第2話  昔の女と今の女

文字数 9,511文字

(前章までのあらすじ~ 昭和50年代の半ば、佐藤は大学卒業後に市役所に勤める。旧友から手紙で、それぞれの近況を教えられる。税務調査や職場の付き合いで、社会人生活を経験する。ひとりになると、卒業で別れた片思いの貴美子を思い出すが、約束した手紙は届かない。)

 五月になると、佐藤は正式に辞令をもらって、市税事務所に配属された。サラリーマンとしての第一歩を踏み出した。指定された職場の机につくと、この場所がこれからの仕事場だという実感が湧いてきた。
 佐藤は先輩たちに従って、税務調査に出た。二人一組で行い、新米の佐藤は、見よう見まねで事務を進めた。
 夜は、飲食店の実態調査に出た。三時間で二〇軒の店を回った。闇に輝く看板を求めて、きらびやかなスナックの中に入った。酒場の酔っ払いの視線を避けて、店の様子を窺った。
 先輩の富田が、佐藤に言った。
「昔は、怖い人がいたんだよ。税金かけられて、頭に来て……。ダンプの運転手なんだよ。庁舎の玄関の前にダンプ持ってきて、何と、砂利をぶちまけたんだよ。大量の土砂だもの、ザラザラザラーって。大騒ぎだよ。玄関の前が、山盛りの土砂だ。野蛮って言うか、荒いって言うか」
 富田は、はっはっはと笑う。
「まあ、けが人は出なかったけどね。警察が来てね。ひどいもんだよ。そこまでやっちゃうのも凄いよね」
 佐藤は、富田の顔を見つめた。大学の文学部で、キャンパスの華を眺めていた頃とは大違いだと感じた。

 一方、佐藤は先輩たちとのマージャンの付き合いを続けた。同期の新入りの仲間も加わった。昼休みは、職場のバイト嬢たちと、庭に出てバレーボールを楽しんだ。休日には、テニスも楽しんだ。
 近くの球場で野球の試合にも出た。少年野球の時代以来しばらく、したことはなかった。昔を懐かしく思い出した。スタンドには、バイト嬢など何人かが応援に来た。佐藤は、美人で評判の由美子が気になっていた。職場では、男性職員とバイト嬢が結婚することが多かった。
 先輩の富田は実は、三六才で独身だった。それを聞いて、佐藤は驚いた。結婚しないでそんな年になって、いったい何を考えているのか、何が今まであったのか、と疑問に感じた。

 職員たちは労働組合を組織していた。ときどき早朝ストライキを行った。佐藤は、自分が賃金労働者なのだと改めて思った。
 勤め人が生計を立てるということは、どんなことなのか、考えることがあった。学生時代は、親からの仕送りと、ときどき手に入れたバイトの賃金で生活していた。今になって改めて、生活のための収入に問題意識を持った。
 勤め人は、自分の労働力を雇用先に売っている。雇用先は労働力を買い取る代わりに、勤め人に賃金を支払う。定年退職の日まで、勤め人は労働力を売り続ける。
 生活の様相は一変した。東京のたった四年間の学生生活は短距離走だった。地元の社会人生活は長距離走だと思った。

 土曜の午後を迎えると、職場の人たちも休日を控えて、のんびりしている。佐藤は仕事が退けて、町に出た。職場の近くの駅前で、植木市が開かれていた。気が向いて、鉢植えのカーネーションを買った。
 駅の近くの交差点には、一軒の化粧品店があった。佐藤は、その店の女主人の噂を、職場の先輩の阿部から聞いていた。それを思い出した。
「ここの交差点の事故、知ってるかい? 」
 運転席の阿部は、交差点にさしかかったとき、助手席の佐藤に尋ねた。
「事故あったんですか? 」
「この横断歩道、子どもが渡っていて、車にひかれて死んじゃったんだよ。そこの角の化粧品店の子どもなんだよ」
「はあ。目と鼻の先じゃないですか」
「走って出ちゃったんだな」
「運転手が止まらなかったとか、親が見てなかったとか、ですかね? 」
 佐藤は横断歩道を眺めて、事故の場面を想像した。
「詳しいことは分からないけどね」
 阿部はその交差点を通り過ぎてから、次の赤信号で停止した。
「この話には続きがあるんだよ……」
 阿部は、ハンドルを握り直した。
「そのお母さんには、もうひとり子どもがいたんだよ」
「ええ」
「その子どもも、何と、同じ横断歩道でひかれちゃったんだよ」
 佐藤は、阿部の顔を見つめた。
「死んだんですか? 」
 先輩はこっくりと頷いた。
「死んじゃった。二人目……。即死だって」
「ええっ、そんなことってあるんですか? 」
「それが今度は、お母さんが見ている目の前だったんだって……」
「それはひどい」
「それで、お母さん、どうなったと思う? 気が狂っちゃったらしいよ」
「はあ、親子揃って、ひどい目に遭ったわけですね? 横断歩道が恐ろしいというか、運命が恐ろしいというか……」
「そういうこともあるんだよ」

