第3話 会うことのないあなたたちへの夜想曲

文字数 3,429文字

 捕獲した野犬をゆっくりと、焦らずに人間慣れさせて、里親希望のお宅へ預ける。
 その様子を収めたもろもろの動画が、最近の自分のお気に入りである。
 喉が渇いているのだろう、おそらく初めてお風呂に入る子犬が、状況にとまどいながら小さい舌をちろちろと出し入れして、湯を飲んでいる。恐怖と緊張で震える全身をシャンプーされながら、体を洗う人間の顔を窺って、その目は星空に似て澄んでいる。
 すみっこで背中を丸めて、ゲージ内に置かれたエサに見向きもしない子犬が、日に日に緊張しなくなり、人前でもエサに飛びつく。
 皮膚病で抜け毛がひどく、全身を掻いてしまうので衣服を着せられた犬の、「解せぬ……」という表情の愛らしさ。

 春の薄い雲の散った空の下で、庭を子犬たちが走りまわっている。
 噛みついた雑草を抜こうと必死だったり、こっそりおしっこをしたり、新顔のお尻の臭いを嗅いだり、動画の撮影者に駆け寄って笑顔を示したり。

 保護犬を飼いたい。
 多くは望まない。無闇に吠えないことや散歩時のリードを嫌がらない程度のルールは教えるが、遊び、食べて眠り、元気に暮らしてくれればそれでよい。
 しかし、保護犬をお迎えするルールは、団体にもよるのだろうけれども存外と厳しいようだ。
自分が耳にした一例では、50歳以上の単身者でフルタイム勤務は不可。
 あぐらをかく自分の膝の上で眠る保護犬の背を撫でながら、プリン体ゼロの発泡酒を飲む夢は潰えたわけだけれども、犬の幸福を思えばやむを得ない。
 仕事中に何事かあって医者に連れていけないとか、日中を独りで過ごさせて世を儚む性格に育ててしまっては、生涯悔いが残るだろう。

 厚生労働省が令和5年12月26日に公表した、労働政策審議会建議「仕事と育児・介護の両立支援対策の充実について」の資料の中に、複数の国における有償労働と無償労働の男女比の割合のグラフがあった。
 有償労働というのは、いわゆる仕事であり、無償労働とは家事や介護などを指すらしい。
 無償労働を担う割合が、フランス・ドイツ・米国・ノルウェー・スウェーデンにおいて微差なのに対し、韓国と日本では、半ば予想どおり大差で女性の役割。アフリカや中南米、中東などのデータはなく、調査自体困難なケースもあるだろう。
 専門書で勉強するべきなのだが、男女平等の歴史は、やはりマグナ・カルタの理念辺りまで遡り、欧米諸国で発展しその波がアジアへも届いたのか。
 例えば、時折つらい顔を見せた母親の人生を振り返ると、男女差別はどんどんなくなればいいと自分は望む。
 けれど、その先進国と後進国では、歴史や習慣や文化、現在に至るまでの過程に相違があり、一朝一夕に解決するはずはない。
 モヤシの根を取るように地道な改善努力、もしくは改善努力と思われるものを、社会全体で続けるより仕方ないだろうか。
 自分が続けなくとも大勢に影響はないのだが、そう遠くない未来に「やるだけやったさ」と思うのと、「あのときのあれをやればよかった」と後悔するのでは、前者のほうが、はるかに自分の好みだ。
 不意に「男らしさ」が根強く残るのは、闘いに備えているのかと直感が走る。人類は未来永劫争いを行わない、その約束を世界レベルで共有しないと、男らしさでありそれをベースにした経済システムや常識や、正しさは変わらないのか。
 直後に「短絡的だ。人類史も世界各国の歴史も知らない癖に」と己を戒めて、けれど妄想はタコの墨のように伸び広がる。
 最近ハマっているアニメーションの敵役が、「呪いの王」と呼ばれる者の炎で焼かれる姿には、見覚えがあった。どうも、ベトナム戦争に抗議して焼身自殺を図った僧侶の姿と重なったらしい。
好き好んでそれについて調べたのではない、小学生だったか中学生だったか、図書館で手に取った社会科系統の本に、その写真が載っていたのだ。たしか、水俣病患者に失言を土下座して謝罪する石原慎太郎の写真もあった。
 一個人にそのような真似を強いる戦争は、「馬鹿げている」の一言だけれども、始まってしまえば行き着くところまで行くしかないのか。行き着くところまで行って立ち上がり、やり直して世界が安定し、しかし先の戦争の記憶を継承できず安定に安住できない者が、またそれを繰り返すのか。
 犠牲になる者の多くは、適度にずるく適度に親切で、平凡な市民であるだろうに。やはり、「馬鹿げている」。

