第5話 天使と賭け事(前編)

文字数 13,272文字

 毎日と同じ時間にベリルは目を覚ます。昨日眠りに入ったのは、本を読み切るために2時間ほどいつもより遅かったが、身体に全く支障は無かった。そういう天使の機能性の良さは相変わらず便利だった。
 ベッドに腰掛けつつ天輪(ヘイロー)から新着メッセージを見てみると、既に上司のオルトルから1通来ていた。中身は簡潔だった。
『今日も休日とします』
「またかぁ。」
 ベリルはばふんとベッドに倒れ込む。昨日も一昨日も仕事が無かったので、今日含めて3連休だ。ベリルの数少ない趣味は読書だがそれも3日も続くと飽きが来るし、何より仕事をしなければ人間に戻るという目的には近づけない。無為な休みにベリルは鬱屈としていた。
 ひとまず気分転換に朝食を多少豪勢なものにすることにした。トースターでパンを焼きながら、フライパンで目玉焼きを作りつつベーコンも焼く。サラダも付けようかと冷蔵庫を開けようとしたとこで、天輪(ヘイロー)がポンと鳴って誰かからメッセージが届いたのを知らせた。試しに覗いてみると、意外な相手だった。
「オブシディオ…?」
 オブシディオはベリルが人間だった頃からの1番古い友人だった。彼もベリルと共に罪を犯し天使にされていたが、所属するエリアがかなり離れて居るので疎遠になっていた。最後に交わしたメッセージもずいぶん前だ。今日は何の用か気になってベリルはメッセージを開いてみた。
『久しぶりだな!実は最近カジノのプロデュースをしてな、暇なら見に来いよ。遊ぶための軍資金もおまけで付けとくぜ』
 メッセージに添付されていたデータを開いてみると、20万エンが確かに添付されていた。
「怪しい。相変わらず嘘の下手な奴だな。」
 ベリルの月々の給料が25万エン。オブシディオも等級は同じ6級なのでだいたい似たようなものだろう。給料約1ヶ月分の金をポンと送って寄越すなど、何かの罠と疑わざるを得ない。念のため天輪(ヘイロー)で情報を調べてみると、確かにとある大手カジノのリニューアルオープンが宣伝されていた。おそらくカジノのプロデュースをしたことまでは真実なのだろう。
「どうしような、のってやるか?」
 パンに焼いたベーコンと目玉焼きを乗せ、簡単なサラダを作りながらベリルは考える。中々決めることが出来ず、朝食にありつきながら迷い続けた。
「まぁ、行ってやるか。金も貰ったしな。」
 面倒ごとだったらさっさと逃げればいいし、前金を貰っておいて無反応というのもベリルの性に合わなかった。ベリルは『行く。』とだけメッセージを返すと、出かけるための服装に着替える。白地に黒色で模様が印刷されたTシャツと、黒いジーンズと、シルバーのシンプルなデザインのネックレス、のお気に入りのセットだ。天輪(ヘイロー)を隠す必要も無いので帽子は置いていった。

