第2話 依頼

文字数 3,694文字

 数日前の事である。
 北の小国群は、冬になれば雪に閉ざされる。
 夏のうちに北へ行ってみようと言う話になって、アリアンとエスティヴァンはト・バレル、ト・ギールと見て回り、ト・ボレルを目指して山の中をのんびり歩いていた。
 二人の他に人影は見当たらない。
 この時期、ト・ギールからも武術大会を目当てにト・ボレルへ向かう人々は居るのだが、大抵の者達は山の裾野の街道を行く。
 山道は細く、少々険しい場所があるので大きな街道馬車や、重い農作物を運ぶ荷馬車は街道を使う。わざわざこの山道を行こうと言う酔狂な者は少なかった。
 二人が山道を歩いているのは、山育ちだと言うアリアンがこっちの方が近道だし、久し振りに山の中を歩きたいと言ったからだった。

 山の涼しい空気と、木の梢が織りなす光の芸術を堪能しながら歩いていると、珍しく後ろから馬車の音が聞こえてきた。
 見ると、小さめの馬車であったが、農業国家のト・ギールの馬車にしては華やかな装飾が施されていた。
 ある程度身分のある者が、何やら急ぎの用があるのだなぁ、くらいの思いで、来た馬車を横によけてやり過ごして見送り、また歩き始めようとした時、通り過ぎた馬車の馬がいななき、ドサッと倒れた。
 険しい山道に足でも痛めたのかと思ったが、すぐに違うとわかった。
 馬が倒れたのを見計らったように、数人の男達が馬車を取り囲むように山の中から現れたからだ。
 男達の手には剣が握られている。

 いきなり馬が倒れ、何があったのか訳の分からぬままに、御者や馬車に乗っていた者達は山の中から現れた男達に斬られていった。
 山の中に、悲鳴が響き渡る。

 二人は急ぎ足で駆け付けたが、その時にはすでに全員が斬られ、山賊であろう男達は逃げ去って行く所だった。
「おい! しっかりしろ!」
 まだ息がある者に駆け寄り、こう声を掛けたが、手遅れなのは一目でわかった。
 五十過ぎの、品の良さそうな初老の男だった。
「か……かばん……」
 苦しげな息の下から、逃げ去って行く男の方に手を伸ばしながら言ってきた。
「あ、あの……鞄を……届けないと……」
「鞄?」
 アリアンが逃げて行く男達の方を見やると、確かに大きな鞄を抱えて走っている者が居た。
「お、お願いだ……あの……鞄を……」
 アリアンを見上げ、縋るように言って来る。
 その瞳を見て、アリアンは口を歪ませた。
「あのなぁ、おっさん。俺達は傭兵でな。慈善事業者じゃねぇんだ。金にならねぇ事に、命賭けられねぇんだよな」
 馬車を襲った者達に、一切無駄な動きはなかった。
 誰ひとり口を開く事さえなく、顔色一つ変えず剣を振るい、斬り殺していた。
 余程統率の取れた山賊か、山賊の振りをした他の目的を持った集団か。
 どちらにせよ、連中から鞄を奪い返すのは、命懸けとなるのは明らかだった。
「傭兵……?」
「ああ。悪いな」
 おそらくは、この男の人生最後の頼みであろうことを引き受けてやれないと、アリアンは謝ったのだが、虚ろだった初老の男の瞳に輝きがともった。
「なら……なら、こ、これで……」
 震える手を懐に差し入れ、男は革袋を取り出してきた。
 中からは、金貨が擦れ合う音が響いてくる。
「これで……あの鞄を取り戻してくれ……!」
「……取り戻して、どうすりゃいいんだ?」
「城に……ト、ト・ボレルの城に……王に届けて……くれ」
「王にぃ!? そりゃ、ただの傭兵にゃ、荷が重いかもだぜ、じいさん」

 不逞の輩から鞄を取り戻して、王様に届けろと襲われた者に雇われたので、届けに来ました。
 で、誰が信用するのか、だ。

「あ、あの男の服の中に……書……書状が……」
 手を動かすのも辛いのか、目だけで傍で息絶えている男を示す。
 エスティヴァンがその男に近づき、懐をまさぐると、何か紙のような物に触れた。
 それを引き出し、初老の男に示すと、男はこっくりと頷いた。
「我が……ト・ギールの陛下からト・ボレル王への書状だ……」
「ト・ギールの陛下!?
 華やかな馬車だなとは思ったが、まさか国からの使者を乗せた馬車だとは。
 襲った男達は、王家の使者の馬車だとわかっていたのか!?
 だとしたら、少々どころではなく、相当やばい匂いがプンプンしてきだした。

 どうするか、と逡巡していると、痛いほどに腕を掴まれた。
 何処にこんな力が残っていたのかと驚くほど、初老の男は強くアリアンの腕を掴み、
「た……頼む……! どうか……!」
じっとアリアンの目を覗き込み、必死の形相で懇願してくる。

