第5話 「少しのどかに見奉る」

文字数 4,640文字

 3月に二条に迫った性助法親王は9月に機会を捉えて再び二条にアプローチを試みます。この間には同じく後深草院の弟の亀山院からも、
  いかにせんうつつともなき面影を
  夢と思へば覚むる間もなし
 と求愛の歌が寄せられています。まあ、よくモテるもんだなと感心しますが、返歌は、
  うつつとも夢ともよしや桜花
  咲き散る程と常ならぬ世に
 と軽くかわすところなんかはさすがは恋愛の達人、斎宮なんかとはセンスが違って、見た目だけじゃあなかったんだなと思わせるものがあります。

 かくしつつ八月(はづき)のころにや、御所に、さしたる御心地にてはなく、そこはかとなく悩みわたり給ふことありて、供御を参らで、御汗垂りなどしつつ日数重なれば、いかなることにかと思ひ騒ぎ、医師(くすし)参りなどして、御灸(やいとう)始めて、十ところばかりせさせおはしましなどすれども、同じさまに渡らせおはしませば、九月(ながつき)の八日よりにや、延命供(えんめいく)始められて、七日過ぎぬるに、なほ同じさまなる御ことなれば、「いかなるべき御ことにか」と嘆くに、さてもこの阿闍梨に御参りあるは、この春、袖の涙の色を見せ給ひしかば、御使に参る折々も、言ひ出しなどし給へども、まぎらはしつつ過ぎ行くに、この程こまやかなる御文を賜はりて、返事をせめわたり給ふ。いとむつかしくて、薄様の元結のそばを破りて、「夢」といふ文字を一つ書きて、参らするとしもなくてうち置きて帰りぬ。(106ページ)

 8月に院の具合が悪くなって「供御」食事も召し上がらなくなったりしたので、医者がお灸をすえたりもするんですが、良くならない。それで9月8日から普賢延命菩薩を本尊とした修法を例の性助法親王が執り行います。

 一週間やってみてもやっぱり変わり映えがしないのですが、ここでちょっと長めに3月以降の二人のやり取りが紹介されます。二条が院のお使いで法親王のところへ行くと、口説かれたりするのをかわしていたところ、心のこもった手紙を寄越して、返事を強要されるんですね。で、困ったなってことで、髪を留めている紙の端をちぎって、「夢」とだけ書いて、それを置いて帰ります。

 これってどう思います? 表面的には「私とのことは夢だと思ってください」ってことですが、私には髪の匂いを移した紙に一字だけ書いてお坊さんのところに置いておくなんて、思わせぶりというか、罪作りな気がしますけど。

 また参りたるに、樒(しきみ)の枝を一つ投げ給ふ。取りて片方(かたかた)に行きてみれば、葉にもの書れたり。
  樒摘む暁起きに袖ぬれて
  見果てぬ夢の末ぞゆかしき
 優におもしろくおぼえて、この後すこし心にかかり給ふ心地して、御使に参るもすすましくて、御ものがたりの返事もうちのどまりて申すに、御所へ入らせ給うて御対面ありて、「かくいつとなくわたらせ給ふこと」など嘆き申されて、「御撫物(なでもの)を持たせて、御時(じ)はじまらんほど、聴聞(ちやうもん)所へ人を賜はり候へ」と申させ給ふ。初夜の時はじまるほどに、「御衣(おんぞ)を持ちて聴聞所にまゐれ」と仰せあるほどに、参りたれば、人もみな伴僧(ばんそう)にまゐるべき装束(しやうぞく)しに、おのおの部屋部屋へ出でたるほどにや、人もなし。ただ一人おはしますところへ参りぬ。

 すると法親王もなかなかのもので、次に二条が参上したときに何も言わずに(たぶん仏像に向かったまま)樒の枝を投げます。見てみると葉に歌が書いてあります。この歌は新古今和歌集の小侍従の、
  樒摘む山路の露にぬれにけり
  暁起きの墨染めの袖
 を本歌とするもので、下の句の「あなたは夢と言うけれど、その先が気になります」という伝えたい内容と上の句がとてもよく合っていますし、また「袖ぬれて」が「あなたのことを想って、涙を流しています」という隠されたメッセージになっています。

