第23話
文字数 4,524文字
春の終わり。初夏に差し掛かる日差しの中。街を歩く人たちと交じりながら、優希は待ち合わせであるカフェへ足早に向かった。オープンテラスのカフェに腰かけながら、優希に気がついた女性が立ち上がり手を振る。
「またせてごめん!」
「ううん、早く着きすぎちゃって」
十数年ぶりに会う明日美は、昔と変わらないえくぼを浮かべながら笑いかけてくる。
「元気そうだね」
「ゆうちゃんこそ」
優希はあれから間もなくアメリカに籍を移し、Ally達と一緒にアーティストをサポートする仕事に就いた。禄朗といえばやはり自分の作りたい作品を大事にしたいと、大口のスポンサーと多少のゴタゴタを経た後。今は自由に作品を作っている。
どちらかといえば優しく愛にあふれた作品は、いまではかなりの人気で世界中から個展や商品化の依頼が来ている。当社一番の稼ぎ頭だ。今回も何度目かの個展で来日している。「ドキドキするなあ」と明日美は楽しそうに頬を緩ませた。
「ゆうちゃんのパートナーってどんな人なんだろう」
「いい男」
「うわー、ご馳走様!」
うふふっと幸せそうに笑う彼女を見ていると、それだけで満たされた気分になる。昔から明日美はそういう人だった。明るく笑い、周りの人たちを幸せにする力がある。それを壊した優希を恨まず、何年か前。アポイントを取ってきたときの嬉しさを今でも覚えている。
あれも日本での個展の時だった。禄朗の名前を憶えていた明日美が、事務所へ連絡をくれたのだ。タイミングが合わず再会は叶わなかったが、今回こうして顔を合わせることができた。
「幸せそうでよかった」
「うん、すっごく幸せ」
そう言って笑う明日美は、昔よりほんの少しふくよかになったみたいだ。だけど愛されている安心からか、一緒にいると安心する雰囲気をたたえている。
優希との離婚の後はかなり落ち込んでいたらしい。もう男の人はいいやと諦めていたが、数年前に優しい人と出会って再婚したと明日美は話してくれた。花のことも実の娘のように大切にしていると聞いて、安心する。
「ゆうちゃん、ごめんね」
「ん?」
表情を曇らせながら明日美は小さく頭を下げる。
「あの時知らなかったんだけど、両親が酷いことを言ったんでしょう。後から知って……ゆうちゃんに謝ろうと思ったんだけど、もう連絡がつかなくて……ごめんなさい」
「そんなこと……っ。謝らなくていいよ。ぼくの方こそ責められて当然のことをしたんだし、あれくらい普通だよ」
当時は言葉の一つ一つが突き刺さった。見ないふりをしていた傷を暴かれ、まだ膿んでいた場所をほじくりかえされたような、絶望にも似た気持ちもあった。だけど子供を心配し、守ろうとした彼らのことは責められない。親なら当然のことだと思う。
「それより花が成人か」
今日は花の二十回目の誕生日だった。小学生に上がる前のまだ小さかった花しか知らない優希には、大人になった花が信じられない。どんな顔で会えばいいのかとためらう彼を明日美は説得し、今回みんなでお祝いすることに決まった。
「明日美の旦那さんに会うのも緊張するよ」
「大丈夫、すっごい優しい人なの。ゆうちゃんみたく美人じゃないんだけどね」
フフっといたずらっ子のように笑う明日美とこうした時間を過ごせるなんて、あの頃は考えたこともなかった。
「あっ、きたきた!」
遠くから二人のシルエットが見える。一人はちょっとズングリとした風情の男性で、その少し後ろにスラっとした可憐な女性がためらいながらこちらへ向かってくる。
「あれが……花……」
モミジのような小さな手を繋いでいたあの日から、どれだけの年月が流れたのか。何よりも愛おしいと思った娘がすぐ近くにいる。名前のように可憐で可愛らしい女性に成長していた。
「花」
呼びかけると困ったように優希を見つめ、瞳にうっすらと涙の膜を張った。
「パパ」
小さく呼ばれた声はちゃんと優希に届いた。酷い仕打ちをした優希を、まだ「パパ」と呼んでくれるのか。
「花!」
震える脚でヨロヨロと近寄り、目の前に立つとすっかり大人になった花がそこにいた。
「須賀さんはこれそうなの?」
間に割って入った明日美は、あたりをキョロキョロと見渡す。ついに禄朗との対面を果たすのだ。以前画廊の前で会ったことがある人だと、前もって話した。