 遠藤から、また手紙が届いた。
 学業の方は、卒論の時期に入っている。就職活動の方は、企業説明で、平田は旅行会社に興味を抱いている。自分は、運転免許試験に取り組んでいる。やはり、読んだり書いたりすることに時間を使いたい。一緒に行ったヨーロッパ旅行は、今から考えると、おぞましくて素晴らしい冒険だった。留年一年目で、今、五年生だ。交際している裕美との関係は、安定と不安定の間で揺れている。
 佐藤はひとりの夜を迎えて、最近の生活を振り返った。
 公務員の生活は面白くない。仕事は日常的で、興味を惹かない。職場の一部の人たちの怠惰な雰囲気にうんざりする。世間話で冗談を言い会っているうちに、自分も知性や緊張感を失ってしまう。
 都会から戻って、死ぬまでこの田舎で暮らすのは不幸ではないか。
 しかし、転職するにも、適当な仕事も職場も見つからない。自分は、公務員の仕事ではなく、一般的な仕事そのものに不満を感じているのかもしれない。それなら、何をやっても同じだ。生計を立てるためと観念するか。

 貴美子と会えなくなって一ヶ月半が経った。佐藤は相変わらず貴美子のことを考えている。
 職場の人々や同期の職員と新しく出会い、そのたびに、自分の交友関係が変わっていくのを感じる。貴美子ばかりか、学生仲間との付き合いさえ過去のものになっていく。あの時代との別れを惜しむ。
 内心で狂おしいほどの悲しみを覚える。自分の心が、これから変わっていくのを恐れる。貴美子を忘れられずに、もがき苦しむ。やがて、時の流れに押し流されて、どうしようもなく、忘れていく。

 大学に入って、クラスの中でふと見かけたときは、貴美子は少し可愛い娘という程度の印象だった。年月を経て、自分にとってこれほど大きな存在になってしまうとは思わなかった。
 卒業間際は、貴美子には、しっとりとした魅力が漂っていた。ある同級生の女性が、貴美子を褒めて言った。
「日本的な魅力があると思う」
 仏像のような、幼児のような、日本的な作りの、端正な顔立ちと白い肌を思い出す。色気を感じさせる風貌や、落ち着いた身振りを思い出す。あの姿が見たい。あの声を聞きたい。
 あの女にそれほどの価値があったのだろうか。ただの、どこにでもいるような、ありふれた若い娘。ただの同級生の女子学生。代わりになるような女は、いくらでもいる。そう考えることもできる。
 この同じ空の下で、あの関西の町で、一軒の家に両親と一緒に暮らしている、ひとりの若い娘。おれがこうして生活しているように、誰もがそうしているように、貴美子は食べて、寝て、息をしている。それは分かっている。

 貴美子を諦めるための方法のひとつは、貴美子より魅力的な女性を手に入れることだ、と思うこともある。しかし、貴美子を忘れて、他の女を愛することができるのだろうか。おれは、愛情は二の次で、将来のことを気にかけて結婚してしまうのだろうか。
 ああ、それでも、貴美子が欲しい。貴美子に会いたい。自分のものにしたい。貴美子が好きだ。かつて貴美子は、おれにとってかけがえのない女性だった。この胸の火照りを、いつまでも大切にしたい。貴美子に、おれの姿を見て欲しい。おれを忘れないで欲しい。
 あの関西の町を訪ねてみるか。歴史的な建造物の多い地域に足を運ぶか。貴美子の家のすぐそばまで、行ってみようか。結局会えなくても、心の安らぎを味わうために、いつかそのうち関西に行ってみよう。

