第5話

文字数 1,937文字

 三か月が経ったある日の夜だった。シャッターを下ろした古賀は、自転車にまたがり、自宅のあるアパートへ帰る途中だった。人気(ひとけ)のない裏路地に入ったところに白いバンが止めてあり、突然ドアが開くと、二人組の男たちが古賀の前に立ちはだかる。とっさの事でバランスを崩し、横に倒れると、男たちは古賀に掴みかかり、頭から黒い布をかぶせた。両手を後ろ手に縛り上げられた古賀は、抵抗することができず、バンの後ろに放り込まれた。
 唸り声を挙げながら必死にもがいてみたが、ロープが緩む気配はなく、声を出す度に頭や背中を棒のようなもので殴られた。

 三十分程経ち、車の止まる気配がすると、古賀は無理矢理歩かされ、どこかの建物に入れられた。それから強引に椅子に座らされると、「動くな! 大人しくしていろ!」と、どやされた。
 被せられていた黒い布が取り払われると、そこは六十坪ほどの倉庫であった。目の前にはサングラスの男が三人立っている。一人はひょろっと背が高く、一人は中肉中背、そしてもう一人は小柄でやや肥満体形だった。中肉中背の男以外の二人は、頑丈そうな鉄パイプを携えている。
「よう、兄ちゃん。随分儲かっているみたいじゃないか」中肉中背の男が頬を歪ませながら、古賀の顔面に唾を吐きつけた。
「……お前ら何者だ!?」
 今にも小便を漏らしそうになるのを必死にこらえ、悪人に捕らえられたヒーローの如く、なるだけ毅然にふるまうように努めた。 
「そんなこと、お前が知る必要はない」
 どうやら中肉中背の男がリーダー格のようだ。その証拠に、他の二人は一言も喋らず、この男の言動をじっと見つめている。リーダー格の男はポケットに手を入れると、中からあの小瓶を取り出し、これ見よがしに左右に振ってみせた。
「これが何だかわかるだろう? さっき俺の部下にこいつを取って来させたんだ」
「……」何も知らないと、古賀は顔を横に振った。
「知らない訳ないだろう! これが何なのか、どこで仕入れているのか素直に吐くんだ。さもないともっと痛い目にあうぞ!!」
 リーダー格の男は背の高い男に顎で合図を示すと、指された男は鉄パイプを振り上げ、古賀の腹に強烈な一撃を打ち込む。くぐもった鈍い音が響くと、古賀は激痛を覚え、唸り声を上げながら激しく咳き込んだ。
「しぶとい野郎だな。いい加減に吐いたらどうだ?」
「……知らない……僕は何も知らない……」
 再び鉄パイプが腹を直撃する。内臓がぐちゃぐちゃになりそうな気がして、胃から何かを吐き出した。胃液特有の臭い匂いが辺りを支配すると、男たちはたじろぎながらも、嘲笑するような声を上げた。
 あまりの苦痛に意識が飛びそうになるが、それでも古賀は懸命に意識を保ち、無言を貫く。
 彼らの悟られないよう、密かに縛られたロープを動かしているうちに、少しだけ緩んできたことに気づく。
 今度はリーダー格の男が、顔を思い切り殴った。想像以上の激痛に悶絶すると、口の中が切れたらしく、血の味と匂いを感じる。
 ゆっくりと手を動かすと、ロープが徐々に緩んでいく。もう少しでほどけそうだ。
 虫の息で藪にらみの目を向けると、古賀は小さく口を開く。「……判った。知っていることを全部話そう」
 リーダー格の男が顔に近づくと、古賀はロープを一気に振りほどき、一気に襲い掛かる。不意を突かれた男が、一瞬、隙を見せると、手にしている瓶を奪い取り、中蓋を外す。それを素早く男に振りかけると、今度は襲い掛かって来た残りの二人にめがけ、スパイスをばら撒いた。
 スパイスまみれになった三人は、しばらく動きを止めると、お互いの顔を見つめ合い、よだれを垂らす。
 三人は飢えた野犬のように唸り声を上げると、それぞれが取っ組み合いになり、体のあちこちを噛みつき合い出した。
 死闘の末、それぞれが息絶え絶えになると、横たわる三人に慎重に近づき、男たちの頭を瓶の底で軽く叩く。これでスパイスの効果は消えるはずだ。
 それから倉庫を抜け出し、建物の名前を確認すると、携帯を開き、警察に通報した。全身の力が抜け、その場でうずくまる。
 やがてけたたましいサイレンが聞こえてくると、駆けつけてきた警官に、古賀は無事、保護された。

 その後、病院で手当てを受け、警察の事情聴取を終えると、そのまま帰宅して、ベッドの中で泥のように眠りにつく。

 翌朝、一番に店に出ると、別のところに保管してあった例のスパイスを、流し台に全部捨てる。これからはもう、スパイスに頼るのは止めにして、従来のラーメンだけにすると誓った。
 そして出勤してきたバイトたちに、全力ラーメンをメニューから外すことを告げる。
 当然ながら客足はめっきり途絶え、古賀が申し出る前に、彼らは自然と店を去っていった。
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