第5話 饅頭
文字数 4,059文字
三人は、逃げに逃げに逃げて、橋のたもとの廃材置き場の陰に逃げ込んだ。
頭の上の橋を渡る人々の足音に注意を払いつつ、お互い目を見合わせて、ほぅ……と息を吐いた。
足音は一定の調子で行き過ぎるものばかりで、途中で止まって何かを探したりしてる音も、突然走り出す音もなかった。
一つとして落としてなるものかと、しっかとまだ饅頭を胸に抱えていたコーデフが、今はエスティヴァン担当になっている鞄を見やりつつ、
「その鞄に、何が入ってるんでしょうね、本当に」
と、聞いた。
逃げながらもきっちり千歩を数え、エスティヴァンに鞄を放り渡したアリアンが、
「多分……ト・ギールのレースだろうな」
と、んなの知るか! とは言わずに自分の推測を口にした。
「ト・ギールのレース……?」
何故、そんなものだと思ったのかと、エスティヴァンが不思議そうに聞き返す。
ト・ギールは農業国で、雪に閉ざされる冬になると農閑期となり、する事が殆どなくなる女達はレースを編む。
養蚕もしているので、綺麗な細い絹糸を使って、暇に飽かせて複雑な模様のレースを文字通り、編みだして行った。
今では、”北の小国群”以外の四大国にもその美しいレースの噂が広まり、冬の間だけの手仕事なので非常に希少で、高値で取引されるようになっていた。
ト・ギールのレースを身に着けることは、上流階級の証しになっている。
ただ、貴重なレースではあるが、それをわざわざト・ボレルの兵士が人を殺してまで奪おうとする理由がわからない。
売るだけが目的とは思えない執着ぶりでもあるし。
「今年の武術大会は、王女様のお相手を決める年らしいからな」
アリアンのこの言葉を聞いて、コーデフは何処かしら納得の顔をしたが、エスティヴァンは眉根を寄せた。
「その、王女のお相手ってのはなんだ?」
「言葉通りさ。今年の武術大会で優勝した者が、王女様の夫になる権利を得るんだ」
「武術大会で……王女の相手を決めるのか……?」
「そ! 王女様が16の年になったら、武術大会で優勝した者と結婚するんだ。まぁ、優勝した者が妻帯者だったり、王女様と結婚する気はありませ~~ん! て言ったら、来年に持ち越しってことになるがな」
これを聞いて、エスティヴァンの眉がますます曇っていく。
「王女の意志は……?」
「ない」
「ない!?」
「俺を睨みつけたってしょうがないだろう! 俺が決めたわけじゃねぇんだから!」
その通りであったので、エスティヴァンはアリアンから目をそらした。
「この国はぁ、なんでも武術大会で決めんだよ。なにせ、この国の最初の王を決めた時が、その方法だったからな」
エスティヴァンには珍しく、自分の感情をあらわにしてまで、王女の相手を大会で決めるのに憤慨している様子を見て、アリアンがこう付け加えてきた。
「次の王様だって、王子様が武術大会に優勝しなければ、誰になるかわからないんだぜ」
「あ! そう言えば、今年も王子様は大会に出ない、とか何とか言ってた気が……」
「はぁ? んじゃ、王子様は王女様より年上かぁ? 確か、王子が大会に出るのは18からだったような……。で、今年もって事は、去年も出てないのかぁ、それ、やばくないか?」
「やばいのか?」
エスティヴァンがコーデフに向かって聞いたが、コーデフは首を傾げつつも、
「さぁ……。なぁんか、大会に出ないから、腰抜け王子だぁとか言ったのを聞いて、あの衛士の方が怒っちゃったんですけど……。王子の気持ちもわからずに、馬鹿にするなぁとかなんとかで……」
と、見聞きしたままの事を言った。
「まぁ、「戦士の国」の王子様だからなぁ。大会に出ないってのは頂けない気がするな。それに、20歳になるまでに優勝するか、それなりの実力があると認められなければ、王位は継げなかったはずだしなぁ」
アリアンは、馬鹿にした方の肩を持ったが、
「王の子に生まれたからと、王位を継がなければならない事はないだろう。それに、王子には選択権があるのに、王女にはないのか」
