第5話 やおきんの猫

文字数 8,714文字

  1

 会いたくない同胞がいるため父の一周忌に出ないと連絡した私に、長兄は小言めいた一切をメールや電話で伝えてこなかった。
 持病の再発を避けるためという説明に納得してくれた面もあろうし、私とその同胞が会えば流血沙汰になるかもしれない。その可能性は十二分にあり、また彼は合理的な性格で、世間体や慣習を重んじるよりも、揉めごとを避けたい心情が作用したのではないか。
 なんにせよ望郷の念が私には乏しく、友人と酒を呑むため東京のワンルームマンションから大阪へ向かい、帰りは浜松に立ち寄ったりした。
 浜松に用はなく、行ったことがないから行っただけのことで、景色を眺め街の雰囲気を味わい、一泊しそのまま東京にもどる。用のない土地には留まるのに、大阪と浜松の間に位置して、かつ生地である名古屋は素通りしたのだ。
 別の機会にたまさか名古屋へ赴けば、血縁者に会わず馴染みのゲイバーに顔を見せて馬鹿話に興じた後に帰路につく。私と血縁者の関係は希薄で、それはそのまま故郷への愛着の薄さへと通じているらしい。
 父が亡くなり長兄の奔走のおかげで無事に実家仕舞いに落ち着きそうで、土地と共に処分される予定の実家は鉄筋の三階建てである。建設当時の四十数年前は、まだ三階建てがめずらしく、「家を建てるぞ」と家族を集めて宣言する父は、いつになく誇らしげで、またはしゃいでいた。
 戦争や学童疎開を体験して物資のない頃に子ども時代を過ごし、テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器と呼ばれた高度経済成長期を生きた父にとって、物を所有することは幸福に直結している。
 だから、誇らしげにはしゃぐことに不思議はなく、小学生の私もはしゃいだ。父の歓びはすなわち私の歓びであったから。幼稚園の頃よりお年玉を貯めてつくった六桁の預金が、建て替え費用として横領されていることに、この頃気づいていなかった。
 実家、というと建て替え前の木造のほうに思い出が多い。
 父は畳職人であり通りに面したところを仕事場にし、そこを抜けると家族が集まる居間、風呂場、トイレがあり、階段を上がると夫婦の寝室があり、例の会いたくない同胞の狭い子ども部屋がある。
 いま考えると変な間取りなのだが、仕事場の脇にも別の階段があり、そちらを上がると長兄の部屋と祖母の寝室がある。こちらと夫婦の寝室を備えた二階はつながっておらず、階段の上り下りを経ないと行き来できない。
 母と祖母は折り合いが悪かったのでそれが影響している気がするし、つまり、容易には祖母が夫婦を訪ねないように設計されたのかもしれないし、改めて気づいたが私の部屋に相当する部分がない。幼い頃は父と母と川の字で寝たし、小学生になり二段ベッドが導入され、例の同胞の鼾を聞きながら寝起きした。私は生まれる予定ではなかったので、それも道理かもしれない。
 木造の実家の隣は「やおきん」という八百屋で、七八畳の狭い店内にネギや大根の他に醤油や味噌や塩や、化学調味料やインスタントラーメンが満員電車の趣で陳列されていた。太陽をまともに浴びるし扉は開けっ放しで、古い品の包装紙や箱は日焼けし砂埃を薄く纏っている。
 商品の質はお世辞にも良いとは言えず、新鮮な野菜や肉や魚を扱うスーパーマーケットも徒歩圏内にあるが、近いという利便性のみによってご近所の方々が利用し、けっこう商売として成り立っているようであった。私も母に命じられて、白菜だの何だのを買いに行かされて、品を引っ掴み会計するのに一分かからない。
 そのやおきんでは猫を多頭飼いしており、生鮮食品の間を悠々と闊歩して、ときに商品棚の上で昼寝をしている。衛生的でないことは論を俟たないけれども、昭和五十年前後の個人商店はそんなものだったのか、あるいは色町に近いあの地域が特殊だったのか。
 つがいの猫が仔を産み、木造家屋のどこかに隙間があるらしく、仔猫どもがやおきんから我が家へ冒険しに来る。父の作業場の畳の隙間から顔を覗かせて、辺りをうかがっていたりする。
私なぞは可愛らしいものだと歓迎したけれども、母は猫が苦手であるらしく激怒した。陽気で笑顔の大きいひとだったのに、どんな恨みがあるのか仔猫には容赦なく、般若の顔で箒を振りまわし「出てけーっ」と叫ぶ。仔猫は驚き興奮し、我が家の居間を狂奔してやおきんへともどっていった。
 それで事が治まると思われたが、別の兄弟猫が我が家を訪れる。「あそこは危険」と猫、それも子どもが警告するとは思えないから致し方ないけれども、やはり母の怒りを買い仔猫は惑乱のうちに逃げもどり、けれど翌日には別の兄弟が訪れて、何匹目かのやつは水を掛けられていた。
 それでようやく猫の訪問は絶えたが、奇妙なことに母および父とやおきんの夫婦の間で猫の話が出ない。
 いっしょに酒を酌み交わすというような濃い交流はないが、立ち話をするのはやぶさかでない。私の印象だが、父や母はやおきんの夫婦をさほど好いておらず、それは先方も同様で、けれど表立って本心を明らかにすれば平穏な暮らしの邪魔となる。やたらと好戦的な世界各国の首脳に真似させたいような庶民の知恵が働いていたらしく、であれば仔猫についての話題はどちらも出さない。へたに持ち出せば今度は人間が箒で追いかけまわされたり水を掛けられたりしかねないからである。
 やおきんの親父の顔を思い出そうと試みても、どうも具体的な像を結ばない。
 オールバックで固太りで八百屋帽子をかぶっていた気がするが、いや痩せて蓬髪で帽子なぞしていなかった気もする。白髪だった気がするし、それは晩年の姿だった気もするし、恰幅がよかった気がするが確信はなく、第一顔を思い出せなくて、実直以外の印象がない。
 いっぽう女主人のほうはよく覚えている。
 金ダワシのようなパーマを掛けて額に絆創膏を貼り、エプロンのポケットに手を突っ込んだサンダル姿の咥えタバコで接客をする。なんだったら咥えタバコのまま商品を包み釣銭を渡したりする。
 口調が荒かったし顔面に気の強さがあらわれていたし、やおきんを営むまでどういう来し方を歩んだのか想像がつかないけれども、そういうひとが愛猫家という事実に世の不思議を感じる。荒くれた外側の奥のやわらかいものを、物言わぬ小さな獣になら、さらけ出せたということか。
 木造から鉄筋三階建てに実家が建て替えられて、数年が経たないうちに咥えタバコの女主人が病気により亡くなり、女主人に先んじてだったのか女主人に先立たれた後だったのか、これも印象にないのだけれども、とにかくやおきんの親父も亡くなった。
 店は夫婦の子どもらにより畳まれて、はて飼われていた猫どもはどうしたのだろう。煙のように消えた感じで、まったく記憶にない。

