花粉症のせいでトラックに轢かれた俺、杉を枯らすチートで異世界を蹂躙する
文字数 8,965文字
表紙イラストは白亜むた様の画像メーカー「警鐘が鳴ってる」で作成しました。https://picrew.me/ja/image_maker/1428508
文字数 :約9,000字
ジャンル :ファンタジー
キーワード:異世界 転移 チート 杉 花粉 滅びろ
コメント :当短編は花粉症への怒りでできています。
◆◆◆◆◆◆
「っ、へくち」
いやに可愛げのあるくしゃみがマスクの下から飛び出す。
――それが平凡な高校生である俺、
◆
「……異世界、転移?」
「そうなのです。不遇の死を遂げた焼斗さんに、焼斗さんのままやり直しのチャンス! この女神シダー様がぴったりの異世界を探してあげるですよ。そしてそして、今度こそ人生を謳歌してもらえるようにお望みの能力も授けちゃうです!」
通学途中だった俺は制服の身一つで、どこまでも続く雲の上に立っている。何かが身体にぶち当たって強い衝撃を受けたと思ったら、ふっと浮かぶ感じがしてここにいたのだ。遠い地平線ならぬ雲平線がふかふかの白と澄み渡る青天を切り分けていた。
この場には俺と、自称女神の二人きり。頭悪そうな喋り方で捲し立ててくる女神様は深い緑髪のスレンダーな美女だ。外見だけなら。
どうでもいいが、空の上なら花粉症も平気なのでは。俺はマスクを外した。
「ぶえっくし。っ……、なるほど、そういうのアニメで見たことあるよ。本当は死ぬ運命じゃなかったのに神様の手違いで~、ってやつだろ」
おかしいな。死ぬ前に吸った花粉が体内に残ってるのか? 制服についてたとか?
「あ、いえ。焼斗さんは間違いなく今日死ぬ運命だったですよ」
「えっ」
「ただ少々……死因が申し訳なくてですね。八百万の神の中でちょうど私が今日の転移担当だったので、特別サービスなのです!」
「死因って、どうせトラックにでも轢かれたんじゃないの?」
アニメの記憶から適当に予想する。
女神は視線を逸らしながらもじもじと指を組んだ。つんと尖らせた唇が少しだけ可愛い。
「えっと、それはご明察なんですけど。焼斗さん、花粉症で目がしょぼしょぼしてて、しかもタイミングぴったりにくしゃみなんかしたせいで、突っ込んでくるトラックに気付かなかったのです」
「それでどうして神様が申し訳ないの」
「……てへ。私、地球上の杉を司る神なのでえ。今年はうちの眷属が例年の十倍くらいハッスルしちゃって、ご迷惑をお掛けしたなって。……あ! そうそう、シダーって名前も杉を意味してるのですよ!」
ぱ、と顔を明るくして話を変える女神。その身振り手振りの度に、外跳ねの髪から黄色い粒子がキラキラ舞う。
「っくしゅん!」
「というわけで。行ってみたい世界観、欲しい能力、思い付いた方からどーんと話してみるです!」
「半径10km以内の杉を枯らすチートをくれ」
前言撤回。こんな女、微塵も可愛くねえ。
「そ、そんなことしたら転移先の杉神からクレームきちゃいますう! 第一、そのピンポイントすぎる能力で新人生を満喫できる世界なんて……」
「能力は絶対変更しないぞ」
ぐずぐず渋る女神をせっついて候補となる異世界を探してもらう。速攻でマスクを着け直した俺だが、吸ってしまった花粉はどうにもならず、こっちもぐずぐずだ。くそったれ。