 身なりを整えると、ベリルはワープポータルではなく駅へ向かう。カジノがあるエリアは遠いので、乗り換えを挟んで2度電車に乗る必要があった。向かう道中で大きな広場に入ったところで妙な天使を見つけた。金髪碧眼の美少年な容貌だが、段に腰掛けながら左手を少し掲げ、掲げられた手はスライムのようにぶにぶにと変形して様々な剣の形になっては溶けていく。どこかで見た天使な気がするが、思い出せない。気になって立ち止まっていたら、向こうも気づいたらしく声を掛けてきた。
「おはよう ひさしぶり」
「あ、はい。おはようございます。」
 ベリルは内心まずいことになったと困っていた。やはり顔見知りのようだが、どうにもどこで知り合ったのかが思い出せない。どうやってごまかそうか必死で考えるベリルだが、相手の天使から助け船が出た。
「この間の悪魔は強かった」
「悪魔…あぁ、あの眷属級?でしたっけ。すごい奴でしたね。あれは怖かったです。」
 やっとベリルは思い出せた。少し前の2級天使消失事件の際に同行した天使だった。たしかドロウズという名前の、剣に変身する能力を持った3級特務天使のはずだ。
「そういえば一撃もらってましたけど、もう傷は大丈夫ですか?」
 記憶が正しければ、かなり深く袈裟懸けに抉られていたはずだった。悪魔との戦闘後すぐどこかに連れて行かれていったので、その後の経過はベリルは全く知らない。覚えていなかったのはそのせいだった。
「もう大丈夫 修理してもらった」
「修理?」
 妙なワードチョイスにベリルが首をかしげる一方、ドロウズは抑揚の少ない口調で淡々と答える。
「僕はいろんな聖剣のレプリカの集積体なんだ」
「聖剣の、集積体…。」
「簡単に言えば 自分で動く鞘」
 そこまで聞いてベリルにもようやく理解できた。ちょっと興味が出てきたので左手のことも聞いてみることにした。
「ところでその左手、リハビリか何かでもしているんですか?」
「当たらずとも遠からず」
 ドロウズの左手は銀の大剣に変化したかと思うと、波打つように崩れていき最後には手の形に戻った。
「僕の役目は天使様や神様の武器になることだから こうして動作確認しているんだ」
「なるほど。特務天使なのはそこ由来ですか?」
「うん」
 2人の間に沈黙が流れる。ドロウズは情緒に乏しいらしく口数が少なく、ベリルもそういう相手と話に華を咲かせるほど饒舌なタイプではない。気まずくなる前にベリルは逃げ去ることにした。
「すいません、そろそろ失礼します。ちょっと行くところがあるので。」
「行くところ」
 ドロウズの話し方は抑揚が少ないため分かりにくかったが、おそらく行き先を聞かれているのだろうとベリルは判断した。
「カジノです。昔なじみに遊びに来いと誘われましてね。」
「カジノ」
 ドロウズはそれだけ言ってベリルを見つめる。その顔は無感情でそこから何を考えているのか全く読み取れない。困惑からベリルはどうしていいか分からず、立ち去れずに次の言葉を待つしかなかった。
「僕も行きたい」
「……はい?」
 予想外の一言はベリルの理解を超えていた。目の前の無表情の天使がギャンブルに興じる姿などとても想像できない。せいぜいポーカーは強いだろうなと思うことしかできなかった。
「楽しそう」
 全く楽しそうに見えない表情でドロウズは淡々と喋る。情緒面は本当にろくに造られていないようだ。あくまで自律稼働する武器としてしか考えられていないのだろう。
「本気ですか…。」
「君が嫌ならいい」
 ベリルはかなり迷った。正直に言って一緒に行きたくはない。どう考えても同行して楽しい相手ではないし、なにより相手の地位がかなり高い。おそらくずっと気を遣いながら過ごすことになり、より楽しくなくなるのは自明だ。
 しかしメリットが1つあった。それはオブシディオが何か企てていた際に、威光を借りて凌げることだった。そしてオブシディオはほぼ100%何かを企てている。ベリルが切れるカードとして考えると同行させるのは魅力的だった。
「…いや、大丈夫です。行きましょう。」
 結局ベリルはメリットをとり、同行させることにした。ベリルが駅の方向へ向かっていくと、ドロウズは立ち上がってその後から付いてくる。6級天使が3級特務天使を引き連れているのはかなり浮いていて、そこら中から視線が突き刺さる。ベリルはやっぱり断ればよかったかと後悔したが、1つのギャンブルとして許容することにした。

