第2話 天使とお使い

文字数 12,374文字

 いつものようにきっかり7時間眠って、ベリルは目を覚ます。まず確認するのは天輪(ヘイロー)のメッセージ機能だ。既に上司のオルトルからの連絡が来ていた。
「今から10分後にポータル9か…今日はなんか早いな。」
 朝食を食べている余裕は無さそうだった。早速出かける準備をしようとしたが、メッセージには続きがあった。
「服装は正装でくること?珍しい…。」
 置いた場所がすぐ分からないほど、正装を求められる仕事など滅多になかった。クローゼットをごそごそと漁ると、一番奥に仕舞ってあるのを見つけた。久しぶりなので、着こなしを慎重にチェックしてから家を出る。3分ほど余裕を持って着いたが、相変わらずオルトルは先に到着していた。
「おはようございます。」
 いつも変わらない、考えの読み取れない無表情のままオルトルは挨拶をしてくる。あまりの無表情ぶりに、もし30分も遅れてやって来たら違う表情が見られるのだろうか?と好奇心が湧いたが、ベリルは胸の内にそっとしまい込んだ。
「おはようございます。今日の仕事はなんです?」
 ベリルも簡潔に挨拶をし、早速仕事を聞き出そうとする。だが、返ってきた答えは意外なものだった。
「仕事の説明は道中で話します。着いてきなさい。」
 オルトルはそう言うとさっさと手近なワープポータルの上に乗り、転送されていった。
「え、ちょ、ちょっと待った!」
 ベリルも慌ててワープポータルに乗る。こんなことは初めてだった。今まで仕事内容の説明は全て会ったその場で説明されていた。転送された先では、また別のワープポータルを使ってオルトルは転送されていく。急いでベリルも同じワープポータルに乗る。それを2回繰り返して、やっとベリルはオルトルに追いついた。
「やっ、と、追いつきましたよ、早く説明してくださいよ!」
「何を慌てているのですか。行きますよ。」
 ベリルの憤慨にオルトルはまるで構わず、歩いて行ってしまう。ベリルは小走りで横に並んだ。
「なんなんですか今日は?なんか普通じゃない…。」
「そうですね、今回任せるのは普通の仕事ではありませんから。報酬5,000ポイントと言えば並で無いことは分かるでしょう。」
「5,000!?」
 ベリルは驚きのあまり大声を出してしまう。なにしろ普段の仕事の倍額だ。何か後ろ暗い仕事でも任されるのではないかと想像し、ベリルは気が気ではなかった。
「簡単な仕事です。荷物をある方へ届けるだけです。交通費は経費で出ますので何も心配はありません。」
「……普通じゃないを通り越して怪しさ満点なんですが。」
 知り合いから又聞きした、“ブラックバイト”というワードが連想されてますますベリルは警戒を強めた。
「仕事は普通のものです。普通でないのは、送り主と送り先なのですよ。」
「送り主…?」
 全く事情が飲み込めないまま、ベリルはオルトルと並んで歩いて行く。やがて、見慣れないものが見えてきた。
「城?…ですかあれ。それとも宮殿?」
 見えたのは、遠目からでも分かるほど巨大で豪奢な建物だった。大きすぎてよく分からないが30m程の高さがあり、美しい装飾もあってとにかく目を引いた。
「一般的には“御所”と呼ばれています。」
 オルトルは素っ気なく答えると、すたすたと歩いて行く。ベリルは御所に見惚れながら歩いているうちに、ある違和感に気づいた。周りに位の高い天使が多すぎるのだ。ポータルでたどり着いたところではまだ7級や6級天使が賑やかしに居るだけだったが、御所に近づくにつれ、凝った造りの大きな天輪(ヘイロー)を付けた天使が明らかに増えていた。上司のオルトルと同じ4級やその上の3級、果ては天使の実務役としてはトップである2級天使までちらほらと姿が見えた。
「もしかして、御所にいる送り主、って…」
「我々天使の最上位、11人のみ存在なさる1級天使のお一方です。」
 驚きのあまりベリルはぽかんと口を開けたまま動けなかった。1級天使は中の下程度の神に等しい権能を持つ存在だ。遙か格下の6級天使にすぎないベリルが会うなど、冗談と言われた方が格段に納得できるほど嘘めいた話だった。
「驚き終わったら早く来てください。面会手続きは私が済ませますので。」
 オルトルはベリルを放置して、御所の門のそばにいた天使に声をかける。手際よく手続きは進み、ベリルが驚きから醒めた時にはもう門が開き始めていた。
「行きますよ。」
 オルトルはマイペースに御所へと入っていく。慌ててベリルも後を追った。こんな場違いな場所で1人で残されたりしたら、たまったものではなかった。

