第22話
文字数 6,310文字
車へ戻る禄朗の姿に、Allyは喜び涙を潤ませながら「禄朗のばか!!」と怒った。緊張がとけたのだろう。彼に文句を言いながら、意識を失うように眠ってしまった。
「Allyはずっと心配しながら、ここまで連れてきてくれたんだ」
「そうか」
禄朗はバックミラー越しに、Allyへ優しい視線を向ける。ハンドルを握る彼のリラックスした姿に、助手席の優希は口元を緩めた。こんな時間って何年振りなんだろう。
昔も時々ドライブに連れて行ってもらった。写真を撮るのがメインだったけど、そんな姿を眺めているのが好きだったなと懐かしく思う。またこんな風に過ごせるなんて思っていなかったから、すごく嬉しくて幸せで、ここまできてよかった。
ノンストップでケイトの元へ戻ると、長い説教が待っていた。あの傲慢で誰にも跪かない禄朗を正座させ、延々とお小言を浴びせている。その隣に一緒に座りながら穏やかそうなケイトの怖さに驚きながらも、一緒に怒られた。
「ごめんて」
「ごめんで済みませんよ!!子供じゃあるまいし、勝手にいなくなって!!!!」
雷を落とすってこういうことなのかもしれない。声の迫力に飛び上がらんばかりになる隣で、禄朗も肩をすくめている。
「申し訳ありませんでした。ここから挽回できるように馬車馬のように働かせていただきます」
深々と頭を下げる彼に、ふん!と荒い息を吐いた。
「当たり前です。ここまでの損失は速攻埋めてもらいますから覚悟してくださいね」
ビシビシと容赦のない彼の様子に、Allyは慣れたように頷いている。
「で?逃げた理由は何ですか?」
続けるケイトにポツリポツリと答える。
「理由っていうか……初心に戻りたかったんだよ。写真もうまくいかないし、なにもかもダメで足元がぐらついて……自分の気持ちを見つめなおしたくて……すぐ帰るつもりだったんだ」
クライアントがつくとともに、求められることが増えて撮りたい写真との乖離が進んでしまったこと。華やかな禄朗とパッケージしてエキセントリックな写真が求めれられるようになってしまったこと。自分らしさと、需要とのバランス。仕事だから求められることには応えるけど、それは本当に撮りたかった絵ではない。なぜ自分が写真を撮るのか。何を撮りたいのか。それを見つめなおしたくて、ほんの少しひとりになりたかった。
「優希に見せてやりたいって思った空を撮ったら、わかるのかもしれないって。でも声をかけずにいなくなったことは悪かった。申し訳ありません」
「確かに、最近の作品はあなたらしくない。このままでいいのかは懸念事項でもありました。理解します。でも、今後は勝手に行動せず、ちゃんと話してください。そのために俺たちはいるんですから」
Allyもケイトも何かを作り上げる人たちを尊敬し、そのサポートに全力で立ち向かおうとしてる。
「あなただけを悩ませてしまったこと、俺たちも反省しています。一人で抱え込ませてごめんなさい」
頭を下げたケイト。彼は慌てたように立ち上がった。
「やめろって、そういうの……!お前に頭を下げさせたいわけじゃなかった。今度からちゃんと話すから……」
さすがの禄朗も彼には弱いらしい。優希はその様子を見て、安堵する気持ちに包まれていた。彼には素晴らしいサポートがついている。彼らがいてくれたら、この先も大丈夫だと思える。そんな関係が羨ましいと思った。優希には入っていけない世界がここにあって、信頼しあえる関係には入っていけないから。ひとりだけ外れた場所にいるようでさみしい。
「優希」とケイトは優しいまなざしを向けて微笑んだ。
「ありがとうございます。あなただから探せたんですね」
「い、いえ、ぼくは。Allyががんばってくれたから……」
毎日慣れない長距離を運転するのはかなり疲れただろう。帰りの車で禄朗と運転を変わったAllyは、一瞬で眠りに落ちていた。