 他の友人からは来るのに、貴美子からはいつまで経っても、手紙が来ない。
 手紙を書くと言って、よこさなかった女。貴美子は、手紙で関係を続けていこうとはしなかった。先行きの心配をしたのか。
 おれを愛さなかった女。いくら愛しても、向こうからは愛してくれなかった女。おれにとってはひどい女。おれとは縁のない、考えるのが無駄な女。ときどきそういう風に考えるようにしている。すると、貴美子の姿は、だんだんと遠くなっていく。
 貴美子のつれなさを思うと、憎しみも感じる。残念で、辛くて、苦しくて、悲しい。
 しかし、貴美子はおれを失って初めて、おれの愛情に気づくこともあるだろうか。

 貴美子と永久に赤の他人になってしまうことが怖い。少しずつ貴美子を忘れていく自分が怖い。貴美子も、おれを忘れていくことが許せない。あのいとしい女性が、他の男のものになってしまうことを考えると辛い。遠く離れて住んで、音信不通で、会うこともないのだから、好きも嫌いもない。恋も愛も始まる余地がない。
 おれはいつになったら、貴美子を忘れて、他の女性を好きになることができるのか。その時になっても、貴美子をあんなにも強く愛していたのだと思い返し、胸を熱くするだろうか。その情熱は、将来、貴美子を妻にする男の愛情よりも強いかもしれない。

 貴美子と愛し合って、共に暮らすことはできなくても、一方的に遠くから愛し続けることはできる。心の底から慕い、思いやることはできる。そのとき、遠くで生きている、肉体を持つ貴美子とは違う女が生まれる。実際よりさらに濃厚な、現実とはかけ離れた美しさの女の幻が浮かび上がってくるだろう。
 女と性関係を結ぶのは、現実世界ではある意味で簡単だ。しかし、現実の醜悪さを伴う。一方、幻想の女は、厳然たる美として、光輝を放つ。

 おれは金輪際、貴美子の恋人にはなれない。貴美子の裸を抱けない。
 貴美子は他の男に身を委ねてしまう。貴美子の体を獣のように自由にする男が、確かにおれ以外にこの世の中にいる。そう考えると辛くなる。
 おれは、貴美子とは一生、ただの大学の同級生という関係で終わってしまう。貴美子の顔に自分の顔を近づけて、愛情のこもった熱い口づけをする権利は、とうとう得られなかった。今となっては、もう手遅れだ。いくら愛しても、貴美子は振り向いてくれない。

 人生は過酷なものだ。確かに、おれたちにはあっけなく別れの時が来て、もはやこのまま二度と会うことはないのかもしれない。身も心も深く結び合うこともない。
 しかし、おれは自分の言葉を思い出す。別れのときに、諦めかけた言葉を投げかけた。
「会えただけでもいいし…」
 つまり、考えようによっては、おれたちは皆、いつかは死んでしまう。その点では、互いに一度しかない一生で、この大空の下で知り合うことができただけでも幸運だったのかもしれない。つかの間の、誕生から死までの限られた人生で、その出会いは何と貴重で有り難いことだったか。

 あの青春時代に、愛して燃えたおれの心に祝福あれ。愛することの出来た女性に巡り会えただけでも、幸せだったかもしれない。
 あの頃、あまりに真面目に、真剣に、精神的な恋愛で苦しんでいた。自分に気があるのじゃないか、とずっと勘違いしていた。
 振り返ってみれば、大切なのは相手の心情ではなく、おれの心の燃え上がり、精神の高揚だったのかもしれない。あの学生時代の精神生活が空虚ではなく、恋愛感情で満たされていたことが大切なのかもしれない。
 今では、会えなくても貴美子の写真を見ただけで、満足を覚えてしまう。そんな状態になるほど、二人の距離は離れてしまった。貴美子との関係は、そこまで希薄になった。

