第3話 天使と謎

文字数 13,729文字

 眠りから目を覚ましたベリルは、習慣的に天輪(ヘイロー)のメッセージ機能で仕事の依頼を確認する。しかしメッセージは1通も来ていなかった。
「お?今日は休みかな。」
 せっかくなので少々手をかけた朝食を作ろうと思い、ケトルのスイッチを入れ珈琲の準備を始めたところで、新着メッセージを告げるアラートが鳴った。チラシの類いだったらいいのにと思いながらメッセージを確認するが、残念ながら仕事の依頼だった。
「50分後にポータル9ねぇ。どうしようかな…。」
 ケトルのお湯は湧きかけているが、時間の余裕を利用して、贔屓の喫茶店で朝食と暇つぶしを
兼ねることにした。いつもの服装に着替え5分ほど歩くと、目的地に着く。
 店主から丁寧な挨拶を受けながら、珈琲とチーズサンドのセットを注文する。新聞を流し読みしつつチーズサンドを頬張っていると、気づけば約束の5分前だった。慌てて勘定を済ませ、走ってポータル9へと向かう。
 ベリルが着いたのは指定された時間ちょうどだった。上司のオルトルがいつものように先に来て待っていたが、到着時刻についてとやかく言われるということも無く、相変わらず眉一つ動かさない無表情でベリルを見つめていた。
「おはようございます、オルトル様。」
「おはようございます。時刻になりましたので仕事内容の説明をしましょう。」
 オルトルがやや後方を向く。ベリルもその目線の先を追うと、そこにはすでにポータルの扉が出現していた。
「本日の仕事は1日仕事となりますが、内容自体は非常に楽です。報酬は1,300ポイントとなります。」
 早く天使を辞めたいベリルとしては、ポイント効率の悪い仕事はあまり乗り気になれなかった。とは言っても、安かろうがポイントが欲しい身の上には変わりない。しょうがなくベリルは文句を心の内にしまい、引き受けますと返事をした。
「では仕事上必要なものを差し上げます。私の前までもっと近づいてください。」
「…?」
 ベリルは訳も分からないまま、言われたとおりオルトルのすぐ目の前に立つ。オルトルは懐から小さなチップを取り出すと、それをベリルの天輪(ヘイロー)に突き挿した。チップはゆっくりと天輪(ヘイロー)の中に入っていくと、完全に内部に潜り込んだ。
「あの、なんですか今の?」
「本日の作業内容を全て書き記したフローチャートです。両腕で腕組みをしてみなさい。」
 オルトルに促されるままベリルが腕組みをしてみると、目の前に半透明のスクリーンが現れた。
「えーと、『現着後、右に100m進んだのち右折し、900m直進して大通りに出る』?…つまり、今日1日これ通りに動くのが仕事ということですか?」
「理解が早くてよろしい。スクリーンは天使以外には見えませんのでどこで開いても問題ありません。読み返しは腕組みしたまま右指を、先読みは左指をタップすることで出来ますので覚えておいてください。」
 試しに左指をタンタンと数回タップして先を見てみると、ずらずらと文字列が流れてきた。そうして流し見した範囲だけでも、時間や距離などがかなり細かく指定されているのが見て取れた。1日これとにらめっこをしながらの作業の連続だと思うと、どうにも楽しい仕事には思えなない。ベリルは楽だが単純な作業の連続が大の苦手だった。
「あともう1つお渡しします。」
 スクリーンの動作確認をしているベリルにオルトルが差し出したのは、財布だった。
「重…?」
 無視できない重量感に中を覗いてみると、小銭と紙幣が限界までぎっちりと詰め込まれていた。
「ボーナス、ではないですよね。」
「仕事道具です。チャートで指定された作業で必要な場合のみ、その財布を使ってください。」
 こんなに多額の金が要る作業は何なのか、興味はあったがどちらかというと不気味さの方が強く感じられた。
「説明は以上です。最初の作業時間が差し迫っているので早く出発してください。」
「はぁ。行ってきます。」
 オルトルに追い立てられ、ベリルは適当に返事をして扉に向かう。返事を少しだけ期待したが、オルトルは無言でベリルを見ているだけだった。見送りがあるだけ上等か、と強引に前向きに捉えて、ベリルは扉の先へと進んだ。