「Allyもお疲れさまでした。ありがとう」
それを受けてお礼を伝えると、彼は嬉しそうに笑った後。一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべ「これで償いになれたかわからないけど」と呟く。
「償い?」
ケイトが問いかけると、言い淀みふるふると首を振る。訝しげにしながらも彼は話を変えた。
「ところでこれから優希はどうする予定ですか?」
聞かれて優希は口ごもる。せっかく禄朗と会えたけど、有休も使い果たしてしまうし日本に戻らなきゃいけないだろう。だけど叶うならこのまま一緒にいたい。もう離れたくない。
どう答えていいのか迷っていると、ぎゅっと手を握られた。禄朗の大きな手が優希をしっかりとつかんでいる。
「このままいればいい」
迷いのない声だった。
「もう離したくない。おれが奪ってやる」
「禄朗……」
強い禄朗の声に引かれて、優希も言葉にする。
「役に立てることはありませんか?ここで働きたい」
禄朗のそばにいて、彼が彼らしく写真を撮るサポートをしたい。優希には何かを作り出すことはできないけれど、ケイトのようにそばで支えることをしたかった。
彼はふむ、と頷いて「優希が望むなら」と笑みを浮かべた。
「正直、俺ひとりでは限界があると思っていました。ここの住人たちはみんな個性が強いしわがままで手がかかるんです。優希のように気が利いて信用できる人がいてくれたらって思っていたんですよ」
「じゃあ」
「こちらこそよろしくお願いします」
ケイトの言葉にみるみる涙が浮かんでくる。居場所を失った優希を繋いでくれる言葉だった。
「今すぐにとはいかないのは承知です。お仕事のこともあるでしょうし、日本で色々片付いたらぜひここに戻ってきてください」
「はい……っ」
震える声を飲み込み、しっかりと返事した。
やっと禄朗と歩む道を手にする。これからは彼のために何かができる。喜びでいっぱいになる優希を禄朗は抱きしめた。
「お前の抱えた問題はおれもいっしょに片づけてやる。明日美ちゃんにも一緒に頭を下げる。これからの責任はおれにも背負わせてくれ」
「あ」
禄朗はまだ優希の離婚を知らなかった。離れている間に起きたことをどう説明しようかと迷い口ごもると、それを見ていたAllyが覚悟を決めたように顔をあげた。
「優希はもう離婚してるよ」
その言葉に驚いたように彼を見た。表情が今まで見たことのないほど思い詰めていて、優希は息をのむ。
「Ally……」
「その原因は僕にある」
突然の告白にみんなの視線が集中する。
「ダメだ、Ally」
「やっぱり黙ってるなんてできない。ごめん、優希」
ケイトが不審げな視線を向けた。
「さっきも償いがどうのって言っていましたね。どういうことですか?」
その問いかけにゴクリと唾をのみ、頭を下げた。
「禄朗を取られたくないと思った僕は優希をだましてレ◯プしました」
「は?」と禄朗の低い声が恐ろしく響く。
「Ally!やめて……」
慌ててAllyの言葉を止めようとしたけど、彼は強く抱いたまま優希を離さなかった。続きを促す様に視線を向ける。
たくさんの男たちにレ◯プされたことなんか、忘れてしまいたかった。なにより禄朗を傷つけたくない。だけど覚悟を決めた彼は先を続けた。
「優希を呼び出して薬を飲ませ、ホテルに連れ込んでたくさんの男に襲わせました。病院に運ばれて、そのことがバレて、離婚に繋がりました。ごめんなさい!」
「やめろ!!」
言葉にすればそれだけのことだ。だけどあの苦しみでしかない時間はとてつもなく長く、今でも優希を絶望の淵に落とそうとする。耳をふさいだ。
いくら後悔しても取り返しはつかない。自分のしでかした罪を告白するAllyは、真っ青になり震えている。だけど視線だけはまっすぐに禄朗を見つめている。