 入り口のホールで応対役の天使の丁寧な挨拶とエスコートを貰って、2人は奥の大きな扉へと通された。応対役と言っても、天輪(ヘイロー)を見るに大きく格上の3級天使であり、ベリルは失礼をしないか気が気でならず落ち着かなかった。
「お待ちしておりました。」
 扉を通ると同時に、頭上から大きな声が響く。緊張しながら声のした方を見ると、見たこともない相好の天使がそこに居た。
 白い鴉だ、とまずベリルは思った。巨大な翼、嘴の形状、前3本・後ろ1本のかぎ足と、20mはあろうかという巨躯に目をつぶって形の大枠だけ見れば鴉だ。しかし細部が違いすぎる。巨大な羽根は3対6枚も持ち、輝く滑らかな毛艶の長い尾羽がゆったりとくねり、背後には美しい細工の施されたリングが緩やかに回っている。そして頭上に輝く、見たこともない大きさと、精緻な工芸品のような複雑なパーツ構成をした天輪(ヘイロー)が、目の前に居るのが1級天使であることを物語っていた。
「もしお疲れでしたら、椅子などお出ししますがいかがですか?」
「お気遣いありがとうございます。恐縮ですが、このままご用件を伺わせていただきます。」
 最上級天使らしい気品ある口ぶりに、オルトルは頭を下げて謙遜する。ベリルも慌てて頭を下げた。
「左様ですか。しかしながらそちらの天使には初めてお会いするゆえ、まず自己紹介をする必要がございましょう。私はハルベリヲク。11の1級天使の一座を務めるものです。」
 ハルベリヲクは6枚の羽根をゆっくりと伸ばし、神々しいたたずまいをベリルに見せつける。その荘厳な威容にしばしベリルは言葉を失っていたが、横からオルトルに小突かれ、ハッと醒めて自己紹介を返した。
「ベ、ベリルと言います。えぇと、階級は、6級天使です…。」
 緊張のあまりベリルは飛び飛びにしか喋れなかったが、ハルベリヲクは穏やかな表情を崩さず聞き届けてくれた。
「落ち着いてください、ベリル。あなたにやってもらう仕事は簡単なものです。こちらをさるお方に渡していただきたいのです。」
 ハルベリヲクが真ん中の2枚の羽根をゆるりと前に突き出し、先端を合わせる。そこから金色の滴がとぷりと零れ、落ち始める。オルトルに促され、ベリルは小走りで滴の真下に入る。
「両手を捧げなさい。」
 ハルベリヲクに言われるまま、ベリルは両手を前に突き出して滴を受け止める体勢を取る。落ちてきた滴はベリルの手の中で大きく弾んだかと思うと、次の瞬間には白い箱に変わっていた。
(なんだこれ…軽い?)
 両腕で抱える程度の大きさはあるが、重さは長時間持っていても特に疲れもしなさそうな軽さだった。ベリルの困惑が収まるのをじっと待ち、ハルベリヲクは再度語りかける。
「ここからが肝要なのです。落ち着いてお聞きなさい。あなたにそれを送ってもらう相手方は、よいですか、よく聞いてください。死神大王様です。」
「は?」
 驚きすぎて完全に思考が停止し、ベリルは間の抜けた声を漏らした。腕から力が抜け、箱を落としかけたことでようやく頭が回り出した。
「ちょ、ちょっと待ってください。いや、あの、無礼ですみません、その、え?送り主が?死神大王様?いや、だって、そんな…。」