 で、これを「優におもしろくおぼえて」以来、気になるようになり、お使いも楽しみになり、会話もはずむようになったということです。……ただこの話はちょっと出来すぎているような気がします。樒って小さな葉っぱですからどうやって歌を書いたんでしょう。フィクションならフィクションでいいんですが、よけいな心配はさせないでほしいです。

 「御所へ入らせ給うて御対面ありて」からは9月の修法の話に戻っています。法親王が院にご対面して、こんなに長く患っておられるのはひょっとすると穢れや呪いのせいかもってことで呪法を行います。院の着物(御撫物)に穢れや呪いを移して、祈祷をする部屋(聴聞所)に最初の勤行をする頃に持って来いということなんで、行ってみるとお供のお坊さんたちも誰もいない。法親王ただ一人のところに来ちゃったんですね。

 「御撫物、いづくに候ふべきぞ」と申す。「道場のそばの局へ」と仰せ言あれば、参りて見るに、顕証気に御灯明の火に輝きたるに、思はずに萎えたる衣にてふとおはしたり。こはいかにと思ふほどに、「仏の御しるべは、くらき道に入りても」など仰せられて、泣く泣く抱きつき給ふも、あまりうたてく覚ゆれども、人の御ため、「こは何ごとぞ」などいふべき御人柄にもあらねば、忍びつつ「仏の御心のうちも」など申せども叶はず。見つる夢の、名残もうつつともなきほどなるに、「時(じ)よくなりぬ」とて伴僧ども参れば、うしろの方より逃げ帰へり給ひて、「後夜(ごや)のほどに、いま一度かならず」と仰せありて、やがて始まるさまは何となきに、参り給ふらんとも覚えねば、いとおそろし。

 院の着物をどこに置きましょうかと訊くと、そばの部屋にとの指示なので行くと灯明が明々と灯っているところにラフな格好で入って来ます。「み仏のお導きは、たとえ暗い道に入っても」と言う法親王の台詞も灯明と対応した隠喩でしょう。

 地の文と台詞が照応するのは謡曲などではふつうです。まあ、そんなことはどうでもいいですね。法親王は泣きながら抱きついてきます。泣き落としって効果あるんでしょうか。是非とも知りたいところですが、この場合は相手の身分が身分なんで二条の抵抗も弱々しかったんですね。「み仏がどう思われるか」と言っても無駄でした。……

「見つる夢の」からはもう事がすんでいて、お供のお坊さんが部屋の外から声を掛けるのに、法親王は慌てて逃げて行きます。院が斎宮の元に忍び込んだ時の描写と同じく、男がカッコ悪い状況をよく見てますね。

 逃げるさなかに「明け方に、も一回。絶対ね」なんて、そんなんじゃ呪法の効き目なんかあるわけないじゃん、あーおそろし。この部分は難解らしいですが、まあこんな意味じゃないでしょうか。

 御あかしの光さへ、曇りなくさし入りたりつる火影は、来ん世の闇も悲しきに、思ひ焦がるる心はなくて、後夜過ぐるほどに、人間(ひとま)をうかがひて参りたれば、このたびは御時果てて後なれば、少しのどかに見奉るにつけても、むせかへり給ふけしき、心苦しきものから、明けゆく音するに、肌に着たる小袖に、わが御肌なる御小袖をしひて形見にとて着かへ給ひつつ、起きわかれぬる御名残もかたほなるものから、なつかしく、あはれともいひぬべき御さまも、忘れがたき心地して、局にすべりてうち寝たるに、いまの御小袖のつまに物あり。

 で、こんなんじゃ来世は地獄に落ちてしまうと思い、別に法親王を思い焦がれていたわけでもないと言い訳しながら、言われた時間に自ら行ってしまいます。ここではその様子は「少しのどかに見奉る」ちょっとゆっくりめにされちゃいましたとしか書いてないので、物足りませんね。瀬戸内さんの想像力をお借りしましょう。かなりたっぷり濃厚なんで、ダイジェストで。

