第4話 父と無頼派

文字数 5,407文字

 父は昭和一桁の生まれであり、第二次世界大戦中には疎開を経験し、疎開先の田舎の子らにいじめられたと、一度だけ口にしたことがある。
 平生語らなかったのは、それだけ彼にとってつらい記憶であったからだろうし、土台世の中に適応できる性質ではなかった。自室に引っ込みネットだのゲームだのに耽溺しながら酒を飲み、日がな一日過ごしてそのまま生涯を閉じたい性格であり、それが実践できなかったのは世の中が許さなかっただけのことである。
 常識に従い彼は妻を娶り子を成し、しかし妻子も仕事もほしいわけではないから、畢竟家内は悲惨な状況となる。酔って暴れてブタ箱入りとか、大借金を作って遁走とか、外に異母兄弟が七人というような豪快かつ阿呆な悲惨を展開するのではなく、ひたすら無気力無意欲、彼が能動的に行ったのは飲酒、公営ギャンブル、喫煙くらいのもので、とにもかくにも夕方まで働き、乃至は働いたふりをして、夕日が空を橙に染めるやビールを飲み始める。そうして妻や子どもに嘘交じりの武勇伝や愚痴を滔々と述べて、大瓶四本を空にすると不機嫌に寝室に直行して蒲団に包まってしまう。
 この習慣は母が亡くなるまで、つまり私が生まれて四十年間ほど、町内旅行とか知り合いのお通夜などのエラーが生じない限り、一ミリの狂いもなく実行された。四十度の熱があっても飲んだ。肺炎になったときは酒が飲めなくなるので、「どうなっても知らんぞー!」と医師に怒鳴られるまで入院を拒んだ。子どもに嘘が通じなくなると押し黙りテレビを睨みつけながら酒を飲んで、趣味の一つでも見つければと思ったし進言もしたけれど、彼は決して外に目を向けない。
 そうして今になって振り返ると、父の無気力は戦争に起因していたようである。戦争だけではなく、裕福とは言い難い家庭環境に育ったことも影響している感があるが、なに富豪の家に生まれても、飲酒と公営ギャンブルと喫煙に、遊郭通いが加わっただけのことであろう。
 個人の意思が何一つ顧慮されることのない子ども時代を過ごし、戦争は嫌な記憶であり、爆弾の降ってこない日常は有り難いと本人も感じて、けれど奇妙なことに、嫌だった戦中の暮らしを再現する気配を、父は示し始めた。母が亡くなり、尾羽打ち枯らした態で私が東京から実家に逃げ戻り、私と二人暮らしになると、その傾向はいよいよ顕著になった。
 サツマイモにカボチャ、ゴボウなど昔ながらの野菜を大量に買ってくる。二人暮らしで食い切れる量ではなく、当初は私も苦心して彼好みの濃い味つけで調理を試み、夕飯の場に提供したが父は一瞥するだけで喰わない。たまさか箸を伸ばしても気に入っていないことが分かる。
 そのうちに喰うことが目的ではなく、家内に食料が備蓄されている状態が好ましいのだと判断した。その嗜好は、食い物に不足した戦中の影響と思われた。
 それでサツマイモやカボチャ、ゴボウやタマネギ、ニンジンにキノコなどを私は放置し、腐る寸前になると父は猛然と煮たり焼いたりして食卓に並べ、しかし喰わない。「板前を志していた」は父のお馴染みの嘘で、実際は皿洗いといじめがつらくて数か月で逃げ出している。
 日に強いタバコを三箱喫って酒は例のごとしで父の舌はすっかり鈍くなっており、だから彼の料理はやたらと甘いし塩っ辛く、火が通っていないこともある。故に私が手をつけず、父も箸をつけず、とどのつまり都市ガスと水道と調味料を無駄にして廃棄の憂き目に至る。
 その頃には改めて購入された大量のサツマイモやカボチャやゴボウやタマネギ、ニンジンにキノコにキャベツにレタスにイカにブタ肉に牛の頬肉に鶏モモ肉が、出番を悠々自適に待っている。



