第8話 岐路

文字数 6,915文字

「姉様は! 姉様は、お父様に殺されたのよ!」
 その沈黙を破ったのは、王女の少々不穏な叫び声だった。

「殺された……?

 上の王女は、自殺したって言わなかったか? と言う視線をアリアンはコーデフに向けた。
 それを受けて、確かにそう聞いたんです! と言うようにコーデフは小刻みに首を横に振った。

「セレスティナ……!」
 王女を咎めるように名を呼ぶ王子の声に、王女だけの思い込みではないと知れた。

「穏やかではないですね。自分の娘を殺したとは」
「殺したも同然だわ! 私だって! サージェ以外の男と結婚しろと言われたら……自分で命を絶つわ!」
「王女……」
「つまりは……どなたか思っている男が居た……と言うわけですか、上の王女様にも」

 ここまで話してしまった以上、黙っていても仕方がないかと、王子がコクリと頷いた。
「警備兵や、衛兵を束ねている警備長官の息子で、剣の腕も強く、優しい性格の者で……私も小さな頃は、よく剣を教えて貰っていた」
「警備兵や、衛兵をねぇ……」

 ここを繰り返しつつ、アリアンはエスティヴァンと目を見交わした。

「けれど、何故か父は反対でね。理由を聞いても答えてはくれずに、ただ……反対するばかりだった」
「ですが、いくら王が反対しても」
「武術大会で優勝すればいい?」
「剣の腕も強かったのでしょう?」
「ああ。…………だが、大会の直前に怪我をして、出られなくなった」
「あ!?

 まったく今と同じ状況が、上の王女の時にも起きていたのである。
 これが偶然と言えるのかどうか、誰もが疑問に思うだろう。

「……王は……サージェと王女の事を……?」
「いや。……誰にも知られないようにしていた。バトガに言われてね……」
「バトガ?」
「姉の恋人だった男だ。姉が亡くなってからも、色々と相談に乗ってもらっていた。サージェとの事も話したら……誰にも言うなと言われた。その時に……」
「その時に?」
「…………自分が大会の前に怪我をしたのは……事故ではなく、誰かに襲われたからで。それを……もしかしたら王が命じたのではないかと思っていると……」
「思っているだけ? 確証はなし?」
「ああ。けれど! 姉との事を反対していた理由が、はっきりわかった」
「なんですか」
「……バトガの父は……私の父と結婚する前に、母の恋人だったんだ!」
「ほぅ……? だがそれだけで……」
「それだけならな! だが、バトガの父も大会の前に誰かに襲われてるんだ! それで、大会に出られなくなったんだ。もしかしたらそれも父が……この国の王になりたいが為に、父が……」
「やったと言う証拠は?」
「ないさ! だけど! これだけ重なれば疑いたくもなる! それに! 姉上が……あんな亡くなり方をしているのに……まだ大会を続けるなんて……! 父は! 姉や私達より、この国の王である事が大事としか思えない! それで、今回もこれだ! もう……父の元に居る気にはなれない……!」

 拳を地面に叩きつけ、苦悩の表情を浮かべる王子の背に、王女が覆い被さるように抱きしめ、きっとアリアン達を睨んできた。

「もういいでしょう! 私達の事は放っておいて!」

 そう言い放つと、兄の背に顔を埋めた。

 アリアン達三人は顔を見合わせ、小さく息を吐いた。
 何も証拠はない。偶然の重なりであるとも考えられる。
 だが、それを言った所で、三人の意志を変えさせることは出来ないほどに、父王への不信感は大きそうであった。

「ええ。あなた方がどうされようが、俺には関係ないですからね。……ただひとつだけ聞いていいですか?」
「何よ! まだ何か文句があるの!?
 ガバッと兄の背中から顔を上げて、王女が噛みつくように言って来る。
 もしかしたら、この王女なら城を出ても十分やっていけるかもしれない、とアリアンは思いつつ、身体の前で手を振り、
「いやいや、ただ……バトガ……ですか、その、姉上様の恋人の瞳の色は……何色なのかなぁ……と」
と、聞いた。
「はぁ? 瞳の色!? 何よ、それ!」
「なんでしょうねぇ。え~~世の中にはどれくらいの瞳の色の数があるか調査中……とか」
「頭、おかしいのではなくて!?  瞳の色は、濃い灰色よ! これでおしまい! もう行って!!」

