蛮頭寺(ばんとうじ)の由来

文字数 2,647文字

 今は昔のことでございます。

 武蔵国(むさしのくに)西方(さいほう)に、山で囲まれた広い盆地があって、その一角(いっかく)に、小さな農村がございました。
 この村の高台(たかだい)には、万宝寺(ばんぽうじ)という古いお寺が建っていて、山の中腹(ちゅうふく)から、いつも村人たちの様子を見守っておりました。

 初夏のある夜更(よふ)けのことでございます。
 和尚(おしょう)さんがいつものように、燭台(しょくだい)(あかり)をともして、お(きょう)(とな)えておりました。
 すると、誰かお堂の戸を(たた)く者があります。

「こんな夜中に、いま時分(じぶん)

 和尚さんが障子(しょうじ)を開けると、そこには年の頃、三十(さんじゅう)ばかりの、剃髪(ていはつ)して、黒い(ころも)をまとった若い入道(にゅうどう)が、その(うるわ)しい顔に、やさしい眼差(まなざ)しで立っているではありませんか。
 (おどろ)いた和尚さんは、すぐにその若い入道を中に(まね)き、お茶など出して、ことのあらましを彼にたずねました。

 なんでもその入道は、どうしても知りたいことがあって、ずいぶん長いこと、旅を続けているというのです。

「いったい何を、たずねておいででしょうか?」

 和尚さんがいぶかってそう聞くと、若い入道は、次のように口走(くちばし)ったのでございます。

「……地を()う姿は地虫(じむし)であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は(けもの)のよう、とはこれいかに……」

 和尚さんは気味が悪くなって、口をつむいでしまいました。
 すると蝋燭(ろうそく)の火が、風もないのにふっと、消え失せたのでございます――

   *

 明くる朝、村の名主(なぬし)どのが、井戸の水をくんでいると、若い衆の何人かが、転げるようにこちらへやってきます。

「こんな朝早くから、何事じゃな」

 名主どのがたずねると、今朝(けさ)がた万宝寺に参ったところ、なんと和尚さんの(むくろ)が、お堂に転がっていて、その首から上は、すっぱり切り落とされているというではありませんか。

「これはただ事ではない」

 すぐさま名主どのは、村の衆を集め、万宝寺へと走りました。

 すると確かに、開かれた障子の中をのぞけば、そこには首のない和尚さんの痛ましい屍骸(しがい)と、おびただしい血が飛び散っていたのでございます。

「これはきっと、魔物の仕業(しわざ)に違いない」

 一同は寺の中も周りも、くまなく探しましたが、和尚さんの首から上は、ついに見つかりませんでした。
 村人たちはこの恐ろしい仕打ちに恐怖し、いつまでもおののいたのです。

   *

 名主どのはすぐに、京の都から名のある高僧(こうそう)に足を運んでもらい、その恐ろしい魔物を取り除こうとしました。

「ご安心ください。必ずやその化物を、退治してご覧にいれましょう」

 その夜、高僧が万宝寺のお堂で読経(どきょう)をしていると、あの若い入道が、確かにまた現れ、くだんの問答(もんどう)をしかけてきました。

「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」

 高僧はすっかり、答えに詰まってしまいました。

「それは……」

 果たして蝋燭の火はふっと、消え失せたのでございます――

   *

 それから何人もの、覚えのある僧侶(そうりょ)たちが、万宝寺を訪れましたが、みな一様に、首のない骸と変わり果てたのです。
 このようにして、この寺に寄りつく者はすっかりいなくなり、万宝寺は荒れ果てる一方でした。

   *

 それから半年ばかりも()った頃でございます。
 一人の修行僧(しゅぎょうそう)が、旅の途中で(つえ)を休めたいと、名主どのの家にやってきたのです。
 名主どのは、その僧に(ぜん)をふるまいながら、この村を襲った出来事について、彼に語りました。

「それは、なんと……よし、わたしが、退治してさしあげよう」

 名主どのは必死に止めましたが、その修行僧は意に(かい)さず、夜の万宝寺へと向かったのでございます。

   *

 修行僧がお堂で経を読んでいると、あの若い入道が、どこからともなくやってきて、くだんの問答をしかけてきました。

「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」

 修行僧はにっこり笑って、こう答えました。

「這い続ければこそ(りゅう)にもなり、飛び続ければこそ鳳凰(ほうおう)にもなり、ほえ続ければこそ麒麟(きりん)にもなる。これでどうかな?」

 すると入道は、うめき声を上げて、苦しみだしました。
 見目麗(みめうるわ)しい顔が、泥のように(くず)れたかと思うと、岩の(かたまり)ほどもある、大きな鬼の首へと、変じたではありませんか。

 鬼の首は、その()けた口を開いて、修行僧に(おそ)いかかります。
 彼はその一撃(いちげき)を難なくよけると、腕を大きく開いて、鬼の首の両耳を後ろから引っつかみ、お堂の(ゆか)に叩きつけて、たちどころにその息の根を止めてしまいました。

   *

 翌朝、万宝寺へ到着した名主どのはじめ村の衆が、驚いたのも無理はありません。
 お堂の床に食いこんだ、化物の大首の上で、あの修行僧がいびきを上げながら、寝入っているではありませんか。

 起き上がった彼から、ことのあらましを聞いた名主どのたちは、ぜひにと、その修行僧に、万宝寺の新しい住職に就いてもらうよう、申し出ました。
 彼は快く引き受け、鬼の首を手厚く供養して、荒れ果てた寺を建て直し、かくしてこの村には、平和が戻ったのです。

 あの恐ろしい化物はなぜ、人間に問答をしかけようなどと思ったのでしょうか。
 それだけは誰にも、わかりませんでした。

 ただ、この万宝寺が建っていた村一帯は、いつしか、蛮頭寺(ばんとうじ)という地名で呼ばれるようになった、ということでございます。

(『蛮頭寺(ばんとうじ)由来(ゆらい)』終わり。次話『六車輪(ろくしゃりん)由来(ゆらい)』へ続く)

※山梨県に伝承する昔話『両足八足大足二足』を下敷きにしていますが、本作はフィクションであり、当該伝承とは一切関係がありません。
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