   2

 ジョイは筋骨隆々の黒い大型犬であり、温厚で飼い主に愛されて育ち、もらった愛情を方々に振りまいている。
 彼の飼い主であるY夫妻は動物の保護活動をしており、殺処分に遭いそうな犬猫を引き取って面倒を見、ひとに慣れたところで里親を募り譲渡する。さもない縁からYさんと交流を持ち、家に招かれた。その頃Y夫妻は、ジョイの他に五月雨という猫を飼っていた。
 全身が灰色でブルーグレーの目がきれいで、彼女も保健所から引き取られたのだが、引き取られた時点ですでに成猫であった。そのため夫妻以外の人間に慣れない。猫好きの客人が可愛いと誉めそやしても喜ばず、撫でようと試みようものなら危うく噛みつく。
 だが、どういうわけか招かれた私に彼女が懐いた。ソファに私が腰かけると足先の臭いを嗅ぎ、そのまま膝の上に飛び乗り、ひとしきり股間を嗅いで丸くなり、そのまま寝てしまう。私が背を撫でても威嚇をしない。
 こんなことは初めてだ、とY夫妻が口々におどろく。五月雨は男性が苦手で、Yさんの妻の膝には乗るが、Yさん自身にはさほど関心を持たないらしい。
 しきりに不思議がる夫妻に「ひとめぼれですかね」と冗談を言ったが笑い声は生まれず、「よほど警戒心を呼ばないらしい」とYさん。「見下すでもなく、敵視するでもなく、かといって飼い主とは思っていなくて、仲間に感じているみたい」とYさんの妻。要するに侮られているらしく、しかし膝の上の温かさを満喫すると悪い気はしない。
 宴が続き、供されたワインに酔う私から彼女が降りて、ジョイに近づいた。大きさとしてはプロペラ機とジェット旅客機くらい差がある。実際には五月雨のほうが年長者なのだが。
 ジョイは五月雨が背中に乗っても泰然とし、猫じゃらしと想定したのか振る尻尾に飛びかかる彼女を叱りもしない。叱るどころか労るように彼女を舐めまわし、うっとうしそうに猫パンチを喰らうと身を縮ませて落ち込む。落ち込むが五月雨に復讐する気はなさそうで、実に器が大きくて感心する。
「この子は誰にでもこうでね」とYさんがジョイを指さして笑う。
「まだ母親の乳を欲しがる仔犬がいたときは、仰向けになってオッパイを吸わせようとするの。出ない癖に」と笑うYさんの妻。
「そうか、あなたとジョイは似ているのかもしれない」と再びYさん。
 似ているなんてとんでもない、弟子入りしたいくらいだ。前マザー・テレサを連想し、私に足りない博愛精神、ジョイがその塊に見えたのだ。
 実際彼はご近所でも人気者で、朝に庭に出しておくと通学する小学生らが「イヌ、イヌ」とうれしそうに呼びかける。ジョイはご機嫌で尾をヘリコプターのように振り、小学生のみならず杖を突いたお年寄りも「元気か~」、ジョイは歓びのあまり寝そべって腹を見せる。泥棒が来たら金庫まで案内しそうだとはYさんのジョーク。
 元来私は警戒心が強く、ひとと隔意ない交流をしたい気持ちは大いにあるし、会話や礼儀や努力もしているつもりだけれども、それが実を結ばない。
 生まじめというか譲れない点については譲らない場面が多く、それを貫けば評価が違うだろうに、変なところで相手をおもんぱかり譲歩することもあって、迎合と対抗の間を童話の蝙蝠のごとく行き交い、なかなか信頼を獲得できない。
 翻って「友人」ができれば先方との距離感を誤って実態以上の親しさを生成しようとし、それが意識的にではなく無意識だから質が悪く、つまるところ「友人」は私との関係を疎んじて、いつの間にか遠ざかる。「友人」でそれなのだから、いわんや「恋人」をや。
