第4話 「心の中を人や知らんといとをかし」

文字数 2,366文字

 さて、このシリーズもいよいよ佳境に入って来ます。第2巻、作者は18歳になっています。後白河院の供養のための法要が後深草院の御所の敷地内のお堂で行われたときのことです。

 後白河院は言うまでもなく平家物語の時代に権謀術数を駆使した人です。大河ドラマなどでは愛人の丹後局とともに人気のある悪役ではないかと思います。後白河院の孫が安徳天皇と後鳥羽院で、そのまたひ孫が後深草院です。

 かくて三月(やよひ)の頃にもなりぬるに、例の後白河院御八講にてあるに、六条殿長講堂はなければ、正親町(おほぎまち)の長講堂にて行はる。結願十三日に御幸なりぬる間に、御参りある人あり。「還御待ち参らすべし」とて候はせ給ふ。二棟の廊御わたりあり。(102ページ)

 正親町は後深草院の御所で、3月13日が後白河院の命日なんで偉いお坊さん、阿闍梨が来て、院がお堂から戻って来るのを待っていたということです。この阿闍梨は後深草院の弟の性助(しょうじょ)法親王だと言われています。法親王というのは男子皇族が出家後に親王宣下を受けた際の称号だそうです。

 参りて見参に入りて、「還御は早くなり侍らん」など申して、帰らんとすれば、「しばしそれに候へ」と仰せらるれば、何の御用ともおぼえねども、そぞろき逃ぐべき御人柄ならねば、候ふに、何となき御昔語り、「故大納言が常に申し侍りしことも、忘れずおぼしめさるる」など仰せらるるも、なつかしきやうにて、のどのどとうち向ひ参らせたるに、何とやらん思ひの外なることを仰せられ出して、「仏も心きたなき勤めとやおぼしめすらんと思ふ」とかや承るも、思はずに不思議なれば、何となくまぎらかして立ち退かんとする袖をさへ控へて、「いかなる暇とだに、せめては頼めよ」とて、まことに偽りならず見ゆる御袖の涙もむつかしきに、還御とてひしめけば、引き放ちまゐらせぬ。

 二条がちょっと言葉をかけて早々に引き下がろうとしたら、法親王はまあまあとか言って「亡くなったお父さんがねえ」とかいう昔の話をし始めたわけです。それで「のどのどと」のんびりと話をしてたら、何だか様子がおかしい。瀬戸内さんの小説を引用します。

「あなたは愕くかもしれないが、私はもうこの頃では、仏の前でおつとめするのが怖ろしくなっているのです」
「ええっ」
「仏は、何もかもお見通しです。私の心の中の煩悩の炎もお見通しです。それが怖ろしい」
「煩悩など……阿闍梨さまのような尊いお方には無縁でございましょう」
「二条どの……そう見えますか」
 二条は、その声の常とはちがうひびきにはっとなった。青いほど澄んだ阿闍梨の瞳の白眼に、血走る筋が走っている。黒目の中は火のように燃えているものがある。
「もう、ずっと何年も前から、私はあなたに思いこがれて、煩悩の鬼になっているのです」
 阿闍梨の膝が二条の膝にふれるほど近づいてきて、二条はその手をしっかりとつかまえられていた。(261ページ)

 まあ、簡単に言っちゃえば偉いお坊さんのくせに兄の愛人にセクハラしてるってことです。

「仏も心きたなき勤めとやおぼしめすらん」っていい台詞ですね。愛情って言うより、瀬戸内さんが描いたように情欲って感じがよく出ています。

「いかなる暇とだに、せめては頼めよ」何とか時間作って、会ってよと言いながら泣いちゃうところがこの時代の男らしいんですが、そこで院がお帰りだと騒がしくなるところが話をうまく引っ張っています。

 思はずながら、不思議なりつる夢とやいはんなど覚えてゐたるに、御対面ありて、「久しかりけるに」などとて九献すすめ申さるる、御陪膳(はいぜん)をつとむるにも、心の中を人や知らんといとをかし。

 で、兄弟のご対面ってことでお酒になって、二条は給仕をするわけですが、そのときに思っていたのが「心の中を人や知らんといとをかし」です。

 ここを瀬戸内さんは「阿闍梨の目の中にはまだ邪恋のほむらの影が燃えているようで、二条は目をまともに向けられないが、この一座の中で阿闍梨以外は、あのことを知らないのかと思うと、ふとおかしさもこみあげてくる」としています。

 でも、私はこれでは不十分だと思います。「心の中」って誰の心でしょう? 二条でしょうか、阿闍梨でしょうか。「人や知らん」の人って誰でしょう? この二人以外の院を始めとしたその場の人たちでしょうか。

『取り澄ました阿闍梨さまが心の中ではあんなこと考えてたなんて、あたし以外には誰も知らなくておかしい』ということでしょうか。いえ、「いとをかし」にはもっとタチの悪いものがありそうです。そうした気持ちだけでなく、さらに二条は阿闍梨も「人」の中に入れているような気がします。

 つまり『あたしが本当のところ、あんたたちをどんなふうに思っているのか知らないでしょうね。……院も阿闍梨も他の連中も結局、あたしと寝ることしか考えていないんって、あたしは見くびっている。そういうあたしの心の中をだーれも知らないなんておかしくって仕方がないわ』といったことじゃないかと思うんです。

 瀬戸内さんは二条をこんな『悪い女』ではなく、男たちに言い寄られてばかりいる、ある意味不幸なモテる女に描いていますが、原文を読んでいくと主人公(あえて筆者とは別の人格と考えておきます)は、そんな受け身の女ではなく、モテるがゆえに男も女も、高貴な人間もそうでない人間も見下している人物のように思えます。

 そこでさらに『そんなことを考えている自分だって大したもんじゃない』って思えればある種の人間観と言えるんでしょうけど、そうではなく「いとをかし」とおもしろがっているだけのように、わたしには思えます。

 まあ、この主人公がどういう人間なのかは、このシリーズが終わった時にみなさんがそれぞれ判断していただくのがいいんですが。

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