第3話 疑惑

文字数 2,652文字

 辰雄は家業の工場の仕事を手伝うようになった。忙しい時期には猫の手も借りたいのだ。不良で中学もサボっていた息子が、仕事を覚えたいと言い出した。父親は喜んだ。再婚相手とも義弟ともうまくやっている。ギターを買いたいから、というのを信じて金を出した。都立高校を受けるというのだ。息子はやればできるのだ。塾代も家庭教師代もかからない。私立高校の入学金も浮くのだから。

 辰雄は操に地元を案内した。H高校周辺。初めて会ったM橋。近くの甘味屋に入った。客も、店員も操を見る。女の子と甘味屋なんて……誰かに見られたらなにを言われるか、硬派の篠田が、女の子と? それもとびきりの美少女だ。スカウトされるほどの。
 三沢が、大嫌いな三沢がいた。奴はすぐに下を向いた。向くはずだ。ママと一緒だ。口うるさい教育ママ。辰雄を見れば呆れた顔をした。息子は過保護な優等生。成績優秀、スポーツ万能。たしか柔道は初段だ。生徒会長をやり、スピーチは絶賛された。人望がある。家は古いがでかい。父親は社長だ。古くからある大きな工場。辰雄の父親の町工場とは違う。

 三沢は操に一目惚れした。辰雄にはわかった。三沢もH高志望のはず。ふたりは同じ高校に。しかし、操はなにも感じなかったようだ。
 三沢親子が出て行った後に聞いた。
「カッコいい男だろ? モテるんだ。頭もいい」
「おかあさんとお汁粉なんて、気持ち悪い。口を拭いてもらってたわ」
操は真似をして辰雄の口の周りをナフキンで拭いた。

 次に会ったのは駅前の本屋だった。辰雄は見ていた。三沢は操に気付き近寄った。引き寄せられるように。そばまで来ても操は本に夢中だった。問題集を選んでいる。入試の過去問題……三沢はそれ以上近づくことはできず、離れた。辰雄は操の肩を叩いた。三沢には触れることのできない肩だ。

 操はH高に合格した。クラスは三沢と一緒だ。因縁を感じた。操は学校の許可をもらい、スーパーの婦人服売り場でアルバイトをした。父親も仕事に行っているようだ。
 バイトの休みの日、辰雄はM橋で待った。初めて会った時のことを思い出す。
「辰雄さん」
と、操は呼ぶ。眩しい笑顔だ。辰雄にだけ見せる屈託のない笑顔。三沢がふたりを見ていた。ざまあまろ。操は興味がないのだ。おまえには。成績もトップだ。おまえを凌いだ。ざまあみろ。しかし……

 2年になると、操が変わった。辰雄にはわかった。原因は三沢だ。あの優等生の三沢英輔。甘味屋で会ったときから……本屋で会ったときにも、そして操がH高を受験するときも予感した。ふたりは同じクラスだ。惹かれ合うに決まっている。
 操は気のないふりをした。辰雄の気持ちを知っているから。金を貸したことで恩を着せるつもりはない。自分が操と釣り合うなんて思ってもいない。操も三沢に対しては同じように思っているに違いない。片親の借家住まいの娘。父親は酒で仕事を失った。三沢とは釣り合いが取れない。三沢は特別だ。顔も頭も、人望も、なにもかも。

 辰雄は操のバイトのあと、自転車を押し送って行った。30分足らずのデートだ。辰雄はそのために生きていた。それを、操は取り上げた。
「もう、迎えに来ないで」
なんで? と聞こうとしてやめた。野暮なことを聞こうとした。別の男が送ってくれるのだ。三沢か? 学校で長い時間会っていながら、なお会いたいのか? 
 しかたない。諦めるしかない。喜んでやらなければ。
 
 水曜のデートもなくなった。我慢できずに辰雄は家の近くで待った。ひとめ見るだけでいい。しかし、操は帰らない。辰雄は公衆電話から家に電話した。誰も出ない。切ろうと諦めたとき、父親が出た。酔っているのがわかる。
「間違えました」
「待て。おまえはだれだ?」
「……」
「操の男だな」
「……」
「今夜は一緒じゃないのか?」
「……」
「何人いるんだ? 母親と同じだ」

 操と三沢は付き合っているのだ。反対することはできない。操の初恋が成就するよう願おう。しかし、帰りが遅すぎる。父親は心配しているのだ。無関心ではない。家の前で待つと、タクシーが停まった。操は辰雄を見てうろたえた。
「送りもしないでタクシーか。金渡されたのか?」
「……」
「三沢か?」
ばれてほっとした顔をした。
「遅すぎるぞ。おとうさんも心配してる」
「話したの?」
「電話でね」
「酔ってたでしょ」
「酔ったって心配してる。心配かけるなよ」
操は頷いた。
「もう、来ないで」
「……」
「来ないで。三沢君に誤解される」
「わかった。2度と来ないよ」

 しかたない。甘味屋で会ったときから、こうなるのはわかっていた。しかし、あの三沢の母親は、過保護な教育ママの母親は認めないだろう。こんな借家に住む、母親のいない、仕事もろくにしていない父親では……

 辰雄は三沢をM橋の上で待った。取り巻きがいる。部活の帰りか? 確かディベート部。三沢は気がつくと辰雄のところへよってきた。
「どうしたんだ?」
「帰りが遅いッ」
いきなり言った。あいつは誤魔化そうとした。なにひとつ敵わないのはわかっているが、
「本気なんだろうな? そうなるとは思ってたよ。操はおまえを好きになると。かわいそうな子なんだ。大事にしてやってくれ」
三沢は真剣な表情になった。本気だ。本気ならいい。

 それなのに……電話は操の方からかかってきた。辰雄は急いで橋の上まで行った。操は川を見ていた。初めて会った時と同じように。目の上が腫れていた。辰雄は問い詰めた。
「三沢か? 三沢だな。殺してやる」
「違うの。私が悪いの。私が……」
庇うのか? 殴ってやる。柔道の黒帯だって……柔道の黒帯が女に暴力を? アザができるほど?
 なにがあったんだ?

 M橋で三沢を殴った。自分が悪いから三沢は黙って殴られた。
「誓え。2度と手を上げないと」
三沢は真剣な顔で誓った。いったい、なにがあったんだ?

 家に電話したいが……また父親が出たら……辰雄は操の家の前をうろつく。操は夜遅く帰ってきた。三沢と一緒に。辰雄は隠れた。
「ありがとう」
「ゆっくり休めよ」
帰りは遅いが、仲直りしたのだ。もう、口出しはすまい。

 しかし、どういう男なのだ? 
 操が結核! 
 操は泣きながら電話してきた。辰雄はすっ飛んでいった。操は礼を言った。
「今までありがとう」
まるで、死に行く人のように。辰雄は励ました。しかし、三沢は? なぜ知らん顔なのだ?

 三沢は1度も見舞いに行かなかった。三沢は、あの大きな邸のひとり息子……あの過保護な母親は操を認めないだろう。病気で留年するかもわからない娘を。
 

 
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登場人物紹介

大江 操 薄幸の美少女。『異邦人のように』の『思い出』に登場。

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