第21話

文字数 5,085文字

「まずは近いところから回ってみよう」

 人があふれ賑やかだった街並みは、次第に点々と建物だけのさみしい景色へ代わっていく。空港からの道のりでも思ったけど、都会と自然の差が激しい。ゴミゴミとしていた道路はいつしか空が広く、どこまでも続く道のりに代わっている。

「禄朗が見つかったら、どうする?」

 ハンドルを握りながらAllyは問いかけた。

「ずいぶん会っていなかったわけでしょう?お互いにそれぞれ生活していたじゃない、それでもまたうまくやっていけると思ってる?」
「そうだね」

 考えなかったかといえば嘘になる。禄朗といた時間より、離れていた時間の方がはるかに長い。好きだと思っているけれど、過去の彼に恋をしているだけなのかもしれない。今、再び顔を合わせて恋愛に発展するのか……わからない。そしてそれは彼にも言えることだった。

「でも会いたいし、もし一人で道に迷っているならそばにいたい」
「もし禄朗が思っていたのと変わっていても?」
「……うん」

 雑誌や写真の中でしか逢えなかった禄朗。知っている彼よりいくつも年齢を重ね、いろんな人と出会い、時間を経た彼は優希の知っている禄朗ではないのだろう。
 なぜこんなに執着しているのか。いつまでも忘れられないのか。

「禄朗はぼくの初恋でただ一人の人なんだ」
「初恋?」
「そう。恋愛に疎くて誰かに興味もなかったぼくが、唯一一目で恋に落ちて欲しいと思ったのが禄朗なんだ。今までの人生でそれは変わらない。彼以外に恋をしたことはないよ」
「結婚してたじゃん?」
「それとはまた違うかな、あれはなんだろう……家族としての情はあってもドキドキしたりしなかったり、そういう感情とは違ったし……責任は果たせてないけど、そんな感じ」
「ふうん。禄朗も同じようなこと言ってたな」

 彼は遠くを見つめて呟いた。

「優希が初恋でほかの人とは違うって。優希以外に欲しいと思った人はいないよって」
「そっか」

 いまもそうであってくれたら嬉しいな、と緩む頬を抑えながら外へ視線を向けた。流れていく景色は禄朗のもとへ、つながっているのだろうか。

 ナビを見ながら「このあたりかな」とAllyは車をドライブインへ向けた。

「滞在するならそのあたりのお店に寄っているかもしれないし、聞いてみよう」
「そうだね、気がつかなかった」

 カウンターにいる店員に写真を見せ聞いてみるが、見たこともないとの返事。

「何件かあたってみよう」

 だがどこのお店でも、見たことがない以外の返事はなかった。すぐに見つかるとも思っていなかったので、次の候補へ車を走らせる。

 空は色を落とし、濃い青へ変わっていく頃。Allyは車を停め、「今日はここに泊まろう」と言った。

「ここもいい撮影スポットだって評判のキャンプ場なんだ。施設もそろっているし安心して泊まれる」
「うん、運転疲れただろ。お疲れ様でした」

 助手席に乗っているだけでも体中がバキバキと音を立てる。途中で買ってきた食材で簡単な調理をするのは優希が引き受けた。

「せめてこれくらいはさせて」
「じゃあ頼むね」

 火をおこし、ただ焼くだけの料理ともいえない食事だったけど、満天の星空の下で食べる味は別格だった。

「キャンプって実は初めてなんだよね」
「そうなんだ?」

 仲の良い家族で行うイメージもあるキャンプは、優希の生活とは無縁だ。火を起こしたのも初めて。もたつく優希にアドバイスを送りながらも、彼は手を出さなかった。

「これで火もつけれるようになったし、いつでもキャンプに行けるな」
「そうだね。火がついたときは感動したよ!」

 顔を黒くしながらも炭の先端が赤く灯り、先端から白い煙を出すのを見た瞬間、嬉しくて飛び上がった。Allyと手を叩きあって喜んで実践することの大事さを強く理解した。どんなに大変でも自分で経験することが糧になる。

 パチパチと穏やかにはぜる火を眺めていると、心が落ち着いてくる。

「今頃、何してるのかな」

 ポツリとこぼれた呟きに彼は耳を傾けた。

「そんなに好きなら離れなきゃよかったのに」
「だよね。いつだって必死で、これしかないって選択したはずなのに間違えてばかりだ」
「後にならなきゃわからないことだらけだからな」
「本当に。全部意気地のない自分のせいなんだけど、ね」

