不条理不動産(謎賃貸、現代/約2500字)
文字数 2,750文字
文字数 :約2,500字
ジャンル :その他
キーワード:現代 不条理 夢日記 ある意味ノンフィクション 混沌 賃貸物件
コメント :作者が見た夢を文章化したものです。いくらか想像で補ってはいますが九割見たまんまです。何、この……何?
なお作中のロフトは現実では二階の扱い(つまりこの部屋はメゾネット)になると思われます。
そういう問題ではない? それはそう。
◆◆◆◆◆◆
――こんな夢を見た。
その街には三本の主要道路が扇状に走っている。三本が交わる根元には鉄道駅。駅を起点として、一つの方角に偏って発展した街なのだ。
それぞれの道路はカラーがはっきりと分かれている。端の一本は百貨店やモールが立ち並んだ商業エリアを通る、気取ったメインストリート。真ん中の一本は特徴のない街路で、両脇にはマンション、アパート、戸建て、スーパーなんかが見える。
最後の一本は――あまり治安の良くない路地だった。何を売っているのか分からない店舗や怪しげな飲食店、ぎちぎちの集合住宅が煤けた表情を晒している。街の人々はスラムと呼んでいるらしい。
さて、道路の交点である鉄道駅から徒歩数分の場所に、三本全ての道路に接する巨大な建築物がある。想像してみて物理的にありえないと思ったかもしれないが、実際そう建っているんだから仕方ない。複数の棟を地階や連絡通路で繋いだ複合建築なのかもしれないし、三次元の制約から解き放たれた構造かもしれない。
その建物のメインストリート側の一部は高級志向のシティホテルとなっていて、他の部分は全て賃貸住宅だった。
ちょっと人気のインディーズバンドウーマンであるところの『私』は、先日そこにセカンドハウス的な用途で部屋を借りた。治安の悪い路地に面した安部屋だ。
内見もせずに借りることを決めたうえ、契約後しばらく入居せず放置していた。なのでそろそろ部屋を整えるか、と鍵を受け取りに行ったとき、不動産屋が案内してくれることになった。
シティホテルのフロントからずんずん入り廊下を抜けていく。広いはずの廊下はパーティションで左右に区切られており、片側にはエアロバイクが斜めにぎっしり置かれている。
ホテルは『フィットネスジムあり』を謳っていたが、まさかこの駐輪所もどきをジムと言い張るのか。高級シティホテルの皮が剥がれているが大丈夫か。そもそも宿泊客と入居者の動線が重なるのはどうなんだ。
不動産屋は歩きながら、そつなく雑談を振ってくる。
「地元民は治安が悪いって敬遠しますけどね。この建物、裏側の方が賃料安くて面白い部屋が多いんですよ。泥まみれの部屋とか」
泥まみれって何?
表側――商業エリアから入った『私』達は裏側――通称スラムの方まで移動していたようだ。折角なので一旦路地に出て、話題の部屋(現在空室)を外から覗かせてもらった。
まず窓が大きい。七、八畳の部屋の長辺が治安の悪い通りに面していて、そこにでかでかと嵌め殺しの窓がある。防犯面が不安だ。開かなきゃ良いってものではない。
そして丸見えの室内は、壁の下半分と床が泥まみれだった。泥に汚れていない壁の上半分はイカれた真っ黄色。バストイレなしキッチンなし収納なし1R、泥つき。リフォームってレベルじゃないので血痕でも隠しているんだと思う。
「これが部屋の資料なんですけど」
不動産屋がぺらの物件資料を書類入れから出して見せてくれた。
このビルは賃貸の各部屋を番号ではなく小洒落た名称で管理している。資料に書かれた泥部屋には一文字、『雅』。全然みやびやかじゃねえよ。
ともあれ予定通り『私』の部屋に着く。不動産屋はぺこりと頭を下げて帰っていった。
この部屋の正式名称は『希望の轍』。それが藍色の扉に金字で貼り付いている。
玄関を開けると、目の前に天井の高いログハウス調の室内が広がる。間取りはバストイレ別1Kロフトつき、居室は広め十畳。このスペックの部屋が、スラム沿いってだけで格安&礼金なしで借りられる。旨い話だ。
入ってすぐ右手には、天地に隙間の空いた簡易ドアがあった。――いや、待て。さっきこの部屋のすぐ右隣に別の玄関扉を見たぞ。部屋名を仮に『青春の影』とするが、まさか『希望の轍』と『青春の影』は直に繋がっているのでは。
危惧したまさかはまさにその通りであり、ドアの上部には『C-215』と番号が書いてあった。普通の部屋番号もあるんかい。
簡易ドアは、公共施設の安っぽいトイレドアそのものだ。鍵はスライド錠一つで、しかも外れている。不動産屋が掛けていなかったのか? それとも、隣室の奴がどうにかして外しやがったのか?
深呼吸してから改めて自室を見回すと、放置していた割に清潔で所々に物が積まれていた。床には段ボールがあり、作り付けの棚には本が数冊。ソフトカバーの技術系入門書のようだ。
『私』は蝶番ごとぶち壊す勢いで隣室へのドアを押し開けた。
向こうの部屋には気弱そうな丸眼鏡の青年がいた。びくりと肩を跳ねさせ、それからばつが悪そうに曖昧な笑みを浮かべる。『私』は全く懐柔されることなく、とっととてめえの私物を引き上げろ、という意味のことを吐き捨てた。
青年が片付けながら弁明した内容はこうだ。彼は近隣大学の学生であり、春から下宿を始めた。鍵は元々開いていて、いけないと思いつつ便利だったので物置にしていたと。なるほど確かに高校生に毛が生えた程度の頼りなさである。蹴れば折れそうなへにょへにょ具合。
お坊ちゃんの私物一切合切を『私』のプライベートから追い出したところで、間仕切りのドアに鍵を掛けた。こんなの借りる時には聞いてないぞ――たぶん。後でガチガチに封鎖してやる。
残置物がないかくまなく部屋を確認し、最後にしっかりした階段でロフトに上ってみる。広さは六畳もあって、しかも屈まずに歩けるのが良い。床の中央にはちょうど二畳分の正方形の穴が貫通している。そこに遊具に使うような丈夫な網を張り、寝転がれるようにしたハンモックがこの部屋の目玉である。
残念ながら網の固定が外れ、三分の一ほどが居室に垂れ下がっているが。
いや怖いわ。最初から壊れているからまだマシで、仮に飛び乗った瞬間にすっぽ抜けていたら死が見える。流石スラムの安賃貸。
代わりにどうぞ、とばかりに布団が一組置いてあったので、『私』は思考放棄して突っ伏した。そして顔を上げると、視線が合った。
「あ、どうも……」
丸眼鏡の大学生が困ったように愛想笑いしている。
ロフト部分の隣室との境界が、スケスケメッシュの金網だったのである。
レオパレスかよ。
疲れ切った『私』は今度こそ目を閉じ、世界ごと私に還っていく。私は夢から醒め、彼らがあの後どう生活していくのか、知る機会はないのだった。