女神はやたら分厚くてデカくてツートンカラーの、ノートと呼ぶのが憚られるノートPCを取り出して、手早く何かを打ち込んだ。凄い。あんな型落ちPC現世でも見たことない。神界のインフラが危ぶまれる。
「あ。えっ、嘘お」
「あったんだ? ふさわしい異世界……っぇくちゅ!」
「うっ……。でも焼斗さん、人間と魔族が争っている状況で魔族側に荷担するのは平気です? 嫌じゃないですか? 他の条件ならもっと良い世界があるかもですよ?」
そうきたか。ちょっと捻っているが漫画なんかでもありそうなパターンだ。
そもそも『あの能力で満喫できる世界』を検索したんだから、俺が悪者にされることはないだろう。
「実は人間の側が侵略者、って事情ならOKかな」
「あっハイです……」
こうして俺は、しょんもりした杉女神に送り出され、燐光の転移門をくぐったのである。
◆
「開け異界の門よ、我等に勝利をもたらす英雄を導け……ッ!!」
切々とした、
突き上げるように、断続的に揺れる地面。暗闇に立ちこめる赤光と煙。
その中心に俺は降り立つ。
「……成功か! 英雄よ、早く顔を見せい!」
声の主であろう影が片手を挙げると、生じた上昇気流が煙を払い、頭上にどこまでも続く筒のような空間が見渡せるようになる。
現れたのは――全体としては人に近しい姿。
だが側頭部には悪魔のごとき捻れた角、背負うは漆黒の烏の翼。腰から下に見えるのは、硬質な鱗に覆われた竜尾だ。距離を空けて向かい合うだけでざわつくような威圧感がある。
そして声とシルエットから薄々予想していた通り、それは身長130cmぐらいの女の子だった。燃えるような赤髪は二つ結びにされている。ツインテ
ともあれ俺はこの子に召喚され、この異世界に現れた
「ぬ。貴様、人間か? 何か申せ。魔王の御前じゃぞ」
「あっ、はい。俺は杉森焼斗、人間だよ」
むっとした表情の魔王に挨拶するため再びマスクを外そうとしたら、そもそも着けていなかった。転移の際に持ってこれなかったようだ。
花粉の発生源女神からさっさと離れたい一心で、転移先について詳しい話を聞いていなかったが、これはどういう状況なのだろう。
「スギモリが名か」
「や、そっちは苗字で、名前は焼斗」
「ではショート。我、ミレニア・セント・サイプレスが統治する魔国のため、悪しき人間どもと戦う気概はあるか」
「それは事情によるな」
簡潔な説明ありがとう。
となれば十中八九、手を貸す流れだろうが、一応確認はしておく。このミレニアは正真正銘の悪者で、袂を分かったあと別の善良な魔族に出会うって
ロリっ子とはいえ魔王を名乗る存在に対して危機感がないのは、そして状況を他人事のように捉えているのは、ここが俺の要望に沿って選ばれた世界だからだ。
漫画やアニメのように、都合良く活躍できる場がお膳立てされている――そう思っていた。
要は慢心していたのだ。転移してしまったが最後、俺はこの世界の一住人で、チートだって万能じゃない。この時は、それをまだ知らなかった。
「よかろう、思慮深いのは嫌いではないぞ。落ち着ける場で懇切丁寧に説明してやる」
ニヤリと笑ったミレニアに先導され、俺は木製の階段を延々上っていく。道中に窓は一切ない。
体感で十階分くらいをぜえぜえと踏破し、やっと現れた大扉を、小さな魔王が全身でうんしょと押し開けた。
――絶景、だった。