 扉を抜けた先には、海が広がっていた。足下は潮風に晒され薄汚れた白いコンクリートで、それが10mほど伸びた先は広く高く海が広がっていた。端まで行って見ると砂浜は無く、真下にコンクリートが伸びていた。どうやら海上に建造された人工島のようだった。詳細を知りたかったが、オルトルの忠告を思い出しチャートを開く。その指示通りに右に100m進んだのち右折し、900m直進して大通りに出た。続きを読むと、『左折して700m先にある喫茶店に入り、窓際の席で25分間滞在する』と書かれていた。
「うぇ。喫茶店かぶりした…。」
 別に損をした訳では無いが、なんとなく失敗した気分になる。仕事なので仕方ないと自分を慰めて喫茶店に入ると、かなり混み合っていた。指定通りに座れるのか訝しんでいると、レジの店員が申し訳なさそうな顔をしながら話しかけてきた。
「すみません、本日ご覧の通り大変混み合っておりまして…。今お取り出来る席があちらの窓際の席のみなのですが、よろしいでしょうか?」
「いいよ。窓際大好き。」
 ベリルのおふざけに店員は微妙な顔をしながらも、席へ案内してくれた。仕事に都合のいい席が

空いているのは、上層部がなんらかの手を回したのだろう。ベリルはそのままアイス珈琲を頼んで、店員を下がらせるとこっそり帽子に隠した天輪(ヘイロー)に触れ、一部を携帯端末へと変化させる。そこそこのサイズを持ちながら、それに反する軽さと薄さから察するに、この世界はかなり科学技術の進歩した世界であることが推測できた。25分間はここに居なければならないので、それを利用して情報集めをすることにした。
「エネルギー開発と海洋資源研究を兼ねた実験的な施設…ん?オープンキャンパス?」
 届いたアイス珈琲を飲みながら今居る人工島の公式ネットページを眺めていると、目を惹くポップアップがあった。それを開いて中身を見てみると、今日は人工島唯一の大学のオープンな学園祭が行われるとのことだった。よくよく周りを見渡してみると、8割ほどが様々に着飾った学生たちだった。学園祭開始前のティーブレイクに来ているのだろう。揃いのロゴの入ったビビットな色合いのシャツを着ていたり、いくつも飾りの付いた衣装を着ていたりと、華やかな服装をしていた。ベリルは劣悪な貧民街の生まれだったので、彼らのような楽しい青年時代の思い出は全く無い。そのまましばらく羨ましい一心で談笑する学生達を眺めていた。
 10分ほど経つと、1つのグループが席を立ったのを皮切りに、他の学生達も続々と会計へと向かっていった。ベリルが携帯端末で確認してみると、開場時間の15分前だった。どうやら準備に向かうようだ。だが、ベリルはまだここで待機していなければならない。店を出て行く学生達を目で追っていると、通りの人出がかなり増えているのに気付いた。ベリルから見て左から右へ、男女様々な世代の人波が流れていく。右手にあるのは学生達もそちらへ向かってったことから察するに、大学だろう。では左手にあるのは何なのか、ベリルは気になって携帯端末のマップ機能で調べてみると、島外からの運送船用の港がある事が分かった。まだ時間は余っているため、仕方なく人工島についての情報をネットで調べるが、小難しくてあまり楽しい読み物では無かった。それでもなんとか指定時間の残り2分まで時間を潰し、ベリルは腕を組んでスクリーンを呼び出して次の作業を確認する。次の指示は『店を出て、右に直進した突き当たりの広場で楽器を演奏している男の曲を1曲聞く』とあった。
「なんなんだこの仕事…全然関連性が分からん…。」
 とりあえずベリルは席を立ち、会計を済ませるときっかり滞在時間25分で店を出た。