エスティヴァンは、王子と王女の肩を持った。
そしてまた、二人の睨み合いが始まった。
その間に挟まれたコーデフは、何とか違う話題を出そうと、
「え、え~……饅頭、食べませ……」
まで言った時、
「王の子に生まれたから、蝶よ花よと育てられんだろう? その分、国の為に生きろ、とは思うね」
と、アリアンが口を開き、出鼻をくじかれてしまった。
「生まれたくて、生まれたわけじゃないだろう。それなのに、結婚相手まで勝手に決められるのか」
エスティヴァンも引く気はないらしい。
「んなこと言い出したら、貧乏な家に生まれた奴はどうなるよ。家族の為に、生きる為だけに、身を売ってる女は山と居るだろうが。それに比べりゃ、ましな方だと思うぜ」
「ましだから、我慢しろと?」
「現国王も大会に優勝して、当時の王女と結婚して王になってんだ。前王にはその王女しか居なかったからな。それでも、仲がいいって評判の夫婦だぜ。もしかしたら、王女様もそうなるかもしれないだろうが」
「ならなかったら?」
んな先の話し、答えられるわけねぇだろう、とアリアンが言い掛けた時、
「あ……!」
と、コーデフが何かを思い出したように小さく叫んだ。
エスティヴァンがさっと鞄に手を置き、アリアンが中腰になる。
だが、頭の上の端の足音には何の変化もなく、周りからも人の気配は感じられなかった。
「何だ、コーデフ。何かあったのか?」
「え? あ、いや、な、何でもないです……」
コーデフが引きつった笑顔で答えたが、二人に睨みつけられ、
「あ~~……その、お二人にお会いする前に、誰かが上の王女様が……結婚するのが嫌だったのか……大会の前に……自殺されたって言ってたのを思い出しただけで……」
渋々こう言った。
「自殺……!?」
エスティヴァンは、ほら見ろ! とアリアンを睨みつけ、アリアンは余計な事を! とコーデフを睨みつけた。
コーデフはただただ首を竦め、身を縮こまらせるしかなかった。
「そうだったとしてもだ! 俺達に何が出来る? て話だろうが!」
「それは……」
「俺達は、この鞄を城に届けるのがお仕事で、王女様の結婚を阻止するのがお仕事じゃない! だよな!」
これには、エスティヴァンも反論の余地はないらしく、黙り込んだ。
「でも……どうやってお城に持って行くんですか……? 途中で止められちゃいません?」
おずおずとコーデフが問い掛ける。
「止められるだろうなぁ。すでに、完全に、お尋ね者になってるだろうからな」
「それじゃ……」
「真正面からだったらな」
「…………他のどこから……」
「どっかあるだろう」
「まさか! 忍び込むんですか!?」
「人聞きの悪い! そう~~っと静かに見つからないように、裏側辺りから王に届けに行くだけだ!」
同じ事だろう……とエスティヴァンとコーデフは思ったが、他に方法が思い付かなかったので、黙っている事にした。
「と言うわけで、それまでに腹ごしらえだ! コーデフ、饅頭!」
「は、はい!」
ピョンと飛び上がりながら、コーデフはアリアンに饅頭を渡した。
その饅頭を、アリアンはエスティヴァンに投げたが、すぐに投げ返された。
「あ?」
「これは、アリアンに頼まれて買ったものだろう。俺はいい。腹が空いているのには、ガキの頃からなれてる」
「エスティヴァンさん……」
コーデフが後を追っかけているのはアリアンで、自分ではない事は百も承知であった。
「暗……!!」
アリアンが顔を引き歪めて、周りを気にしながらも小さく叫んだ。
「悪かったな、暗くて」
「悪い! こういう時は、ありがとう、でいいんだよ!」
言いつつ、再びエスティヴァンに饅頭を投げる。
「返すなよ! 受け取らねぇからな! 饅頭無駄にすんな!」
返そうとするエスティヴァンに向かって、さらにアリアンが叫ぶ。
手の中の饅頭を見つめ、小さく息を吐くと、
「ありがとう。後で金は返す」
コーデフに向かって、軽く饅頭を上げた。