 しかし一方では、おれは、貴美子よりもっと魅力的な女性は、他にいるだろうという意識は、常に持っていた。社会人になっても、もっと女性の多い環境にいたら、おれは今よりは貴美子を忘れていたかもしれない。
 それにしても、これからのおれに、あんな熱い恋ができるだろうか。この心に、再び熱い火を点ける女性に巡り会えるだろうか。

 六月が訪れて、佐藤の社会人生活は三ヶ月目に入った。
 高田という先輩が佐藤に、ある資料を見せた。
 高田は、佐藤の係では、係長の杉山を補佐する立場にあった。富田を同じ地位だった。富田は独身で、仕事にあまり思い入れはないようだった。高田は仕事に、真面目に取り組んでいた。
 高田が見せたのは、ある刑事裁判の判決謄本のコピーだった。保管庫の奥から文書ファイルを持ってきて、広げて見せた。
「これ見て」
 この種の書類を見るのは、佐藤は初めてだった。
「内容は、懲役一年、執行猶予三年だよ」
 佐藤は後で、調べて知った。懲役は、強制的に働かされることだった。執行猶予とは、今は刑務所には入れられないが、猶予の期間中にまた犯罪を犯すと、今度は本当に、刑務所に入れられるということだった。
「どうしたんですか? 」
「職員が夜中に、店の中に客入りの調査に入ったんだ。風俗関係の店かな? 店主が腹を立ててね。文句を言った。これは仕事ですから、と職員が答えた。客入りが悪くて、店の売上げがなくて、店主はもともと、虫の居所が悪かったのかな? 」
 先輩は首をかしげて、話を続けた。
「どうも、口げんかみたいになっちゃったのかな? 店主が職員につかみかかって、どついたわけ。職員が倒れ込んでね。その時に、肩の鎖骨を折っちゃったんだよ」
 佐藤は驚いた。一歩間違えて、自分がそんな目にあったら大変だと不安になった。自分は普段、そんな危険な仕事をしているのかと、改めて思った。
「こんなこと、めったにないよ。普通に仕事やっていれば、大丈夫だよ。公務執行妨害になったんだよ。店主は犯罪者になって、裁判にかけられた。頭下げて、随分おとなしくなったらしいよ」
「公務員が相手だと、公務執行妨害になるって、傷害罪だけじゃあ済まないんですね? 普通のけんかじゃ、収まらないということですか? 」
「頭に来たからって、公務員に不要に手を出すと、あとでつけが回ってくるってことかな? 別に公務員だから、どうってことでもないけどね。ちょっとした気づかいの違いかな? その場の成り行きのせいかな? けんかになるだけ、正義感が強かったのかな? 」

 佐藤は、昼間、事務所の周りを眺めた。近くに田んぼが広がっていた。散在する建物の中には豚舎もあった。庁舎には、冷房用のクーラーは、まだ入っていなかった。夏は、窓が開け放しになっていた。その窓を通って、豚舎のハエが入ってくることがあった。
 冬はかろうじて、窓際にヒーターが設置されていた。
 佐藤は、ときどき東京に出かけて、都心から田んぼの中の庁舎に戻ってくることがあった。そんな時、環境の変わり様をしみじみと感じた。
 ある日、温泉観光地で、税務の担当職員の研修が行われた。佐藤は夜の宴会に出たあと、職場の先輩と、またマージャンをやった。いつの間にか、そのつもりはなかったが、ふてぶてしい新規採用職員というレッテルを貼られていた。翌日、先輩の阿部の車で、ダムの湖を見て回った。
 別の日には、町の中の宴会場で、新年度の職場の懇親会が行われた。佐藤は、新規採用職員としてカラオケを歌わされた。いい男だとほめてくれる人もいた。