「日本での個展の時……優希を見た瞬間わかった。禄朗を取られるって。怖かった。絶対渡したくなくて、ただそこにいるだけで禄朗を魅了できる優希を憎んで、どうしたら傷つけてやれるかって、復讐するつもりで……実行した」
「それで?」
必死に怒りを抑えながら、禄朗は追い詰めていく。
「薬を飲ませてわけのわからなくなった優希をみんなで犯した。だけど優希はそんなことになってるのにずっと禄朗を守ろうとしていた。意味が分からなかった。でも、いまならわかる。気を失って動かなくなった優希を置いてホテルを出て……救急車を呼んだ」
彼の言葉にあの時のことがリアルに思い出された。何人もの知らない男たちの野卑な笑い。人の体をおもちゃのように扱い、汚した、あの時間。震える優希を抱きしめながら禄朗は先を促す。
「そのあとのことは知らない。だけど病院に運ばれた優希を見れば何をされたのか一目でわかっただろう。離婚の原因にはなりえる」
Allyの告白にケイトは真っ青になったまま動かなかった。信じられないとばかりに見つめている。禄朗は小さく息を吐きながら言葉を出す。
「なんで今まで黙ってた?」
「ごめん」
謝る彼にかぶさるように優希は答える。
「ぼくが頼んだんだ。言わないで、って。……もう終わったことだし、ぼくは大丈夫だから」
「大丈夫って、なに?なんで黙ってたんだよ!」
髪が逆立ちそうなくらい怒りを含んだ禄朗に、気圧されても優希はひるまなかった。
「ごめん、でも知ったら禄朗が傷つくと思って……言わないように頼んだ。確かにあれが原因で離婚した。でも、だからこそ大事なことが分かったんだ」
優希にとってだいじなもの。捨てられないもの。ごまかして嘘をついて築き上げてきたものの不確かさや、そのせいで傷つけてしまうこと。
「だからもういいんだ。黙っててごめん」
禄朗を宥めようとしがみつく優希の耳に、パンと軽やかな音が届く。見ると涙をボロボロと流しながらケイトがAllyを平手打ちしている。何度も乾いた音を立てて、黙ったまま叩いている。
「そこまで酷いことをする人だなんて思いもしまいませんでしたよ、Ally。最低です」
怒りより悲しみを含んだ彼の様子に、Allyは唇を噛みしめている。
「わかってる。本当に僕は最低な男だ」
うなだれながら頭を下げる。
「優希、ごめん。黙っているって約束したけど……これ以上なんでもなかった顔で……知らん顔をしたままみんなといるわけにはいかないよ……」
深々と頭を下げる彼にケイトはしがみついた。
「おかしいと思ったんですよ。日本から帰ってきたあなたがしばらく大人しくて、そこからいきなり様子が変わった。突然の改心に何かあったとは思ったけど、こんな酷いことをしていたとは……」
ケイトは優希の前に来て頭を下げると、「申し訳ありませんでした」と謝った。
「そんなことがあったとは知らず、Allyをのさばらせていました。いい男に育ってきたな、なんて思い上がりも甚だしい。恥ずかしいです」
「や、やめてください……本当に謝ってほしいわけじゃないんです。こんな風にしたいわけじゃなくて……」
自分のせいで、過去の間違いでせっかくの穏やかな関係を壊したくない。
「Allyは謝ってくれました、ぼくはそれを受け入れた。もう終わったことなんです」
「くそっ」
禄朗は震えながら優希を抱きしめた。
「元をただせばおれのせいだよな。優希を苦しめたのも、Allyを追い詰めたのもおれがハンパなことをしていたから……」
申し訳ない、と呻きながら禄朗は続けた。
「わかってくれるだろうと胡坐をかいて、優希を一人置いていったのが間違いだった。おれにAllyを責める資格はない。お前のことも、たくさん傷つけたんだよな……Ally」
見つめられ、彼はふるふると首を振る。
「好きだったんだ、憧れてた。でも、最初から禄朗は優希のものだったんだ」
