠田さん。帰らなかったの?」
辰雄は住所と電話番号を書いたメモを渡した。
「篠田さんも、学校行きなさいよ」
「もう、勉強も遅れてるからな」
「教えてあげる。友達に教えるの上手よ。先生よりわかりやすいって言われる」
「ほんとか? また会ってくれるのか?」
操は頷いた。
「図書館で勉強してるから」
家にはなるべくいたくないのだ。テレビは1日中ついているし、勉強できる環境ではない。
「バイクは乗らないで。髪もなんとかして」
君の言うことならなんでも聞く。
「高校行きなさいよ。全日制に」

 こうしてふたりは会うようになった。自転車を漕いで操に会いにいった。図書館で勉強を教わった。操が教えてくれるのだ。大きな声を出せないから、顔を近づける。操は真剣だ。どうしたらわかってくれるか真剣に考えている。辰雄はいままでにないほど勉強した。真面目になった。髪も黒くし学校に行った。喧嘩もやめ親にも教師にも刃向かうことはなくなった。
 辰雄は自分の境遇を大袈裟に嘆いた。それを操が諭す。ふたりの距離は縮まった。
 
 操の父親は後悔したのだろうか? 仕事を探してきた。スーパーの中の靴修理の店。酒さえ飲まなければ仕事はできるのだ。しかし給料は少ない。蓄えも減った。母の葬儀に金をかけた。戒名にも。墓にも。父を当てにはできない。当てにしてはならない。
 先生に相談した。定時制高校に通える就職先を。働いて金を貯めて家を出る……

 辰雄は自分の父親に交渉した。高校へ行くから。それも都立へ。だから私立へ行ったらかかる分の金を出してくれ。ギターが欲しい。でなけりゃ進学しないし、家も出る、と。中学3年の2学期の成績。通知表を見せると父親は喜んだ。
 やればできるんだ、おまえは、と。

 辰雄はその金を操に回した。全日制に行け、今までの家庭教師代だよ。どんな家庭教師より優秀だ。操は好意を受け取った。
 バイトして返すから。絶対、返すから、と。

 
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登場人物紹介

大江 操 薄幸の美少女。『異邦人のように』の『思い出』に登場。

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