 阿闍梨は、二条の手をとると、腕が抜けるかと思うほど強くつかんで部屋の中にひきいれ、物もいわず抱きよせ、物狂おしく抱擁した。(中略)阿闍梨のことばは、すべて火のように燃えあがっているので、二条は耳に阿闍梨の息をふきこまれる度、身体が焼けただれるのではないかと思う。(中略)衣の下の阿闍梨の裸身は、院よりも骨太で男らしく、禁欲の生活の証しの底知れぬ活力がみなぎっていた。(中略)さして恋しいとなどと思ったわけでもない阿闍梨の愛を受けいれて、院や実兼に愛される時と同じように、自分の身体は臆面もなく、激しさに応えている。(291-2ページ)

 で、愛を交わせば交わしたで、別れがつらくなるのは世のならい、着ていた肌着を交換します。この習慣自体は感覚的に理解しやすいと思いますが、「起きわかれぬる御名残もかたほなるものから」と言っている理由がちょっとわかりません。

「かたほなる」は不十分とか妙だとかそぐわないとか訳されていますが、その前後に描写されている優雅な後朝(きぬぎぬ)の別れの場面の感想として、それこそそぐわないのです。

 お坊さんと修法中の異常な交情だったということだからなのか、法親王だけがのぼせていたからなのか、いずれにしても愛を楽しんでも、溺れたりはしない、主人公の良かれ悪しかれ理知的な面が出ている感じです。……部屋に戻って寝ころんでいたら、交換した小袖に何か入っていました。  

 取りてみれば、陸奥紙(みちのくにがみ)をいささか破(や)りて、

  うつつとも夢ともいまだ分きかねて
  悲しさ残る秋の夜の月

 とあるも、いかなるひまに書き給ひけんなど、なほざりならぬ御志もそらに知られて、このほどはひまをうかがひつつ、夜を経てといふばかり見奉れば、このたびの御修法(しゆほふ)は、心清からぬ御祈誓、仏の御心中もはづかしきに、二七日の末つ方よりよろしくなり給ひて、三七日にて御結願(けちぐわん)ありて出で給ふ。

 取り出してみると、厚手の紙を破ったものに歌が書いてありました。旧暦9月の15日頃の話ですから晩秋の明け方に残る月とはかない出会いがうまく重ね合わされたいい歌だと思います。

 それにほだされて隙を見つけては毎晩と言っていいくらいしちゃって、み仏の手前恥ずかしいのに、院の具合は二週目くらいからだんだん良くなって、三週間で修法が無事終了します。

 明日とての夜、「またいかなる便りをか待ちみん。念誦の床にも塵積もり、護摩の道場も、煙絶えぬべくこそ。おなじ心にだにもあらば、濃き墨染の袂になりつつ、深き山にこもりゐて、幾ほどなきこの世に、物思はでも」など仰せらるるぞ、あまりにむくつけき心地する。明けゆく鐘に音をそへて起きわかれ給ふさま、いつならひ給ふ御言の葉にかと、いとあはれなるほどにみえ給ふ。御袖のしがらみも、洩りてうき名やと、心ぐるしきほどなり。かくしつつ結願ありぬれば、御出でありぬるも、さすが心にかかるこそ、よしなき思ひも数々色添ふ心地し侍れ。

 その別れに前の夜、法親王は「いつまたこんなチャンスがあるんだろう。修行なんかする気がもう起きないよ。あなたがその気になってくれさえすれば山奥でひっそりと二人で暮らそう」などと現実味のないことを言います。夜明けの鐘が鳴って別れていく様子も未練たっぷり、泣く泣くという具合です。

 まあ、そうやって法親王は去って行きますが、その時の二条の感慨、「よしなき思ひも数々色添ふ心地し侍れ」は悩みがまた増えちゃって困るわってことですが、「色添ふ」というのはどうも満更でもない、いやそれどころかドンジョヴァンニのカタログみたいな感じかなって言うと意地悪すぎますかね?

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