ポロリとAllyから透明なしずくがこぼれる。ケイトはそれをぬぐいながら抱きしめた。
「どう償っていいのかわからないけど、でも、この先の優希は絶対傷つけない。約束する」
「禄朗……」
広い背中にしがみつきながらそれに応える。
「うん。これからを見ていきたいんだ」
Allyとケイトにも向き合って伝える。
「ぼくはここにいたい。みんなと一緒に何かを作り上げていきたい。だから、これでいいことにしませんか?こんな素敵な場所を壊したくないんです」
「優希……」
ケイトは彼の腕をつかみしっかり立たせると、優希の前に押し出した。
「ちゃんと謝って」
フラフラとAllyはやってきて頭を下げる。
「優希……あの時はひどいことをしてしまって申し訳ありませんでした」
「うん、これからもよろしく。Ally」
手を差し出して握手を求めると彼はふにゃりと顔を歪め、頷きながら握り返した。
誰だっていつもそれが一番の正解だと思って行動する。幸せになりたくて、欲しいものを手に入れたくて、必死に生きている。だから間違う。でも間違うことは悪いことじゃない。苦しくてもがいて泣き叫んで、その先に大事なものが見つかるから。傷つきながら前に向かって進んだ時、未来は開ける。そうわかったから、優希は過去を許し受け止める。
「おなか、すかない?」
暗くなった空気を一掃しようと声をあげる。タイミングよくAllyのおなかが音を立てた。それを聞いたケイトが呆れたように笑いだす。
「こんな状況でよくおなかを鳴らせますね」
「うっ、重ね重ね申し訳ない」
ヘコむAllyに禄朗はポケットから出したチョコを投げつけた。
「これでも食っとけ」
「ありが……って、溶けてるじゃん」
体温でシナシナになったチョコを手に彼は泣き笑いの表情を浮かべた。
近くのレストランで食事をした後、どうしたらいいかと躊躇う優希の腕を禄朗が引いた。
「お前はこっちだろ」
「うん」
久しぶりの『恋人』という立場に恥ずかしさがこみあげてくる。ずっと夢に見てきたというのに、現実感がまだわかない。
Allyとケイトと別れ、手をつなぎながら石畳の上を並んで歩く。ふわふわと現実離れした光景にどこからか音楽が聞こえてきた。楽しそうな歌声。
見渡せば事務所のあった賑やかな街の中とは雰囲気が変わっている。明かりのついた窓から人の営みが垣間見えるような幸福の風景。
「ここだ」
一軒の古びた建物の前で禄朗は足を止める。扉を開け建物の中に入ると、らせん状の中階段を上っていく。同じようなドアが並ぶ廊下を進むと、一番奥の部屋の鍵を開けた。昔の映画に出てきそうなクラシカルな雰囲気に、優希は気持ちが高ぶっていく。
「素敵な場所だね」
「気にいったか?」
玄関はないけど、マットを敷いた場所で禄朗は靴を脱ぎ、部屋の電気をつけた。明るく照らされた部屋の中は必要最低限の家具しかなく、雑多に本が積まれ壁には写真が貼られている。学生の頃の禄朗の部屋もこんな感じだったなと懐かしくなる。
「せまくてビックリしたろ」
窓を開けながら苦く笑う禄朗にううん、と首を振り隣に並んだ。
「禄朗の部屋だなーって懐かしく思ってたよ」
広い肩にコツンと頭を乗せると、彼はその上に自分の頭を寄せた。
「大事なものが何かわかってる人の部屋って感じで、好きだよ」
外の風に吹かれていると今までの長い日々が嘘のように思えた。全部が夢で、一緒にいた頃の時間と今は繋がっているような。
「これって夢じゃないよね」
うっとりと瞳を閉じながら優希は囁いた。
「本物の禄朗だよね」
「ああ。お前のおれだよ」
優しい声が身体を伝わって響いてくる。
「また逢えるなんて思ってなかったな」
思いあっていたのも、好きだった気持ちも本物だった。ただちょっとした歯車のズレが大きく二人を引き離してしまった。どんなに時間や距離が開いていても求める気持ちが同じなら、こうして奇跡は起こる。