 自分も雑誌上で、油を掛けられて火を点けられたことがあった。
 神経系の病気を発症した頃にそれを読み、瞬間、全身を針が貫いて後遺症はいまも残る。
 冷ややかな怒りと汚い言葉が滾々と胸裏に湧いて、けれど呪いに囚われることは、つまるところ己を呪うことであり、慌てて気分が変わるよう努める。
 同時に、この感情を煮つめたものが暴力に関係していると、根拠のない確信を見つける。

 動画撮影者のお宅の先住犬は保護された犬の世話をするのが好きで、あるとき子犬が腹の辺りをまさぐると、即座に仰向けになった。
 それは、敵意がないことを示す犬なりのコミュニケーション術なのだろうけれども、そのときの自分には、母犬代わりに乳を与えたのだと見えた。なんと器が大きい、「弟子入りしたい」と願った。
 彼はオスなので、乳が出ないのだけれども。

 兄妹で捨てられた妹のほうは怖がりで、しかしいつの間にか先住犬に甘えるのが上手になった。
 空き缶に突っ込んだ頭が取れなくてパニックに陥った子ギツネは、缶を外してくれた人間の元へ近づき、アゴの下を撫でられて目を細めた。
 コロナ禍の折に購入した多肉植物は、自立できないほど茎のみが縦に伸びる残念な子で、毎年毎年ハサミを消毒し茎を切り、カビが生じないよう切断面を乾燥させて後、土へもどす。
今回こそ失敗するのではないか、茎も葉も育たず、茶色くしぼむのではないかと案じるが、2023年の秋も見事に乗り切ってくれた。
 成長期に入れば、再びグングンと育つであろう。縦に。
「がさつ」の代名詞である芸人さんは訪れた貧国に学校を作るための社団法人を立ち上げていた。
 地方に移住したご夫婦が、野菜をくれた古くからの地元民に礼を述べて「今度遊びに行きます」と笑った。
 ファミレスの外の待ち合いスペースで話しかけてきた、エレファントマン然としたおじさんは元気だろうか。
 駅のコインロッカーに拳銃を隠しているとか貯金が100万円あるとか嘘ばかり並べ立てていたけれども、その嘘が生きる上で必要だったことは、若い自分にも了解された。
 つぶらな瞳の少女が上手に屏風に坊主の絵を描いた。
「躾」と称して大型犬用のゲージに入れられていた子は、まっとうな道を歩けると想像できないほど思春期にグレていた。
 酔って気前がよくなっており、バンコクの陸橋の上で10バーツをあげた母親は子の手をしっかり握っていた。
 フードバンクの列に独りで並んでいた子は、親は無事なのか虐待を受けていないか、傷つけないよう配慮されながらボランティアの人々に質問されていた。
 古代のヒトが道具を使って狩りすることを覚えた。
 ダイオウイカとマッコウクジラの間に緊張が走った。
 遠い遠いどこかで、星がまた生まれた。

 保護犬をお迎えしたい。
 人間に慣れたとはいえども野犬の性質は消え切らず、飼うのは大変とも聞くし、現状それは絶望的に無理だ。
 若返れないし、仕事を辞めるつもりはないし、しからば「単身者」の部分をどうにかクリアできないか。
 日中どちらも仕事に勤しんでいる可能性が高いし、話がそう簡単ではないことは重々承知しているけれど、夜には必ず犬の世話をできて、休日には川沿いの土手をいっしょに走ったり、公園でフリスビーを投げたり、居間で寝ころがり腹の上で犬も安らかないびきをかくのだ。
 犬好きの男と出会いたい。保護犬を飼うために男と暮らしたい。
 順序が逆だし、犬にも男にも失礼だし、ほんとうは己自身が飼われたい欲求が透かし見えて恥じ入る。

 食器が洗い終わり窓の外は暗く、ベッドに寝転びスマートフォンで、犬や、キツネやタヌキやネコや、ヒトやムシや植物や宇宙などの動画を日々眺める。
 生きていれば避けられない疲れが和らぎ、気持ちが整うことは多く、会ったことがないし会う気もない者どもらに、ずいぶんと救われている。
 その事実に思い至り、何か伝えたくて、けれどどう伝えるのが適切か不明のため黙考し、けっきょく簡潔につぶやいた。
「ごめんな。ありがとう」
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