 相応に淋しさを味わい尽くした気がするが、髪に白いものが混じる年齢となり、以前ほどには人間関係の貧しさに打ちのめされることは減った。淋しさが消滅したわけではないが、独りに近い身だからこその歓びもある気がしている。
 実感だけれども、そこに強弁が皆無とは言えず、かように油断したところへジョイのような大物に出くわすと、思わず羨望の眼差しを向けてしまう。
 自分の中の鎮めていた欲望が目を覚まし、誰からも愛され、誰にでも愛情を振りまける存在に憧れる。
 私は、ジョイになりたい。器質的には完全に、五月雨寄りなのだが。

   3

 実家を建て替えることについて、父には父なりの未来図があった。
 大学を卒業し就職した長兄は、そう遠くない将来に嫁を娶るであろうし、嫁を持てば孫ができる。長兄一家は父が人生の勲章と自認する新築の家に同居し、嫁も孫も父を家長として敬い、褒め称え、それを肴にうまい酒を呑むのだ。
 いかにも戦争であり疎開でありを経験した世代の男のありふれた未来図で、本心からそれを望んでいたかと問えば、恐らく望んではいない。単に世間一般における標準というだけのことで、父は標準以外の生き方があるとは想像すらできなかった。また世間の枠組みから離れる生き方を、試みる勇気も発想も持ち合わせてはいなかった。
 だから、長兄がいよいよ縁談を決めて、「妻」と外で暮らすと夕餉の席で口にしたときは、さぞ驚いただろうと思う。実際父は「我がままを言うなっ」と怒鳴って口論に発展し、私たちは二階の自室に逃げ込んだ。
 そのうちに父の荒い足音が近づいてきて、明かりも点けずに夫婦の寝室の煎餅布団に潜り込んだらしく、追いかけてきた長兄に背を向けているらしい。長兄は父を見下ろす姿勢で憤り、「これは譲れない、絶対に家を出て自活する」と二度三度繰り返して、けれど父は返事ひとつしなかった。
 その様子を私は、襖を閉めた隣の部屋で身体を固くしながら聞いており、光景を直に見たわけではないのに、実際に見たように鮮やかに絵が浮かぶ。二段ベッドの上で息を呑んでいたあの同胞も、恐らく同じだっただろう。
 明かりを消した夫婦の寝室、ブラウン管のテレビが唯一の光源となり、布団に丸まり芋虫然とした父と、その横に仁王立ちして家を出るとわめき続ける長兄の黒い影。
 父と長兄がむき出しの本心をぶつけ合うことは、私の知る限りあの一度切りだ。二人の間には浅い溝があった。大抵の会話は一方通行で、父の冗談に長兄は笑わず、長兄の仕事の苦労話を父は無視する。
 たぶん、長兄は酒浸りの肉体労働者である父を親として敬いつつ、どこか軽蔑していたし、父は父で、大学に進学して卒業した長兄に学歴という面で引け目を持っていた。長兄や同胞や私に、大学へ行けと命じたのは父自身なのだけれども、よいと思う道を示し先方がその道を行き、結果として己よりも出世すると嫉妬に苦しむ。その間抜けさは私にもしっかりと受け継がれているので、父を批判できない。私のそういう部分を含めて父は、三人の子どもたちの中で私に恐らく最も深く己を重ねていたのだろうし。
 仕事が長続きせず無職の時期が度々で、いつまでも結婚しない息子を心配し、行く末を案じて溜め息を吐きながら、安堵をしていた。
 この馬鹿息子は、俺を怖がらせることをしないだろう――。