 駅に到着したが誰も居なかった。いつもなら仕事に向かう天使や、次の生まで待期中の死者たちで多少なりとも賑わっているのだが、今日は1人もいない。天界全体が今日は暇な日なのだろうかとベリルは邪推した。
 駅の自動改札に向かうと、天輪(ヘイロー)の端が赤く光ると共に電光表示で『260エン』と表示され、ポンという軽快な音と共に改札が開く。そのまま駅のホームへ向かうベリルの後ろで、ビーという低いブザーが鳴り響いた。何事かと後ろを向くと、ドロウズが改札に阻まれて立ち往生していた。
「何やってるんですか。」
「わからない」
 ベリルが困惑していると、駅の事務室から車掌が走ってきた。鮮やかなエメラルドグリーンのコートと紫の大きくうねった長髪の毒々しいカラーリングのコントラストが目立つ彼女だったが、仕事はしっかりこなすタイプだったのでベリルはトラブル処理を任せることにした。
 車掌は2,3回ドロウズと会話を交わすと、最後にドロウズの天輪(ヘイロー)に触れる。どうやらそれで原因が分かったようだ。
「大変申し上げにくいのですが…ドロウズ様、1エンも天輪(ヘイロー)に入っておりません。」
「はぁ!?1エンも!?」
 度肝を抜かれたのはベリルだった。
「はい、残高は0エンです。」
 あまりにも阿呆くさい理由に、ベリルは思わず大声をあげてしまった。
「いやいやドロウズ様、あなたお金も持たずにギャンブルしに行くって言ってたんですか!?」
「見るだけのつもりだった」
「給料どうしてるんですか!?」
「もらってない 使わないから」
 ドロウズは悪びれた様子も無く堂々としている。ベリルはここで置いていこうかと真剣に悩んだ。フォローを入れたのは車掌だった。
「でしたら給料を上の方にお願いすればいいのでは?今までのお仕事分くれるのではないでしょうか。」
「やってみる」
 ドロウズが天輪(ヘイロー)の一部に触れると、白く光り始めた。しばらく点滅した後に、光り方が安定した。どうやら通話が繋がったようだ。
「急にすみません お金をください お給料がほしいんです」
 そう言うとドロウズは少し黙る。通話相手が何事か喋っているようだ。
「遊びに行くんです カジノに」
 通話相手の声が聞こえないので、端から見るベリルと車掌にしてみればドロウズが虚空に向けて独り言を呟いているように感じる。奇妙な光景に2人は顔を見合わせた。
「楽しそうだからです」
 ドロウズがそう言って少し経つと、今度は天輪(ヘイロー)の別の場所が緑色に点滅する。しかもそれがちょっと長めに続いた。
「なんだかずいぶんなお金をいただいたようですね。」
 車掌がベリルに小声で話しかけてくる。
「どうせ丼勘定で適当な額を入れたんでしょ。」
 2人がボソボソと喋っている内に、ドロウズを阻んでいた改札扉がポンと鳴って開く。そのままとことこホームへと歩いて行ってしまった。それを漫然と見送っていたベリルと車掌だったが、ベリルは自分も同行することをハッと思い出してホームへ急ぐ。
「悪いな車掌さん、面倒かけた。」
「いえいえ、本日はご覧の通り暇ですからお構いなく。列車もすぐに出しますね。」
 車掌はベリルと連れだってホームへ向かう。ホームには綺麗に磨かれた列車が既に入っており、ちょうどドロウズが乗り込んでいくところだった。ベリルも乗り込んでドロウズの隣に座ると、大きな汽笛を上げて列車が動き出す。
「カジノには何があるの」
 しばらく経ったところでドロウズがベリルに質問を投げかけてきた。ベリルも知らなかったので、改めて行き先のカジノのホームページで概略を読む。
「パチンコ、スロット、ポーカー、ブラックジャック、ルーレット、パンクラチオン…有名どころは一通り揃ってますね。それにホテル、バー、プールにサウナ。ちょっとしたリゾートみたいですね。」
「たくさんあるね」
 ベリルも思った以上の豪勢さにちょっと驚いていた。しかも他人の金で遊べるのだから実に気楽だ。色々楽しい光景を夢想していたところで、車掌のアナウンスが列車内に流れる。
「もうすぐ到着です。乗り換えのお客様は青色のゲートへとお進みください。」
「はぐれないように気をつけてくださいね。」
 念のためベリルはドロウズに言い含める。どうにも子供っぽいドロウズに対し、ベリルは下位者というより保護者のような感覚になっていた。ドロウズも素直に頷くので余計にそう思ってしまう。そして列車が駅に到着すると、2人は連れだって乗り換えのホームへと向かった。