「エスティヴァンさん……」
ホッとしたコーデフだったが、
「アリアンと違って」
とエスティヴァンが付け加えたものだから、
「ああ!? 俺だってちゃんと返すぞ!」
と、また険悪ムードが漂いだした。
「良かったなぁ、返してくれるそうだ。ちゃんといくらだったか付けとけよ、コーデフ」
「おまえなぁ……!!」
二人の間でおろおろしていたコーデフであったが、もう好きにしてくれと、自分も饅頭を取り出して食べ始めた。
止める者が居なくなってしまったので、二人もそこで言い合いをやめて食べ始めたので、そうか、放っておけばいいんだ、と心の中で大きくコーデフは頷いた。
饅頭を食べ終え、動きやすくなる夜を待つ間、ここで隠れているしかないので、エスティヴァンは気になっている事を聞く事にした。
「なぁ、アリアン……」
「ん? なんだ?」
「おまえ、この国に来た事があるのか?」
「あ? いいや、初めてだ」
「それにしては……いや、今までの国でもそうだったが、随分とあっちこっちの国の事に詳しいな」
傭兵の過去は聞かない。
それが唯一の傭兵への礼儀なので、何年か一緒に旅をしていても、お互いの過去の事は聞かなかったし、自ら話す事もなかった。
「ああ? ……親父が、若い頃は傭兵をしていてな。今じゃ、傭兵やめて気楽に暮らしているがな。その親父から、若い頃の自慢話をガキの頃から聞かされて育ったんでな。それでだ」
「親父さんから……か。本当の父親か?」
「は!?」
実の親ではなくとも、世話になった男を“親父”と呼ぶ時もあるが、こんな問い掛けをするのは珍しかった。
エスティヴァンの過去に何か関係があるのかもしれないな、と思いつつ、
「さぁなぁ。本当の父親かどうかは、お袋に聞かなきゃわかんねぇが。そのお袋はもう亡くなっちまってるからなぁ。ま、本当の親父だって思っといた方が、問題なくていいんじゃないか、かな」
と、アリアンは答えた。
「そうか……そうだな……」
混ぜっ返す事もなく、エスティヴァンは静かに頷いただけだった。
頭の上の橋を渡る人々の足音に注意を払いつつ、お互い目を見合わせて、ほぅ……と息を吐いた。
足音は一定の調子で行き過ぎるものばかりで、途中で止まって何かを探したりしてる音も、突然走り出す音もなかった。
一つとして落としてなるものかと、しっかとまだ饅頭を胸に抱えていたコーデフが、今はエスティヴァン担当になっている鞄を見やりつつ、
「その鞄に、何が入ってるんでしょうね、本当に」
と、聞いた。
逃げながらもきっちり千歩を数え、エスティヴァンに鞄を放り渡したアリアンが、
「多分……ト・ギールのレースだろうな」
と、んなの知るか! とは言わずに自分の推測を口にした。
「ト・ギールのレース……?」
何故、そんなものだと思ったのかと、エスティヴァンが不思議そうに聞き返す。
ト・ギールは農業国で、雪に閉ざされる冬になると農閑期となり、する事が殆どなくなる女達はレースを編む。
養蚕もしているので、綺麗な細い絹糸を使って、暇に飽かせて複雑な模様のレースを文字通り、編みだして行った。
今では、”北の小国群”以外の四大国にもその美しいレースの噂が広まり、冬の間だけの手仕事なので非常に希少で、高値で取引されるようになっていた。
ト・ギールのレースを身に着けることは、上流階級の証しになっている。
ただ、貴重なレースではあるが、それをわざわざト・ボレルの兵士が人を殺してまで奪おうとする理由がわからない。
売るだけが目的とは思えない執着ぶりでもあるし。
「今年の武術大会は、王女様のお相手を決める年らしいからな」
アリアンのこの言葉を聞いて、コーデフは何処かしら納得の顔をしたが、エスティヴァンは眉根を寄せた。
「その、王女のお相手ってのはなんだ?」
「言葉通りさ。今年の武術大会で優勝した者が、王女様の夫になる権利を得るんだ」
「武術大会で……王女の相手を決めるのか……?」