 プイッと横を向く王女に、見えもしないのに頷きつつ、
「濃い灰色ね……暗い灰色……とも言えるかな……」
と、アリアンは呟いた。

 とにかく、これ以上の説得は無駄なようなので、アリアンは立ち上がり鞄の方へ歩み寄って行った。
「余計なこと言って申し訳ありませんね、王女様。それじゃ、俺達はこれで」
 鞄を持ち上げ歩きかけて、慌てて振り向いた。
「あ~~! 申し訳ないついでにですね!」
「何!」
「あの抜け道ですねぇ、使わせて貰ってもいいでしょうか?」
「はぁ――――!?
「いやぁ、城の中に入るのに便利そうなんで。もう一度木登り、壁這いするのは大変だなぁと」
「あれは、王家の大切な……」
「かまわない」
「お兄様!?

 少し落ち着いたのか、王子はゆっくりと顔を上げ、射たれた足を庇いながら立ち上がった。

「偶然とはいえ、おまえ達の仕事の邪魔をしてしまったし、怪我の手当てもしてくれたお礼だ。ただし、口外は無用に」
「勿論。これを王に届ければ、後は知らぬ存ぜぬで。では」
 軽く頭を下げ、小屋へと向かい始めるアリアンに、
「今から行くのか?」
と、王子は戸惑い気味に問うた。
 まだ王女を探して、城の中はあちらこちらに人が出ている筈である。
「王女様が行方不明となれば、まだ王も起きておられましょうから」
「どうかしら。私なんて、どうでもいいと思っておられるんじゃないかしら」
 頬を膨らませ、形のいい顎をつんとそらす。
 そこまで言うかねぇ、であるが、
「とにかく、これを届ければ俺達の仕事は終わるんで。でなければ、いつまで経っても飯が食えないもんでね」
饅頭以外の物を食いたいと主張している胃の辺りを撫でつつ、言う。

「一体……何を王に届けようとしているんだ? アリアン」
 危険を承知で城に戻ろうとしてまで届けなければならない物の見当がつかず、サージェは思わず聞いていた。
「あ? 多分……としか言いようがないが……ト・ギールのレースだな。王女様が結婚式で着る予定だった」
「え?」
 王女様がビックリ眼を見開く。
「どうして、そんな物をおまえが?」
 王子も、傭兵が届ける物ではないだろうと、訝しげに眉を寄せる。
「そりゃ、雇われたからだな、ト・ギールのおっさんに」
「おっさん!?
「ああ~~、ト・ギールからの使者様に、だな、ん!」
「ト・ギールの使者が、どうしてお前のような……」
 で、王子は口篭ったが、
「傭兵風情にこれを届けろと雇ったのは、ト・ギールからト・ボレルへの山道で襲われ、亡くなりそうになる直前に、偶然俺達が駆けつけたから……かな」
と、王子が続けて言いそうな言葉を見繕って、言った。
「襲われた? 誰に!?
「さぁねぇ。賊の正体まで探れって言われなかったんで、知らないですねぇ」

  大体の見当はついてきているが、確証はないし、言っても王子達が信じるとは思えない相手である。

「そう言えば……侍女達がレースがまだ来ない……て言ってたような……。ドレスに仕立てなければいけないから、早く来てくれないと困るって……」

 だから下の街道ではなく、危険ではあるが早道の山越えを選んだわけか、と別の納得をアリアンがしていると、
「でも! もう必要ないでしょう! もうそのレースを着ることはないもの!」
と、王女が叫んできた。
「危険を冒して、お城に戻る必要はないわ」

