2022.8.22~8.28
文字数 1,754文字
///なぜかとまらない///8/22
通勤のために毎日のように通る道の脇にその建物はある。といってもそれはひとつの建物ではなく、いくつかの、たぶん4棟か5棟のこじんまりとした古い家がとてもいい感じに配置されている一画だ。たぶん、としか言えないのは、私が常に車の運転席からそれを見ているから。
その建物、というかいくつかの家の塊に何となく惹かれるようになってから久しい。
10メートルほど先の交差点には信号機があって、私はいつもちょうどよいタイミングで自分の車がその建物の前に止まってはくれないかと秘かに願っているけど、数百日を数える機会の中で一度も実現したことがない。
十分起こり得ることが不思議と実現しないことに、かえって何かしら運命めいたものを感じてしまい、さらにその魅力のランクはあがっていく。
近くにはコンビニもスーパーマーケットもあるのだから、そこに車を停めてという方法だってあるのに、その気にならないのはなぜだろう?たぶん少し怖い。何かが。
///夏の終わりに///8.23
夜になって吹く風に、ほのかな冬の匂いを感じるようになった。夏の次は秋でしょ、と言われそうだけど、最近は秋を感じる前に冬が来てしまうことが多くなった気がする。
夏が終わってしまうという事実は、やはりどこか淋しい、というよりなんか悔しい。
若者ではないのだから、この夏に何かしらの期待をしていたわけではない。トキメク出会いとか人生観が変わるような劇的な体験とかね。
でもなんか悔しくて、だからといって、いったいどんな事が起きたならその悔しさが幾らかでも癒されるのかといえば、それは分からない。見当すらつかない。
まあ、こうやって今年も夏がおわり、たぶん、つぎの夏も同じようなことを思うのだろう。
遠い記憶の中にある少年時代の夏休みが取り戻せないものになって以来、私は何年も何十年もこんなふうに夏の終わりを迎えている。
///ライフワーク的モヤモヤ///8.24
もうすでに40年を超えて抱えているモヤモヤがある。
いちばん古い記憶は中学1年のころ、そのモヤモヤについてクラスの友達に問いかけたこと。細かいことはよく憶えていないけど、はっきりしているのはほとんど理解してもらえなかったこと。
というよりは、そのモヤモヤについて自分はまともな説明すらできていなかったと言った方が正確かもしれない。なぜなら、未だもってその思いについてきちんと伝えられる自信がないから。
では試してみよう。
自分以外のすべての人に自分と同じように自我みたいなものがあって、その自分を中心にした大きな世界がある。彼らはみな、いま自分がしているように自分というものを持ち日々の暮らしを営んでいる。その事実がどうしても受け入れられない。
どうだろう?伝わっただろうか?
///ひとのフリ見て///8.26
自分のことは驚くほど見えていない。
あの人ほんとに自分が見えてないよなぁ、と他人のことを言っている場合ではないのだ。
夜の空に見える白い月。その輪郭がくっきりしていればいるほど、真っ暗な宇宙空間に何の支えもなく浮かんでいる球体の心細さに胸が少しだけ締めつけられる。
まてよ。
我が身をグーグルアース的に俯瞰してゆけばどうだろう。他人ごとではないのだ。
月の振り見て。
///完璧///8.27
最初から完璧なんて、だれも求めない。
あなたはまだ10回目なんだから、ゆっくりと磨いていけばいい。
あと一万回生まれる頃にはきっと、完璧なあなたになれるから。
///ごみ捨て場訪問///8.28
何人かの人に聴いてみたところ、ほとんどの人の答えは「ある」だった。
私にももちろんある。
ふと気づくと頻繁に頭の中に思い描いている場所が、いくつかある。
いくつかあるけど、ちゃんと検証したわけではないけど、いちばん頻度が高いのはたぶん、小学校のゴミ捨て場。
安全面とか衛生面とか消防法的な規制とか、いろいろなことが時間の流れのなかで変わって、今そんなものは存在しない。
脈略もなくアタマに浮かぶ場所を実際に訪れてみたいという衝動は常にある。
でも、校庭の隅の方に掘られた大きな穴に学校中から集められた紙ゴミや落ち葉が溜まっているあの場所に立つことはもうできないのだ。