踏み出した先、淡い菫色がぐるりと天球を染めている。それを飾るのは薄紅の千切れ雲で、天頂から同心円状に広がっていく。見慣れぬ色彩は地球の夕焼けに近い。今の時間帯特有なのか、それとも魔国ってのは常にこういう空なんだろうか。
ここはおそらく城の屋上階。立ち並ぶ茶色の尖塔の先っぽに、湿った冷たい空気が絡みつく。視線を遠方にやると山水画のように峻厳な峰が折り重なって地を埋め、うねる河は枝分かれし渓谷を縫って迸っている。
クオンと甲高い声に振り向けば、風を斬って『く』の字の隊列が飛来するところだった。鳥に見えたそれらは近くに迫るほど巨大になり、俺達の周囲を旋回してあっという間に飛び去っていく。
「
戸建住宅ほどの大きさのが十はいただろう。しかも全てに騎手が乗っていた。
「我が親衛隊の竜騎士どもよ。猛々しかろう?」
「ああ、凄いなっ……ふぇっぐしゅ!!」
「……ッ! 王城にすら、人間どもの垂れ流す穢れが届いておるというのか。英雄よ、悪いがまず屋内へ」
「け、穢れ? ふぇ……ふぇ…………」
くしゃみが鼻の奥で燻っている。
何だか嫌な予感がするぞ。ファンタジーへの興奮をかき消してしまうぐらいマズい予感が。
「……っふー……ズズッ。なあ、一つだけ先に教えてくれ、倒したい人間ってのはどんな連中なんだ」
「シダー王国を名乗る侵略国家。我等には毒となる樹木を操り、領土を侵しよる下衆よ」
「協力しよう。そんな悪逆非道の輩は滅ぼすべきだ」
のじゃロリ魔王は目をぱちくりとさせて、それから大きく溜め息を吐いた。
「助かるが……んん……まったく、ぬしを思慮深いなどと評したのはどこの誰じゃ」
◆
この世界の人間や亜人や魔族は、生まれた土地によって特定の植物種と結び付いている。魔力を分け与えればすくすく繁り、加工することで様々な道具や魔法の媒体になる。木剣は《鋭化》を帯びて大岩を両断し、木片を縫い込んだスケイルメイルは《硬化》して猛牛の突進にも耐える。あらゆる面で植物中心の文明が発展した世界なのだ。
シダー王国は国名通り、杉を使う。折しも季節は春。魔国サイプレスの民の多くが杉花粉アレルギーなことに目を付け、国土を杉林で侵食したり花粉の煙幕弾を撃ち込んでくるらしい。マジかよ人間最低だな。
「……ま、それも過去の話だけどな」
というわけで。俺はミレニアと共に、小競り合いを繰り返す国境の長い砦に立っている。どこぞの長城みたいなやつ。
「ショートよ、今日も護衛はいらぬのか」
「ん。それより杉が枯れたらすぐ動けるよう待機しててほしい」
領土侵犯の杉野郎をチートで蹂躙すること数日、もう慣れたもんだ。
「頼もしいな。武運を」
変装を兼ねてごつい木のマスクを装着したミレニアは満足げに頷き、階下に戻っていった。
前方シダー領には、圧倒的な杉、杉、杉林。昨日も枯らしてやったのに一晩でかなり増殖している。カビみたいなやつらめ。
魔国側の砦もまた、ほのかに香る木造だ。俺はその高みから樹影に潜む人間兵達を見下ろした。たまに飛んでくる矢は俺に届くことなく朽ち果てる。
「すげえよな、花粉も寄せ付けないなんて」
杉を枯らすチートは生木だけでなく、杉を素材にした品、魔道具にまで及ぶ。特に周囲10mくらいは効力が常時漏れ出していて、意識して能力を抑えない限り片っ端から萎びていく。
そして一番重要なのは花粉に効くことだ。立ち上る黄色の煙幕が俺の周囲だけぽっかり消失するのは爽快だった。
「へくち」
――まあ、杉以外の花粉も飛んでいるのか、たまにくしゃみは出るけど。イネかな?