 王子もサージェも頷きあう。

「王女様には必要なくてもですねぇ……。俺達を雇ったト・ギールのおっさんにとっては、これが王に届くかどうかは、大問題なんですよ」
「大問題?」

 たかがレースが届かないくらいで、大問題になるとは思えないと、王子が首を傾げる。

「ト・ギールのレースのドレスを王女の結婚式に着用するってのは、ト・ギールとト・ボレルの友好の証しでしょう」
「まぁ、そうだが……」
「だが、それが届かないと友好関係に皹が入る」
「それくらいの事で、あの父が皹を入れるとは思えない」
「ほぅ……?」
 完全に父親を信用していないわけではない、と口を滑らせたことに気が付き、王子がコホッと咳をする。
「だからまぁ……すでに必要のなくなった物を無理をして持って行かなくてもだな……」
「ト・ギールは農業国。国を守る術を持たぬ国です。噂を信じるなら、ト・アール王が亡くなれば、戦を仕掛けて来られるかもしれない。その時、ト・ボレルの不興を買っていれば、守ってもらえなくなる可能性が出て来る。それを懸念して、あのおっさん……ト・ギールの使者は死に際に俺達を雇ったんです。俺が届けるのは、レースと言う物ではなく、ト・ギールの使者の国を思う心です」
「国を思う……」
「ま、それこそ、もうあなたには関係のない話ですがね。どこにでも、イザコザを起こそうとする奴は居るもんですねぇ。このレースを狙うとは」
「両国の関係を悪くしようと、それを狙ったと? ……売る為ではなく?」
「国の守りを掛けたレースですからね、それは見事で高く売れるでしょうが……」
 ここまで言っていったん止め、言おうかどうか悩んでから、
「俺達がどうして、城に忍び込まなければならなかったかって言うと、警備兵の中にその賊の一味の一人が居たからなんですよねぇ」
と、言ってみるか、と言う風にアリアンは言った。
「なんだって!? 確かなのか!?
「そいつが正規の警備兵なのか、それとも何らかの方法で警備兵に成りすましていたのかはわからないが、俺達から鞄を取り上げようとしていた警備兵の中に居たのは、確かだ」
 王子の問いに答えたのは、エスティヴァンであった。
「警備兵に成りすます? それは無理だろう。警備兵の身元は厳重に調べられているし、仲間ではない警備兵が入り込んでいればすぐにわかるはずだ」
「おやおや、王子様。それじゃ、警備兵の中の誰かが、ト・ギールの使者を襲ったって言ってるようなものですよ」
 揶揄気味にアリアンに言われ、ハッと王子が目を瞠る。

「だが! だが、両国の関係を悪くして事をして何になる!?
「何に? そうですねぇ……。例えば、戦が起きた時に、守ってやる代わりに報酬の額を増やせと吹っかけやすくなる。悪くすれば、ト・ボレルの言いなりになるしかなくなる……ですか」
「言いなり!?  農業国のト・ギールを言いなりにして何がある!」
「そう。農業国です。つまりは、この“北の小国群”の穀物庫です。人間、食わないと何も出来ないんですよ。戦う事も、生きる事もね。ト・ボレル以外に食料を渡すなと言われたら? 他の国々はどうなります?」
「そんな……! そんな事は……!」
「王がさせない?」
「…………………………」
 アリアンは何度か頷くように頭を上下させ、
「今の王はさせないとしても、次の王は?」
と、問い掛けた。
「次の……?」
「ええ。あなたは大会に出たくないと言われているらしいですね」
「! ……ああ……」
「と、なると、次の王は王女様のお相手になる、ですかね」
「え!?
「そうなると、王女様の恋人であるサージェは、無茶苦茶邪魔者になりますよねぇ」

 王子達三人の顔色がどんどん悪くなって行く。
 森の中の暗闇の中でもわかるくらいに。

「まさか……誰かが、次の王位を狙っていると!? いや、王位だけではなく、この”北の小国群”の国々を……」
「さぁねぇ、今話したのは、あくまでも俺の推測で、確たる証しは一つもない。あるのは、ト・ギールの使者を襲った奴の中の一人が、警備兵の中に居るって事だけですから。ですが……」
「ですが?」
「これからどこへ行かれるかは知りませんが、できるなら、”北の小国群“以外の国へ行かれてください」
「……何故……?」
「もし、俺の推測通りなら、王子様や王女様が居られた場合……お二人を誘拐拉致したぁ~~って言い掛かりがつけやすいですからね、その国に」
「そんな! そんな事は、そうではないと言えばすむ話だ!」
「言えれば。ですね」
「何……?」
「死人に口なしって言葉、ご存知ですか?」

 知っているらしく、王子の顔色が青から白くなる。

「私を……殺すと……?」
「あなただけではないかもですが」

 王子の後ろの二人を見やりつつ言うと、
「そう簡単に殺されはしない! これでも私は“戦士の国”の王子だ!」
王子が二人を守るようにして、言い放つ。
「何もねぇ、剣で殺すだけが、殺す方法ではないんですよ。な、エスティヴァン」
「まぁな。毒やら罠やら色々方法はあるが、身を守りたいなら……周りの者、誰ひとり信用しない事だな」
「誰ひとり……!?
「たとえ、身内に近い者でもだな。と言うか、信用できると思ってる奴が、一番信用できないかもな」
「それに、剣の腕は磨かれたでしょうが……人を殺したことがおありですか? 王子様」
「何……?」
「武術大会の様に、剣を落とせば、手や膝を付いたらそこで終わりって言うもんじゃないのでね。殺さなければ、殺されるんですよ」

