第2話 扇の中に銀の壺を入れる

文字数 3,303文字

 前回のすぐ後の原文を掲げます。

 今日はのどかにうち向ひたれば、さすが里のものどもも、女のかぎりは知りはてぬれども、かくなど言ふべきならねば、思ひむせびて過ぎゆくにこそ。

 二条の侍女たちは、女主人が後深草院の側室になって喜んでいたのに、西園寺実兼がのんびり居続けているので、あら、どうしましょって思ったのでしょう。

 瀬戸内さんはこの時の侍女たちについて、「ひっそりと息をひそめるようにしている。誰もが万一の時の責任を問われるのが怖ろしく、自分だけは知らなかったというふりをしていたいのだった」と描写して、小説らしい奥行きを与えています。

 かたや二条は侍女たちに説明もできず、「思ひむせびて」思いを押し隠して過ごしていたというわけです。

 さても今宵(こよひ)、塗骨に松を蒔(ま)きたる扇に、銀(しろがね)の油壺を入れて、この人の賜(た)ぶを、人に隠してふところに入れぬと夢に見て、うちおどろきたれば、暁の鐘聞ゆ。いと思ひかけぬ夢をも見つるかな、と思ひてゐたるに、そばなる人、同じさまに見たる由を語るこそ、いかなるべきことにかと不思議なれ。

 さて、「思ひむせびて」というやや破格の、しかし印象的な感情表現の内実は夢となって現われたようです。

 漆塗りの骨で、蒔絵の松を描いた扇に銀の油壺を添えて実兼がくれたのを懐に隠し入れた、その同じ夢を実兼も見たと言うのです。この夢が実兼の子を孕んだことを象徴していることは明らかですし、実際そのとおりの結果が後に生じるのですが、話が出来すぎていて作者の作為が入っていることも間違いないように思います。

 「とはずがたり」は回想録ではあるものの、フィクションや逆に事実をぼかしたり(朧化と言います)といった作為が多いと言われます。でも、どんな事実があったかなんてわたしには興味はありません。

 同時代人を読者として想定しているはずなので歴史上の事件といったものについては根も葉もないことを書いたりはしないでしょう。そこから先は700年以上も前のことですから、創作しようがしまいがどっちでもいいんで、文芸作品としてよくできているかどうかの方が重要だと思います。――そういうふうに考えられない人も多いとは思いますが。

 二条はこの個所で読者を意識して妊娠の伏線を張っているわけで、物語的な工夫の一種だと思えばいいんだろうと思います。瀬戸内さんは次のような会話をさせています。

「まあ……何の意味の夢でしょうか」
「もしかしたら……」
 実兼はいいさして口をつぐんだ。
「ね、何の夢でしょう」
「私の子があなたの腹に宿ったのかもしれない」(176ページ)

 解釈を実兼にさせているので、原文から受けるあざとさが減殺されて主人公が純情に見えますね。いずれにしてもこのエピソードが全くの創作だとしても興味深いものだと思います。

 性的な象徴として扇と油壺はわかりやすく、それを塗骨とか松がさらに強めているわけですが、油壺に扇を入れるのではなく、逆になっているところが難解です。通常、添えてとか、載せてと解釈されていて、上ではそうしましたが、すっきりしません。いっそのこと言葉そのままに扇の中に銀の壺を入れるといったシュールな夢を想像した方がおもしろいような気がします。

 この12月の出来事の翌年の9月に二条は実兼の子を出産します。表向きは院の子として。

 かかるほどに、二十日あまりの曙より、そのここち出できたり。人にかくともいはねば、ただ心知りたる人、一、二人ばかりにて、とかく心ばかりは言ひ騒ぐも、亡きあとまでもいかなる名にかとどまらんと思ふより、なほざりならぬ志をみるにも、いと悲し。いたく取たることなくて、日も暮れぬ。

 20日過ぎから産気づいてきたわけですが、頼りにならない侍女ばかりでこれで死んでしまったら大変って思ってたら、実兼がいろいろと気遣いしてくれて、ほっとひと安心といったところです。