 乗り換え先のホームでは、先ほどの列車とは打って変わって多くの人でごった返していた。彼らは次の生を待つ死者だが、死者の身であってもなおギャンブルの魅力は甘美なもののようだ。あまりの人の多さにベリルがどう乗ったものかと思案していると、後ろから怒鳴りつけられた。
「お客様!早く乗ってください!もう列車が出ますので!!」
 誰かと思って振り返るとこの列車の車掌だった。スカイブルーのコートに大きくうねったロングの金髪をした彼女は、なぜか左目に『3』と書かれた眼帯をしていた。
「いや、だってめちゃくちゃ乗ってるぞ…。」
「詰めれば乗れます!!」
 そう車掌は言うとベリルとドロウズをぐいぐいと列車の中に押し込む。2人がなんとか乗り込むと同時に列車のドアが閉まった。ピーと甲高い汽笛が鳴ると、列車が動き始める。事前情報で駅からカジノのあるエリアまでは約10分ほどと知っていたので、ベリルは寿司詰めでもなんとか我慢するかと思っていたところで、予想外の事態が起きた。乗客達が一斉に身を寄せ合い、ベリル達に道を空けた。しかもその先にある席に座っていた乗客も慌てて立ち上がり人波に身を寄せた。
「……?」
 意味が分からず呆然としているベリルをよそに、ドロウズは当然のように空いた席に座る。
「どうしたの 座ろうよ」
「えーと、その、なぜ?」
 疑問すぎて動けないベリルだったが、ドロウズはむしろ座らないことが疑問な様子だった。
「ここは天使優先席だよ」
「そんなのあるんですね…。」
 ようやく納得がいってベリルも席に座る。瞬間無理して身を寄せ合っていた乗客達が明らかにホッとした様子で少し間隔を空ける。それでもベリル達が座っている席の近くに立つ乗客はなお無理して2人から距離をとろうとしていた。6級天使のベリルはともかく3級特務という高位天使のドロウズが居ては緊張感も相当なものだろう。ベリルは若干ながら同情した。
「君の友達はどんな子なの」
 少し電車に揺られてから、唐突にドロウズがベリルに問いかけてきた。
「子、って言えるような可愛げのある奴じゃありませんよ。身長2m近くあるゴリゴリのマッチョマンですから。顔もいかついし悪魔の方が向いてるくらいですよ。」
「写真ないの」
「うーん、無いですね。」
 天使になってからは交流も減ったし、合っても食事しながら適当な話をするだけなので記念写真など撮ったことはなかった。
「ガキの頃からの長い付き合いですけど、思えばドライな付き合いですよ。」
 人間であった頃の記憶を引っ張り出してきても、一緒に写真に写った記憶はかなり少ない。ベリルとオブシディオは治安の悪いスラムの産まれだった。そこで出会う人間は敵か、そうでないかの2種類しか居なかった。
「敵じゃなくて、生き残れる力と知恵のある相手だから。簡単に言えば利用しあえるから付き合いを始めましたからね。」
「友達じゃないんだ」
「友達なんてキラキラした関係とは、ちょっと言えないですかね。腐れ縁の昔なじみですよ。」
 そう言ってからベリルは改めてオブシディオとの思い出を振り返る。スラムでつるみだし、腕っ節しか取り柄の無かった2人は揃って傭兵になり、共にいくつもの戦場を駆けた。そして同じ望みを抱き、共に罪を犯し、死後も雇われ天使として縁が続いている。考えてみれば長い長い縁だった。
「まぁ、でも取り柄の無い奴ではないですかね。」
「むずかしい関係だ」
 ドロウズがよく分かっていないであろう適当な相づちを打つと同時に、車内にアナウンスが流れた。
『まもなく駅に到着いたします。開くドアにご注意ください。』
 それからまもなく列車は減速し、やがて完全に停車する。どやどやと乗客達が降りていくのに合わせてドロウズが立ち上がろうとするのを、ベリルは押しとどめた。
「別に急ぐ必要は無いんですから、他の奴らが降りきってから出ましょうよ。」
「うん」
 ドロウズは大人しく腰掛け直す。そして全ての乗客が降りてから、2人は悠々と列車から降りた。その先で車掌とばったり出くわしたが、今度の車掌は『7』と書かれた眼帯をしていた。
「ん?あんた…。」
 ベリルがそれに気づいて何か言おうとするのを、車掌が遮った。
「この駅は乗り降りが多いので、私たちは10人体制で動いているんです。ご理解いただけましたら早めの降車をお願いいたします!」
 列車には帰路に向かう乗客が既に乗り込み始めており、車掌はまごまごしているベリル達にイライラしているようだった。
「悪かったって。」
 ベリルはドロウズを引き連れてさっさとその場を離れる。しかし考えてみれば駅から目的のカジノまでの道のりが分からない。仕方なく天輪(ヘイロー)でマップを開こうとすると、気づかぬうちにオブシディオからメッセージが届いていた。列車内で話し込んでいたときに来ていたらしい。確認してみると、『2番出口に迎えを寄越してあるぜ』と書かれていた。