 広場に向かってみると、既にかなり賑わっていた。何台ものキッチンカーや仮装した学生達が観光客と戯れていた。ベリルがその様子をしばらく眺めていると、目的の相手が見つかった。広場の隅で、フルートを吹いている男だ。広場の賑わいに音がかき消され気味で、たまに立ち止まって聞き入る人が居ても、すぐに立ち去ってしまっていた。だが、ベリルには関係ない。不自然にならないよう気をつけて男の方まで歩いて行き、いかにも興味を惹かれたと言う体で男の前で立ち止まる。線の細い、中性的な容姿の男だった。じっと立ち止まるベリルに男は少々驚いたようだが、軽く会釈をすると演奏を続けた。
(お、結構上手いもんだ。)
 天使の耳でしっかり聞いてみると、音楽に詳しくないベリルでも心揺り動かされる美しい演奏だった。音には粗が無く繊細で、難しそうなテンポのパートでもそつなくこなす。ベリルは1曲終わるまで聞き惚れた。
「あの、ありがとうございます。聞いていただけて嬉しいです。」
「いやいや、いいもの聞かせて貰ったよ。」
 男は和やかな微笑みを浮かべてベリルに感謝する。ベリルも応じながらさりげなく腕組みをし、次のチャートを確認した。そこには『財布の小銭を全部投げ銭して、もう1曲聞く』と書かれていた。それを読んだベリルの微妙な表情に男はどぎまぎするが、ベリルは指示通り財布を取り出すと、小銭入れを開けてその中身を開いておいてあったフルートのケースに全てぶちまけた。
「えっ、そんな、いただきすぎですよ!」
 男が驚くのも無理は無い。小銭と言ってもいい料理屋で食べられるくらいの金額はある。だが無論ベリルにとっては単なる仕事道具なので未練も無い。
「いいから、取っときなって。あんた上手いしさ。もう1曲聞かせてくれればそれでいいから。」
 上手いと評され、男は照れ笑いを浮かべる。
「でも、本当にいいんですか?」
「いいんだ。…それじゃあこうしよう。見返りに1個だけ注文を付けてもいい?」
「勿論です。」
「もっと大きく吹ける?他の人にも聞こえるくらい。」
 男はしばし躊躇していたが、やがてにっこりと笑った。
「分かりました。やってみます。」
 男は大きく息を吸って整えると、フルートに口を添える。今度は広場の騒音を引き裂いてフルートの旋律が鳴り響いた。多くの人が足を止め、曲に耳を澄ます。やがて1人、また1人と観客が集まり、吹き終わる頃にはかなり大きな人だかりになっていた。拍手が巻き起こり、小銭が何枚もフルートのケースに投げ込まれ、もう1曲と催促の声が上がる。男は恥ずかしがり屋のようで、恐縮ですと繰り返しながら何度も頭を下げていた。それを見届けると、ベリルはそそくさと人だかりを抜け、次の目的地へ向かう。名残惜しかったが、作業はまだ山積みだった。

 広場から大学までの通りでチャートを確認をすると、『校門前で左折し、最初の信号機付き交差点で右折し、突き当たりまで直進する』と書かれていた。つまり、大学の横側に向かうことになる。そんなところでする用事などとても思いつけない。気になってチャートの先を読んでみると、『パワーハラスメントをやめさせる』と書かれていた。
「ん?これだけ?」
 もう少し先を読んでみたが、次の項目は全く違うことが書かれていた。
「なんでこんなぶつ切りな指示をするかな…。」
 腕組みをやめてベリルは大学の校門までたどり着くと、そのまま左折する。校門で呼び込みをやっていた学生達が怪訝そうに見てきたが、他の客の応対へとすぐ戻っていった。大学はかなり大きいようで、最初の交差点まで中々の距離があった。交差点に着いて、念のためと大学の敷地柵に身を隠しながら耳をそばだててみると、話し声が聞こえた。どうやら2人組の男で、一方の男がきつい口調で詰り、もう一方が小さな声でなんとか返事をしているようだった。ベリルはチャートで指定された相手と確信して、陰から飛び出した。
「おい、ハラスメントをやめろ。」
 言い放ってから、かなり間抜けな言い回しをしたなと後悔した。言われた2人組も、突然の出来事にぽかんとしてまじまじとベリルを見つめる。見つめられる緊張が後悔と混ざってベリルは混乱し、考える間もなく口を開いてしまう。
「あー、やめろ、そういうの。ハラスメント?よくない。よくないから…。」
 いきなり出てきて狼狽えまくるベリルの様子は、2人組には滑稽を通り越して不気味に見えたようだった。目を逸らしながらベリルの横を足早に過ぎ去っていく。ベリルは気恥ずかしさで真っ赤になりながら、チャートを開く。さすがにこれ以上に酷い作業は無いだろうとベリルは思っていたが、残念ながらより酷そうな作業が待っていた。チャートに書かれていた次の作業は『30分以内に3人の女性をナンパする』だった。ベリルが何度読み返しても指定された相手は“女性”だった。
「ダメだ、もう理解できない…。」
 ベリルは思考を放棄して大学の方向へと引き返す。一番人の多そうな港から大学までの道で相手を見つける算段だった。アテ通りに路上は多くの人で賑わっていた。ベリルは目を凝らして1人でいる女性を探す。少し離れたところに、ボードを持って1人で立っている女性が見つかった。学生にしては大人びすぎているので、おそらく協賛企業のブースへの案内係だろう。ベリルは腹をくくってその女性の前へと向かった。
「こんにちは!もしよろしければあちらに当社の特設ブースがございますので、是非お越しください!」
 綺麗な営業スマイルだった。そのまま宣伝用のポケットティッシュを渡そうとした手を、ベリルはベリルは両手で掴んだ。
「ちょっとあっちでお茶しない?」
 女性は笑顔は維持しながらも、かなり困惑していた。気まずい沈黙が数秒流れる。
「すみません、その、そういうのは間に合っていますので…。」
「いや、ごめん。これお詫び…。」
 ベリルは財布から紙幣を1枚取り出すと無理矢理に女性に掴ませ、足早に去る。後ろから慌てて呼び止める声が聞こえてきたが、ベリルは人混みに紛れて振り切った。そのまま勢い任せに近くに居た女学生に話しかけるが、不審そうにチラと目をやっただけで返事もせず言ってしまった。
「よし、あと1人…!」
 ベリルは躍起になって最後の相手を探す。そうしていなければ恥ずかしさでどうにかなりそうだった。人混みをかき分けながら辺りを見回すと、両手で荷物を抱えた1人の女学生を見つけた。ベリルはのしのしと接近し、女学生の肩をポンと叩いた。
「きゃあ!な、なんですか!?」
 かなりオーバーな驚きようだった。持っていた荷物を落としかけていたので、ベリルは落ちないよう支えてあげながら話しかける。
「ちょっとあたしとお茶しない?荷物なら持ってあげるしさ。」
 あとはお断りの言葉をもらうだけ。そう考えていたベリルに対し、女学生の反応は意外なものだった。
「え、い、いいんですか!?私、その、こういうの、初めて、で!」
「!?いやいや、ちょっと待った!いいとか初めてっておい、あたし女だぞ!?」
 女学生は顔を真っ赤にしてものすごく照れていた。どうやらその気があるようだった。全く想定外の自体にベリルは大混乱だった。
「そうなんですけど、お姉さんカッコイイし、ちょっと、ドキッとしたっていうか…。」
「いやしないしない!そのほら、冗談!悪ふざけだから!ごめん忙しいとこ邪魔しちゃってそれじゃ!!」
 丸く収める手立てをベリルは思いつけなかったので、荷物をボスンと女学生の手の上に乗せ返すと脱兎のごとく逃げ出した。走って走って、ようやく人気の無い路地裏に辿り着くと、煙草を吸ってなんとか落ち着きを取り戻した。
「あーもう!なんなんだこの仕事は!割に合わん!」
 
