第2話

文字数 705文字

 二ヶ月ほど前の話だ。
 内容を思い出せないほど些細なことが原因で妻の希美(のぞみ)と口論になった。
 結婚して八年経つが、夫婦喧嘩などこれまでほとんどしたことがない。それこそ年に一度か二度あるかどうかだ。
 俺の過ちは妻の意見に無視を決め込み、真剣に耳を傾けなかった所だ。
 きっとすぐに機嫌を直して、元の希美に戻ってくれるだろう――そう軽く考えていた。
 だが、それが独りよがりの甘えでしかないことに気づいた時にはもう遅かった。口論のあった三週間後に、希美から離婚届を突き付けられたのだ。言葉を失い、茫然とする俺を尻目に、希美は娘の彩芽(あやめ)を連れて実家に帰り、それっきりとなった。携帯はもちろん、メールも通じない。
 死ぬほど後悔したのはいうまでもない。

 涙も枯れ果て、ショックから立ち直れぬまま市役所へ向かい、ハンコを押した離婚届を俺は提出した。人生で最も惨めな瞬間である。俺は夫として最後の仕事を終えたのだ。
 受付の化粧気のない中年の女性は。拍子抜けするくらい淡々とそれを受け取ると、記入漏れがないかチェックして、「はい、結構です」と、次の人の名前を呼んだ。
 八年前に希美と一緒に結婚届を出した時も同じような対応だったような気がする。お役所仕事とはそんなものだという事は分かっているつもりだが、俺は痛烈な虚しさを感じた。もしかしたら、その受付の中年女性に、ねぎらいの言葉の一つも掛けて欲しかったのかもしれない。
 役所を出た後、空っぽの部屋に足が向かず、気が付けば雑踏の中をただ流浪していた。きらびやかな街のネオンが硝子の刃のように突き刺さり、すれ違う人々は皆、俺をあざ笑うかのように軽快な足音を鳴らしている。
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