 色川武大に大きい影響を受けたため、無頼派や破滅型の作家に関心を寄せた割に、私は太宰治が好きではなかった。
 好きではない割に読んでおり、『ヴィヨンの妻』とか『駈込み訴え』、『親友交歓』に『トカトントン』、『御伽草子』などは好短編の印象を有している。
 どうして嫌いだったのか自分の気持ちを分析すると、なんの恋愛体験も得ず、またゲイだと自覚していなかった時期の私は、なぜだか太宰は女にモテたに違いない、キザだったに相違ないと思い込んでおり、つまりは嫉妬しているのだった。
 また私は書き手の実人生と作品は分けて考えたいタチで、作品から興味を持ち作者の人生に何があったのか年譜を眺めることもあるのだが、それにはまず作品がよいという前提が必要で、太宰に関してはその域まで達しない。
 しかるに勝手な感覚だが、彼の大作家としての名声と彼の亡くなり方は拭い去りがたく密接しているかに思われて気に喰わない。作品は作品、心中は心中だ。
 同時に、令和の今となっては馬鹿げた話だが、文学にも関係しているのであろう悩みに苦しんで自死企図を幾度も繰返すとは偉い奴だ、という気持ちがあった。芸術のために人生を犠牲にする、その倒錯めいた価値観が称揚される時代は確かにあって、私自身にはその道を行く勇気がなくて、心中を幾度となく決行した太宰に引け目を感じていたらしい。
 太宰に対するねじくれた感情が変化したのは、腹が出て神経痛に思い悩む五十男になってからだ。
 芥川賞の候補に残り、しかし受賞に至らなくて、太宰は選考委員だった川端康成への抗議文を雑誌に寄せている。それを読んだことが直接の切っ掛けだった。
 独断と妄想に凝り固まった論理構成が成されており、このひとはイメージしていたようなキザではなく、存外不器用だったのではないか。好物の草餅を発泡酒といただきながら思った。
 そのうちに太宰の盟友である檀一雄の『火宅の人』に愛憎の入り混じる感銘を受けて、その流れで檀一雄『小説 太宰治』と、太宰の世話人に当たる井伏鱒二の『太宰治』を購入する。
 読み進めて判明したことは、彼が女にモテなかったということであった。

 


   



 


  



 キザで女をとっかえひっかえなどと思い違いをして悪かった。実際は女の前に出ると、ロクに口もきけなかったようだ。胸毛があったという証言も、特に理由があるわけではないのだけれども、意外の念である。
 太宰は一時左翼運動に関与したようだが、それとて頑強な信念に裏打ちされたわけではなく、流行りものに乗っかって容易には抜け出せなくなったのが真相らしく、断然私はうれしくなった。
 有言実行信念のひとも立派だが、そういう御仁はどうも敷居が高い。私なぞは利いた風な口をきいたそばから真逆の主張に魅力を感じる。優柔不断で片づけるのは早計で、敵には敵の言い分があると、つい真剣に耳を傾けてしまい情にほだされて変節を繰り返す。かように頼りなくては信念の柱なぞ爪楊枝のごとしだ。
 であるから、太宰のふにゃふにゃした姿勢が親しみやすい。モテないとくればなおさらだ。
 井伏鱒二は

 

 姿


 

 


 

 


  



 この井伏の発言に私は深く感銘を受けて、というのもいつ頃からか作家のステイタスとやらが上がり、それは私が偏愛するタイプの作家ではなかった。勝ち組を気取る文学には不信感しかない。文学に不可欠な要素があるとすれば、負ける側の視点ではないか。
 この気持ちに先の発言がマッチして、三流四流ならばそれらしく生きようと心改めたけれども、なるほど太宰も三流である。
 人間としては三流だが、因果なことに才能はあった。バブル経済華やかなりし頃にコピーライターでもやれば人気を博しただろうし、現在ならばSNSを機にインフルエンサーにでもなって区議選に立候補という塩梅になっていたのではないか。
 その点を踏まえて彼を一流の三流とでも書けば、いくらか文学愛好者が歓びそうな言い草になるかもしれないけれど、初老に片足を突っ込んだ現在の私は、その種の修辞を好まない。
 ただ、三流らしい生き方、三流なりの矜持には関心がある。