優希のパートナーが男性だと教えても、明日美はそんなに驚かない。男だろうが女だろうが、幸せならよかったと明日美はおおらかに受け止めてくれたようだった。そんな懐の大きい人だから、優希とも結婚生活を送れたのだろう。今更ながらその懐の大きさを思う。
「来るって言ってたんだけど……あ」
遠くから人波を泳ぐように、かき分けてくる人がいる。離れていてもわかる圧倒的なオーラ。すれ違う人が一瞬気を取られ、振り返っているのが見て取れた。
「禄朗!」
手をあげると、気がついた禄朗は少しだけ足を早めて近づいてくる。みんなの前に立つと、堂々とした様子で「はじめまして」と艶やかに笑った。
年を重ねても禄朗の人を引き付ける力は衰えない。さらに増した魅力に、たくさんの人が釘づけになっている。
「はじめまして、須賀禄朗です」
にこやかに笑いながら、抱えていた大きな花束を花に渡した。
「成人おめでとう」
「ありがとう、ございます」
受け取った花も驚きで瞬きを繰り返す。
一抱えもある大きな花束には様々な色が咲き乱れていた。これからの人生が美しい色どりに囲まれていますように、との願いが込められている。
さすが禄朗だった。昔からそういうマメさはすごいと思っていたけど、目の当たりにするとキュンとときめいてしまう女の子の気持ちが分かる。優希だっていつもときめかされている。
「遅くなってすみません。今日はよろしくお願いします」
握手を求められてはっとしたように、明日美は「元妻です」と手を差し出した。そこに嫌味だったり自分を誇示するような意地悪さはない。そのままを口にしただけだ。けど禄朗がその言葉に一瞬つまったのを、見逃さなかった。何年たっても、それは彼の心に影を落としている。
表情を崩さず「明日美ちゃんですね」とメラメラする気持ちごと、がっちり手を握る。火花を散らす様に握手を交わす二人に割って入った善本は、明日美の手を禄朗から離しながら自らも自己紹介した。見た目の穏やかさとは違って、なかなかのつわものらしい。
「じゃあ、行きましょうか」
席を予約しているレストランへ向かう。自然と禄朗の隣に並んだ優希に、明日美はクスリと笑った。
「どうした?」
「ううん。昔、須賀さんの姿を見たとき、嫌な予感がしたけど、当たっていたんだなって。その時は全然知らなかったんだけど、きっと気がついていたんだわ。二人がお似合いだって」
どう返せばいいか困惑した笑みを浮かべた優希に、禄朗が乗っかかる。
「俺こそ幸せそうな家庭をみせつけられたみたいで、しばらく凹みましたよ」
「そうなの? それは嬉しいな」
いつになく好戦的な明日美に、優希は冷や汗をかいた。
「ま、まあ、昔の話だし」
「ゆうちゃんにとってはそうかもしれないけど、ねえ。私たちにしてみれば気が気じゃなかったわよね?」
「そうですね。どうしてやろうかなとは思いましたけど」
禄朗もニッコリと笑いながら、明日美と対戦する。なんだこの殺伐とした空間は。
話を変えようとして、優希は善本へ話題を振った。
「予約までしていただいてありがとうございます。とてもおいしくて、席を取るのも難しいって聞いていましたが」
だけど善本までもが挑戦的な視線を優希に向けた。
「大切な愛娘の成人記念ですからね。ありとあらゆる手段を使ってでも用意しますよ」
「そ、そうですね」
大人たちがバシバシと火花を散らしている中、花だけが嬉しそうにニコニコと笑っている。花束の甘いにおいをかぎながら、「楽しいね」と嬉しそうだった。
「パパにも会えたし、パパの大切な人もステキな人だったし、花は幸せだわ」
男の人と関係を結んだ優希を軽蔑するかと思ったけど、花もそれをすんなりと受け止めてくれたらしい。パパが幸せならそれでいいんだよと言ってくれたことで、今回の計画が実を結んだ。
善本の決めたレストランは評判のお店らしく、雰囲気も食事のレベルも最高に素晴らしかった。和やかに食事をし、それぞれの近況を話す。善本はアートにも造詣が深いらしく、禄朗のことは昔から注目していたという。
「まさかご本人に会えるとは思っていなかったので、夢のようです」
「そうなんですか?嬉しいな、ありがとうございます」
花はそんな大人たちを見守るように、ニコニコと笑っている。
「花のことも聞かせて欲しいな」
優希が振ると、彼女は学校のことやお友達のことなどをポツリポツリと話し出す。年ごろのきらびやかな女の子たちは一線を画しながらも、マイペースに花の世界を切り開いているようだ。