   4

 父は、私がゲイだと気づいていただろうか。たぶん想像の埒外で、生活能力のなさ故に嫁一人もらえない甲斐性なしで思考を済ませていたのではないだろうか。
 いや、仮定をしたことがあったかもしれず、だが考えたくないことは考えないひとだったので、最後まで事実を直視することはなかった。そう結論するほうが腑に落ちる。
 新しい家が建ち、ときを経て古びてゆき、住人である父も母も私も古びていった。母の髪は白くなり私は中年太りし、木造時代から古びていた祖母は抽んでて古びて、それは外見のみならず脳も古くなり衰えて、徘徊、譫妄、昼夜逆転、足腰が丈夫なだけに手が掛かる。外に出て、もどってこない彼女を何度捜しに出たことか。
 そして祖母の過失により鉄筋三階建ての家が半焼し、半焼といっても上部が半分程度燃えたわけではなく、家内は見事に焼けたのに外壁は傷一つない。内側が被害に遭い外側は無事、そういう種類の半焼であり、その有り様はまさしく私ども家族に似ていた。
 外からは仲睦まじく平穏そのもので、しかし内側はどろどろに膿んでいる。
 費用が安いからだろう建て替えではなく改築を父は選び、それが済んだ冬、井草の臭いがする仏間に置く大きな仏壇を唐突に、そう唐突に購入してきた。先代の仏壇は火事により焼失している。
 外側は見事な漆塗り、開くと細緻にして美麗な金箔押しの仏具が目に眩く、リサイクルショップで五十万だったと言う。新品を買えば三百万は下らないだろう逸品で、けれど、魂抜きの儀は済んでいるにせよ、ご先祖様を祭るお仏壇が中古とはいかがなものか。廉価でも新品を買いそちらでご先祖様一堂に憩っていただき、私どもはそのお姿を脳裏に描き、首を垂れて有り難く拝む。それが本道で、見かけに拘るのは己の虚栄心を満たすためではないのか。信仰や敬虔からかけ離れた所業ではあるまいか。
 物を所有することは幸福に直結していたが、高価な物をお値打ちに購入することも父の癖であった。安物買いの銭失いを人生において幾度となく経験しているのに、得をしたという感覚を味わいたくて同じ失敗を繰り返す。
 結果、大きな仏壇が父の仕事用の軽トラックに畳と共に乗っており、返品は不可の由。ゴム付き軍手を各々はめた父と私の二人で降ろしたが、さすがの重量であり足の上に落とせば骨が砕け散るだろう。
 階段を運ぶ際には私が下側を担当したけれども、父が手を滑らせれば仏壇もろとも下に落ち仏壇に潰され仏壇に祭られる仕儀となる。また実際に手を滑らせて不思議はないひとだったのだ、父は。無事に二階へ到着したとき、冬なのに父も私も首筋に汗を掻いていた。
 祖母は火事を機に高齢者向け介護施設に入所させられて、長兄も仲の悪い同胞も逃げ出すように外に居を構えており、残された私と母は荘厳さすら醸す仏壇を前に無言だった。薄暗い廊下だった。その仏壇は立派すぎて仏間に入らなかったのだ。縦にしても横にしても、マンホールの蓋のように入り口をどうしてもギリギリ通せない。また組み立て式ではないため解体もできない。
 廊下で沈黙する仏壇を憤怒の表情で睨んでいた父は、矢庭に一階の仕事場へ降りて、電動ノコギリを手にもどってきた。
 業務用の本格的なやつで、埃除けと呼ぶのか上台と呼ぶのか、仏壇の天頂部分の板の両端を、前後ろと左右十センチほどずつ切り落とした。その部分が入り口に引っかかり、仏間に入らなかったのである。
 木目をあらわにした仏壇は晴れて仏間に運ばれて、所定の位置に鎮座させられた。線香が焚かれて三人で正座をし、父から三歩下がる位置で私と母は父の背中越しに中古のお仏壇を拝んだ。父の着るニットにはたくさんの毛玉がついていた。
 香が燃え尽き父が競輪へ出かけてしまい、廊下に落ちた木屑を掃除しながら母が、「馬鹿じゃなかろうか」と吐き捨てた。
 冗談交じりに悪い言葉を吐いて不満をデトックスするいつもの調子ではなく、表情が冷たかった。そう、やおきんの猫に水を浴びせかけたときのように。