 もし怖がらず禄朗を信じていられたら、今頃は二人で過ごしていたのだろうか。誰のことも傷つけず、ただまっすぐに彼だけを愛していられたのだろうか。

「でもそうだったなら、優希とこうして過ごせなかったと思えば、それはそれでさみしいけど」

 Allyの言葉に顔をあげた。

「そうだろ?禄朗を探しに来たから、こうしてすごい迫力の星空を見ながら語り合えてる。僕は楽しいけど」
「そっか。そうだよね、Ally」

 間違えた選択ばかりしてきたのかもしれない。けれどそれらの先に繋がっていた道は、優希をたくさんの人たちに会わせてくれた。いろんな経験を与えてくれた。

「本当にきみはずいぶんと大人になったんだな」

 しみじみとした言葉に唇を尖らせ、「子ども扱いかよ」とすねた。そんな仕草は昔と変わらないのがほほえましい。

「Allyとも色々あったけど、いい友達になれるのかもしれないなってこと」

 優希の生活をボロボロにした相手とこうして一緒の時間を過ごすようになったこと。人生は何が起きるかわからない。面白い、と思った。

「ちょっと回ってくるね。もしかしたらいるかもしれないから」
「わかった。気をつけて」

 懐中電灯を手に、キャンプ場の中をゆっくりと歩いた。点在するテントや車からほのかな明かりが漏れ、楽し気な笑い声が聞こえている。ここにいる人それぞれに人生があって愛する人がいて、生活があって楽しみがある。そんな簡単なことに今まで気がつかなかった。窮屈で狭い優希の世界は今、メキメキと音を立てて広がっている。彼を見つけたい、そう思って行動したことが新しい世界へつながっていく。たった一人、部屋の中で過去だけを見ていた日々。それを解き放ち目覚めるキッカケは、いつだって禄朗が与えてくれる。

「ただいま」

 冷えた体で車に戻る。いつでも横になれるよう、寝袋が用意されていた。成果がないことは一目でわかっただろう。

「明日も早いからもう寝ようか」
「うん、ありがとうAlly」

 疲れていたのかよく眠った。眩しさに目を開けると木々の間から太陽が顔を出そうとし、発光する力強さで辺りを照らしている。新しい一日がやってきたのだ。それは力に満ち溢れ、希望へとつながっていく。

 コーヒーを沸かし、パンを食べると次の場所へ出発した。いくつもの夜をそうやって過ごし、かなり遠くまで来たというのに禄朗の手がかりはどこにもない。

 心配しているだろうケイトに、毎日定期的にコールを入れるAllyにも疲労が強く浮かんできた。ここで一度戻るべきかもしれない。

「次は……優希が気になるって言ってたポイントだね」
「うん。でもここにいなかったら一度帰ろう」

 優希の提案に彼は少しだけ抵抗を見せた。だけど「一回休んでほしい」という気持ちを受け入れ、少しだけほっとした笑みを浮かべる。

「じゃあ、行こうか」

 車を走らせあまり期待もしないままドライブインに寄ると、そこのマスターは写真をみて「ああ」と頷いた。

「来たよ。つい最近かなあ。こんな辺鄙なところに何をしに来たんだって聞いたら、『探し物』って答えてた変な奴だったなあ」
「本当ですか?!どこに行くとか、また来るとか、何か言ってましたか?」

 優希の剣幕に少しだけ身を引きながらも、「さあなあ」と口ひげをひねった。

「いちいちそんなことをいう客もいないだろ。常連でもないし、知らないなあ」
「そうですか。ありがとうございます。もし、現れたらこちらに連絡をもらえませんか?」

 スマホの番号を渡すとマスターは頷き、それをポケットにしまった。

「あいつを探しているのかい?何か事件とか……」

 好奇心を持った視線に首を振り、「人探しなだけです」と答える。ここにいたことは分かった。かなり大きな収穫だ。

「捕まえる」

 やっと手に入れた足跡を逃さない。

 ちょうどおなかもすいていたので食事をしながらしばらく待機してみたが、禄朗は現れなかった。ほかにめぼしいお店はないし、ここにくる可能性が高いと見込んでいた。が、甘かったらしい。

 あたりは夕暮れに染まる頃。だだっ広い空地へ車を停めた。知る人ぞ知る秘密スポットらしく、整備されていない自然あふれる場所。うっそうと茂る木々の間から、熊が出できてもおかしくない雰囲気だ。