 遠藤はある日の電話で、仲間たちの近況を、佐藤に伝えてきた。野口と美智子の関係も、とうとう終局を迎えそうだ。その連絡で、美智子が自分からは語ろうとしない事の真相を、佐藤は知った。
 同居していた学生時代、若い二人の性衝動は激しかった。その結果、美智子は図らずも妊娠した。野口は、美智子に堕胎を承知させるのに苦労した。
 野口はまだ学生の身分で、生活の先行きに見込みが立っていなかった。子どもを抱えるわけにはいかなかった。そればかりか、とうとう美智子の結婚して欲しいという願いに、満足な答えをくれてやれなかった。
 ところが、卒業によって美智子に去られてみると、野口の大学生活は味気ないものになった。いたたまれなくなって、山陽地方の美智子の自宅まで訪ねて行った。しかし、二人の関係は来る所まで来ていた。離れて暮らすうち、時は無情に過ぎて行った。
 もとの恋人のミツオ君の登場も影響を与えた。そうして野口と美智子の関係に破綻が訪れた。
 佐藤は大きな失望感に捕われた。学生時代の仲間たちの恋は、野口たちの交際に限らず、どれもこれも満足な結果を得ているようには見えなかった。
 佐藤は内心では、自分たちの青春の命運を、野口と美智子の将来に賭けていた。それが砂上の桜閣で終わってしまうことは納得できなかった。あんなにも睦まじく強く結ばれていた二人が赤の他人になってしまう。

 先輩の荒木が、夜遊びに行こうと佐藤を誘った。以前に、男性陣の特別企画と名付けて、何かを佐藤に臭わせていた。それはストリップ劇場の観劇だった。
 好色な男性職員の口の端に、その場所の話題が上ることがあった。職場の雑談や居酒屋の色話のときが多かった。
「あそこは凄いよね」
「あれは有名だよ」
「迫力が違うよ」
 その場所の経験者は口々にほめた。
「今度、みんなで一緒に行こう」
 そんな掛け声が、どこからか起こった。その伝令は、職場の女性の耳はすり抜けて、好き者の男性の耳にはいった。
 特別企画の提案者は、参加者を募った。佐藤は、荒木と同期の中山と一緒に、その企画に参加することになった。

 夕暮れ時、駅で待ち合わせた仲間の一行は、近くの居酒屋で景気づけの酒を飲んだ。
 頃合いを見計らって、娯楽の場所まで薄暗い通りを歩いていった。
 ストリップ劇場は繁華街の外れにあった。まるで秘密の場所をおおい隠すかのように、すぐ近くを高架鉄道が走っていた。
 入口をはいって料金を支払い、従業員に案内される。
 劇場の中はすでに、熱気でむんむんしている。客席はほぼ、満員状態になっている。
 舞台は明るく照らし出されている。いくつもの七色のスポットライトが回転しながら、場内のあちこちに光を送る。
 ときどき、照明を浴びた客の男たちの顔が、暗闇の中に浮かびあがる。
 人を酔わせて、性的な興奮へと誘いこむような曲が終始流れている。
 踊り子はすでに、舞台の上で踊っている。派手な色彩の薄地のドレスを、軽くまとっている。見つめる男たちに、けばけばしい笑顔を投げかける。
 目鼻立ちがはっきりしていて、表情も豊かだ。日本人ではない。どこか外国の若い娘らしい。
 男の従業員が、ショーの進行をアナウンスしている。客の一部がときどき、大きな掛け声をかける。
 客に色目を使いながら、踊り子は着ている物を一枚ずつ脱いでいく。
 乳房と股間をおおう下着は、特にもったいつけて時間をかけながら、脱ぎ捨てる。
 全裸になると、すり足で客席に近づいてくる。舞台のすぐそばに陣取っている客の目の前にすわりこむ。
 踊り子は、両脚を大きく開く。自分の手で乳房を持ち上げて、もみあげる。自分の指で股間を広げる。
 客に挑発的な視線を送りながら、自分のくちびるを舌でなめる。
 客はかぶりつきになり、顔ではにやにやと笑いながら、目はらんらんと輝かせる。
 近所の人なのか、遠くの人なのか、わからない。ただ、照明に照らされて顔がわかってしまうと、知人に見られてあとで困ることもあるかもしれない。