 当時の(わりと最近まで)出産は命がけだったわけですし、狭い社会ですから自分の死後どんなふうに噂されるかも気になってしまうんですね。

 火ともすほどよりは、殊のほかに近づきて覚ゆれども、ことさら弦打(つるうち)などもせず、ただ衣の下ばかりにて、ひとり悲しみゐたるに、深き鐘の聞ゆるほどにや、あまり堪へがたくや、起きあがるに、「いでや、腰とかやを抱くなるに、さやうのことがなきゆゑに、滞るか。いかに。耐ふべきことぞ」とて、かき起さるる袖にとりつきて、ことなく生れ給ひぬ。まづ、「あなうれし」とて、「重湯とく」など言はるるこそ、いつ習ひけることぞと、心知るどちはあはれがり侍りしか。

 弦打は弓をびゅんびゅん鳴らして、赤ん坊に憑りつこうとする悪霊を追い払うまじないのようなものなんですが、実兼に言われて妊娠の月をごまかしていたので、それもしないわけです。

 実兼は出産にも立ち合ってくれて、当時の習慣で座ったまま分娩するのを後ろから抱えて、いろいろと言葉をかけてくれます(ここも解釈がむずかしいんですが、要はそういうことです)。それで陣痛に苦しんでいた二条もその袖にしがみついて産むことができました。

 赤ん坊について「生まれ給ひぬ」と敬語を使っているのは、表面上は院の子だからです。「あなうれし」(よかった、よかった)も「重湯とく」(二条にあげる重湯を早く)も実兼の台詞です。侍女たちはそんな様子を見て、いつ覚えたのかしらねえと感心しています。

 さても何ぞと、火ともして見給へば、産髪黒々として、今より見開け給ひたるを、ただ一目みれば、恩愛のよしみなれば、あはれならずしもなきを、そばなる白き小袖におし包みて、枕なる刀の小刀にて、臍(ほぞ)の緒うち切りつつ、かき抱きて、人にもいはず外へ出で給ひぬとみしよりほか、またふたたびその面影みざりしこそ。

 赤ん坊は髪の毛もふさふさとして、目を開けていて、親子の情が湧いてくるのですが、実兼は臍の緒を小刀で切ってそのまま連れて出てしまい、二条はその子に二度と会うことはありません。

 「さらば、などや今一目も」と言はまほしけれども、なかなかなればものは言はねど、袖の涙はしるかりけるにや、「よしや、よも。長らへてあらば、見ることのみこそあらめ」など慰めらるれど、一目見合はせられつる面影忘られがたく、女にてさへものし給ひつるを、いかなる方へとだに知らずなりぬると、思ふも悲しけれども、いかにしてと言ふに、さもなければ、人知れぬ音をのみ袖に包みて、夜も明けぬれば、「あまりに心地わびしくて、この暁はや堕し給ひぬ。女にてなどは見え分く程に侍りつるを」など奏しける。「温気(ぬるけ)などおびたたしきには、皆さることと、医師(くすし)も申すぞ。構へていたはれ」とて、薬どもあまた賜はせなどするも、いと恐ろし。

 前半は母親らしい感情が描かれた部分で、我が子の顔をもう一度だけでもと言いたいのを堪えて泣いていると、それを察して実兼は「まあ、生きていればまた会えることもありますよ」といたわってくれます。

 二条としては顔を忘れることも出来ず、その子がどうなるかあれこれ心配してしまいます。この場面はさっきの臍の緒を自分で切ったところを始め、リアルな描写の中に実兼のてきぱきとした姿と思いやりのある性格がよく現われているところですね。

 現代の父親でも出産時にここまで頼もしい人はそうそういないでしょう。もちろん実兼としては院にバレないようにうまく切り抜けないと大変なことになるわけですが、そうした打算だけではないと思います。

 赤ん坊は実兼の実子として育てられ、一説には後に後深草院の弟、亀山天皇の后になったと言われます。もしそうだとすると……いや、それも追々紹介した方がいいでしょう。

 「あまりに……」からは院に対する報告です。「女の子と見分けがつくまでにはなっていましたが、流産してしまいました」と申し上げると、「発熱がひどいときにはそういうものだと医者も言っているな。よくよく静養するように」とのお言葉とともに薬をたくさん賜ったのだけれど、何とも罰が当たりそうで恐ろしいということです。
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