「行くの?本当に大丈夫?」

 眉をしかめるAllyに頷いて、懐中電灯を手に獣道へ足を入れた。

「うん、行ってみる」
「やっぱ危ないし一緒に行くよ」

 運転席から出てこようとする彼を引き留めて「大丈夫」と答える。

「困ったら電話するから車で待機してて。はぐれても困るしさ。無理しないから」
「そうか?気をつけろよ」

 今までの管理の行き届いた場所と違った風景に、さすがのAllyも難色を示す。

「やばいと思ったらすぐ戻るし、いなかったら速攻諦めるから」
「わかった」

 といいながらも結構怖い。電灯もない暗い道を淡い手元の明かりだけで進むなんて、足がすくみあがりそうだった。ガサガサと何か生き物が存在している音やパキリと枝が折れる音、自然の息遣いがそこかしこにあり怯えさせる。だけどこの先に禄朗がいるかもしれないと、その一心だけで足を進める。不意に視界が開け、細い獣道は広大な広場へ姿を変えた。

「あ」

 地球が丸いとわかるほど何もなく広い空間に、細かいチリのような光が点滅する夜空の真ん中。凛とした背中がぽつりと在った。近寄らなくてもわかる。大好きな大きな背中。

「禄朗」

 自分を呼ぶ声に気がついたのか、きょろきょろと見渡す後ろ姿。

「禄朗」

 もう少しだけ大きく叫ぶ。禄朗。禄朗。禄朗!

 駆け寄っていく優希を視界にとらえたのか、慌てたように立ち上がりこちらを向いている。暗くて顔まで見えないけど、シルエットだけで驚いているのが分かる。

「禄朗!」

 ああ、月の光を浴びてこちらに手を伸ばす、愛おしい男がそこにいる。触れる事の出来る場所にいる。

「優希」

 つかまれてそのまま広い胸の中に閉じ込められた。どくんどくんと脈打つ命の音が聞こえる。ずっと聞きたかった禄朗の心臓の音が、耳に注がれている。

「逢いたかった」

 夢かもしれない。確かめなきゃと顔をあげようとしたら、大きな手のひらが優希の頬を包みこんだ。互いの視線がぶつかりあう。禄朗も夢だと思っているのかもしれない。まだ受け止めきれないのか、不安げに瞳が揺れている。

「優希?」
「そうだよ」
「本物の優希?」
「そうだよ。禄朗だけの、ぼくだ」

 笑みを浮かべると初めて彼は瞬きをし、「おれの優希」と呟いた。それは聞いたことのないくらい弱く怯えた声色で、優希はしっかりと彼を抱きしめた。

「遅くなってごめん」

 温かなぬくもりに、頬をすり寄せた。以前よりほんの少し細くなった体。だけど禄朗の匂いがする。大好きで優希を翻弄する愛おしい存在。

「なんで、ここが?」
「Allyが連れてきてくれたんだ。みんな心配してるよ。一緒に帰ろう」

 まだ状況が飲み込めないのだろう。眉を寄せて優希の顔を覗き込んでくる。初めて見る禄朗の表情。急激におかしくなって笑い声を立てた。

「動揺する禄朗なんて初めて見たよ。レアだな」
「うるさい。だって、信じられないだろ……優希がいるなんて、もう二度と会えないと思っていたのに……本物なんだよな?」
「本物だよ。前に言ったよね、ここの星空を見せたいって。だから来た」
「よくわかったな」
「禄朗のことならわかるよ」

 見つめあっていると、ふいに禄朗から力が抜けた。

「来るのが遅い」

 すねる子供のように、彼が唇を尖らせた。安心して優希に甘え切っているしぐさに、胸がきゅんと締めつけられる。

「ごめんね、待たせちゃったよね」
「ああ、何年待ったと思うんだ」

 ささやきにも満たない声が優希を呼び、存在を確かめるように一瞬だけ唇が触れた。ずっと外にいたせいで冷え切り、乾いた感触を追いかけようとして服をつかむ。
 瞬間、荒々しい口づけに襲われた。全て食い尽くしてしまいそうな、全身で求めている口づけに優希はその身をささげた。
 食われてしまってもいいと思った。禄朗と一つになれるなら。もう二度と離れなくて済むのなら、全て差し出してもいい。全身をまさぐるせわしない動きも、ぴったりと合わせたままほんの少しの隙間も許さないといわんばかりの口づけも、全て愛おしい。
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