 父は毎日大瓶四本のビールを飲んだが、こと改めて考えると奇異の念がする。飲みたくない夜もあっただろうし、翻ってもっと飲みたい夜もあっただろうに、四本という量に関しては戒律のように数十年、きっちり守っていた。
 専門医が診察したら父はアルコール依存症なのかもしれないし、その可能性が高いけれども、四本以上は飲まない自制心も硬く有していた。
 この点が奇異であり、その念を抱えたまま顧みると、父は健全であった。長命の美徳を疑わず、死ぬことを普通に怖れる。
 長年の飲酒や喫煙により肺炎だの胃痛だの脳梗塞だの身体を壊したのは結果論であって、実の弟や妹を不幸な形で亡くし、その度に精神の荒みは進行したけれども、本人自身は健康体のまま百まで生きるつもりであった。
 未来予測と日々の行動の乖離が凄まじく、けれど生に執着する生物的な本能は最期まで失わず、「偉い」とつぶやくより仕方ない。
 けれど素直に考えれば父のほうが一般的で、長命を願い健康を尊び、自死など意識の片隅にものせない。人生の岐路に出くわす度、それを選択肢に控えめながら入れていた、あるいは入ってしまった自分は何かを間違えていただろうか。
 色川武大を読むと「どうして俺のことが書いてあるのか」と不思議になり、伝え聞くところでは太宰の読者も太宰の作品に同様の念を抱くものらしい。
 井伏鱒二が太宰の面倒を見た発端は、太宰から会ってくれないと死ぬという手紙を受け取ったからだそうで、しかし太宰が「井伏さんは悪人です」と書いたことを思うと苦々しい気持ちになる。自信を満たさぬまま成長した者が、本質的には味方である者を攻撃してしまうのは、至るところで見る光景である。敵を攻撃すれば当然のこと手加減なしに反撃されるけれど、味方にはその心配がない。それどころか困った存在である己を結局は擁護し、そのとき甘く暗い安心を得るのか。
 問題は、擁護はそういつまでも続かないし、攻撃を続ければ味方がいなくなることである。自死を案じ熱海まで太宰を探しに行った檀一雄は、以下の気持ちになったらしい。

鹿


 



 この記述をした檀は五十前後と推測され、引用した二十代の檀自身の気持ちが事実に即しているのか疑わしいけれども、生得の健全さを損なわず、太宰との関係に微妙な一線を引いた気がする。
 後に巻き込まれる形で檀は太宰と心中しかけるのだけれども、それでも関係を断たない。記述上では随分ドライな心境にいたようだけれども、絶縁はせず、何くれとなく太宰を案じている。
 可笑しいのは太宰のほうも、彼なりに檀を案じていた節がある。
 召集され戦地に赴き、役目を終えた後も檀は中国大陸をしばらく放浪するのだが、以下の引用も影響して日本へ戻る。

 


 


 



 太宰は内向的で神経質で、檀のような放浪は不可能であり、であれば将来に備えるでもなくよその国をうろつき歩く檀を心配したのか。方向性の違う爆弾を抱えていると双方が薄々察しつつ、細い縁の糸を断ち切らずにいたのか。
 檀は太宰と過ごした放蕩三昧の若き日を、「青春」と書いている。色川武大は太宰に関心を寄せていたようだ。
 前述のとおり私は色川に多大な影響を受けており、著作に出会って三十年前後考え続けて、色川文学とは青春の文学であると結論した。
 結論して、色川との間に微妙な一線を引いた。引いて、自分でも大見得を切ったなと思うのだけれども、自死を選択肢から外した。私の青春はとうの昔に終わっているのだ。酒とパチンコと喫煙と自慰に彩られた、無様な青春。
 体調はいいような悪いような、俯瞰すればじりじり後退しているようで、多少の貯蓄はあれども老後に必要と言われる資産額二千万には程遠く、転職を夢見て求人サイトを覗いたり、朽ち果てたリゾート地の捨て値で売られている中古マンションを買い蟄居しようかと夢想したり。
 現在の私の目標は屋根と壁のある建物内で寿命を迎えることであり、であれば倹約が念頭に住み着き、父のように毎日ビール大瓶四本を飲むわけには行かない。
 それ以前に私は、酒の飲めない母の体質を受け継いでいる。
 母は、グラス一杯のビールを飲むだけで、耳たぶまで赤く染まる体質だった。
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