「申し訳ありません。驚くの無理はないでしょう。しかし聞き間違いでも偽りでもなく、あなたにはそれを死神大王様に届けていただきます。」
「こちらこそ、あー、すいません、でも、理解できなくて…。だって神様の最上位のお方ですよ?あたしなんかがどうして選ばれるんです…??」
 “死神大王”とは、天使どころかその上に君臨する神々、それらのさらに上に君臨する12柱の最高位の神である“十二の審門(トゥエルブ・アイ)”の1柱である。ベリルの所属する6級天使など足下にすら及ばないほどの、圧倒的な格上だ。ベリルがどう考えても釣り合いが取れていない。
「無論理由はあります。あなたは死神大王様の居城に何度か脚を運んでいて、配下の天使達にも面識があるでしょう。ゆえに話が通りやすい。それがあなたを選んだ理由です。」
「……行ってはいますけど、遊びに行ってるだけですよ…?友人がいるので。話が通じやすいって言っても、流石に、あー、格が足りなすぎではないでしょうか?」
 ベリルはちらりと横目でオルトルを見る。いつもと変わらない無表情で直立していた。4級でもまだ格の差があるが、それでも幾分かはマシにベリルは思えた。
「今回に限っては階級が下であるほど良いのですよ。」
 また理解できない文言をハルベリヲクが述べる。ベリルはどうにか心を落ち着かせて、まずは一通り聞いてから改めて混乱することに決めた。ハルベリヲクもその意図を汲み、軽く微笑みながら話を続ける。
「順を追って説明しましょう。まず、とある神様が1人の人間の生死を決めかねたのです。そこで、死神大王様方へ判断を仰ぎました。しかし、どちらにすべきか死神大王様方でも決められず、もう4日が経過しているのです。ここまではよろしいですか?」
 ベリルがゆっくりと頷くと、ハルベリヲクは一拍置いて続きを話し始める。
「依頼なされた神様としては、そろそろ決定を下していただきたい頃合いなのです。決定されるまでは世界を動かせないので、生死の分かれ目にある人間の属する世界を、まるごと記憶改竄や時間軸操作によって強引に進行を止め続ける必要があり、それは相当な労力がかかりますので。」
 ベリルはまだそういった仕事は経験したことが無いため共感は出来なかったが、想像はなんとか出来たので話を進めて貰うことにした。
「しかし、ここで階級問題が影響してきます。まず依頼者にあたる神様からは催促しづらい。階級がすぐ下の者からの『仕事にケチを付けられた』という形になりますので、死神大王様にしてみれば不敬に感じさせてしまいます。これは良くない。」
 ベリルはなんとなく話の顛末を察したが、顔には出さずに話を聞き続けた。
「そこで、私に催促役になってほしいとご依頼いただいたのです。しかし、私ではまだ階級が高すぎる。自分で言うのも差し出がましいですが、私は天使の最高位。それなりに権威がありますので、まだ『ケチを付けられた』という印象が拭えません。」
「そこで、さらにあたしを間に挟む事にした。そういう話ですね?」
 オルトルが『話の腰を折るな』と言うような鋭い視線を向けてきたが、ハルベリヲクは特に気分を害した様子は無かった。
「察しが良いですね。まさにその通りなのです。使いの使いとして仕事を押しつけられた