 そのうち、踊り子に促されて、客のひとりが舞台に上がった。
 踊り子はひざまづいて、客の顔を見あげてほほえむ。客は少し恥ずかしそうな表情を見せる。
 踊り子は客のズボンのベルトに手をかける。客は、ズボンも下着もするすると脱がされる。踊り子は客を寝かせる。
 客は刺激を受けて反射的に頭を起こし、自分の股間のあたりを見つめる。
 踊り子は頃合いを見はからい、客を抱き起こす。目を見開き、笑いながら仰向けに寝そべる。股を開いて、発情した客を両手で招き寄せる。

 この客は度胸がいいのかもしれない。なぜか堂々としている。しかし、客の表情や行動には、わずかに羞恥心が窺える。
 客はためらったあと、踊り子の体におおい被さる。
 踊り子は目をぱちぱちさせて、驚いて叫んで口を開ける。場内の音響のせいで、声は聞きとれない。
 客は嬉々として、踊り子の顔を間近に見つめ、腰を動かす。 
 しかし、踊り子は職業上の慣れなのか、無我夢中になる様子はない。客が乳房を手で触ろうとしたり、口で吸おうとすると、それをさえぎる。セックスをスポーツの一種のようなものと考えているのかもしれない。
 観衆は、三六〇度の方向から、舞台で演じられる痴態を眺めている。
 舞台は回転している。観衆はショーを様々な角度から楽しんでいる。
 佐藤たちの一行は、舞台の様子を固唾を飲んで見守っている。
 佐藤は圧倒された。ここは、外の日常的な世界とは別の異常な世界だ。
 目の前で堂々と、丸裸で性交する男と女。むき出しの性器。ショーとして繰り広げられるセックス。
 見ているのが恥ずかしくなる。一方で、性的興奮に捕らわれて胸が熱くなる。こんなあけすけな場に、警察の手入れなんてないんだろうか。
 
 ところが、このショーとは別に、舞台の後方にはカーテンで仕切られた狭い空間がある。
 舞台のショーを見ていると、自分も同じことがしたくなって、我慢しきれなくなる客がいる。しかし、人によっては、他の客に自分や自分の行為を見られるのをいやがる。そういう客は、この仕切り部屋で性行為を楽しむ仕組みになっているらしい。
 仕切り部屋には、やはり別の踊り子がいる。踊り子は手招きして、裏の舞台を好む客を客席から連れだし、仕切り部屋に導く。
 佐藤の一行の中でも、人影が動いた。
「おおっ」
 立ちあがった職員の上気した顔が動いた。スポットライトを浴びたのは、何と佐藤の同期の中山だった。
 佐藤は驚いた。
 中山の行動は意外だった。中山は、自分より性体験では上手だったのか。
 体は大柄で、性格は実直、品行方正、まじめ、紳士的というのが、職場の仲間の中山に対する一致した見方だった。
 もっとも、中山より先に二,三人の客が舞台に上っていた。中山は、ひとり異彩を放っていたわけではなかった。勇気ある男たちの中のひとりだった。
 中山は舞台に上ると猫背になり、すそ払いをするような仕草を見せた。他人の家の玄関口に上がりこむような遠慮がちな格好が、仲間たちの失笑を買った。
 控えめな態度は、踊り子の女体の入口にまで続いた。
 中山は、することは大胆だったが、そのやり方は丁寧だった。
 仲間たちは、中山の次の行動に目をこらした。
 しかし、中山は踊り子に話をつけて、表舞台ではなく仕切り部屋を選んだ。
 佐藤は、予想していた物を見ないで済んで、ほっとした。中山の裸体が漠然と見えたとしても、それ以上のものまで見たいとは望んでいなかった。
 中山はさすがに、その程度の羞恥心は持ち合わせていたようだ。自分が性交渉の最後まで行くのを見届けられては、あとで職場の仲間たちに合わせる顔がない。
 踊り子の両脚の間で尻を振り立てるのは、仕切りの向こうにしようと考えたらしかった。
 この出来事のあと、中山は職場の男たちの間では一躍有名になった。勇者としてもてはやされた。しかし、一部の者は複雑な思いで、距離を置くようになった。
 


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