第3話

文字数 1,726文字

 店に戻った古賀は、仕入れた食材を厨房の冷蔵庫へ早々にしまう。それから夕方の開店に向けた仕込みを手早く終え、先ほどのスパイスの入った小瓶を胸ポケットから取り出してみた。
 改めて確認するとガラスでできた瓶にラベル等は無く、赤色のキャップはよくある跳ね上げ式だった。一見、何の変哲もない、ただのコショウにしか見えない。
 試しにラーメンを一杯作ると、まずはそのままひと口味見をする。うん、麺もスープもいつも通りの味だ。
 今度は先ほどの瓶の蓋を開け、中のスパイスをひと振りしてみる。たちまち今まで嗅いだことのない、心地よい香りが漂い始め、試しにスープをレンゲですくってみた。
「こ、これは……」
 全くの別物だった。これまで味わった事の無い幸福感に包まれると、無我夢中で頬張り、どんぶりは一瞬にして空になった。
 これは絶対に売れる。もうラーメンキングなんかには絶対負けない、それどころか日本中を探したって、これ以上のラーメンには決して巡り合えないだろう。
 コピー用紙にデカデカと『新メニュー、デリシャスラーメン』と書きなぐり、メニュー表の端に貼ってみようと壁に当ててみた。だが、そこでふとその手が止まる。
「待てよ……」
 腕を組み、カウンターの椅子に沈み込むと、まぶたを閉じながら考え込んだ。
 アキラの言う通り、ラーメンキングの味は、何の特徴もない平凡な味だ。スープや具材もありきたりで取り立てる程の個性もない。売りは値段の安さだけ。それがチェーン店の強みではあるが、逆をいうとすぐ飽きられるという事。インスタ映えの例を持ち出すまでもなく、客は常に進化を求める。幸い今の自分には充分な資金があり、今はそれを利用して自分の味を追求すべきではないか。
 前の店長はインスタ映えを意識するあまり、味がおざなりになってしまった。そして迷走したあげく、それまでの常連客すらも逃してしまった。
 自分はその轍を踏まず、純粋に一杯のラーメンに全力を注ぐ。それがプライドという物ではないだろうか。このスパイスは、あくまでも最後の手段に過ぎない。
 先ほど書いたばかりのコピー用紙を破り捨てると、古賀は厨房の奥からレシピノートを取り出し、熱心にペンを走らせた……。

 一年後。白龍ラーメンの新メニューは大盛況になった。これまでのラーメンより百二十円高く、具は一切入っていないにもかかわらず、開店前から大行列ができ、早い日には、午前中でその日の分を売り切る事もあった。
 だが、古賀の顔は優れない。行列の訳は例のスパイスであったからだ。あれから試行錯誤して色々なレシピにチャレンジしたが、納得の味を出すことが出来なかった。クジで当てた軍資金も底をつき、つまりは、あっさりとプライドを捨て、最後の手段に出たというワケである。
 店を閉めるよりは、と割り切って、麺とスープだけのどんぶりに、例のスパイスを入れただけの『全力ラーメン』を古賀は作り続けた。本当はまったく“全力”ではない。それにどんなに店が繁盛し、バイトが増えても、最後の仕上げだけは古賀が一人で行っていた。スパイスの秘密を知られるわけにはいかないからだ。

 ある日の夜。店のシャッターをくぐり抜けて、いつものようにアキラが顔を出した。古賀は決まって彼の来る日だけは、一杯分だけラーメンを取っておいているのだ。もちろん値段やおまけも据え置きである。
「お兄ちゃん、この全力ラーメンも美味しいけど、僕は今までのラーメンの方が好みだよ」
 そんな嬉しい事を言ってくれるのは彼だけだ。もしかすると純粋な子供に対しては、あのスパイスの効果は薄れるのかもしれない。
「ありがとう。だが勉強もしっかり頑張れよ」照れ隠しのために、敢えて鼓舞するような発言をした。
「判ってるって。ほら、この間の模試も満点だったよ」解答用紙を振りかざし、アキラは悦に浸る。「お母さんも喜んでいたし。大丈夫、ここのラーメンのお陰だって、しっかり宣伝しておいたから」
 どんぶりが空になるタイミングを見計らい、コンビニで買ったアイスクリームを冷凍庫から取り出して、二人で食べた。
 だが、そんな微笑ましい光景の白龍ラーメンの元に、怪しい影が忍び寄っていることを、古賀はまだ知らなかった……。
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