下級天使からの催促であれば、死神大王様にとっても不快感より、押しつけた私たちへの呆れやあなたへの同情が勝るでしょう。以上が今回の仕事をあなたにお任せする理由の詳細となります。何かまだ確認しておきたいことはございますか?」
「いえ、大丈夫です。この仕事お受けいたします。」
 ベリルは頭を下げた。怪しいウラのある仕事で無いことは分かったし、

という点であればハルベリヲクもまた変わらないのだという同情心もあった。最高位の天使といえども“神様の使いぱしり”として振り回されるという立場は同じなのだ。同じ立場の者として一走りするのは、ベリルとしてはやぶさかではなかった。
「ありがとうございます。良き働きぶりを期待しておりますよ。」
 ハルベリヲクは6枚の羽根を優雅に羽ばたかせ、眩い輝きを放つ。激励の儀なのだろうか。ベリルは羽ばたきによって生じた風圧に抗するので手一杯でよく分からなかった。
「おや、失礼いたしました。」
 その様子を見てハルベリヲクは羽根を畳む。ベリルはなんとか倒れずに持ちこたえた。後ろではオルトルが自身の羽根を使って風に上手く乗り、優雅に着陸していた。
「早速ですが交通費を支給いたしましょう。ここから死神大王様の居城への行き方は分かりますか?」
 ベリルの天輪(ヘイロー)の一部が緑色に光り、入金を示す。
「すみません、ワープポータルを経由しすぎて、ここからの行き方が分か」
「でしたら私が案内しましょう。」
 いつの間にかベリルのすぐ後ろまで戻ってきていたオルトルが急に話しかけてきたので、ベリルは驚いて軽く跳ねた。
「ハルベリヲク様もおっしゃったようにすぐ取りかかるべき仕事です。急ぎますよ。」
「は、はい。それでは失礼します。」
 ベリルとオルトルの2人の一礼に、ハルベリヲクは畳んでいた羽根をゆっくりと開いて応えた。
「幸多き仕事になりますよう、祈っております。」
 祈られるのも悪くないとベリルは思った。

 オルトルに連れられワープポータルをいくつか経由すると、ベリルにも見覚えのある“駅”に着いた。ワープポータルでは移動しきれないほど隔絶された空間へ移動するには、“列車”を使う必要があり、それを運用するための駅だ。人気のない入り口には自動改札機が設置されており、ベリルが近づくと天輪(ヘイロー)の一部が赤く光り出金を示すと共に、改札が開いた。改札の電光表示には『600エン』と金額表示がされた。列車の片道運賃としては高い方だ。
「それでは、私は戻ります。仕事が終わりましたら私に連絡をしてください。」
「分かりました。では行ってきます。」
 オルトルは見送りもせず立ち去っていく。相変わらずの事務的な振る舞いに、ベリルはいつもよりげんなりした。終始温和だったハルベリヲクとの落差からだろうか。
 オルトルが見えなくなると、ベリルは気持ちを切り替えて駅のホームへと進んでいく。死神大王の居住地への駅らしく、常に星一つ無い闇夜を蛍光灯が白々しく照らす、暗く寂しい雰囲気だった。しかしそれと全くマッチしないやたらと軽快で安っぽい電子音が、ホーム中央にある事務室から漏れ聞こえていた。
「よかった、居るか。」
 ベリルは事務室に向かうと、扉をノックする。すぐに中から少女が出てきた。闇夜に溶け込みそうな黒いコートと、それと正反対に病的なほど白い、くねったセミロングの髪。そして深紅の瞳。彼女は列車の車掌であり、ベリルとは面識があった。
「はい、ご用でしょうか。」
「遊んでるところごめん。列車を動かしてほしいんだけど。」
 車掌はパズルゲームが好きで、列車の運休時間には―正確に言えば乗客が来なければ―ずっとそれで遊んでいることもベリルは知っていた。
「そのお召し物、お仕事ですね?すぐに列車を出しますのでお待ちください。」
 車掌はてこてことゲーム機の前まで戻ると、電源を切った。
「そこまで急がなくても待ったのに。」
「いえいえ、お気になさらず。何百回とやったゲームですから。」
 車掌はそう言うと、事務室からホームまで歩いてき、懐から取り出した警笛を吹き鳴らした。鋭い音の反響が止まると共に、明かりの届かない闇の中から黒光りする機関車がしずしずとホームにやって来た。
「どうぞお乗りください。」
 車掌に促され、ベリルは1番前の客車に乗る。扉のすぐ近くの席に座ると、すぐに列車は動き出した。ベリルは扉を挟んで見える車掌の後ろ姿をなんとはなしに眺めていたが、荷物の箱を抱えっぱなしだったことに気がついた。自分の席の横に置いて、手持ち無沙汰になったので煙草を吸おうとした。取り出して加熱スイッチを押そうとした直前に、運転席の扉が開いて車掌が客車に入ってきた。
「当列車は禁煙となっております。」
「たまにはいいじゃんか。あたし以外に客いないんだし…。」
「ダメです。禁煙です。」
 柔和ながらも全く交渉の余地の無い語気に、ベリルは諦めた。なにせ車掌も神が造った天使だ。7級特務天使という、固定された役職を忠実にこなす純正天使。『禁煙を守らせる』ということが職務に含まれている以上、絶対に引き下がりはしない。
「じゃあ代わりにお願いを聞いて欲しいんだけど。」
「場合によってはお断りしますが、伺います。」
 大したことじゃない、と前置きしてから、ベリルはお願いをした。
「寝てるから、着いたら起こしてくれる?」
「了解しました。でも、すぐ着きますよ?」
 それでもいいとベリルが頷くと、車掌も頷いて運転席に戻っていった。ベリルは腕を組むと、目を閉じて眠りに落ちる。そのままストンと眠りに落ちることが出来るのは、ベリルが天使の身体で気に入っている数少ないところだった。