 しかしその後も、面倒で意味不明な作業が続いた。通行止めのバリケードを複製したり、着ぐるみを無断拝借して練り歩いたり、自動販売機の小銭受けに蜂蜜をなみなみに注いだり、とベリルは奔走した。そしてようやく、チャートで『20分自由時間』の指定が現れ、一休みすることが出来たのは夕方になってからだった。
「はぁ、疲れた…でももうだいたい終わらせたはず…。」
 近くのキッチンカーで買ったバナナシェイクをゆっくり味わって飲みながら、腕を組んでチャートを呼び出す。残る仕事は後5つだった。
「『学園祭中央ステージのバックヤードへ侵入する』か。その次が?」
 左指を1回タップすると、『最初に会ったギタリストにギターを売ってくれるよう交渉する』というテキストが表示された。
「そのためのこの金か。」
 ベリルは財布を覗く。何度か使ってしまったがそれでもまだ分厚い束となって紙幣が残っていた。それにしても、とベリルは思う。やはりこの仕事の意義が分からなかった。人助けかと思えば嫌がらせのようなこともしているし、一貫性が無い。何か深遠な意図があるのではないかと邪推したが、隠蔽はしない指向のオルトルが『簡単な仕事』と言い切った以上その線は無いだろうと思った。
「まぁいいや、さっさと終わらせてやる。」
 ベリルはバナナシェイクを一気に飲み干してゴミ箱に投げ入れると、端末で大学の見取り図を確認する。中央ステージ裏手には、裏門からまっすぐ進めばあまり目立たずに済みそうだった。ぐるりと大学外苑を回って裏口まで行くと、予想通り人影はステージ上の行事の運営をする学生達しか居なかった。ベリルは念のため隠蔽(カモフラージュ)魔法を使う。その作用で他の人間はベリルの存在に違和感を持てなくなるため、ステージバックヤードに堂々と侵入出来た。ありがたいことに、対象とおぼしきギタリストはすぐみつかった。真剣な顔で、ギターの細部をチェックしていた。ベリルは隠蔽魔法を解き、ギタリストに話しかけた。
「なぁちょっと、お願いがあるんだけど。」
「うわ!って誰?ここステージ関係者以外立ち入り禁止なんだけど…。」
 ギタリストは多少慌てながらも案外冷静にベリルを見咎める。確かにハンチング帽にコートという風体のベリルは明らかに関係者ではない。他の人間を呼ばれて厄介事になるのは御免だったので、ベリルは一方的に話を始めた。
「そのギター売ってくれない?金なら結構用意したからさ。」
 ベリルは財布を取り出すと、中を見せる。ぎっしり詰まった札束にギタリストは目を丸くして驚いた。
「それだけあったら新品のギター2本は買えるぜ?何も俺みたいな型落ちのをわざわざ買わずに新品買いなよ。」
「レトロギターの収集家なんだ。」
 ベリルは適当な嘘をついた。ギタリストは信じていないようだが、ベリルにとってはどうでもよいことだった。交渉さえすればベリルにはその成否は問題ではない。ギタリストは少し押し黙ると、ギターをいじりながら返事をした。
「悪いけど、これは売れねぇや。これから演奏始まるし。」
「終わってから売ってくれればいい。」
 ベリルは一応代案を出してみたが、ギタリストは首を横に振った。
「これさ、親父のお下がりなんだ。親父も昔ギター好きでサークル入ったんだけど、才能なくてステージに上がれなかったらしい。」
 ベリルは続きを促した。
「それで、俺が音楽サークル興味あるって言ったら、使えってくれたんだ。そんで、ついでに『こいつをステージに立たせてやってくれ』って頼まれてさ。だから限界までこいつと演奏したい。だから売れない。…いい提案だとは分かってるけどさ。」
「いいんだ、そういう事情があるなら無理は言わないよ。悪かったな、忙しいところで変な話をしてさ。」
「気にしてないって。」
 作業は終わったので、ベリルは他の者に見つからない内にとバックヤードを足早に立ち去る。ステージ見ていってくれよと呼びかけるギタリストの声が聞こえたが、惜しいことに次の作業が迫ってきていて、見ている時間は無かった。それでもサムズアップで返事をして、ベリルは最後の目的地へ向かった。