「好きな人とか彼氏とか、浮いた話は一回も聞いたことがないのよ」
明日美に言われると、花は頬を赤らめた。
「好きな子はいるの」
「そう、花ってばずっと仲良しの女の子に夢中なのよね」
そう言われて一瞬表情を暗くする花を、禄朗も優希も見逃さなかった。明日美は花のことを、まだ恋を知らない女の子だと思っているのかもしれない。もしかしたらそうなのかもしれない。ただの中のいい友達。だけど花の心は花にしかわからない。
もしこの先、自分が女の子を好きになってしまったことに悩む時が来たらその時は優希が力になれる。今まで何もしてあげれなかったけど、迷いができたときには全力で支えてやろう。
禄朗がテーブルの下で、優希の手をキュと握った。
「その子にも会ってみたいな。いい子なんだろ?」
言うと花はパっと表情を明るくし、うんと頷く。
「すごくいい子なの。パパも会ったらわかるわ」
人を好きになる瞬間は曖昧だ。
この人なのかも、と心が決まる時はいつだって不安定で同性ならなおさら。恋情なのか友人としての慕情なのか、その境目に苦しむ。だからこそ、精いっぱい相手を想う。心を開いて相手を受け止める。ただ信じるのは互いの気持ちだけ。花にもいつかそんな時がくるだろう。
「アメリカにも遊びにおいで」
別れ際、禄朗は花に自分の名刺を渡した。
「楽しいところをいっぱい紹介してあげる。仲良しの子と一緒にさ」
「はい」
キラキラとした瞳を見せる花に、たくさんの幸せがあるように。
「じゃあね、明日美。元気で」
「ゆうちゃんも。またね」
手を振りながら別れを告げ、彼らが人ごみの中に消えていくのを見届けた。その背中が見えなくなると優希と禄朗はどちらからともなく手をつないだ。
「帰ろうか」
「うん」
長くてつらい道のりだった。
たくさんの人を傷つけて、何度も涙を流した。
だけど後悔はない。その先が今に繋がっているから。経験した全てが糧になる。強さになる。
「おなかいっぱいだよ」
「美味しかったよな」
二人で並んで歩いていく。
この先も、ずっと。どんなことがあっても。
◇◆◇
「好きだよ、優希」
「僕も……愛してる」
顔を寄せ合い、ふふ、と笑いあえる。その先に続く未来はきっと輝いている。
僕はこの人生を愛している。
「またせてごめん!」
「ううん、早く着きすぎちゃって」
十数年ぶりに会う明日美は、昔と変わらないえくぼを浮かべながら笑いかけてくる。
「元気そうだね」
「ゆうちゃんこそ」
優希はあれから間もなくアメリカに籍を移し、Ally達と一緒にアーティストをサポートする仕事に就いた。禄朗といえばやはり自分の作りたい作品を大事にしたいと、大口のスポンサーと多少のゴタゴタを経た後。今は自由に作品を作っている。
どちらかといえば優しく愛にあふれた作品は、いまではかなりの人気で世界中から個展や商品化の依頼が来ている。当社一番の稼ぎ頭だ。今回も何度目かの個展で来日している。「ドキドキするなあ」と明日美は楽しそうに頬を緩ませた。
「ゆうちゃんのパートナーってどんな人なんだろう」
「いい男」
「うわー、ご馳走様!」
うふふっと幸せそうに笑う彼女を見ていると、それだけで満たされた気分になる。昔から明日美はそういう人だった。明るく笑い、周りの人たちを幸せにする力がある。それを壊した優希を恨まず、何年か前。アポイントを取ってきたときの嬉しさを今でも覚えている。
あれも日本での個展の時だった。禄朗の名前を憶えていた明日美が、事務所へ連絡をくれたのだ。タイミングが合わず再会は叶わなかったが、今回こうして顔を合わせることができた。
「幸せそうでよかった」
「うん、すっごく幸せ」
そう言って笑う明日美は、昔よりほんの少しふくよかになったみたいだ。だけど愛されている安心からか、一緒にいると安心する雰囲気をたたえている。
優希との離婚の後はかなり落ち込んでいたらしい。もう男の人はいいやと諦めていたが、数年前に優しい人と出会って再婚したと明日美は話してくれた。花のことも実の娘のように大切にしていると聞いて、安心する。
「ゆうちゃん、ごめんね」
「ん?」
表情を曇らせながら明日美は小さく頭を下げる。
「あの時知らなかったんだけど、両親が酷いことを言ったんでしょう。後から知って……ゆうちゃんに謝ろうと思ったんだけど、もう連絡がつかなくて……ごめんなさい」