   5

 Yさん夫妻に招かれてお宅を訪れると、やはり五月雨が私の膝に乗ってくる。床に降ろしてもまた乗ってくるので、そのまま背を撫ぜながらワインやチーズを頂く。
 夫妻は私の向かい側の三人掛けソファに座り、夫妻の間にジョイがリラックスした表情で寝そべり、テーブルの上のチーズや生ハムを目当てに首を伸ばして、都度叱られる。
 叱られるというより諭される感じであり、故にジョイは気落ちすることなくYさんに頭を撫でられYさんの妻に茹でたキャベツを食べさせてもらい、彼がなぜ誰からも愛され誰をも愛せるのか理解できた気がする。彼はただ、自分がされている方法で他者に接しているだけなのだろう。
 四十手前で東京に出て、不安定なまま現在に至っている。
 恋人はいないし子も当然おらず、友人は片手で数えられて職もいつ失うのか分からない。
 理不尽と思える目に遭い苦しんだ時期も多かったが、挽回の時間が少なくなり、「そういうものだ」で片づけるようになると、怒りや悲しみや、不安という感情と疎遠になる。翻って歓びに身を震わすということも減るが、歳を喰うとはそういうことなのかもしれない。諦めたというよりも、感情が揺り動かされるほどの脳内物質が分泌されないのか。
 あと何年東京に暮らせるか、暮らしたいのか、漠然とした問いが不意に頭に浮かぶようになり、濃い関係の者が少ないから、どこへでも行けるし、どこかに行きたいわけでもなく、終の棲家を得るために、本格的な算段を始めるでもない。
 持ち家よりも賃貸を尊び、仮に隣人がうるさければ、交渉とか法的対処とか検討する前にネットで物件を探してしまう。旅行感覚で引っ越しを敢行し、この数年で私は四度のそれをして、どう少なく勘定しても百二、三十万を使っている。裕福ではない癖に阿呆であり、父の散財をとやかく言えない。
 言えないが、例えば東北あるいは九州、国内にとどまらずタイやイギリスやモロッコや、なじみの少ない土地に暮らす己を想像し、表情は変わらないが内心でニマニマしてしまう。
身軽に、気軽に、どこにでも移住できる状態を目指したわけではなく、こうならざるを得なかっただけなのだけれども、なってしまうと存外に不満が生じない。
 しかし現実的な路線を考えると、名古屋にもどりたいと思う。中日ドラゴンズがあるから。
 ジョイが甘えた声で鳴き、Yさんがチーズを与える。ジョイはうれしそうにチーズを食べる。
 父も、大きな声で怒鳴るのではなく、静かに、ゆっくり諭せばよかったのに。
 それができたら家族からまったき信頼を得て、真の家長として尊敬されたのかもしれないのに。
 しかし、無理だったのだ。父は、ジョイはもちろん五月雨にもなれなかった。温もりや愛情を求めて誰かにすり寄る、甘える、それが難しかった。
 世代的にそうだったとも言えるし、生育環境により育まれた性格がそうだったとも思える。また簡単な分析で短絡的に結論を下すことは、さすがに父に対して無礼と感じる。私が彼の何を知っていたと言うのか。他者の気持ちなど、しょせん分かるはずもないのに。
 とにかく父は父らしく生きて、もういない。母も父に先んじてこの世を去った。
 実家はまもなく取り壊されて、産廃業者が運び去ってゆく。父の仕事の道具も、母が大事にした衣類も、倉庫に放ったらかしにされた二段ベッドも、中古の仏壇も、すべてなくなる。形見分けに引き取りたい物を、記憶の中で漁ってみるけれども、どうにも思い浮かばない。
 膝の上で五月雨が眠ってしまった。
 トイレに行きたいのだが動くに動けず、彼女の灰色の毛を、飽きもせず撫で続ける。
 向かい側でジョイの無垢な黒い目が、それをじっと捉えている。
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