 カジノに向かう群衆から一歩距離を置きながら、案内標識を見て2番出口を目指す。標識は丁寧で、簡単に辿り着くことが出来た。出口から外を眺めてみると、白塗りのいかにも高級そうな車の前にキョロキョロと周りを見回している、上品な身なりの7級天使が立っていた。
「たぶんあれです。行きましょう。」
 2人が近づいていくと、迎えの天使も気づいた。まずベリルに綺麗な営業スマイルを向けてきたが、横に居るドロウズを見た瞬間カチンと固まった。
「よぉ、オブシディオの迎えはあんたで合ってるか?」
 ベリルが話しかけるが、よほど動揺したのかなかなか返事が返ってこない。
「……は、はい。私がお出迎えの任を預かって参りました。それでその、ベリル様はあなた様でよろしかったでしょうか?」
「うん、あたしだ。」
 7級天使はうやうやしく礼をしてから、怯えた様子で隣のドロウズへと目を遣った。
「では、お連れ様は…?」
 まさか4つも位が上の天使が同伴しているなど予想もしていなかったのだろう。気の毒なほど恐縮していた。ベリルは事前連絡くらいは寄越した方がよかったなと少し反省した。
「あぁ、この方はあたしの知り合いだ。一度カジノを見てみたいとご要望いただいてな。別にいいだろ?」
「も、もちろんでございます。」
 7級天使は深々とドロウズに礼をする。当のドロウズは気にしてもいないし7級天使の心情にも無関心なようだった。
「ささ、お乗りください。飲み物やお菓子もご用意しておりますので。」
 7級天使は慌てて車のドアを開け、中へとエスコートする。ベリルとドロウズが乗ってみると、中はちょっとした個室のような広々ゆったりとした造りになっていた。2人が座席に腰掛けると、ドアが静かに閉じられ車が動き出す。駆動音は静かで、車体の揺れもほとんど無く乗り心地はとても良かった。
「ふかふかだ」
 ドロウズは座席のクッションの感触が気に入ったのか、ぽんぽんと少し跳ねて遊んでいた。すぐに横に7級天使が付き、揉み手して接待に当たる。
「お飲み物やお菓子でご所望のものはございますか?」
「オレンジジュースがいいな」
「かしこまりました。すぐご用意いたします。ベリル様は?」
「あたしはリンゴジュース。あとチョコレートがあれば。」
「ご用意いたします。」
 7級天使は素早くグラスを用意しながら備え付けの冷蔵庫から2つのジュースを取り出し、優雅な動作でグラスへ注ぐ。そしてベリルの前にはリンゴジュースの入ったグラスと綺麗に皿に盛られたチョコレートが、ドロウズの前にはオレンジジュースの入ったグラスと過剰なほど盛り付けられたお菓子のバスケットとフルーツの盛り合わせがあっという間に用意された。
「そうかしこまらなくていいって。あたし達は単に遊びに来ただけなんだからさ。」
 ベリルがチョコレートをつまみながら7級天使をねぎらうが、当の7級天使はすっかりかしこまってしまっていた。
「いえいえ、カジノまでのお時間も楽しんでいただくのが私めの仕事ですので。」
「時間なんて10分かそこらだろ?でもまぁ、なんだ。しょうがないからあたしもお言葉に甘えるとするか。」
 ベリルはチョコレートを指先で弄びながら、チラリとドロウズを見た。ドロウズはフルーツが好きなのか、お菓子のバスケットには触れずに山盛りにされたフルーツを黙々とつまんでいる。そのペースは機械的なほど均一だった。ベリルも真似して黙々と用意されたチョコレートをつまむが、誰も喋らないシンとした場の空気に耐えられず、7級天使に話を振った。
「なぁ、オブシディオの奴はいつからカジノの支配人になったんだ?」
「オブシディオ様は支配人ではございません。リニューアルにあたってのコンセプト設計やトータルデザインを担当する、マネジメントプロデューサーに就いておられます。」
「なるほどな。あいつそういうデザイン系のセンスは相変わらずあるんだな。」
 人間だった頃からオブシディオは美的センスは認められていた。スラムを脱けて傭兵として働き始めて、好きな服がある程度買えるようになってからはセンスが遺憾なく発揮され、いかつくて威圧感のある外見の割にはよくモテていた。
「それで、そのポジションにはいつから?」
「リニューアルの話が出てからすぐですので、3ヶ月ほど前からでしょうか。」
 3ヶ月。その微妙な長さにベリルは考え込む。罠と断定して来たが、単なる招待とも言えなくは無い微妙な長さだ。ベリルが考え込みながらジュースを飲んでいる間に、気づけば車はカジノに到着していた。
「それでは、当カジノをごゆっくり堪能くださいませ。」
 車から降りると、7級天使が深々とお辞儀をする。ドロウズはそのままカジノの入り口までとことこと歩いて行ってしまった。ベリルはさすがにねぎらってやるべきだと思って、1万エンをチップとして7級天使にあげた。当の7級天使はめっそうも無いと断ろうとしたが、ベリルはやや無理矢理に1万エン握らせ、別れの挨拶を済ませてからドロウズの後を追った。