 指定されたのは中央ステージからそこそこ離れた位置にあるビルだった。今日は休みのようで誰も居なかったので、柵を乗り越えて敷地に入り、侵入する。
「あれ、何階だったっけ。4だったか3だったか…。」
 セキュリティシステムを隠蔽魔法でやり過ごし、階段に脚をかけたところでフロアの指定があったことを思い出した。チャートを開いて見てみると4階だった。ついでにその先の作業を見てみると、『中央の窓を開ける』『携帯端末で15分間電話をかける』『花火を見る』の3つの作業が書かれており、その先は無かった。つまり、電話しながら花火を見るのが今日の最後の作業となる。
「電話?誰にだ?」
 携帯端末は今日初めて手にしたものなので履歴も何も有りはしない。だがアドレス帳機能に1つだけ連絡先が登録されていた。そこには『オルトル』と表示されていた。
「なんでだよ。」
 なぜよりによって、いつでも話せる上司になぜわざわざ電話をかけなければいけないのか。あまりの馬鹿馬鹿しさにベリルは天を仰いだ。出来ることならチャート作成者に殴り込みをかけたいとすら思った。そんな呆れと怒りが混じったもやもやを抱えながら目的地の4階に到達し、窓を開け放つと端末の連絡先欄をタップする。コール音が2回鳴り、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「はい、オルトルです。お疲れ様です。」
「あー、はい。お疲れ様です。ベリルです。」
 オルトルの声色はいつも通りの揺らぎ無い声だった。おそらく電話がかかってくることは事前に知らされていたのだろう。
「15分間の会話でしたね。始めましょう。」
「はい。…えーと、何を話しましょうね。」
 チャートの意味不明ぶりのせいですっかり忘れていたが、電話の会話内容をベリルは用意していなかった。ちょっとだけ黙ってみたが話を振られることは無く、オルトルの方から話してくれる気は無いようだった。
「そうですね、それじゃあ…結局今日の仕事の目的は何だったんですか?」
「知りません。」
 試しに一番気になっていたことを聞いてみたが、すげない返事だった。
「オルトル様の立案じゃないんですか?」
「そうです。私は立案にもチャート作成にも一切関わっていません。あなたに仕事を与えて、最後に電話を受ける。それだけを命じられています。」
「なんか気にならなかったんですか?」
「気にすることは私の役割ではありませんので。」
 相も変わらぬ四角四面な仕事ぶりに、ベリルは呆れ果てた。こんな相手に仕事や先行きを握られていると思うと、げんなりして思わずため息が漏れた。
「気にした方が良いですか?」
 しかしオルトルからは珍しく疑問が提示された。予想外の反応にベリルはどう答えたらいいかしばし思案したが、思い切って答えてみた。
「その方が仕事はしやすくて助かりますね。」
 返事はすぐには返ってこなかった。普段ならバッサリと無味乾燥な返事を即答してくるだけに、かなり意外だった。
「私は純正天使の中でも造りが粗い分類に入ります。ゆえに心情というものに明らかに疎いのは認めざるを得ないでしょう。」
 いつもの事務的な会話とは少し様子が違った。ベリルはまた答えに迷ったが、続きを聞くことを選んだ。
「そういう造りの差ってあるんですね。」
「あります。私程度に役割が限定的な者は、情緒面は最低限に造られています。その方が全体を回すのにスムーズだからです。」
 ベリルは『社会の歯車』というワードを連想した。神に造られ、一定の役割だけをこなし続けるその在りようはかなりマッチしていた。
「でも、今日は何かが気になると?」
「常々考えてはいるのですよ。我々は生きる者達を管理することが至上命題ですが、そこに心情を慮って寄り添うことも必要なのではないか、と。」
「よく分からないですけど、ちょっとは優しくしたい、みたいな話ですか?」 
「そういうことです。私とて嫌われたくはありませんから。」
 思ってもみないオルトルの言葉に、ベリルは目を丸くして驚いた。そして何かこそばゆい、表現しがたいがプラスな感情も覚えた。何か返事をしようとした瞬間、ドンと大きな音がした。音のした方を見てみると、鮮やかな花火が上がり始めていた。
「オルトル様、見て下さい。花火ですよ。」
 携帯端末にはカメラ機能も付いていたので、ベリルはそのレンズを大輪の花火が輝く夜空へと向けた。
「綺麗ですね。」
 オルトルは相変わらず感情のこもっていない声色だったが、ひょっとしたらそれは上手く心が出せていないだけなのかもと思うと、ベリルは気にしないでいいかと受け止めることができた。
「えぇ、綺麗ですね。」
 2人はそれ以上言葉を交わさず、花火に魅入っていた。

