第1話 放言

文字数 3,237文字

 父は真面目で子煩悩な男だった。
 15の歳に故郷から出てくると、手に職をつけるために小さな靴店で修行した。父の作る靴は高価だった。しかし、やがて、大量生産に負けた。父の勤める会社は給料が上がらず、ある日社長は蒸発した。
 腕のある父に仕事はあった。障害者の靴を作る会社から誘いがあった。提示された給与、賞与は以前のところとは比べ物にならない。真面目な父は人望も得た。大学病院に出入りするようになり教授と打ち合わせをする。その教授からからコーヒーの粉をもらってきた。当時はまだインスタントが主流だった。父はネルの濾し袋で、教授に教わったようにコーヒーを淹れてくれた。母と私は砂糖を3杯も入れて飲んだ。

 ようやく人並みの生活ができるようになった。父は質素だった。将棋が唯一の趣味で私に教えた。初めはハサミ将棋だったが、覚えが速いことがわかると本将棋を教えた。父と将棋を指す。幸せだった。
 父は職人だから器用だ。川に行き流木を拾ってくる。私は自転車の荷台に乗せた木を押さえた。ふたりで歩いた道、話したことを鮮明に覚えている。
「女将棋指しになるか?」
聞かれて困った。将棋は好きだけど……
「先生になりたい」
「じゃあ、大学に行かなきゃな。おとうさんが稼いで行かせてやるからな。腕がいいから定年はないんだ」
 父は運んだ木を乾かし将棋盤を作った。私は家の前で見ていた。古い小さな平屋の借家だが、左右に小さな花壇があって、父は季節ごとに種を植えていた。なんだったろう? 松葉牡丹、ケイトウ……夏はアサガオが屋根の上まで伸び、咲いた花の数を父と数えた。
 分厚い将棋盤の脚はナイフで格好よく彫られた。立派な出来栄えだった。
 将棋はすぐに上達した。最初父は自分の駒を減らし打ったが、同格になった。父は娘の頭の良さに感心した。
「誰に似たんだろう?」

 母は無知だった。ある日、空の星を見て、
「あの星は、もうないのかもしれないのよ。何十万年も前に出た光を見ているのよ」
と私が言うと、母には理解できなかった。
「そんなバカなことがあるか」
と怒り出した。
 その頃から私は母親を軽蔑するようになった。時々は母は朝起きれず、父は何も言わずに自分で弁当を作り仕事に行った。
 
 父が作った立派な将棋盤は、真ん中から少しずつヒビが入った。分厚い将棋盤のヒビが大きくなっていった。作り方がまずかったのだろう。

 母は娘のことなど考えてはくれない。良い母親とは思えない。良い妻だとも思えない。料理は下手だし、いや、それ以前に嫌いだった。努力をしない。家事が嫌いだった。おまけに、朝、起きられなかった。血圧が高いとか、言い訳をしていたが。
 私が熱を出した時も、夜中に心配して額に手を当てるのは父だった。喉が痛いときに砂糖湯を作ってくれたのも父だった。
 それでも小学校の低学年までは母のことは好きだった。高学年になると母の性格をいやだと思うようになった。家に出入りする酒屋やクリーニング屋と長話をしていた。パート先の若い男を家に入れていた。私はおぼろげだが思い出した。小学校4、5年の頃だろうか? 

 家の近くに、住み込みで働く若い男がいた。よく母と話していた。私に菓子を買ってくれた。その男はある日いなくなった。私は遊んでこい、と、伯父に言われ、土手を歩いた。なにかあったようだ。しばらく時間を潰し戻ると、
「おまえのかあさんはしょうがないね」
と伯母が言った。それを伯父がたしなめた。母はいなかった。母は実家に帰ったのだ、と父が言った。私は布団をかぶって泣いた。
 記憶ははっきりしていない。あれは夢だったのか? 母は数日後には戻っていた。何が起きたのかはわからなかった。

 それから父は私を見なくなった。父は仕事から帰ると毎晩テレビを相手に晩酌をした。私も父とは話さなくなった。父娘とはそんなものなのだろうと思った。父母は喧嘩をすることもなかった。