 カジノの入り口スペースは開放感のある造りだった。中央に大きな受付カウンターが置かれ、中で何人もの天使が来客応対をしている。横にはたくさんのエレベーターが配置されており、カウンターから各エレベーターへと列が伸びていた。
「ドロウズ様!ベリル様!こちらで優先受付をさせていただきますので、どうぞこちらへ!」
 受付カウンター列に並ぼうとしていたベリルとドロウズに向かって、カウンターの端に立っていた7級天使が綺麗な声を張り上げて呼びかけてきた。優先受付とはなんだと多くの客が2人を見ようと振り返ったが、ドロウズの3級特務天使の位を示す天輪(ヘイロー)を見ると、すぐ目を背けた。ベリルは何事もスムーズにかつ優遇されるのでありがたい反面、こうしてどこででも畏れられるのはいい気分では無いので、ドロウズを同行させたのは良かったのかどうかモヤモヤが積もっていくのを感じていた。
「本日は当カジノへようこそ!まずはシステムの説明をさせていただきます。まずはこちらのベルトをお渡しいたします。」
 渡されたのは、イラスト付きの円盤の付いた腕用のベルトだった。
「当カジノではそちらのベルトに専用疑似通貨の“ダル”をチャージしていただくことで、かざすだけでギャンブルから飲食、その他サービス諸々全てを一括でご利用いただくことが出来ます。レートは5エン=1ダルとなっております。目安をお伝えいたしますと、ポーカーの賭け金の下限は100ダルです。」
 ベリルは25万エンを貰っているのでダル換算で5万ダル、ポーカーだけ遊んだ場合ざっと500回分を保有していることになる。悪くはなさそうなレートだった。
「その前準備として、ご自身の天輪(ヘイロー)にベルトを当ててください。通常の出金と同様の形でチャージが出来るはずです。」
 ベリルとドロウズは揃ってベルトを天輪(ヘイロー)に当てる。ベリルは貰った25万エンを全額ダルに変換してチャージした。終わって横を見てみると、ドロウズのチャージが一向に終わらない。1分ほど待っても終わらないので、やんわりとドロウズにチャージを止めさせた。
「その辺にしましょう。…一応聞きますけど帰りの列車代は残してありますよね?」
「残ってる」
 それさえ保証されればベリルにとっては問題は無かった。あとは適当に遊ばせておけばよいだろう。そう思ってエレベーターに向かおうとしたところを、7級天使が呼び止めた。
「オブシディオ様より、お食事を提供しますので12時には2階のVIPルームに来てほしいと言づてを預かっております。」
「…そら見たことか。」
 名目こそ食事だが、間違いなく何かにベリルを巻き込もうとしていることは確定した。とはいえベリルには3級特務天使のドロウズという後ろ盾がある。いざとなっても逃げられるだろうとベリルは打算的に考えた。
「今が10時少し過ぎだから、まだ割と余裕がありますね。まずは一通り見て回りましょう。」
「うん」
 カウンターに置かれたフロアマップを見てみると、1階が受付とパンクラチオン、2階が食事・休憩のスペースと簡単な遊戯台、3階がポーカーやルーレットなどのテーブルゲーム、4階がパチンコとスロット…という4層構造になっているようだった。エレベーターに乗り込みながらベリルがどこから見ようか考え込んでいると、ドロウズが勝手に4階行きのボタンを押していた。ベリルが何か言おうとする前にエレベーターの扉は閉じられ、静かに上へと向かっていく。
「パチンコとか好きなんですか?」
「知らない 上から見ていけば効率がいいと思っただけだよ」
「なるほど。」
 ベリルも別にこのギャンブルからやりたい、という拘りは無いので、ドロウズの適当な思いつきに従うことにした。エレベーターが4階に到着したことを告げると共に扉が開くと、やかましい騒音がベリル達の耳に飛び込んできた。
「うるさいね」
「そうですね。ここまでとは驚きですよ。」
 広々としたスペースにずらりとパチンコ台、スロット台が立ち並び、駆動音や演出BGMなどがけたたましく鳴り響いていた。とりあえず前に伸びる通路を歩きながらキョロキョロと横を見てみると、7割ほどの席は既に客が座って熱心にギャンブルに興じていた。
「ねぇ あれなんだろう」
 ドロウズがベリルの袖を引いて呼びつける。ドロウズの目線を追ってみると、奥に巨大な金色のオブジェが鎮座していた。
「えーと、調べてみますね。…あれ、パチンコ台みたいですよ。1玉200ダルの最高級レートだそうです。まぁほぼ飾りみたいなものでしょうね。」
「そうなんだ」
 ドロウズはそれだけ言ってそのパチンコ台を見つめ続けた。もしやあれを打つのかとベリルは少しだけ期待したが、やがて興味を失ったのかそのまま通路を進んでいった。そのままいくつかのエリアを梯子して歩いて行くと、やや雰囲気の違うエリアでドロウズが足を止めた。他のエリアにある台と比べると1台ずつが一回りほど大きく、客もあまりいない。気になってベリルが調べてみると、ここは高級レートの台が集められたエリアとのことだった。
「ここは平均レートが1玉100ダルの高めのエリアだそうですよ。」
 先ほどと同じようにベリルはドロウズに調べた情報を説明するが、今度は返事が返ってこなかった。それどころかドロウズはそのエリアに踏み込むと、1つのパチンコ台の前で立ち止まった。
「打つんですか?」
 先ほどまでの会話からパチンコには興味が無いのだと思っていたので、ベリルにとってはかなり意外な決定だった。
「アニメがきれい」
 ドロウズが台の上を指さす。その先には大きなスクリーンが浮かんでおり、当たり演出用のアニメーションが映されていた。
「そんな理由で…。」
 およそ博打打ちらしくない決定理由にベリルが呆れるのを無視して、ドロウズは台に座ってベルトを押し当てる。途端にゴボゴボと玉が吐き出され、トレーに溜まっていく。幸い打ち方
は知っているようで、レバーを回して次々に玉を打ち込んでいく。その手つきは完全に均一なところはさすが純正天使といったところだった。