 アリアンは下唇を噛み、チラッとエスティヴァンの方を見上げた。
 エスティヴァンは何も答えずに、ふぃっと視線をそらす。
 お前の好きにしろ、の合図だ。当然、責任は全部アリアン持ちと言うことになる。

 チッと小さく舌打ちをして、
「わかった。こっちも懐具合が寂しくなって来ていた所だ。あの鞄を取り戻して、ト・ボレル王に届ければいいんだな」
アリアンがこう言うと、男はうっすらと笑みを浮かべ、瞼を閉じて行った。
 
 力なく落ちた男の両手を胸の上で重ね合せてやると、アリアンは男が差し出した金袋を掴み、懐に突っ込みながら走り出した。
「追いつけるか?」
「つけなきゃ、あっちに待ってもらうだけだな」
 横を走るエスティヴァンの問いに、にやっと唇の端を上げて答える。
 人を殺め、盗品を抱えて逃げている賊が待ってくれるとは到底思えないが、エスティヴァンはアリアンの答えに軽く肩を竦めただけだった。

 細い曲がりくねった山道を幾度か曲がってはみたものの、賊の姿は見当たらなかった。
 山の中に逃げ込まれていたら厄介だな、と思い始めた頃、ようやく峠に辿り着き、下を見下ろすと賊の姿が木立ちの間から微かに見て取れた。

 二人は一気に足を速めて山を駆け下りて行く。
 またも幾度か曲がり、賊の背中を視界にとらえると、アリアンが軽く右手を振った。
 次の瞬間、アリアンの右手の指の間にナイフが出現した。
 手甲に仕込まれた細身のナイフだ。腕の振りで出て来る仕組みになってるのだろう。

 最初の狙いは、鞄を持って走っている賊。
 他の者より足が遅く、動きも制限されている。

「ぎゃっつ!」
 鞄を持った賊の男が悲鳴を上げ、鞄を放り出し左肩を押さえて蹲る。
 左肩には、アリアンから放たれたナイフが見事に突き刺さっていた。
 仲間の悲鳴に、他の賊達の足が止まる。それを見過ごさず、と言うよりはそれを待っていたように、再びアリアンの手からナイフが解き放たれる。
 手甲に仕込まれていたのは一本だけではなかった。
 両手で二本ずつのナイフが放たれ、負傷した仲間に駆け寄った二人の賊の足へと吸い込まれて行く。
 残りの二本は、素早い対応を示した賊の剣に弾き返された。

 その間にも、二人は賊の元へと駆け続けている。アリアン曰く、“待ってもらっている”間にだ。

 だが、賊の方もただ待っているだけではなかった。 ナイフを弾き返した剣を手にしたまま、アリアン達の方に駆け出して来る。
 自分達の行動を邪魔する者は排除する、であろう。

 賊の頭領らしき者が、大きく剣を振りかぶりつつ二人に襲い掛かって来る。
 先に走っていたのはアリアンだったが、その剣を受けたのはエスティヴァンであった。

 ガキィィィン! と、剣のぶつかり合う音が山にこだまする。
 賊達は頭と顔に布を巻き、出ているのは目だけである。
 暗い灰色の瞳が、エスティヴァンの透き通った青い瞳と睨み合う。

 エスティヴァンと賊の頭領が睨み合っている間に、アリアンは後から来たもう一人の賊の剣を軽く躱し、横を擦り抜けざま腕を伸ばし、賊の喉元に食い込ませる。堪らず賊は剣を落とし、後ろにもんどり打ってひっくり返った。

 それを目の端で捉えた頭領は、二人の力量に瞬時に不利と判断したのだろう、
「鞄を投げ捨てろ!」
仲間に向かって、こう叫んだ。
 頭領の叫び声に、足にナイフを刺されながらも鞄を持って逃げかけていた賊が、鞄を谷底に向かって持ち上げる。

「冗談!!」

 切り立った崖の遥か下は、流れの速い川だ。そこに落とされたら、確実に見つけられない。
 アリアンは珍しく少々焦った。
 賊との距離はまだあり、辿り着くまでに投げ捨てられるのは必至である。
 
 幸いな事に、道がくの字に曲がった先に賊は立っていた。賊とアリアンが大体正面になる位置である。だが、ナイフは品切れ。先程すべて投げてしまっていたのだ。
 何か投げる物はないかと探すと、懐にちょうどいい重さの物があった。それを掴み出し、今にも谷底に鞄を投げ捨てようとしている賊に向かって、思いっきり投げつけた。

「うわ……!!」
 狙ったのは鞄だった。賊に当てて、鞄を谷に落とされては元も子もない。
狙い通り、当たった重みに賊は鞄を後ろに取り落とした。そして、ナイフに刺された足をよろつかせ、谷底へと悲鳴の尾を残しつつ落ちて行った。

 悲鳴の後に、チャリン、チャリーンと言う音が響き、アリアンは自分が何を投げたのかを理解したのである。

 賊の頭領の暗い灰色の瞳の視線より、エスティヴァンの冷たい青い瞳の視線の方がより深々と背に突き刺さってきた。……気がした。

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