第7話 完結

文字数 1,037文字

 その日以来、あのバーに何度も通ったが芹沢と会う事はなかった。
 マスターの話では、あれから一度も来ていないとの事だ。
 もし芹沢が来店したら連絡して欲しいと、携帯番号を書いたメモと二千円をマスターに握らせた。
 それから毎晩、周辺の飲み屋を廻ったが、彼の姿を捕えることは出来なかった。

 マスターから連絡があったのは、芹沢が消えてから二ヶ月後の朝だった。
 何気なくテレビのニュースを見ながら朝食を済ませ、出勤の準備をしていると、突然携帯電話が鳴ったのだ。
 出てみるとスピーカーの奥からマスターの重い声が響いてきた。
 それは驚くべき内容だった。自分の耳を疑わざるを得ない。

 ――芹沢が死んだ。

 マスターの話によると、昨日の夕方、酔っ払いの運転する車に撥ねられて即死したらしい。
 そんな馬鹿な。彼は全てを知っているんじゃなかったのか。
 いくら自分の死に際が読めなかったとはいえ、酔っ払いの車の挙動すら分からなかったというのか。それとも彼の言葉通り、本当は全部冗談だったのだろうか。

 きっと自殺を選んだという考えが浮かんだ。
 神に一矢報いたのだ。
 それが絶望と孤独にさいなまれた彼なりの最後の抵抗だったのだと。きっとそうに違いないと確信したが、実際は俺自身がそう思いたかっただけなのかもしれない。
 鞄を抱え、テレビを消すのを忘れるほど狼狽した俺は、よろめきながらアパートを出て会社に向かった……。

 つけっぱなしになったテレビからはニュースの続きが流れていた。
 顔にモザイクのかけられた母娘が、路上でインタビューを受けている光景が画面に映し出されている。
 『……その男性は私たちの十メートルほど先を歩いていました。すると突然、前から猛スピードの車がこっちに向かってきました。ここは道幅が狭いでしょう? 危ないと思って、とっさに娘をかばいながらうずくまりました。ええ、もう助からないかと死を覚悟したのを覚えています。せめて娘の命だけでもと。……すると大きな衝撃音がしたあと、激しいブレーキが聞こえました。……恐る恐る顔を上げると、思いっきりへこんだ車の前に先ほど前方を歩いていた方が血を流して倒れていました。後はご存じの通りです。……即死だったんですってね。……でも、もしあの方が飛び出さなかったら、きっと私たちの命は無かったでしょう。亡くなられたあの男性には、心から感謝すると共に、ご冥福を深くお祈りいたします……』

 母親に寄り添う娘のランドセルには、赤い三角帽のパンダが揺れていた……。
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