通勤のために毎日のように通る道の脇にその建物はある。といってもそれはひとつの建物ではなく、いくつかの、たぶん4棟か5棟のこじんまりとした古い家がとてもいい感じに配置されている一画だ。たぶん、としか言えないのは、私が常に車の運転席からそれを見ているから。
その建物、というかいくつかの家の塊に何となく惹かれるようになってから久しい。
10メートルほど先の交差点には信号機があって、私はいつもちょうどよいタイミングで自分の車がその建物の前に止まってはくれないかと秘かに願っているけど、数百日を数える機会の中で一度も実現したことがない。
十分起こり得ることが不思議と実現しないことに、かえって何かしら運命めいたものを感じてしまい、さらにその魅力のランクはあがっていく。
近くにはコンビニもスーパーマーケットもあるのだから、そこに車を停めてという方法だってあるのに、その気にならないのはなぜだろう?たぶん少し怖い。何かが。
///夏の終わりに///8.23
夜になって吹く風に、ほのかな冬の匂いを感じるようになった。夏の次は秋でしょ、と言われそうだけど、最近は秋を感じる前に冬が来てしまうことが多くなった気がする。
夏が終わってしまうという事実は、やはりどこか淋しい、というよりなんか悔しい。
若者ではないのだから、この夏に何かしらの期待をしていたわけではない。トキメク出会いとか人生観が変わるような劇的な体験とかね。
でもなんか悔しくて、だからといって、いったいどんな事が起きたならその悔しさが幾らかでも癒されるのかといえば、それは分からない。見当すらつかない。
まあ、こうやって今年も夏がおわり、たぶん、つぎの夏も同じようなことを思うのだろう。
遠い記憶の中にある少年時代の夏休みが取り戻せないものになって以来、私は何年も何十年もこんなふうに夏の終わりを迎えている。
///ライフワーク的モヤモヤ///8.24
もうすでに40年を超えて抱えているモヤモヤがある。
いちばん古い記憶は中学1年のころ、そのモヤモヤについてクラスの友達に問いかけたこと。細かいことはよく憶えていないけど、はっきりしているのはほとんど理解してもらえなかったこと。
というよりは、そのモヤモヤについて自分はまともな説明すらできていなかったと言った方が正確かもしれない。なぜなら、未だもってその思いについてきちんと伝えられる自信がないから。
では試してみよう。
自分以外のすべての人に自分と同じように自我みたいなものがあって、その自分を中心にした大きな世界がある。彼らはみな、いま自分がしているように自分というものを持ち日々の暮らしを営んでいる。その事実がどうしても受け入れられない。
どうだろう?伝わっただろうか?
///ひとのフリ見て///8.26
自分のことは驚くほど見えていない。
あの人ほんとに自分が見えてないよなぁ、と他人のことを言っている場合ではないのだ。
夜の空に見える白い月。その輪郭がくっきりしていればいるほど、真っ暗な宇宙空間に何の支えもなく浮かんでいる球体の心細さに胸が少しだけ締めつけられる。
まてよ。
我が身をグーグルアース的に俯瞰してゆけばどうだろう。他人ごとではないのだ。
月の振り見て。
///完璧///8.27
最初から完璧なんて、だれも求めない。
あなたはまだ10回目なんだから、ゆっくりと磨いていけばいい。
あと一万回生まれる頃にはきっと、完璧なあなたになれるから。
///ごみ捨て場訪問///8.28
何人かの人に聴いてみたところ、ほとんどの人の答えは「ある」だった。
私にももちろんある。
ふと気づくと頻繁に頭の中に思い描いている場所が、いくつかある。
いくつかあるけど、ちゃんと検証したわけではないけど、いちばん頻度が高いのはたぶん、小学校のゴミ捨て場。
安全面とか衛生面とか消防法的な規制とか、いろいろなことが時間の流れのなかで変わって、今そんなものは存在しない。
脈略もなくアタマに浮かぶ場所を実際に訪れてみたいという衝動は常にある。
でも、校庭の隅の方に掘られた大きな穴に学校中から集められた紙ゴミや落ち葉が溜まっているあの場所に立つことはもうできないのだ。