「起きてください、着きました。」
 車掌に揺すられると、ベリルはすぐに目が覚めた。箱を抱えて列車を降りると、見覚えのある駅だった。闇夜であることは変わりないが、赤い薔薇が植えられていたり銀色のベンチがあったりと、乗ってきた駅よりはそれなりに華やかな場所だった。
「すぐ戻られますか?」
「どうだろう。渡すだけだから、たぶんすぐ終わると思うけどな。」
 車掌の問いかけに、ベリルは曖昧に返事をする。なにせ渡すだけとはいえ、最高位の神と会うのだ。ベリルのおよび知らないことがあるかもしれなかった。
「ではこちらの事務室に居ますので、帰りにまたお声かけください。ただ、他の方のご依頼で列車を動かしている可能性もありますので、その際はお待ちください。」
 車掌はぺこりと頭を下げると、事務室までてこてこ歩いて行く。ベリルがその様子を見送っていると、背後から視線を感じた。振り返ると、何人かの天使がベリルをじろじろと見ていた。これまで遊びに来たときはそういったことは無かったのでベリルは戸惑ったが、着ている礼装のせいだと合点した。見ている天使達は“死天使”と呼ばれる特務天使であり、服装は皆一様に黒のローブだ。一方ベリルの着ている礼装は、真反対の白装束。周りの景色からも明らかに浮いていた。ベリルはなんとなく気まずくなり、見ていた死天使達に軽く会釈して、小走りで居城を目指して急いだ。どうも幸多い仕事にはなりそうにないぞ、とハルベリヲクの微笑みを思い出しながらベリルは不機嫌な顔になった。
 道中も死天使達から好奇の視線を浴びながら、ベリルは死神大王の居城へとたどり着く。門前に立つ2人の門番のうち1人が、いち早くベリルに気づいた。
「久しぶりじゃねえかぁベリルぅ、しかしなんだその服はぁ?」
 6mもある巨体に、古びた黒いローブに、顔に被せた馬の頭骨。頭上にある天輪(ヘイロー)が無ければ悪魔にしか見えないその巨漢は、大声でベリルに話しかけてくる。ベリルはやっと顔なじみに会えてほっとした。
「仕事っすよー、ハルベリヲク様のご依頼で、死神大王様にこれ届けに来たんです。」
 ベリルが持っていた箱を掲げると、もう1人の門番も声をかけてきた。
「大王様にぃぃ?悪いが一応身辺チェックはうけてもらうぞぉぉ。」
 門番の2人は腰をかがめると、持っていた杖の先をベリルに向ける。杖の先はそれぞれ半円が付いており、突き出された双方が合わさってベリルを囲む1つの円となる。そして円の中で何本もの緑色の閃光が走り、ベリルの身体と箱を通り抜けていく。その度に冷水を注がれたようなゾワリとした嫌な感覚が走って、ベリルを震えさせた。
「問題ねぇなぁぁ、開けてやるから中庭に行きなぁ。」
 門番の2人が同時に杖をドスンと轟音を立てて地面に突き立てると、城の扉が重々しい音を立てて開いていく。その先は広々としたロビーになっていて、ベリルはいつもここで友人と会っているので中庭に通されるのは初めてだった。
「上の扉をくぐってまっすぐ行けば中庭だからなぁ間違えるなよぉぉ。」
「中庭?」
 執務室にでも通されるのかと思っていただけに、中庭という指定は意外だった。
「行けば分かるぅ。閉めちまうから早く行きなぁぁ。」
 ベリルは慌てて中に入る。背後からもう一度轟音が聞こえた直後、扉はボフンと閉まってしまった。その音とベリルの姿を見て、ロビーにたむろしていた死天使達が一斉に目線を向けてきていた。
(考えてるだけ無駄だし面倒だな…。)
 ベリルは目線を振り切るように早いステップで2階に上がり、その先の扉を開けて先に進む。中は艶のある黒い壁に、赤いビロードの絨毯の敷かれた小洒落た内装だった。途中にある扉や通路を無視して言われたとおりまっすぐ進むと、中庭が見えてきた。通路を抜けた先はバルコニーになっており、そこから一段下が中庭本体のようだった。