「優希……」
「Allyはずっと心配しながら、ここまで連れてきてくれたんだ」
「そうか」
禄朗はバックミラー越しに、Allyへ優しい視線を向ける。ハンドルを握る彼のリラックスした姿に、助手席の優希は口元を緩めた。こんな時間って何年振りなんだろう。
昔も時々ドライブに連れて行ってもらった。写真を撮るのがメインだったけど、そんな姿を眺めているのが好きだったなと懐かしく思う。またこんな風に過ごせるなんて思っていなかったから、すごく嬉しくて幸せで、ここまできてよかった。
ノンストップでケイトの元へ戻ると、長い説教が待っていた。あの傲慢で誰にも跪かない禄朗を正座させ、延々とお小言を浴びせている。その隣に一緒に座りながら穏やかそうなケイトの怖さに驚きながらも、一緒に怒られた。
「ごめんて」
「ごめんで済みませんよ!!子供じゃあるまいし、勝手にいなくなって!!!!」
雷を落とすってこういうことなのかもしれない。声の迫力に飛び上がらんばかりになる隣で、禄朗も肩をすくめている。
「申し訳ありませんでした。ここから挽回できるように馬車馬のように働かせていただきます」
深々と頭を下げる彼に、ふん!と荒い息を吐いた。
「当たり前です。ここまでの損失は速攻埋めてもらいますから覚悟してくださいね」
ビシビシと容赦のない彼の様子に、Allyは慣れたように頷いている。
「で?逃げた理由は何ですか?」
続けるケイトにポツリポツリと答える。
「理由っていうか……初心に戻りたかったんだよ。写真もうまくいかないし、なにもかもダメで足元がぐらついて……自分の気持ちを見つめなおしたくて……すぐ帰るつもりだったんだ」
クライアントがつくとともに、求められることが増えて撮りたい写真との乖離が進んでしまったこと。華やかな禄朗とパッケージしてエキセントリックな写真が求めれられるようになってしまったこと。自分らしさと、需要とのバランス。仕事だから求められることには応えるけど、それは本当に撮りたかった絵ではない。なぜ自分が写真を撮るのか。何を撮りたいのか。それを見つめなおしたくて、ほんの少しひとりになりたかった。
「優希に見せてやりたいって思った空を撮ったら、わかるのかもしれないって。でも声をかけずにいなくなったことは悪かった。申し訳ありません」
「確かに、最近の作品はあなたらしくない。このままでいいのかは懸念事項でもありました。理解します。でも、今後は勝手に行動せず、ちゃんと話してください。そのために俺たちはいるんですから」
Allyもケイトも何かを作り上げる人たちを尊敬し、そのサポートに全力で立ち向かおうとしてる。
「あなただけを悩ませてしまったこと、俺たちも反省しています。一人で抱え込ませてごめんなさい」
頭を下げたケイト。彼は慌てたように立ち上がった。
「やめろって、そういうの……!お前に頭を下げさせたいわけじゃなかった。今度からちゃんと話すから……」
さすがの禄朗も彼には弱いらしい。優希はその様子を見て、安堵する気持ちに包まれていた。彼には素晴らしいサポートがついている。彼らがいてくれたら、この先も大丈夫だと思える。そんな関係が羨ましいと思った。優希には入っていけない世界がここにあって、信頼しあえる関係には入っていけないから。ひとりだけ外れた場所にいるようでさみしい。
「優希」とケイトは優しいまなざしを向けて微笑んだ。
「ありがとうございます。あなただから探せたんですね」
「い、いえ、ぼくは。Allyががんばってくれたから……」
毎日慣れない長距離を運転するのはかなり疲れただろう。帰りの車で禄朗と運転を変わったAllyは、一瞬で眠りに落ちていた。
「Allyもお疲れさまでした。ありがとう」
