第6話
文字数 1,655文字
「次はもっと面白い実験をやろう。知り合いの誰かを思い浮かべてみろ」
芹沢に従い、ある人物を頭に描く。希美と彩芽は敢えて避けた。
「その人は大西さんだね」彼はハッキリと断言した。
その通りだった。今朝、電話した上司の顔がそこにあった。一言も話していないのにどうして分かったんだろう。
その後も大学時代の友人や、中学の時の初恋の相手、ほとんど会っていない遠い親戚などを思い浮かべたが、芹沢はすべて言い当てた。背中が震え、まるで氷の棺桶に入れられた気分だった。
半ば放心の俺は訊かずにはいられなかった。「一体どんなトリックを使ったんですか」
「トリックはない」芹沢は否定し、こう断言した。「知っているんだ」
「僕に分かるように説明してもらえますか」俺は懇願するように言った。
「正直言ってオレにも上手く説明できない。だが、子供のころからそうだったのは確かだ。明日の天気や晩御飯の献立が分かったり、初めて見るテレビドラマの結末も言えたり、初対面のクラスメートの食べ物の好き嫌いが見えたりもした。……もちろん試験問題もそうだったが、ワザと間違えたもんさ。満点が続けばカンニングを疑われるからな」
俺は動揺せずにはいられなかった。にわかに信じられる話ではない。だが、名前当てを全問正解した事実を鑑みると、芹沢のエピソードには信憑性があるように思えてならなかった。
「……この力のおかげで、これまで狙った女は必ずモノにしてきたし、定職に就かずとも、一度も金に不自由したことがない」
いつの間にか俺は、芹沢の話にじっと聞き入っていた。
「……別に未来が分かるんじゃない。ただやらなければならないことを行い、言わなければいけないことを話しているだけなんだ」
「今もそうなんですか? 僕と話すことは以前から決まっていたって事なんですか?」
聞こえているのかいないのか、芹沢は質問には答えようとせず、グラスのふちを指で撫でまわすと、彼は自分の胸を数回叩いた。
「なのに何故、こんなみすぼらしい格好をしているか分かるかい?」
俺は首を振った。芹沢は空のグラスをじっと眺めながら、
「抵抗だよ。すべてが分かる超人にしてくれた神への、オレなりの抵抗。……だから敢えて安物のスーツに薄汚れた靴を履いて、こんな場末の店でタダ同然の酒を、な。」唖然とする俺に、彼は軽く柏手を打った。「意味が分からなくて結構。全てを司る全能の神は、この世で最も孤独なんだ」
言葉の半分も理解できなかったが、彼なりの苦悩や哲学を垣間見ることが出来た気がした。
「芹沢さん。あなたはなぜそんな話を僕にしてくれるんですか?」
「……なぜだろうな。本当はこの話を君にするつもりはなかった。今まで誰にも話した事は無い。さっきのコイントスや名前当ても、君が初めてだったんだ。――きっとこれもオレなりの抵抗なのだろうな」
そういって芹沢は煙草に火をつけると、一息つきながらゆっくりと煙を漂わせた。
「そんな俺でも唯一、知らないことがある」芹沢は灰を落としながらいった。
「なんですか?」
「自分の死に方だ。オレはいつ、どこで、どうやって死ぬのか分からないんだよ。……可笑しいだろ? ある意味、最も知りたい情報を知らないんだ。……多分それだけがオレと神との違いなのかもしれない」
俺は言葉が出なかった。全ての事を知っているのに自分の死に様だけが分からない。彼の絶望と孤独を少しだけ理解したような気がした。
「今日はうまい酒が飲めたよ、君のおかげだ。さっきの話は全部冗談だ。忘れてくれ」芹沢はそう言うと、「奥さんと娘さんを大事にしろよ」最後にそう付け加えると、彼は静かにバーを後にした。
会計は俺の来る前に芹沢が全部済ませてあるとシルバーグレーのマスターは告げた。二人合わせてピッタリの金額だった。
俺は去り際の芹沢の言葉を思い出す。
『奥さんと娘さんを大事にしろよ』
彼の真意が分からないまま、ポケットから赤い三角帽のパンダを取り出すと、また涙の海に沈み込んだ。