「お、ラッキー。」
 そのバルコニーの柵に寄りかかっている天使のシルエットに見覚えがあった。その声に気づいて、くるりとその天使が振り向いた。
「ベリちゃん!久しぶり…今日は珍しい服を着てるね?」
「今日は大仕事なんでな。ルマリは今日は休みか?」
 薄灰色のショートヘアに、蒼の瞳を持った小柄なその天使は、ベリルの人間の頃からの友人だった。共に生き、戦い、罪を犯し、同じように天使の仕事を課された、深い仲だった。
「うん、今日はお休み。それにしても、ここで仕事なんて珍しいね。」
 ルマリの問いも尤もなものだった。死神大王の居城なのだから、普通の仕事なら配下の天使に任せられるべきだろう。
「これを死神大王様に渡すって仕事でさ…。」
「えーっ、大王様に?大役っていうか、責任重大すぎるっていうか…。」
 ルマリは仰天といった表情だった。その人間らしい仕草に、ベリルはなんともホッとする心持ちがした。
「そうそう、だからあたしも早く終わらせて帰りたいんだけど、なぜか中庭に行けって言われてさ。何かやってるの?」
「えっとね、チェスやってるよ。大王様

話し合いじゃ決裁出来なくて、チェスの勝敗で決めることになったの。すごいよ、もう3日もずっとやってるの。」
「はぁー…?」
 ベリルが呆れながら中庭をのぞき込むと、大きなボードを挟んで2人の神が向き合っていた。死神大王は

の神なのである。それは今回のように、大事な決定をなるべく慎重に進めるためであった。
「なんかすごいことになってるな…。」
「神様用のチェスだからね。今回は17ボードのフルセット仕様だって。」
 ルマリが言うとおり、細い柱で連結された17の盤面と、夥しい数の駒が展開されていた。他にも太陽を模したオブジェや、建物や乗り物のミニチュアまであり、チェスらしさは盤面と駒の白黒のツートンカラーくらいしか感じられなかった。
「駒の種類は72種類もあるし、すごく複雑。一応『取られた駒は使えない』『キングを取られたら負け』って基本は残ってるけど、他にいっぱい追加ルールがあって…盤面の状態を理解するので精一杯でどっちが優勢かは私じゃよく分からないなぁ。」
 ベリルにしてみれば、状態を理解できているルマリは十分すごいと思えるくらいだった。彼女は人間であった頃から頭脳派だった。病弱でとても白兵戦などこなせない貧相な身体で、知略を駆使して戦場に食らいつくその姿勢は、肉体派のベリルにとってはある種憧れるほどひたむきだった。
「たぶんあっち、向かって右の大王様が優勢だ。」
「なんで分かるの?」
「顔つき。あと、座り方。」
 ベリルの方が直感的な観察力には長けていた。向かって右に座る神は、よくみるとわずかに笑っている。その反対に座る神は表情こそ平静だったが、やや縮こまって考え込んでいる体勢だった。その対比から有利不利をベリルは読み取っていた。
「…そっか。」
 ルマリの返事は小さかった。少し間を置いて、またベリルに問いかけてきた。
「何が賭かったゲームか知ってる?」
「えっと、『1人の人間の生死』とだけ聞いてるけど。」
 ルマリはしばし黙り込むと、チェス盤を見たまま話を続ける。
「その人ね、英雄なんだって。一生懸命その世界の魔王?と戦って、あとちょっとで勝って終わるってところで、倒れちゃったんだって。」
 今度はベリルが黙り込む。
「右の大王様が勝ったらその人は死んじゃうんだ。せっかく頑張ったのに、あとちょっとでみんな報われるのに。」
「……思い出すな。」
 ベリルはやっとそれだけ絞り出した。胸の内にじくじくとした嫌な感じが広がっていた。今聞いた話はベリル達がかつて臨んだ戦いの結末に似ていた。あまりにも報われない、忘れようも無いほどベリル達の心に深く突き刺さった苦い記憶だった。
「…うん。だからずっと見てるんだ。」
 ルマリの眼差しは真剣だった。昔と変わらない、無力を痛感しながらも食らいつき、何かをなそうと足掻くひたむきさ。ベリルには眩しすぎるほどだった。