ともあれ俺は、姑息な人間共にしっかり見えるようマントを翻し、大げさに右手を掲げた。こういうのは派手なほどいい。
「
解放感が身体を満たす。魂に刻まれた能力が目を覚ます。
それは
俺が望んだ、杉を滅ぼす力。最大射程はちゃんと10kmある。
「いまだ、逃すなッ!!」
下方でミレニアがロリ離れした咆哮を上げ、砦から我らが魔族の精鋭があふれ出る。壁と装備を失い後退しようとしていた人間達は、あっという間に捕縛されていった。
これでカタはついた。――昨日までなら。
俺は視界の端に怪しい一団を捉えた。展開したチートのギリギリ外側にいるのは偶然じゃないだろう。動きは整然として、連日無策で陣取っては蹴散らされていく雑兵と明らかに違っている。
「何か企んでるのか……? もう少し範囲を広げて、ッ!?」
能力を再制御する直前。人間達は一本の杉をゴムのようにしならせ、銀色の砲弾を撃ち出した。
チート圏内を平然と突っ切り、放物線を描いて飛来する。太陽の光を受けギラギラと輝きながら――。
「クソッ、杉製じゃない兵器もあるのかよ!?」
何らかの魔法が掛かっているのか、弾が近付いただけで足元の砦がバキバキと軋み始めた。崩落に巻き込まれるのを恐れて俺はサイプレス領側に飛び降りた。
まだらに銀を纏った砲弾も、砦を斜めに削り取りながら落ちてくる。
予想していた衝撃はない。
それは上空で
「は、人……? いやそれより、その服……」
「やっぱり。あなたも日本人なんだ」
顔を上げたのは、同い年くらいの、女子だ。要所要所に防具を着けているが、その下は紛れもなくセーラー服。ざっくり結んだ茶色のポニーテールが風に靡いている。
「戦って。私はキリカ、あなたを討ちにきた」
◆
砦の向こうは大騒ぎだが、ざわめきが異様に遠く感じる。二人以外存在し得ない緊張が周囲を満たしている。
キリカは硬い面持ちで得物を構えた。鈍い光沢の剣、それに胸当てや手甲は金属製。植物との結び付きがない異世界人ゆえの装備で、実のところ俺も似たような格好だ。
「人間側の英雄、ってことか」
「違う。そんな大層なものじゃないよ。……あなたはそちらの国でうまくやってるんだね、羨ましい」
「え、訳あり? 降伏してくれれば保護できると思うけど。うち、捕虜の扱いは紳士的だよ」
「優しいんだね。でもこれ以上は……問答無用!」
ヒュオ、と間の抜けた音を残して、キリカが瞬時に懐へ踏み込んでくる。俺は斬撃を自分の剣で逸らしながら飛び退いた。
互いに現代日本の学生の動きじゃない。転移特典ってやつだ。それは運動性に限らず――、
「逃がさない。……《疾爪》!!」
「く……っ、《影盾》ッ」
キリカがその場で剣を振ると、三筋の青白い斬撃が迫り来る。
俺は盾の裏から影を引き出してそれを弾く。
――魔法の素養。植物を操る力がないだけで、一般の魔法は異世界ネイティブと比べても上々の腕前で扱えている。
間髪入れず突っ込んでくるキリカを俺は強引に押し返した。もっと抵抗があるかと思ったら、意外に軽い手応えでキリカは後ずさる。
武器と魔法を併用する同じ魔法剣士タイプでも、どうやら俺の方が剣技寄り、キリカは魔法寄りだ。距離を取られるのは不利と判断して、俺は初めて自分から踏み込んだ。
狙いは剣。まずは戦意を削ぎたい。
「何でだよッ、同郷のよしみだろ、穏便に解決できないのか!?」
「っ、……」
立て続けに剣を叩きつけるとキリカはじりじり後退していく。息切れ覚悟のがむしゃらな連撃。でも、相手はそれ以上に圧されている。
――間に、合う!