今宵のジャズは、昨夜のそれよりも胸に染みた。
芹沢に従い、ある人物を頭に描く。希美と彩芽は敢えて避けた。
「その人は大西さんだね」彼はハッキリと断言した。
その通りだった。今朝、電話した上司の顔がそこにあった。一言も話していないのにどうして分かったんだろう。
その後も大学時代の友人や、中学の時の初恋の相手、ほとんど会っていない遠い親戚などを思い浮かべたが、芹沢はすべて言い当てた。背中が震え、まるで氷の棺桶に入れられた気分だった。
半ば放心の俺は訊かずにはいられなかった。「一体どんなトリックを使ったんですか」
「トリックはない」芹沢は否定し、こう断言した。「知っているんだ」
「僕に分かるように説明してもらえますか」俺は懇願するように言った。
「正直言ってオレにも上手く説明できない。だが、子供のころからそうだったのは確かだ。明日の天気や晩御飯の献立が分かったり、初めて見るテレビドラマの結末も言えたり、初対面のクラスメートの食べ物の好き嫌いが見えたりもした。……もちろん試験問題もそうだったが、ワザと間違えたもんさ。満点が続けばカンニングを疑われるからな」
俺は動揺せずにはいられなかった。にわかに信じられる話ではない。だが、名前当てを全問正解した事実を鑑みると、芹沢のエピソードには信憑性があるように思えてならなかった。
「……この力のおかげで、これまで狙った女は必ずモノにしてきたし、定職に就かずとも、一度も金に不自由したことがない」
いつの間にか俺は、芹沢の話にじっと聞き入っていた。
「……別に未来が分かるんじゃない。ただやらなければならないことを行い、言わなければいけないことを話しているだけなんだ」
「今もそうなんですか? 僕と話すことは以前から決まっていたって事なんですか?」
聞こえているのかいないのか、芹沢は質問には答えようとせず、グラスのふちを指で撫でまわすと、彼は自分の胸を数回叩いた。
「なのに何故、こんなみすぼらしい格好をしているか分かるかい?」
俺は首を振った。芹沢は空のグラスをじっと眺めながら、
「抵抗だよ。すべてが分かる超人にしてくれた神への、オレなりの抵抗。……だから敢えて安物のスーツに薄汚れた靴を履いて、こんな場末の店でタダ同然の酒を、な。」唖然とする俺に、彼は軽く柏手を打った。「意味が分からなくて結構。全てを司る全能の神は、この世で最も孤独なんだ」
言葉の半分も理解できなかったが、彼なりの苦悩や哲学を垣間見ることが出来た気がした。
「芹沢さん。あなたはなぜそんな話を僕にしてくれるんですか?」
「……なぜだろうな。本当はこの話を君にするつもりはなかった。今まで誰にも話した事は無い。さっきのコイントスや名前当ても、君が初めてだったんだ。――きっとこれもオレなりの抵抗なのだろうな」
そういって芹沢は煙草に火をつけると、一息つきながらゆっくりと煙を漂わせた。
「そんな俺でも唯一、知らないことがある」芹沢は灰を落としながらいった。
「なんですか?」
「自分の死に方だ。オレはいつ、どこで、どうやって死ぬのか分からないんだよ。……可笑しいだろ? ある意味、最も知りたい情報を知らないんだ。……多分それだけがオレと神との違いなのかもしれない」
俺は言葉が出なかった。全ての事を知っているのに自分の死に様だけが分からない。彼の絶望と孤独を少しだけ理解したような気がした。
「今日はうまい酒が飲めたよ、君のおかげだ。さっきの話は全部冗談だ。忘れてくれ」芹沢はそう言うと、「奥さんと娘さんを大事にしろよ」最後にそう付け加えると、彼は静かにバーを後にした。
会計は俺の来る前に芹沢が全部済ませてあるとシルバーグレーのマスターは告げた。二人合わせてピッタリの金額だった。
俺は去り際の芹沢の言葉を思い出す。
『奥さんと娘さんを大事にしろよ』
彼の真意が分からないまま、ポケットから赤い三角帽のパンダを取り出すと、また涙の海に沈み込んだ。
今宵のジャズは、昨夜のそれよりも胸に染みた。