「そ! 王女様が16の年になったら、武術大会で優勝した者と結婚するんだ。まぁ、優勝した者が妻帯者だったり、王女様と結婚する気はありませ~~ん! て言ったら、来年に持ち越しってことになるがな」
これを聞いて、エスティヴァンの眉がますます曇っていく。
「王女の意志は……?」
「ない」
「ない!?」
「俺を睨みつけたってしょうがないだろう! 俺が決めたわけじゃねぇんだから!」
その通りであったので、エスティヴァンはアリアンから目をそらした。
「この国はぁ、なんでも武術大会で決めんだよ。なにせ、この国の最初の王を決めた時が、その方法だったからな」
エスティヴァンには珍しく、自分の感情をあらわにしてまで、王女の相手を大会で決めるのに憤慨している様子を見て、アリアンがこう付け加えてきた。
「次の王様だって、王子様が武術大会に優勝しなければ、誰になるかわからないんだぜ」
「あ! そう言えば、今年も王子様は大会に出ない、とか何とか言ってた気が……」
「はぁ? んじゃ、王子様は王女様より年上かぁ? 確か、王子が大会に出るのは18からだったような……。で、今年もって事は、去年も出てないのかぁ、それ、やばくないか?」
「やばいのか?」
エスティヴァンがコーデフに向かって聞いたが、コーデフは首を傾げつつも、
「さぁ……。なぁんか、大会に出ないから、腰抜け王子だぁとか言ったのを聞いて、あの衛士の方が怒っちゃったんですけど……。王子の気持ちもわからずに、馬鹿にするなぁとかなんとかで……」
と、見聞きしたままの事を言った。
「まぁ、「戦士の国」の王子様だからなぁ。大会に出ないってのは頂けない気がするな。それに、20歳になるまでに優勝するか、それなりの実力があると認められなければ、王位は継げなかったはずだしなぁ」
アリアンは、馬鹿にした方の肩を持ったが、
「王の子に生まれたからと、王位を継がなければならない事はないだろう。それに、王子には選択権があるのに、王女にはないのか」
エスティヴァンは、王子と王女の肩を持った。
そしてまた、二人の睨み合いが始まった。
その間に挟まれたコーデフは、何とか違う話題を出そうと、
「え、え~……饅頭、食べませ……」
まで言った時、
「王の子に生まれたから、蝶よ花よと育てられんだろう? その分、国の為に生きろ、とは思うね」
と、アリアンが口を開き、出鼻をくじかれてしまった。
「生まれたくて、生まれたわけじゃないだろう。それなのに、結婚相手まで勝手に決められるのか」
エスティヴァンも引く気はないらしい。
「んなこと言い出したら、貧乏な家に生まれた奴はどうなるよ。家族の為に、生きる為だけに、身を売ってる女は山と居るだろうが。それに比べりゃ、ましな方だと思うぜ」
「ましだから、我慢しろと?」
「現国王も大会に優勝して、当時の王女と結婚して王になってんだ。前王にはその王女しか居なかったからな。それでも、仲がいいって評判の夫婦だぜ。もしかしたら、王女様もそうなるかもしれないだろうが」
「ならなかったら?」
んな先の話し、答えられるわけねぇだろう、とアリアンが言い掛けた時、
「あ……!」
と、コーデフが何かを思い出したように小さく叫んだ。
エスティヴァンがさっと鞄に手を置き、アリアンが中腰になる。
だが、頭の上の端の足音には何の変化もなく、周りからも人の気配は感じられなかった。
「何だ、コーデフ。何かあったのか?」
「え? あ、いや、な、何でもないです……」
コーデフが引きつった笑顔で答えたが、二人に睨みつけられ、
「あ~~……その、お二人にお会いする前に、誰かが上の王女様が……結婚するのが嫌だったのか……大会の前に……自殺されたって言ってたのを思い出しただけで……」
渋々こう言った。
「自殺……!?」
エスティヴァンは、ほら見ろ! とアリアンを睨みつけ、アリアンは余計な事を! とコーデフを睨みつけた。
コーデフはただただ首を竦め、身を縮こまらせるしかなかった。