体勢を崩したところにつけ込み、俺は渾身の一撃で剣を弾き飛ばした。硬質な音が響いて、キリカはそのまま尻餅をついた。
「負けた、か。……ごめんなさい、あなたはなにも悪くないのに、命を狙ったりして。もう抵抗はしないわ」
魔法一本で粘られる可能性も考えていたが、キリカはおとなしく両手を挙げて目を閉じてしまう。
「……事情を聞かせてよ。シダーの奴らに、無理矢理戦わされてるとか? 魔国につく気があるなら
「ありがとう。でももう、間に合わない。私の命はあと僅か……体内に杉花粉のカプセルを仕込まれてるの」
「は?」
は?
ふざけているのかと思ったが、事情は本気で深刻だった。
敵は杉を操るシダー王国。奴らの力により、花粉はただのアレルゲンではなく生命を脅かす猛毒になっているという。
「……マジかよ。そのカプセル、どのくらいで溶け出すんだ」
「正午過ぎ。太陽は真上にあるから、いつ効果が出てもおかしくないと思う」
「いや待ってくれ、俺のチートは杉を無力化できる。あんたの中の花粉だって消えてるはずだ!」
俺は砦の向こうに見える、黒く立ち枯れた杉林を指差した。キリカは能力の効果範囲を横切っているし、そうでなくとも俺の周囲10mは常に杉禁域だ。
「無理よ。その能力、生物は透過しないの」
「そんな弱点知らないぞ!?」
「でしょうね。あなたを倒そうとする人の方が、あなたの力について熱心に決まってる。徴集した農兵をぶつけながら、王国軍の上層部はずっとデータを取っていたんだよ」
「……俺が戦ってたのは使い捨ての囮だったってことか」
チート。英雄。信じていた足元が、瓦解していくようだった。
敵は俺の考えも及ばないくらい、悪辣だ。
そうやって俯いていたせいで気が付くのが遅れた。危機的状況だというのに律儀に会話してくれていた、キリカの返事がない。
「っ、……かはっ……」
「キリカ!!」
滑らかな額に大粒の汗が浮いている。声の代わりに、ぜえぜえと重い呼吸が聞こえた。
「ふ、【
力ない両肩を掴んで、チートを一点に集中する。
キリカは苦しみに喘いでいる。
「クソッ、もう一回……」
「も、ぅ……」
「なんだ? 何て言った!?」
もう、いいよ。
色の失せた唇がそう動いた。
焦点の合わない目は諦めに満ちていた。こんなことがあってたまるか。キリカは――国に裏切られ、道具のように使われ、息絶えようとしている。
空気とともに口の端から血が流れて、白い唇を伝った。
僅かに口角が上がる。最期の哀しみを毅然と押し返すように。
俺は――落雷のごとき衝動で、血濡れの紅に口付けていた。
◆
あれから一年が経つ。太陽が赤く燃え、作物が実り、寒波が地上を襲って、穏やかな気候が再び巡ってきた。
春。憎き花粉の季節。
「何故じゃショート! 伝統を滅ぼす気か!?」
「公害の上に成り立つ産業が栄えてたまるかよ」
「サイプレスの建築や工芸は大陸でも稀なる文化じゃぞ! 貴様も好きじゃろうが檜風呂!」
びゃんびゃん吠えるロリ魔王をいなしながら、俺は石造建築を手掛ける組合への支援金を可決した。
――両国にとっては後世に伝わる激動の一年だったろう。
端的に言うと前シダー王家は滅び、サイプレスの介入により共和制に移行した。攻めに転じるべきだという俺の強硬な主張、それにシダーの非人道的な振る舞いにミレニアが憤慨したことが大きい。侵略ついでに国土の杉林は2/3ほど枯らしておいた。
その過程で、衝撃の事実が判明した。魔国サイプレスは檜の国だったのだ! つまり転移後のアレルギー症状は全て、人間が放った花粉煙幕ではなく、普通に檜花粉のせいだ。