「そんなこと……っ。謝らなくていいよ。ぼくの方こそ責められて当然のことをしたんだし、あれくらい普通だよ」
当時は言葉の一つ一つが突き刺さった。見ないふりをしていた傷を暴かれ、まだ膿んでいた場所をほじくりかえされたような、絶望にも似た気持ちもあった。だけど子供を心配し、守ろうとした彼らのことは責められない。親なら当然のことだと思う。
「それより花が成人か」
今日は花の二十回目の誕生日だった。小学生に上がる前のまだ小さかった花しか知らない優希には、大人になった花が信じられない。どんな顔で会えばいいのかとためらう彼を明日美は説得し、今回みんなでお祝いすることに決まった。
「明日美の旦那さんに会うのも緊張するよ」
「大丈夫、すっごい優しい人なの。ゆうちゃんみたく美人じゃないんだけどね」
フフっといたずらっ子のように笑う明日美とこうした時間を過ごせるなんて、あの頃は考えたこともなかった。
「あっ、きたきた!」
遠くから二人のシルエットが見える。一人はちょっとズングリとした風情の男性で、その少し後ろにスラっとした可憐な女性がためらいながらこちらへ向かってくる。
「あれが……花……」
モミジのような小さな手を繋いでいたあの日から、どれだけの年月が流れたのか。何よりも愛おしいと思った娘がすぐ近くにいる。名前のように可憐で可愛らしい女性に成長していた。
「花」
呼びかけると困ったように優希を見つめ、瞳にうっすらと涙の膜を張った。
「パパ」
小さく呼ばれた声はちゃんと優希に届いた。酷い仕打ちをした優希を、まだ「パパ」と呼んでくれるのか。
「花!」
震える脚でヨロヨロと近寄り、目の前に立つとすっかり大人になった花がそこにいた。
「須賀さんはこれそうなの?」
間に割って入った明日美は、あたりをキョロキョロと見渡す。ついに禄朗との対面を果たすのだ。以前画廊の前で会ったことがある人だと、前もって話した。
優希のパートナーが男性だと教えても、明日美はそんなに驚かない。男だろうが女だろうが、幸せならよかったと明日美はおおらかに受け止めてくれたようだった。そんな懐の大きい人だから、優希とも結婚生活を送れたのだろう。今更ながらその懐の大きさを思う。
「来るって言ってたんだけど……あ」
遠くから人波を泳ぐように、かき分けてくる人がいる。離れていてもわかる圧倒的なオーラ。すれ違う人が一瞬気を取られ、振り返っているのが見て取れた。
「禄朗!」
手をあげると、気がついた禄朗は少しだけ足を早めて近づいてくる。みんなの前に立つと、堂々とした様子で「はじめまして」と艶やかに笑った。
年を重ねても禄朗の人を引き付ける力は衰えない。さらに増した魅力に、たくさんの人が釘づけになっている。
「はじめまして、須賀禄朗です」
にこやかに笑いながら、抱えていた大きな花束を花に渡した。
「成人おめでとう」
「ありがとう、ございます」
受け取った花も驚きで瞬きを繰り返す。
一抱えもある大きな花束には様々な色が咲き乱れていた。これからの人生が美しい色どりに囲まれていますように、との願いが込められている。
さすが禄朗だった。昔からそういうマメさはすごいと思っていたけど、目の当たりにするとキュンとときめいてしまう女の子の気持ちが分かる。優希だっていつもときめかされている。
「遅くなってすみません。今日はよろしくお願いします」
握手を求められてはっとしたように、明日美は「元妻です」と手を差し出した。そこに嫌味だったり自分を誇示するような意地悪さはない。そのままを口にしただけだ。けど禄朗がその言葉に一瞬つまったのを、見逃さなかった。何年たっても、それは彼の心に影を落としている。
表情を崩さず「明日美ちゃんですね」とメラメラする気持ちごと、がっちり手を握る。火花を散らす様に握手を交わす二人に割って入った善本は、明日美の手を禄朗から離しながら自らも自己紹介した。見た目の穏やかさとは違って、なかなかのつわものらしい。
「じゃあ、行きましょうか」
席を予約しているレストランへ向かう。自然と禄朗の隣に並んだ優希に、明日美はクスリと笑った。
「どうした?」
「ううん。昔、須賀さんの姿を見たとき、嫌な予感がしたけど、当たっていたんだなって。その時は全然知らなかったんだけど、きっと気がついていたんだわ。二人がお似合いだって」
どう返せばいいか困惑した笑みを浮かべた優希に、禄朗が乗っかかる。