「そうだったとしてもだ! 俺達に何が出来る? て話だろうが!」
「それは……」
「俺達は、この鞄を城に届けるのがお仕事で、王女様の結婚を阻止するのがお仕事じゃない! だよな!」
これには、エスティヴァンも反論の余地はないらしく、黙り込んだ。
「でも……どうやってお城に持って行くんですか……? 途中で止められちゃいません?」
おずおずとコーデフが問い掛ける。
「止められるだろうなぁ。すでに、完全に、お尋ね者になってるだろうからな」
「それじゃ……」
「真正面からだったらな」
「…………他のどこから……」
「どっかあるだろう」
「まさか! 忍び込むんですか!?」
「人聞きの悪い! そう~~っと静かに見つからないように、裏側辺りから王に届けに行くだけだ!」
同じ事だろう……とエスティヴァンとコーデフは思ったが、他に方法が思い付かなかったので、黙っている事にした。
「と言うわけで、それまでに腹ごしらえだ! コーデフ、饅頭!」
「は、はい!」
ピョンと飛び上がりながら、コーデフはアリアンに饅頭を渡した。
その饅頭を、アリアンはエスティヴァンに投げたが、すぐに投げ返された。
「あ?」
「これは、アリアンに頼まれて買ったものだろう。俺はいい。腹が空いているのには、ガキの頃からなれてる」
「エスティヴァンさん……」
コーデフが後を追っかけているのはアリアンで、自分ではない事は百も承知であった。
「暗……!!」
アリアンが顔を引き歪めて、周りを気にしながらも小さく叫んだ。
「悪かったな、暗くて」
「悪い! こういう時は、ありがとう、でいいんだよ!」
言いつつ、再びエスティヴァンに饅頭を投げる。
「返すなよ! 受け取らねぇからな! 饅頭無駄にすんな!」
返そうとするエスティヴァンに向かって、さらにアリアンが叫ぶ。
手の中の饅頭を見つめ、小さく息を吐くと、
「ありがとう。後で金は返す」
コーデフに向かって、軽く饅頭を上げた。
「エスティヴァンさん……」
ホッとしたコーデフだったが、
「アリアンと違って」
とエスティヴァンが付け加えたものだから、
「ああ!? 俺だってちゃんと返すぞ!」
と、また険悪ムードが漂いだした。
「良かったなぁ、返してくれるそうだ。ちゃんといくらだったか付けとけよ、コーデフ」
「おまえなぁ……!!」
二人の間でおろおろしていたコーデフであったが、もう好きにしてくれと、自分も饅頭を取り出して食べ始めた。
止める者が居なくなってしまったので、二人もそこで言い合いをやめて食べ始めたので、そうか、放っておけばいいんだ、と心の中で大きくコーデフは頷いた。
饅頭を食べ終え、動きやすくなる夜を待つ間、ここで隠れているしかないので、エスティヴァンは気になっている事を聞く事にした。
「なぁ、アリアン……」
「ん? なんだ?」
「おまえ、この国に来た事があるのか?」
「あ? いいや、初めてだ」
「それにしては……いや、今までの国でもそうだったが、随分とあっちこっちの国の事に詳しいな」
傭兵の過去は聞かない。
それが唯一の傭兵への礼儀なので、何年か一緒に旅をしていても、お互いの過去の事は聞かなかったし、自ら話す事もなかった。
「ああ? ……親父が、若い頃は傭兵をしていてな。今じゃ、傭兵やめて気楽に暮らしているがな。その親父から、若い頃の自慢話をガキの頃から聞かされて育ったんでな。それでだ」
「親父さんから……か。本当の父親か?」
「は!?」
実の親ではなくとも、世話になった男を“親父”と呼ぶ時もあるが、こんな問い掛けをするのは珍しかった。
エスティヴァンの過去に何か関係があるのかもしれないな、と思いつつ、
「さぁなぁ。本当の父親かどうかは、お袋に聞かなきゃわかんねぇが。そのお袋はもう亡くなっちまってるからなぁ。ま、本当の親父だって思っといた方が、問題なくていいんじゃないか、かな」
と、アリアンは答えた。
「そうか……そうだな……」
混ぜっ返す事もなく、エスティヴァンは静かに頷いただけだった。