「時間が来ました。帰還してください。」
 花火がいよいよクライマックスを迎えようかというタイミングで、オルトルが帰還を促した。
「了解です。」
 名残惜しかったが、天使の仕事は時間厳守だ。開け放っていた窓をそっと閉めると、花火の音も、それに沸き立つ観衆の声も急に遠くなった。
「フロアの入り口扉をワープポータルと直結しましたので、使ってください。」
 見てみると、確かに扉が白く輝いていた。ベリルは扉のノブに手をかけ、ゆっくりと開く。結局は仕事の意味は不明だったが、なんとなくいい1日だった気がした。
「終わりよければ、かぁ。我ながら単純だな。」
 苦笑いしながら、ベリルは天界へと帰還した。


********************


 俺はガンベラ。昨日までは駆け出しの悪魔、今日からは1人前の悪魔だ。長い下積みを経て、今日からようやく1人での活動の許可が出た。と言う訳でスタートダッシュとして、魂の契約を取り付けに来た。行く先は祭りが催される人工島。浮かれた雰囲気の祭りは、隙の出来る奴や、逆に雰囲気について行けず淀む奴が多い。絶好の狩り場と言えるだろう。
「ぐっ、しかし、席は予約しておくんだったな…。」
 なるべく天使どもに悟られないようにと連絡船で乗り込むことにしたが、想定の3倍くらいには寿司詰めに押し込まれ、息苦しいほど圧迫されている。
「早く、着け…。」
 ようやく到着を知らせるアナウンスが告げられ、港に降りた時にはもうへろへろだった。手近な露天で飲み物を買って、ゆっくり啜って小休止。『仕事には余裕を持って』が俺のモットーだ。しっかり悪魔らしい威厳をもって契約を迫るのが定石というものだ。
「よし!行くか!」
 飲み干したボトルを投げ捨て、まずは近くにある広場に向かう。港からは大通りを直進すれば良さそうだ。人混みを交わしながら歩いている途中、ハッと嫌な気配を感じた。俺はそういう気配探知に優れているのが幸いだった。周りを観察してみると、喫茶店に天使が居た。窓際の席で携帯端末をいじっていてこちらにはまだ気づいていない。
(どうする…このまま行くか?いや、かち合ったりしたら面倒どころでは済まないぞ…。)
 仕方なく俺は細い路地に身を隠し、天使が移動するのを待つことにした。幸い5分ほどで天使は立ち上がり、喫茶店を出て広場の方向へと歩いて行った。
「ふぅ、ヒヤヒヤさせやがる。念のためもう少し間を置くか。」
 万全を期して時間を置いてから路地を離れる。しかし置いた時間の分人通りが増えており、思うように広場まで辿り着けない。そうしてやっと広場にさしかかろうというところで、微かにフルートの音色が聞こえてきた。
「お、ミュージシャンか。いいじゃねぇの。」
 ミュージシャンは挫折しかけていたり、大きな野望を抱いていたりする者が多く、その分契約の成功率も高い。格好のターゲットだ。人波に押され、やっと広場に辿り着いた瞬間、フルートの音色が変わった。先ほどよりもずっと力強い、美しい演奏だった。
「おいおい!なんだよ一体!?」
 当然周りの観光客も気を惹かれ、俺は半ば流されるような形でフルート奏者の前に辿り着いた。演者の男の顔は自信に満ちた凜々しい顔つきで、どう見ても挫折とは縁遠い。野望方面に期待をかけて演奏が終わるのを待っていたが、周囲の観客の拍手喝采に縮こまってペコペコと頭を下げている様子を見るに、野望を抱くタイプでは無さそうだった。
(アテは外れたが、なぁにまだ時間はあるんだ。天使に気をつけつつ次行くぜ次!)
 俺は気持ちを切り替えて、次のターゲット探しに向かった。