「ごめん。列車も待たせてるし、あたしは仕事して帰るよ。」
 体のいい言い訳をこしらえて、ベリルは中庭へと向かう。ルマリは少し迷った顔をしてから、一緒に着いてきた。
「せっかくだから一緒に行っていい?箱の中身、私も見てみたいの。」
「いいよ。居てくれた方が正直気持ち的には助かるしさ。」
 2人はバルコニーの階段を降りて、中庭へと入っていく。死神大王たちは見向きもしなかったが、その間に立っている2級天使が呼び止めてきた。
「あなたたち!何かご用ですか。今は見ての通り大事な裁定中なのです。急ぎの用で無ければ去りなさい。」
「急ぎの用がちゃんとあるんです。これを大王様に渡してくれと頼まれて持ってきました。」
 ベリルが持っていた箱を見えやすいよう頭上に掲げると、2級天使は口に手を当てて、それをじっと見た。どう扱うかを考えているようだった。
「一旦こちらに持ってきなさい。私が検分します。」
 ベリルとルマリはチェス盤の外をぐるりと周り、2級天使の元まで歩いて行く。ベリルが箱を2級天使に渡すと、2級天使は箱の縁に指をすっと伝わせる。すると箱の包装が卵の殻をむくようにつるりと剥がれ、中から出てきたのは何かの機械だった。
「んー?時計…?」
 四角い箱の前面に付いた2つの時計と、上面に付いた2つのボタン。ベリルは見たことが無いものだった。
「これはチェスクロックですね。なるほど。」
 2級天使はまた口に手を当てて考え込む。そしておもむろに両手を素早く合わせ、パンと大きい音を立てた。死神大王たちは今度はベリル達を見た。
「ラハン様、クヌ様!裁定中ですが失礼いたします。只今より、こちらの者から届けられたチェスクロックによる時間制限を設けさせていただきます!」
 2級天使の張りのある声に、死神大王たちは揃ってバツの悪そうな顔をした。時間をかけすぎているという自覚はあったのだろう。
「さすがにクレームが来たか。そこの天使君、申し訳ないね。余計な仕事を作ってしまった。」
 優勢な方の死神大王が、ベリルにねぎらいの言葉をかける。最高位の神とどう話したらいいか分からず、ベリルは緊張で声を詰まらせた。
「いえいえ、そんな、その…全然大丈夫です。」
「ハルベリヲクあたりの差し金だろう?彼にも気苦労をかけて申し訳なかったと伝えてくれ。あぁ、僕がラハンだ。よろしくね。」
 怒られるどころか謝られる拍子抜けな展開に、ベリルは目眩いすら覚えた。散々気をもんだ今日は一体なんだったのかと思うと、果てしない徒労感に襲われそうになったのでさっさと帰ることにした。
「あ、はい…。ではこれで、失礼いたします。」
「お疲れ様。さぁ、クヌ。時間制限出来たぞ。決断は早くした方がいい。」
 ベリルの生返事を気にも留めず、死神大王たちはゲームに戻る。クヌと呼ばれた死神大王はいくつかの駒の上で手をぶらぶらとさせ、本格的に悩み始めた。ベリルはその様子を眺めながら、ルマリと共に来た道をなぞってバルコニーへと戻っていく。しかし死神大王クヌの後ろを通り過ぎようとした瞬間、突然ルマリが立ち止まった。
「どうした?」
 ベリルが振り返ると、ルマリはじっとチェス盤を覗き込んでいた。そして死神大王クヌが駒の1つに手を伸ばし、動かそうとするのを全員が黙って見入る、その瞬間だった。
「それを動かすと竜騎兵(ドラグナー)の包囲範囲に入っちゃいますよ。」
 ルマリが急に声を上げた。静寂に満ちた瞬間だっただけに、さほど大きな声でも無いにも関わらず強く響くような感じがした。ベリルも2級天使もクヌもラハンも、呆気にとられた顔でルマリを見つめた。見つめられたルマリは大きく目を見開いて固まっていた。重苦しい沈黙がしばし流れた後、最初に声を上げたのはラハンだった。
「おいおい、外野から横槍なんて、無粋なことをするねぇ。」
 怒っている気配は全く無く、ただ呆れているという調子だったが、言われたルマリは顔を蒼白にして震え始めた。遙か格上の神に相手取られているのだからそうもなるか、と横目で見ながらベリルは思った。そして続けて思った。友人として助けたい、と。
「すみません、出過ぎた真似をしたかもしれません。でも。」
 ベリルはラハンに向かって話しながら、震えるルマリの手をぎゅっと握った。ルマリはぎこちない動きでベリルを見る。
「でも?」
 ラハンが続きを促す。ベリルは続きを言おうとしたが、口から出なかった。最高位の神に意見する畏怖に、ベリルも怯えていた。ベリルが完全に黙り込んでしまうその寸前、ルマリが手を握り返した。その力は弱々しいものだったが、ベリルを突き動かすには十分だった。
「あたしたちはハッピーエンドの方が好きなんです。」
 ラハンにしっかり向き合い、ベリルは力強く言った。ルマリも無言ながらも、前を向いて頷いた。ラハンはぽかんとしていたが、やがて小さく笑い始めた。
「ふふ、どんな言い訳が飛び出してくるかと思いきや、直球勝負と来たか。……いいよ。気に入った。今回の件は不問だ。汝ら罪無し。」
「ありがとう、ございます…!」  
 横でルマリがへたり込みそうになるのを支えながら、ベリルは深く礼をした。ルマリも慌てて体勢を整えて礼をする。ラハンはひらひらと手を振って鷹揚とそれに応えた。
「さぁクヌ、ゲームに戻ろう。時間は有限だよ。」
「分かってるさ。」 
 蚊帳の外になっていたクヌが、再び動かす駒の選定に戻る。ルマリが慌ただしくバルコニーへと戻ろうとするのをベリルは引き留め、クヌの耳元に顔を近づけた。
「勝ってくださいね。」
「任せたまえ。」
 クヌは決意のこもった返事をしながら、騎士(ナイト)の駒を手に取り、するりと盤上へと送り出す。それを見てチェスクロックのボタンが押される。神々のゲームが再開し、もう天使の2人の出番は終わった。きっと上手くいく。そんな期待を抱いて、2人は手を繋いだまま中庭から離れていった。
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登場人物紹介