詐欺じゃねえか。
俺は召喚英雄特権と戦功で得たポジションを活用し、檜以外の産業育成に力を入れている。いづれ檜林の2/3は切り倒してやる。
「それより王様、今日はシダーの元首と会談だろ。そろそろ行かないと」
「……ふん。あのような杉女、待たせておけばよいわ」
「焼斗さん、今日こそ私の話を聞くです! あなたはこの世界の秩序を乱し過ぎなのですよ。杉神どころか檜神からもクレームの嵐が……」
「俺はしがない一貴族なんで。ご高説はうちの
「おぅおぅおぅシダー殿? 帽子がずれそうじゃぞ。我が城で穢れなぞ撒き散らそうものなら頭だけ送り返してやるからの」
「うう、こんなヤクザみたいな子と会談なんて無理なのです! 元首辞めたいよう」
食品工場の衛生帽みたいなので髪を覆った女神が、ぐずぐずと愚痴っている。厳密には元女神、か。
俺が好き勝手に杉を枯らしまくった結果、この世界の杉を司る神は憤慨し、地球の杉神シダーに事態の収拾を求めた。だが異界に降りた神はその権能の大半を制限され、髪から無限に花粉が出る以外は一般シダー国民と同程度の力しか持たなかった。あれよあれよという間に傀儡元首の完成である。国内では慕われているらしいけど。
どうでもいいが紛らわしい名前だな。
「昼は暴君の相手、夜は現地神の
「あとは偉い者同士でごゆっくり~」
あのオンボロPC、ネット見れたのかよ。
振り返りもせず手を振るミレニアと卓に突っ伏すシダーを応接室に残し、俺は城の屋上に向かった。
クルクルと上機嫌の唸り声が聞こえる。シダー共和国に停戦の証として贈られた騎竜。その鱗を磨いていた影が、ふわりとこちらを向いた。
菫の空に高く結った茶色の髪が舞う。
「……護衛お疲れ。杉女神の側近も大変だな」
「焼斗」
詰襟のローブに鈍く輝く鎧、腰に下げた儀仗剣は、共和国騎士の正装だ。
「斬架の近くは花粉症がラクだわ……」
「私も。焼斗がシダーに来るとほっとする。一番苦手な花粉に勝てる能力を貰ったのに、他の花粉が蔓延してる国に召喚されるなんて、お互い難儀だよね」
「俺は杉相手に無双したかったから。納得はしてるよ」
そう考えると当初の斬架の境遇は本当に悲惨だった。不遇の死を遂げた女子高生が人生をやり直すには、明らかにハードモードだろう。
「眉間に皺。……もしかして、旧シダー王国のこと考えてる?」
「まあ、うん。転移担当の怠慢じゃないか? あんな酷い扱いを受けてたの」
「ううん。結果的には希望通り。……あっ、違うの、被虐趣味的な意味じゃないから。私が第二の人生に願ったのはね、」
薄く目を細めて、斬架は小首を傾げる。緩んだ口元はなんだか危うい魅力を孕んでいる。
細い指先がゆっくりと、俺の唇を辿った。
心臓が高鳴る。
「……素敵な恋、だよ。あんな情熱的に助けてくれて嬉しかった」
あの日。
俺はチートの『
ただの思い付き、ただの駄目元。でも目の前で死にゆく斬架を連れ戻したい、落雷のごとき衝動だけは本物だった。
「ねえ。うちの国がもうちょっと落ち着いて、サイプレスの色んな産業が軌道に乗ったら、二人で国境辺りに住まない? 私、焼斗と……」
「ま、待ってくれ!!」
「嫌?」
「嫌じゃない! それは、その時に、俺の方から言わせてくれ……!」
斬架はくすりと微笑む。可愛い恋人の仄かな声に目眩がした。
――これが俺の大団円、第一部完ってやつだ。
明日から波乱に満ちた第二部が始まるのか、それとも幸福なエピローグが続いていくのだろうか。
だが前途は晴れやかで、不安は欠片もない。
斬架となら、杉も檜もどんな筋書きも、蹂躙してしまえるだろう。