 ベリルもしばらく眺めていたが、やがて飽きてきたので1人で他を見に行くことにした。ギャンブルはやはり見ているだけより自分がやってこそ楽しいのだった。
「ドロウズ様、他のフロアを見てきていいですか?何か困ったことがあれば呼んでくれれば駆けつけますので。」
「いいよ」
 ベリルはドロウズの天輪(ヘイロー)に触れ、自分の天輪(ヘイロー)のメッセージアドレスを追加しておいた。
「あと、12時ちょっと前には食事ですから、5分前にはキリつけておいてくださいね。」
「分かった」
 寸分の狂いも無い同じ姿勢で打ち続けるドロウズを横目に、ベリルは3階へと移動した。ベリルは人間であった頃からギャンブルはあまりしない方だったが、そんな中でも好きなのがトランプを使ったギャンブルだった。ブラックジャックも好きだが、まずはポーカーから遊び始めた。他の客も極力ポーカーフェイスを意識し思惑を隠そうとしているが、命懸けの戦線を幾度も潜り抜けてきたベリルの胆力と判断力を上回る客はまずいない。順調に勝ちを積んでいく。
 勝ちすぎて周りの客から白い目で見られ始めたので、今度はブラックジャックで遊び始める。こちらもよく勝てたので、ベリルの保有するダルは入店時のほぼ2倍の10万ダル強まで増えていた。気をよくしてルーレットにも興じたが、こちらはあまり勝てず1万5000ダルほど溶かした。とはいえ原資は他人の金。痛くもかゆくも無かった。
 一通り楽しんだので2階に移動し、出店で買ったスムージー飲みながら有料のマッサージチェアに座ってのんびりと休憩することにした。20分160ダル、つまり800エンという設定は割高に感じたが、今のベリルにとっては困る金額ではない。ゆったりマッサージを受けながらスムージーを飲む安らぎは、諸々の悩みを忘れさせてくれるほど心地よかった。だが、10分ほど経過したところで天輪(ヘイロー)が白く光り通話を告げる。すわ緊急の仕事かと宛名を見てみると、オブシディオだった。
「なんだよおい、こっちはいいところだったんだぞ。」
「なんだじゃねぇよ、お前の連れの天使様がちょっとやべぇんだよ!時間も近いし、まだ4階に居るから迎えがてらなんとかしてきてくれ。」
「マジかよ…分かったって、すぐ行くから。じゃあな。」
 ベリルは通話を切ると、渋々マッサージチェアを停止させて4階へと向かう。エレベーターを出た先ではホールスタッフの天使が待っていた。
「で?何事?」
「金銭トラブルといいましょうか…とにかくこちらへお越しください。」
 早足で歩くホールスタッフの天使に付いていきながら、ベリルは予想立てをしてみる。
「勝ちすぎてカジノの金が無くなりそうとか?」
「いえ、我々は公平なカジノ運営をモットーとしておりますので、お客様の勝ちにケチをつけるような真似は決してしません。ただ…。」
 案内された場所は、ドロウズと分かれた高レート台エリアだった。見てみるとドロウズが同じ台で、全く変わらない姿勢でパチンコを打っている。
「あのお方ですが、その、かなり使い込んでおります。既に20万玉以上を打ち込んでいるのです…。」
「20万玉!?たしかあの台1玉100ダルレートだったよな!?」
「左様でございます。」
「2,000万ダル分…んで、1ダル=5エンだから、1億エン…!」
 さすがに看過できない大金に、慌ててベリルはドロウズの手を掴んで制止する。ドロウズは不思議そうな顔をして振り向いた。
「どうしたの」
「いやいや、どうしたんですかそんな大金つぎ込んで!まさか借金とかしてないでしょうね!?」
「してないよ 僕のお金」
 ドロウズは自身の天輪(ヘイロー)の端をタップするとそこが青く光り、財布の残高が表示される。そのには『残高 887,500,740エン』と表示されていた。ダルへのチャージ額や電車代などを考えると、おそらくドロウズは約10億エン程度の給料を支給されたのだろう。想像を遙かに超える神の丼勘定ぶりにベリルは頭を抱えた。
「まぁ、はい、すみません…。とりあえずもう時間なので行きましょう。」
「うん」
 ドロウズが再度ベルトを台に押し当てると、かん高い電子音と共にカードが台から吐き出された。
「なにこれ」
「これを換金所に持っていってダルに換えるんです。どうせなら先に済ませましょうか。」
 ベリルが連れて行こうとしたが、ホールスタッフの天使が先に申し出た。 
「それでしたら私がご案内いたします。」
 2人はホールスタッフの天使に連れられて換金所に行き、玉とダルの換金を申し込んだ。莫大な額の玉に受付スタッフが一瞬顔を引きつらせるが、すぐに営業スマイルに切り替えて精算を行う。とてつもない額をつぎ込んだ分勝ちも大きかったようで、約2,800万ダルが返ってきた。
「それではお時間も迫っておりますので、 VIPルームまでお越しください。」
 深々とお辞儀にするホールスタッフの天使に見送られ、2人はエレベーターで2階へと向かう。ようやく本題にとりかかるのだと思うと、なぜかベリルはドッと疲れを感じた。
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登場人物紹介