それを受けてお礼を伝えると、彼は嬉しそうに笑った後。一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべ「これで償いになれたかわからないけど」と呟く。
「償い?」
ケイトが問いかけると、言い淀みふるふると首を振る。訝しげにしながらも彼は話を変えた。
「ところでこれから優希はどうする予定ですか?」
聞かれて優希は口ごもる。せっかく禄朗と会えたけど、有休も使い果たしてしまうし日本に戻らなきゃいけないだろう。だけど叶うならこのまま一緒にいたい。もう離れたくない。
どう答えていいのか迷っていると、ぎゅっと手を握られた。禄朗の大きな手が優希をしっかりとつかんでいる。
「このままいればいい」
迷いのない声だった。
「もう離したくない。おれが奪ってやる」
「禄朗……」
強い禄朗の声に引かれて、優希も言葉にする。
「役に立てることはありませんか?ここで働きたい」
禄朗のそばにいて、彼が彼らしく写真を撮るサポートをしたい。優希には何かを作り出すことはできないけれど、ケイトのようにそばで支えることをしたかった。
彼はふむ、と頷いて「優希が望むなら」と笑みを浮かべた。
「正直、俺ひとりでは限界があると思っていました。ここの住人たちはみんな個性が強いしわがままで手がかかるんです。優希のように気が利いて信用できる人がいてくれたらって思っていたんですよ」
「じゃあ」
「こちらこそよろしくお願いします」
ケイトの言葉にみるみる涙が浮かんでくる。居場所を失った優希を繋いでくれる言葉だった。
「今すぐにとはいかないのは承知です。お仕事のこともあるでしょうし、日本で色々片付いたらぜひここに戻ってきてください」
「はい……っ」
震える声を飲み込み、しっかりと返事した。
やっと禄朗と歩む道を手にする。これからは彼のために何かができる。喜びでいっぱいになる優希を禄朗は抱きしめた。
「お前の抱えた問題はおれもいっしょに片づけてやる。明日美ちゃんにも一緒に頭を下げる。これからの責任はおれにも背負わせてくれ」
「あ」
禄朗はまだ優希の離婚を知らなかった。離れている間に起きたことをどう説明しようかと迷い口ごもると、それを見ていたAllyが覚悟を決めたように顔をあげた。
「優希はもう離婚してるよ」
その言葉に驚いたように彼を見た。表情が今まで見たことのないほど思い詰めていて、優希は息をのむ。
「Ally……」
「その原因は僕にある」
突然の告白にみんなの視線が集中する。
「ダメだ、Ally」
「やっぱり黙ってるなんてできない。ごめん、優希」
ケイトが不審げな視線を向けた。
「さっきも償いがどうのって言っていましたね。どういうことですか?」
その問いかけにゴクリと唾をのみ、頭を下げた。
「禄朗を取られたくないと思った僕は優希をだましてレ◯プしました」
「は?」と禄朗の低い声が恐ろしく響く。
「Ally!やめて……」
慌ててAllyの言葉を止めようとしたけど、彼は強く抱いたまま優希を離さなかった。続きを促す様に視線を向ける。
たくさんの男たちにレ◯プされたことなんか、忘れてしまいたかった。なにより禄朗を傷つけたくない。だけど覚悟を決めた彼は先を続けた。
「優希を呼び出して薬を飲ませ、ホテルに連れ込んでたくさんの男に襲わせました。病院に運ばれて、そのことがバレて、離婚に繋がりました。ごめんなさい!」
「やめろ!!」
言葉にすればそれだけのことだ。だけどあの苦しみでしかない時間はとてつもなく長く、今でも優希を絶望の淵に落とそうとする。耳をふさいだ。
いくら後悔しても取り返しはつかない。自分のしでかした罪を告白するAllyは、真っ青になり震えている。だけど視線だけはまっすぐに禄朗を見つめている。
「日本での個展の時……優希を見た瞬間わかった。禄朗を取られるって。怖かった。絶対渡したくなくて、ただそこにいるだけで禄朗を魅了できる優希を憎んで、どうしたら傷つけてやれるかって、復讐するつもりで……実行した」