 ゴクリ……と王子の喉が大きく鳴るのが、アリアン達の所まで聞こえて来た。

「そう言うことで、とにかくこれを届けに行きます。どうか、お元気で」
 慇懃無礼なほどに丁寧にお辞儀をして、アリアンは再び小屋へ向かって歩き出した。
 その後をコーデフが追ったが、何故かしらエスティヴァンはその場を動かなかった。

「あ? どうした、エスティヴァン」
「……俺は行かん」
「はぁ!? 何言ってんだ、おまえ! 仕事を途中で放棄するってのか!? 違約金もんだぞ!」
「違約金? 誰に払うんだ、それ?」
「それは……」
「それを届けても役に立たないんだろう? 無駄な事を俺はしたくない」
「だからぁ!」
「おまえが、あのおっさんの心を届けたいなら、行けばいいさ。俺は行かない」
「エスティヴァン……」
「エスティヴァンさん……」

 言葉を失うアリアンとコーデフに背を向け、エスティヴァンは王子達の方に歩み寄って行った。

「一人は肩を負傷。一人は足を負傷。女は戦力にならないどころか、足手まとい」
「何よ! 何を言いに来たのよ!」
 ぷぅっと頬を膨らませて王女が文句たらしく叫ぶ。
「叫ぶのが好きな王女様だな。大事な話をしに来てるんだ、少し黙っててくれ」
 凍った冬の湖の様に、冷たく透き通った青い瞳に睨まれ、流石の王女も黙ってしまった。

「大事な話とは?」
 王子が代わりに静かに問うた。
「腹が立つことにな、あの赤毛の男の状況判断は、大抵が当たってる」
 ピクンと、王子の肩が上がる。
 つまりは、自分達三人の命が狙われる可能性があると言う事だ。
「そこでどうだ? 俺を雇わないか?」

 これに驚いたのは、王子達ばかりではなかった。
「はぁ~~~!? 何言ってんだ、エスティヴァン! まだこっちの仕事は終わってないんだぞ! 二重契約は傭兵の掟破りだろう!」
「俺は! 契約金に指一本触れてない! 大体! 契約自体がまともになされてないだろう!」

 エスティヴァンの言う通り、ただ口で雇う、雇われると言っただけで書類にしたわけでもなく、他の誰かがその場に居たわけでもない。
 契約金に関しても、いくらで雇われたのかもわからず、違反金がいくらかもわからないし、返そうとするならあの世に行かなければいけない。

「それなのに、また危険を冒して戻って、命を賭けるなんて気にはなれん!」

 しばらくの間、二人は睨み合ってたが、エスティヴァンの方がその視線を外し、
「で? 俺を雇うのか、雇わないのか、どっちだ?」
と、王子に聞いた。

 チラリと後ろの二人を見やり、自分の足の包帯を見てから、王子はゆっくりと頷いた。
「雇おう」
「よし。細かい事は後で決めさせて貰おう」
「ああ」

 話しは決まったとばかりにエスティヴァンは、王子の治療の為に馬車から降ろした医療具を持って、馬車の方に歩き始めた。

「エスティヴァンさん!」
「やめろ、コーデフ」
 コーデフが呼び止めかけたが、それをアリアンに止められた。
「でも……」
「夜が明ける前に、こっちも仕事をすませたいんだ。行くぞ」
「アリアン……」

 いつまでも二人で仕事を続けられるわけではない。
 何時かは、それぞれの人生を選び、別れる日が来る。
 それはコーデフにもわかってはいたが、こんなにも突然に、こんな形で訪れるとは……と。
 喧嘩はしょっちゅうで、言い合いばかり、睨み合いばかりしていた二人だが、お互いに心からの信頼を寄せていたのはわかり過ぎるほどだった。

 出来るなら、お互いの人生を認め合った形で別れて欲しかった。
 そう出来ないものかと逡巡していると、
「早く行けよ、コーデフ。また置いてけぼり食わされるぞ」
と、エスティヴァンが自分の荷物を取りに戻って来て、声を掛けて来た。
「エスティヴァンさん……」
「おまえは、あいつを追っかけて来てるんだろう? 俺の事はいいから、行けよ」
 それだけ言うと返事を待たずに背を向けて、馬車へと向かった。

 その背をしばらく見つめてから、コーデフはアリアンを追って行った。
 涙をこぼさないように、唇を噛み締めながら。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み