 広場から祭りの中心である大学までブラブラと歩いてみたが、めぼしい相手は居なかった。大学の校門前で思案していると、近くで特設ブースを構えている協賛企業のセールスに捕まった。なんとか切り上げようとするが言葉巧みに言いくるめられ、しばらく話を聞かされるハメになった。
「クソ、悪魔なのにセールストークで負けるなんて、恥ずかしいぜ…。」
 とりあえず大学構内に入って探ってみるが、めぼしい気配は案じられない。ぐるぐる歩き回って裏門まで行き着いてしまった。そのまま戻っても意味は無いので、裏門から左折して大学外苑を歩いてみることにした。すると、意外にも強い負の感情エネルギーの気配を感じ取った。
「よし、これならイケる!」
 プラン立てをしながらのしのしと歩いて接近する。が、突然負の感情エネルギーがふっと消えた。
「なんで!?」
 遠くから分かるほどのエネルギーがこんなに急に消えるなど、とても考えられないことだった。俺は走って気配を感じた先まで行ったが、そこには誰も居なかった。
「そんな…。」
 俺は呆然と立ち尽くし、途方に暮れた。『逃した魚は大きい』という格言もあるように、高かった期待値分のがっかり感はかなりのものだ。
 立ち直るのにちょっと時間が欲しかったので、大学内に入って催しモノを見て気分転換を図った。繰り返しになるが『仕事には余裕を持って』が俺のモットーだ。ここで焦って下手な手を打ってはそれこそ格が下がるというものだ。
「よし!改めて行くぞ!」
 やっとがっかり感を消化できた俺は、次なる手を考えた。ずばり、ナンパだ。自分で言うのも何だが俺はモテるルックスをしている。祭りで浮かれた女学生でも見つければ簡単に釣れるだろう。
 そのための目的地として、一番人の多そうな港から大学までの道を選んだ。大学を出て道を見渡すと、アテ通りに路上は多くの人で賑わっていた。ゆっくり歩きながらターゲットを探していると、ちょうど1人で露天やブースを眺めている女学生を見つけた。人波をかき分け接近し、手を伸ばしながら声をかける。
「ねぇそこの君。ちょっ」
 言い終わる前に、伸ばした手を誰かにがしっと掴まれた。何事かと見てみると、がっしりとした体躯の警備員に掴まれていた。
「ちょっとこっちまで来てくれる?」
 有無を言わさぬ勢いで警備員は俺を引っ張っていく。女学生はぽかんとした顔でその様子を眺めていたが、やがて興味を失って顔を背けられた。
「おいなんだよ!」
「なんだよじゃないよ!さっきから怪しい奴がやたらに声をかけまくっているって苦情があったんだよ。」
「はぁ?俺じゃねえよ!ここにはさっ」
「言い訳はいいから。犯罪とは言わないにしろ節度ってものがあるでしょ?これ以上やると本当にしょっぴくよ。」
 警備員は完全に俺をナンパ師だと決めつけ、厳しく叱ってきた。こういう場合反論したところで時間が長引くだけだ。大人しく叱られて俺は立ち去らざるを得なかった。
「…切り替え、切り替えだ!まだ半日あるんだ…。」
 俺は萎えかけた心にハッパをかけ、またターゲット探しに戻った。