「それで?」
必死に怒りを抑えながら、禄朗は追い詰めていく。
「薬を飲ませてわけのわからなくなった優希をみんなで犯した。だけど優希はそんなことになってるのにずっと禄朗を守ろうとしていた。意味が分からなかった。でも、いまならわかる。気を失って動かなくなった優希を置いてホテルを出て……救急車を呼んだ」
彼の言葉にあの時のことがリアルに思い出された。何人もの知らない男たちの野卑な笑い。人の体をおもちゃのように扱い、汚した、あの時間。震える優希を抱きしめながら禄朗は先を促す。
「そのあとのことは知らない。だけど病院に運ばれた優希を見れば何をされたのか一目でわかっただろう。離婚の原因にはなりえる」
Allyの告白にケイトは真っ青になったまま動かなかった。信じられないとばかりに見つめている。禄朗は小さく息を吐きながら言葉を出す。
「なんで今まで黙ってた?」
「ごめん」
謝る彼にかぶさるように優希は答える。
「ぼくが頼んだんだ。言わないで、って。……もう終わったことだし、ぼくは大丈夫だから」
「大丈夫って、なに?なんで黙ってたんだよ!」
髪が逆立ちそうなくらい怒りを含んだ禄朗に、気圧されても優希はひるまなかった。
「ごめん、でも知ったら禄朗が傷つくと思って……言わないように頼んだ。確かにあれが原因で離婚した。でも、だからこそ大事なことが分かったんだ」
優希にとってだいじなもの。捨てられないもの。ごまかして嘘をついて築き上げてきたものの不確かさや、そのせいで傷つけてしまうこと。
「だからもういいんだ。黙っててごめん」
禄朗を宥めようとしがみつく優希の耳に、パンと軽やかな音が届く。見ると涙をボロボロと流しながらケイトがAllyを平手打ちしている。何度も乾いた音を立てて、黙ったまま叩いている。
「そこまで酷いことをする人だなんて思いもしまいませんでしたよ、Ally。最低です」
怒りより悲しみを含んだ彼の様子に、Allyは唇を噛みしめている。
「わかってる。本当に僕は最低な男だ」
うなだれながら頭を下げる。
「優希、ごめん。黙っているって約束したけど……これ以上なんでもなかった顔で……知らん顔をしたままみんなといるわけにはいかないよ……」
深々と頭を下げる彼にケイトはしがみついた。
「おかしいと思ったんですよ。日本から帰ってきたあなたがしばらく大人しくて、そこからいきなり様子が変わった。突然の改心に何かあったとは思ったけど、こんな酷いことをしていたとは……」
ケイトは優希の前に来て頭を下げると、「申し訳ありませんでした」と謝った。
「そんなことがあったとは知らず、Allyをのさばらせていました。いい男に育ってきたな、なんて思い上がりも甚だしい。恥ずかしいです」
「や、やめてください……本当に謝ってほしいわけじゃないんです。こんな風にしたいわけじゃなくて……」
自分のせいで、過去の間違いでせっかくの穏やかな関係を壊したくない。
「Allyは謝ってくれました、ぼくはそれを受け入れた。もう終わったことなんです」
「くそっ」
禄朗は震えながら優希を抱きしめた。
「元をただせばおれのせいだよな。優希を苦しめたのも、Allyを追い詰めたのもおれがハンパなことをしていたから……」
申し訳ない、と呻きながら禄朗は続けた。
「わかってくれるだろうと胡坐をかいて、優希を一人置いていったのが間違いだった。おれにAllyを責める資格はない。お前のことも、たくさん傷つけたんだよな……Ally」
見つめられ、彼はふるふると首を振る。
「好きだったんだ、憧れてた。でも、最初から禄朗は優希のものだったんだ」
ポロリとAllyから透明なしずくがこぼれる。ケイトはそれをぬぐいながら抱きしめた。
「どう償っていいのかわからないけど、でも、この先の優希は絶対傷つけない。約束する」