ベリル


元人間の6級天使。人間に戻るために仕事を請け負っている。情に流されやすい。

赤みがかったボサボサのロングヘアーの女の子で、服装もテキトーに選んでいる。

オルトル


ベリルの上司にあたる4級天使。純正天使なので人間味がほとんど無く、いつも事務的。

薄金色の白髪で、天使のイメージだいたいそのままの姿をしている。

ルマリ


元人間の特務6級天使。ベリルが人間であった頃から仲の良い友人。

薄灰色のショートヘアに青い瞳の、小柄な女の子。気弱な性格で、表情が顔に出やすい。

服装は仕事用の黒いローブを纏っている。

オブシディオ


元人間の特務6級天使。ベリルの最も古い顔馴染み。

身長2m近くのマッチョな男で、厳つい顔つきのため威圧感があり天使っぽくはない。

お洒落のセンスは高い。

ゼヘキエル


天使消失事件の調査チームを率いる、2級天使。

その強さゆえに自信家で、ちょっと高圧的。

アイオラ


天使消失事件の調査チームの1人で、情報操作や認知改竄を得意とする4級天使。

小柄で温和な話しやすいタイプ。

ドロウズ


天使消失事件の調査チームとしてベリルと同行していた、3級特務天使。様々な剣に変身したり出したりする能力がある。

後日、たまたまカジノに行くベリルと再会して同行する。

非常に情緒に乏しい割に、突飛な行動をしてベリルを悩ませる。

エグネヴィア


ベリルがばったり出くわしてしまった”眷属級”の悪魔。

所属は羊。

とある理由からベリルと対話をすることになる。

ダイア


ベリルが人間だった頃の、1番の友人。

ベリルの罪の原点。

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