 しかし、その後も全く上手くいかなかった。裏路地の柵を乗り越えてショートカットしようとしたらその陰にもう1つ柵があって引っかかり派手に転んだり、いいターゲットを見つけたのにデカい着ぐるみとそれにまとわりつく観光客の群れに阻まれて見失ったり、気分転換に自動販売機で飲み物を買って釣り銭をとろうとしたら、なぜか小銭入れがハミチツまみれで手がベトベトになって却って気分を害されたりと、失敗の連続だった。
 もう夕方も過ぎ、夜が近づいている。流石にそろそろターゲットを見つけたい。どうすべきか考えていたところ、そばを通る学生がこの後のステージイベントの話をしていた。
「…!」
 急いで携帯端末を取り出して学園祭の情報を見ると、ステージイベントの演目に音楽サークルのライブがあった。
(これだ…!駆け出しミュージシャン!こいつらを釣る!)
 大学まで戻り、校門で配られていたチラシに載っている地図を頼りに中央ステージに辿り着く。ちょうど音楽サークルの面々が自己紹介をして、演奏に入ろうかというところだった。
(さぁて、お手並み拝見だ。悩み苦しんでる奴を見つけて契約させて…!)
 そして演奏が始まった。出だしのドラムもボーカルも平凡といったところだった。しかし、ギターが違った。格別上手いわけでは無い。だが、熱意が違った。圧倒的に見るものへ叩きつけるような勢いがあった。その熱意は他のメンバーへも伝染していき、演奏の質が格段に上がった。観客も大盛り上がりだ。
「あぁ…これは、ダメだ…。」
 こんなに輝いている連中が悪魔に縋る訳がない。俺は続々と駆けつけてくる観客の波に逆らうようにステージを抜けだし、大学から出た。もうアテがない。俺は最後の望みを賭けて適当に路地を歩いてみることにした。
 しかしいいターゲットは見つからず、気づけば人気のない場所に来ていた。すっかり日も落ち、あたりはほぼ真っ暗だった。仕方ないので戻ろうとすると、向こうの空で花火が弾けていた。その明かりに照らされて、ビルから身を乗り出している人影に気づいた。
「あ、あいつ…!今朝の天使じゃねぇか!」
 ハンチング帽とその下のボサボサの赤髪は、間違いなく朝に喫茶店で見た天使だった。
(もしや俺は…1日あいつの手の上で踊らされていたのか…?)
 そう考えると、ついに俺は萎えきってしまった。幸い天使はなぜか花火に携帯端末を向けるのに気が向いていて、俺が居るのはまだ気づいていないようだ。気づかれる前に逃げ出すほか無かった。
「あぁ、初仕事は大失敗か…情けねぇ…。」
 がっくりとうなだれながら、俺は魔界へと帰還した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ベリル


元人間の6級天使。人間に戻るために仕事を請け負っている。情に流されやすい。

赤みがかったボサボサのロングヘアーの女の子で、服装もテキトーに選んでいる。

オルトル


ベリルの上司にあたる4級天使。純正天使なので人間味がほとんど無く、いつも事務的。

薄金色の白髪で、天使のイメージだいたいそのままの姿をしている。

ルマリ


元人間の特務6級天使。ベリルが人間であった頃から仲の良い友人。

薄灰色のショートヘアに青い瞳の、小柄な女の子。気弱な性格で、表情が顔に出やすい。

服装は仕事用の黒いローブを纏っている。

オブシディオ


元人間の特務6級天使。ベリルの最も古い顔馴染み。

身長2m近くのマッチョな男で、厳つい顔つきのため威圧感があり天使っぽくはない。

お洒落のセンスは高い。

ゼヘキエル


天使消失事件の調査チームを率いる、2級天使。

その強さゆえに自信家で、ちょっと高圧的。

アイオラ


天使消失事件の調査チームの1人で、情報操作や認知改竄を得意とする4級天使。

小柄で温和な話しやすいタイプ。

ドロウズ


天使消失事件の調査チームとしてベリルと同行していた、3級特務天使。様々な剣に変身したり出したりする能力がある。

後日、たまたまカジノに行くベリルと再会して同行する。

非常に情緒に乏しい割に、突飛な行動をしてベリルを悩ませる。

エグネヴィア


ベリルがばったり出くわしてしまった”眷属級”の悪魔。

所属は羊。

とある理由からベリルと対話をすることになる。

ダイア


ベリルが人間だった頃の、1番の友人。

ベリルの罪の原点。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み