第3話 斎宮に夜這いをかける

文字数 4,533文字

 斎宮は天皇の名代として、伊勢神宮に仕える未婚の内親王などのことで、今回登場する方は後深草院とは異母兄妹の関係です。ずっと伊勢に下っていたので、院は会ったこともなかったのですが、母親の大宮院が嵯峨の自宅に院を招き、そこに衣笠にいた斎宮も呼んで引き合わせようとしたところから始まります。

 20歳過ぎになって都に戻ってきたので、院に引き立ててもらって誰か適当な相手でも見つけてもらおうといったところでしょう。斎宮や賀茂神社に仕える斎院は天皇家にとって、ということは当時の国家にとって重要な役割を担っていたはずですが、いちばん恋愛経験を積むはずの10代に神に仕えて過ごすので、世間知らずになってしまうことが多かったようです。

 明けぬれば、「今日斎宮へ御迎へに、人参るべし」とて、女院の御方より、御牛飼・召次(めしつぎ)、北面の下臈(げらふ)など参る。心ことに出で立たせおはしまして、「御見参あるべし」とて、われもかう織りたる枯野の甘(かん)の御衣(おんぞ)に、龍胆(りんだう)織りたる薄色の御衣、紫苑色の御指貫(さしぬき)、いといたう薫(た)きしめ給ふ。(78ページ)

 院は妹に初めて会うからか、季節の草花を配した衣服に香も焚きしめて、ずいぶんとおしゃれをしてたんですね。それをわざわざ描写しているのは作者の二条の意図があるわけで、瀬戸内さんが「早くも院の好色の虫がうごめきだしたのが、二条には手にとるようにわかる。とはいっても、やはり実の妹という関わりがあるから、いつもの女のようには運ばないだろう」(213ページ)と説明しているとおりでしょう。

 夕がたになりて「入らせ給ふ」とてあり。 寝殿の南面取り払ひて、鈍色(にぶいろ)の几帳取り出だされ、小几帳など立てられたり。御対面ありと聞えしほどに、女房を御使にて、「前斎宮の御わたり、あまりにあいなく、さびしきやうに侍るに、入らせ給ひて御物語候へかし」と申されたりしかば、やがて入らせ給ひぬ。御太刀もて例の御供に参る。

 夕方に斎宮が来られて、まず大宮院が対面されたのですが、「院がお見えにならないのは、ちょっと愛想がなさすぎます。斎宮もさびしそうですから、お越しになってお話でも」と女房を使いに寄越されました。では、ということで院が二条をお供にして現われます。

 大宮院、顕紋紗(けんもしゃ)の薄墨の御衣、鈍色(にぶいろ)の御衣(おんぞ)引きかけさせ給ひて、同じ色の小几帳立てられたり。斎宮、紅梅の三つ御衣に青き御単ぞ、なかなかむつかしかりし。御傍親とて候ひ給ふ女房、紫のにほひ五つにて、物の具などもなし。

 ここはかなりイジワルな部分です。大宮院は衣装と調度を合わせたりで地味な中にもセンスが光ってるのに、斎宮ったら色はくどいし、11月というのに紅梅の模様なんてダサイわね。お付きの女房も持ってる衣装をごてごて着てるけど、院の前なのにフォーマルなので揃えられないんだから。って感じでファッション・チェックしてます。

 斎宮は二十(はたち)にあまり給ふ。ねびととのひたる御さま、神も名残をしたひ給ひけるもことわりに、花といはば、桜にたとへてもよそめはいかがとあやまたれ、霞の袖を重ぬるひまも、いかにせましと思ひぬべき御有様なれば、ましてくまなき御心のうちは、いつしかいかなる御物思ひの種にかと、よそも御心苦しくぞ覚えさせ給ひし。