「禄朗……」
広い背中にしがみつきながらそれに応える。
「うん。これからを見ていきたいんだ」
Allyとケイトにも向き合って伝える。
「ぼくはここにいたい。みんなと一緒に何かを作り上げていきたい。だから、これでいいことにしませんか?こんな素敵な場所を壊したくないんです」
「優希……」
ケイトは彼の腕をつかみしっかり立たせると、優希の前に押し出した。
「ちゃんと謝って」
フラフラとAllyはやってきて頭を下げる。
「優希……あの時はひどいことをしてしまって申し訳ありませんでした」
「うん、これからもよろしく。Ally」
手を差し出して握手を求めると彼はふにゃりと顔を歪め、頷きながら握り返した。
誰だっていつもそれが一番の正解だと思って行動する。幸せになりたくて、欲しいものを手に入れたくて、必死に生きている。だから間違う。でも間違うことは悪いことじゃない。苦しくてもがいて泣き叫んで、その先に大事なものが見つかるから。傷つきながら前に向かって進んだ時、未来は開ける。そうわかったから、優希は過去を許し受け止める。
「おなか、すかない?」
暗くなった空気を一掃しようと声をあげる。タイミングよくAllyのおなかが音を立てた。それを聞いたケイトが呆れたように笑いだす。
「こんな状況でよくおなかを鳴らせますね」
「うっ、重ね重ね申し訳ない」
ヘコむAllyに禄朗はポケットから出したチョコを投げつけた。
「これでも食っとけ」
「ありが……って、溶けてるじゃん」
体温でシナシナになったチョコを手に彼は泣き笑いの表情を浮かべた。
近くのレストランで食事をした後、どうしたらいいかと躊躇う優希の腕を禄朗が引いた。
「お前はこっちだろ」
「うん」
久しぶりの『恋人』という立場に恥ずかしさがこみあげてくる。ずっと夢に見てきたというのに、現実感がまだわかない。
Allyとケイトと別れ、手をつなぎながら石畳の上を並んで歩く。ふわふわと現実離れした光景にどこからか音楽が聞こえてきた。楽しそうな歌声。
見渡せば事務所のあった賑やかな街の中とは雰囲気が変わっている。明かりのついた窓から人の営みが垣間見えるような幸福の風景。
「ここだ」
一軒の古びた建物の前で禄朗は足を止める。扉を開け建物の中に入ると、らせん状の中階段を上っていく。同じようなドアが並ぶ廊下を進むと、一番奥の部屋の鍵を開けた。昔の映画に出てきそうなクラシカルな雰囲気に、優希は気持ちが高ぶっていく。
「素敵な場所だね」
「気にいったか?」
玄関はないけど、マットを敷いた場所で禄朗は靴を脱ぎ、部屋の電気をつけた。明るく照らされた部屋の中は必要最低限の家具しかなく、雑多に本が積まれ壁には写真が貼られている。学生の頃の禄朗の部屋もこんな感じだったなと懐かしくなる。
「せまくてビックリしたろ」
窓を開けながら苦く笑う禄朗にううん、と首を振り隣に並んだ。
「禄朗の部屋だなーって懐かしく思ってたよ」
広い肩にコツンと頭を乗せると、彼はその上に自分の頭を寄せた。
「大事なものが何かわかってる人の部屋って感じで、好きだよ」
外の風に吹かれていると今までの長い日々が嘘のように思えた。全部が夢で、一緒にいた頃の時間と今は繋がっているような。
「これって夢じゃないよね」
うっとりと瞳を閉じながら優希は囁いた。
「本物の禄朗だよね」
「ああ。お前のおれだよ」
優しい声が身体を伝わって響いてくる。
「また逢えるなんて思ってなかったな」
思いあっていたのも、好きだった気持ちも本物だった。ただちょっとした歯車のズレが大きく二人を引き離してしまった。どんなに時間や距離が開いていても求める気持ちが同じなら、こうして奇跡は起こる。
「優希……」
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