 母は中1のときに死んだ。心不全で、あっという間だった。その日、母は友人の家に遊びに行っていた。ビールを飲んで喋っているのだ。私はひとり家にいて勉強していた。夕方、母の友人から電話がきた。
 おかあさんが具合が悪くなった……
 
 母の死は現実ではないように感じた。近くの友人の家に行くと救急車がきていた。訳もわからず私は乗せられた。母は苦しそうだったが、娘の顔を見ると笑ったような気がした。苦しくても笑おうとした。

 近くの小さな病院。入って15分もかからなかった。先生が、手遅れでしたね、と言った。何が手遅れなのだろう? 母は長くは生きられないということなのか? ほどなくして父が駆けつけた。土曜日だった。1月の土曜日、父は仕事の後、家に戻ったところを、誰かに教えられたらしい。
 父は死に目には会えなかったが、しっかりしていた。逝ったばかりの母は苦しそうな顔をしていた。悲しみは感じなかった。こんな顔を人に見せられない……そんなことを思った。
「運命だな」
と父が呟いた。

 残された父とひとり娘。父はしっかりしていた。私に先に帰って親戚に電話するよう、それから部屋を片付けておくよう言った。

 伯母に電話をした。伯母は何度もなにがあったのか聞いた。怒鳴った。狭い家を片付けた。平家の借家は2部屋しかない。
 奥の私の部屋に母は寝かされた。戻った母は穏やかな顔をしていて私は安心した。近所の人達が集まってきた。町内会の女たちはテキパキと動き、私は座っているだけだった。伯母が駆けつけてきた。伯母は私を抱きしめた。意外だった。母の兄の妻に会ったのはしばらくぶりだった。
「おまえのかあさんはしょうがないね」
言われたその言葉は覚えていた。あの日以来、親戚付き合いも減っていた。
 抱きしめられ、初めて涙が出た。泣かなければ悪い……そんな気がした。
 父は葬儀屋と相談していた。私は心配した。葬儀屋が提示する金額。父は高い方を選んだ。伯母が、大丈夫なの? と聞いた。

 私は家事をやらざるをえなくなった。父は娘に金を渡し、私はきちんとレシートを見せた。おかずは商店街で買った。天ぷら、フライ、焼き魚、ポテトサラダ、惣菜を作って売っていた。母もよくそこで買ってきて済ませていた。食卓は変わらなかった。ときどき、母が作っていた湯豆腐や、もつとこんにゃくの鍋にした。たいした料理をしない母だったが、この2品は好きだった。アルミの平たい鍋で真似てみた。昆布にタラ、鍋の中央に醤油と鰹節の入った湯呑み茶碗。これは母と同じ味にできた。もつとこんにゃくの味噌鍋は何度作ってもできなかった。教えてもらっておけばよかった。

 やがて父の酒の量は増え、仕事にも影響が出るようになった。朝、酒が抜けていない。仕事を間違える。だんだん信用をなくしていった。夜中に泣いている。母の名を呼んで。それほど愛していたのか? 生きているときには思わなかった。むしろ逆だ。父は怒っていた。母はいい母親ではなかった。金の管理も父がしていた。料理も母は苦手だった。手抜きだった。

 母に死なれると父の人生も終わってしまったようだ。私は夜中に泣いている父を情けないと思った。なぜ、娘のために頑張ってくれないのだ? 
 そして父はついに仕事を失った。

 その夜、大喧嘩をした。すごい剣幕で父を罵った。
「私のことはどうするの? 高校行けないの?」
酒浸りの父は、酒が入れば饒舌になり泣く。シラフのときは無口だった。
「おまえは冷たい」
言われて逆上した。
「酔っ払いに優しくしろって言うの? 父親のくせに。情けない」
つぎの言葉で私は黙った。いくら酔っても今までは言わなかった。告白させてしまったのは私だ。

 歩いた。どのくらい歩いたのだろう? ここはもう隣の区だ。橋を渡ればH高がある。第1志望の都立高校。目指して頑張ってきたが……橋の上で止まった。川が流れていた。
 高校には行けない。全日制には。それどころか、もう家には帰れない。ひどい父親だと思う。いや、父ではなかったのだ。

 
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登場人物紹介

大江 操 薄幸の美少女。『異邦人のように』の『思い出』に登場。

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