ベリル


元人間の6級天使。人間に戻るために仕事を請け負っている。情に流されやすい。

赤みがかったボサボサのロングヘアーの女の子で、服装もテキトーに選んでいる。

オルトル


ベリルの上司にあたる4級天使。純正天使なので人間味がほとんど無く、いつも事務的。

薄金色の白髪で、天使のイメージだいたいそのままの姿をしている。

ルマリ


元人間の特務6級天使。ベリルが人間であった頃から仲の良い友人。

薄灰色のショートヘアに青い瞳の、小柄な女の子。気弱な性格で、表情が顔に出やすい。

服装は仕事用の黒いローブを纏っている。

オブシディオ


元人間の特務6級天使。ベリルの最も古い顔馴染み。

身長2m近くのマッチョな男で、厳つい顔つきのため威圧感があり天使っぽくはない。

お洒落のセンスは高い。

ゼヘキエル


天使消失事件の調査チームを率いる、2級天使。

その強さゆえに自信家で、ちょっと高圧的。

アイオラ


天使消失事件の調査チームの1人で、情報操作や認知改竄を得意とする4級天使。

小柄で温和な話しやすいタイプ。

ドロウズ


天使消失事件の調査チームとしてベリルと同行していた、3級特務天使。様々な剣に変身したり出したりする能力がある。

後日、たまたまカジノに行くベリルと再会して同行する。

非常に情緒に乏しい割に、突飛な行動をしてベリルを悩ませる。

エグネヴィア


ベリルがばったり出くわしてしまった”眷属級”の悪魔。

所属は羊。

とある理由からベリルと対話をすることになる。

ダイア


ベリルが人間だった頃の、1番の友人。

ベリルの罪の原点。

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