―― N(約900字)

文字数 887文字

光が見えた。
目覚め、始まり、歓びの白。
窮屈な場所で僕は()(じろ)ぐ。もう少しだけ、うとうとしていたい。
でも、

「……、…………。……」

呼んでいる。誰かが。
魂が震え、熱をもつ。僕は薄膜に爪を掛けて――、





大樹の根に抱かれ、苔で覆われた空洞は、彼らの揺り篭だった。
最奥には、膜に(くる)まれた胚の微睡み。

頭上から一筋の光が流れ落ちる。
とろりと照らされた――未だ生まれ出でぬ魂の眠りを、柔らかい爪が内から割り開いてゆく。
ねぼすけな最後の一人は今世に顔を覗かせ、伸びやかに喉を鳴らした。

「kkkkkr... Krrt...」
「おはよう、初めまして。美しい朝ね」

世界に触れたばかりの貴方は少し小柄で瑞々しい。
赤瑪瑙(カーネリアン)の目が濡れて揺らめき、何度も瞬いて、ゆっくりとこちらに焦点を結んだ。

「あなたは……僕を、呼んでいた?」
「ええ。わたくしは貴方に遭いに来ました」
「じゃあ、ずっと一緒にいよう。krtk, 澄んだ魂のひと」
「まあ!」

幼さゆえか、生来の気質か、なんて率直でいじらしい。
去年の貴方は控えめで、心を言葉に表すことは稀だった。かわりにいつも寄り添ってくれた。最期の時まで。

記憶が、重たい鎖となって、次々に心を巡る。
去年。一昨年。最初の夏――、その終わり。

「ねえ、悲しい? 嫌だった?」
「……いいえ。嬉しいのよ。どうかわたくしと添い遂げて、愛おしいひと」

不安げだった目元が緩んだ。
若芽の繊細さで傾げられた頭に、指を添え、頬をそっとなぞる。ふっくらした笑みを、夜明けの祝福が照らしている。

数日のうちにも瞳は金属の艶を得て、水琴鈴に似た高い声は馴染みの音程になるだろう。
その移りゆく姿を、貴方と過ごす三月(みつき)の彩りを、全て見つめていたい。刹那も逃さず傍に居たい。

「Krktr. ありがとう。僕もとても、嬉しい」

爪をきゅっと握り込んだ手で抱き締められる。
首筋に顔を(うず)め、深く息を吸う。記憶の中のものに良く似た、知らない香り。

「温かいわ」
「kr, ふわふわするね」

静穏の狭間で互いの命を確かめ合う。
一粒だけ落ちた涙は、貴方の背で煌めき転がっていった。

同じく愛したことはない。
夏が来るたび鮮烈に、貴方と恋に落ちる。


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