「俺こそ幸せそうな家庭をみせつけられたみたいで、しばらく凹みましたよ」
「そうなの? それは嬉しいな」
いつになく好戦的な明日美に、優希は冷や汗をかいた。
「ま、まあ、昔の話だし」
「ゆうちゃんにとってはそうかもしれないけど、ねえ。私たちにしてみれば気が気じゃなかったわよね?」
「そうですね。どうしてやろうかなとは思いましたけど」
禄朗もニッコリと笑いながら、明日美と対戦する。なんだこの殺伐とした空間は。
話を変えようとして、優希は善本へ話題を振った。
「予約までしていただいてありがとうございます。とてもおいしくて、席を取るのも難しいって聞いていましたが」
だけど善本までもが挑戦的な視線を優希に向けた。
「大切な愛娘の成人記念ですからね。ありとあらゆる手段を使ってでも用意しますよ」
「そ、そうですね」
大人たちがバシバシと火花を散らしている中、花だけが嬉しそうにニコニコと笑っている。花束の甘いにおいをかぎながら、「楽しいね」と嬉しそうだった。
「パパにも会えたし、パパの大切な人もステキな人だったし、花は幸せだわ」
男の人と関係を結んだ優希を軽蔑するかと思ったけど、花もそれをすんなりと受け止めてくれたらしい。パパが幸せならそれでいいんだよと言ってくれたことで、今回の計画が実を結んだ。
善本の決めたレストランは評判のお店らしく、雰囲気も食事のレベルも最高に素晴らしかった。和やかに食事をし、それぞれの近況を話す。善本はアートにも造詣が深いらしく、禄朗のことは昔から注目していたという。
「まさかご本人に会えるとは思っていなかったので、夢のようです」
「そうなんですか?嬉しいな、ありがとうございます」
花はそんな大人たちを見守るように、ニコニコと笑っている。
「花のことも聞かせて欲しいな」
優希が振ると、彼女は学校のことやお友達のことなどをポツリポツリと話し出す。年ごろのきらびやかな女の子たちは一線を画しながらも、マイペースに花の世界を切り開いているようだ。
「好きな人とか彼氏とか、浮いた話は一回も聞いたことがないのよ」
明日美に言われると、花は頬を赤らめた。
「好きな子はいるの」
「そう、花ってばずっと仲良しの女の子に夢中なのよね」
そう言われて一瞬表情を暗くする花を、禄朗も優希も見逃さなかった。明日美は花のことを、まだ恋を知らない女の子だと思っているのかもしれない。もしかしたらそうなのかもしれない。ただの中のいい友達。だけど花の心は花にしかわからない。
もしこの先、自分が女の子を好きになってしまったことに悩む時が来たらその時は優希が力になれる。今まで何もしてあげれなかったけど、迷いができたときには全力で支えてやろう。
禄朗がテーブルの下で、優希の手をキュと握った。
「その子にも会ってみたいな。いい子なんだろ?」
言うと花はパっと表情を明るくし、うんと頷く。
「すごくいい子なの。パパも会ったらわかるわ」
人を好きになる瞬間は曖昧だ。
この人なのかも、と心が決まる時はいつだって不安定で同性ならなおさら。恋情なのか友人としての慕情なのか、その境目に苦しむ。だからこそ、精いっぱい相手を想う。心を開いて相手を受け止める。ただ信じるのは互いの気持ちだけ。花にもいつかそんな時がくるだろう。
「アメリカにも遊びにおいで」
別れ際、禄朗は花に自分の名刺を渡した。
「楽しいところをいっぱい紹介してあげる。仲良しの子と一緒にさ」
「はい」
キラキラとした瞳を見せる花に、たくさんの幸せがあるように。
「じゃあね、明日美。元気で」
「ゆうちゃんも。またね」
手を振りながら別れを告げ、彼らが人ごみの中に消えていくのを見届けた。その背中が見えなくなると優希と禄朗はどちらからともなく手をつないだ。
「帰ろうか」
「うん」
長くてつらい道のりだった。
たくさんの人を傷つけて、何度も涙を流した。
だけど後悔はない。その先が今に繋がっているから。経験した全てが糧になる。強さになる。
「おなかいっぱいだよ」
「美味しかったよな」
二人で並んで歩いていく。
この先も、ずっと。どんなことがあっても。
◇◆◇
「好きだよ、優希」
「僕も……愛してる」
顔を寄せ合い、ふふ、と笑いあえる。その先に続く未来はきっと輝いている。
僕はこの人生を愛している。
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