 さて、斎宮が二十歳過ぎと当時としては女盛りを過ぎていたのを「ねびととのひたる」大人びている様子は伊勢の神様が引き止めたのも道理で、桜の花にも劣らないほどの美しさ。それを袖で隠すのを誰だって何とかしたくなりそうなのをましてや抜け目のない院がそわそわするのは当たり前。それをそばで見ているわたしもわかるだけにお気の毒に思われたといった意味でしょう。

 「桜」、「霞の袖」、「くまなき」と比喩と連想をつなげているので、かえって意味としては通りにくくなっています。 

 御物語ありて、神路の山の御物語などたえだえ聞え給ひて、「今宵はいたう更け侍りぬ。のどかに明日は、嵐の山の禿(かぶろ)なる梢どもも御覧じて、御帰りあれ」など申させ給ひて、わが御方へ入らせ給ひて、いつしか、「いかがすべき、いかがすべき」と仰せあり。思ひつることよとをかしくてあれば、「幼くより参りししるしに、このこと申しかなへたらん、まめやかに志ありと思はん」など仰せありて、やがて御使に参る。ただ大方なるやうに、「御対面うれしく、御旅寝すさまじくや」などにて、忍びつつ文あり。氷襲(がさね)の薄様にや、
 知られじな今しも見つる面影の
 やがて心にかかりけりとは

 とりあえず伊勢の話を斎宮がするとか、院が明日は嵐山に行かれるとよいと勧めるとかお上品な会話をした後、自室に戻って来た途端、「どうしよう、どうしよう」と気持ちを抑えかねている様子。それを二条が案の定と腹で笑っていると「幼い頃から仕えてきたよしみでうまく取り持ってくれれば、誠意があると思うのに」と愛人である二条を使いに立てます。

 高貴な人とそれに仕える女ってこんなもんでしょうか。通り一遍のご機嫌伺いに「初めて会ったのにもう心から離れないなんて、あなたはご存じないでしょうね」と熱烈な歌を密かに添えました。
 
 更けぬれば、御前なる人もみなより臥したる、御主も、小几帳ひき寄せて、御とのごもりたるなりけり。近く参りて、事のやう奏すれば、御顔うち赤めて、いと物ものたまはず。文も、見るとしもなくてうちおき給ひぬ。「何とか申すべき」と申せば、「思ひよらぬ御言の葉は、何と申すべき方(かた)もなくて」とばかりにて、また寝給ひぬるも心やましければ、帰り参りてこのよしを申す。「ただ寝給ふらんところへ、みちびけ、みちびけ」とせめさせ給ふもむつかしければ、御供に参らんことはやすくこそ、しるべして参る。

 ところが斎宮はこうしたことに慣れていないために顔を赤らめるだけで、黙っています。今更ですが、伊勢神宮のお墨付きの処女ですから。それだけにお返事を促しても「思いもよらないことなので」と気が効かないこと夥しく、また寝てしまいます。

 どうしましょと院のところに戻ると「寝ててもいいから、連れてけ、連れてけ」ともう抑えようがないようです。困ったものね、お連れするのは簡単なんだけどと案内します。

 甘(かん)の御衣などはことごとしければ、御大口(おんおほくち)ばかりにて、忍びつつ入らせ給ふ。まづ先に参りて、御障子をやをらあけたれば、ありつるままにて、御殿ごもりたる。御前なる人も寝入りぬるにや、音する人もなく、小さらかにはひ入らせ給ひぬるのち、いかなる御ことどもかありけん。

 わたしとしては今回のような場面もできる限り上品に紹介したいんですが、ここはそうもいかないところです。要するに院は「御大口」ステテコ姿で身をかがめて、男を迎える用意もしていない実の妹の斎宮のところに夜這いするわけです。「いかなる御ことどもかありけん」どんなことがあったでしょう、じゃないだろって感じです。

 うちすて参らすべきならねば、御上臥ししたる人のそばに寝れば、今ぞおどろきて、「こは誰そ」といふ。「御人少ななるも御いたはしくて、御宿直(とのゐ)し侍る」といらへば、まことと思ひて物語するも、用意なきことやとわびしければ、「眠たしや。更け侍りぬ」といひて、空眠りしてゐたれば、御几帳のうちも遠からぬに、いたく御心も尽さず、はやうちとけ給ひにけりと覚ゆるぞ、あまりに念なかりし。

 二条は院を見守る役目があるので斎宮の女房の側に寝ると、自分の主人が手籠めされているとも気づかず、世間話をしにきてしまう有り様です。主人が主人なら女房も女房だということです。二条としては気になるのは几帳、カーテンの向こうですが、どうも院が手練手管を使うほどのこともなく、あっさりなびいてしまったらしい、つまんないったらありゃしないってところでしょう。

 心強くて明し給はば、いかにおもしろからんと覚えしに、明けすぎぬさきに帰り入らせ給ひて、「桜は、にほひは美しけれども、枝もろく折りやすき花にてある」など仰せありしぞ、さればよと覚え侍りし。日高くなるまで御殿ごもりて、昼といふばかりになりて、おどろかせおはしまして、「けしからず、今朝しもいぎたなかりける」などとて、今ぞ文ある。御返事にはただ、「夢の面影はさむる方なく」などばかりにてありけるとかや。

 院を朝まで強く拒み通せばとてもおもしろかったのになんて感想を述べていますが、そういう感想を持つ女性の方がよほどおもしろいような気がします。自分は14歳の時、最初に院に挑まれた際には拒み通したことが念頭にあるんでしょうか。瀬戸内さんの小説をちょっと引用します。

 もう少し強く長く拒まれたらよかったのに。自分なら、もっともっと抵抗し、院の手に噛みつき、脚を蹴り、膝を胸に押し抱いて身を守っただろう。そう思うのは、すべて、そうするように院にそれとなくしむけられ、覚えてしまった護身法ではなかったか。院はひとつずつ、気長にそれらを、それとなく二条に悟らせるようにしむけながら、二条の抵抗が強くなるほど、それを征服する歓びを増していったにちがいなかった。あれではあまり趣がなさすぎる。--そう思ったとたん、二条ははっと気づいた。今、自分が斎宮の抵抗ぶりについてつまらないと考えたことは、女のたしなみからの批判ではなく、院の閨房の趣味に飼い馴らされた嗜好からの非難であったようだと思う。(221ページ)

 瀬戸内さんは、原作がストレートに書かれているだけに反発を招きやすい二条の考えや行動を院の嗜好にうまくすり変えていますね。当たり前ですが、原作とそれを元にした小説とでは人物のイメージは全く異なると言っていいでしょう。それぞれの作者にはそれぞれの読者があるということです。

 それはともかく、院は斎宮のところに明け方までいないで帰ります。ということはそれだけ満足していないってことがわかります。

「においはいいけど、枝がもろくて折りやすい桜みたいなもんだな」っていう院の感慨は男にはありがちな身勝手な感想ですが、「さればよと覚え侍りし」そりゃそういうもんでしょっていう二条の反応はもっとすごいですね。

 それで、院は昼近くまで寝てしまいます。「しまった。寝坊しちゃったよ」いい感じなら朝帰りしてすぐに送る後朝(きぬぎぬ)の文すらも忘れてたんですね。ところが斎宮の返事はそれを咎めるふうもなく、「まだあなたの顔が醒めない夢のように」なんてのぼせちゃってます。

 今回の場面は禁断の恋ってことかなって思っていたら、そういう感じはほとんどなくて、身分は高くても垢抜けない盛りを過ぎた女性を笑い飛ばすのが目的だったようです。モテる女性がモテない女性のことを書くと残酷になるんでしょうね。

 なお、時期としては二条が17歳の11月と推定されています。前回紹介した出産、子どもとの離別が9月で、10月には院との間にできた男の子が死んだのを嘆いて出家して諸国遍歴しようなんて思っていたんですが、ケロッとしているのは見てきたとおりです。
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