第1話

文字数 1,913文字

 『白龍ラーメン』の現店長、古賀(こが)は悩んでいた。
 閉店後、ため息交じりにうなだれながらカウンターに顔を伏せると、先代店長の真剣なまなざしが浮かんでくる。
 一年前、まだアルバイトであった頃、当時の店長はいつも惚けた口調で、つまらない冗談を繰り返していた。だが、ラーメンに対する熱い思いだけは誰にも負けなかった。売れ残ったスープを流しに捨てる時の苦虫を嚙み潰したような表情は、今もしっかりと脳裏に焼き付いている。
 その後、古賀は大学を中退し、先代の店長の意思を引き継ぐ形で、一旦は廃業した店を再開させた。
 新たに店長となった古賀は、先代の味を忠実に守り、増えすぎたメニューをラーメン一本に絞った。彼の人柄もあってか、店は以前の活気を取り戻し、どうにか軌道に乗ることができた。
 だが、二か月前に五百メートルほど離れた交差点に、全国チェーンのライバル店『ラーメンキング』がオープンすると、白龍ラーメンはたちまち風前の灯となっていった。
 幸い蓄えはあった。
 半年前、祖父の法事の帰りに偶然立ち寄ったショッピングモールの宝くじ売り場。看板が目に入り、せっかくだからと一枚買うことにした。
 そこには二つの窓口があった。若くて美人のお姉さんがいる方の窓口には行列が出来ていた。当然そちらに並ぼうと思ったが、バスの時間が迫っていたため、空いている地味なおばさんのカウンターで宝くじを買うことにした。連番とバラがあったが、なんとなく連番にした。
 あまり期待していなかったが、思いがけず二等賞の三千万円が当たったのだ。
 そのため、しばらくは安泰だが、それもいつまで持つのか判らない。

 その日も相変わらず客足は淋しいもので、かき入れ時のはずの夜七時になっても、テーブルやカウンターは空席のまま。古賀はカウンターの上に設置してあるテレビのバラエティをぼんやりと眺めていると、ガラガラという扉を開ける音が鳴った。古賀の顔がほころぶ。
「いらっしゃい。今日も塾の帰りかい?」
 近くの団地に住むアキラという名の少年だった。中学生の彼は、週に一度、隣町にある学習塾へ通い、その帰りに来店し、雑談していくのが常である。この日も黄色いバッグを引っ提げては、指定席と化したカウンターの右端の席に腰を下ろし、バッグを隣の椅子に置く。
「まあね。先週の模試でもクラスで三番だったし、まあ余裕っすよ」
 アキラは屈託のない笑顔をみせると、今日も白龍ラーメンを注文する。と言っても、メニューはこれだけしかないのだが。
「お母さんは今日も遅いのかい?」
 古賀は麺を湯がきながら訊いた。アキラの両親は三年前に離婚し、彼を育てるために昼夜を問わずパートに出ていた。そのため、毎晩のように母親の帰りが遅い事を知っていたが、敢えて話題に上げてみたのだ。
「うん、帰るのは夜中だって。人手不足で居酒屋のバイトが忙しいみたい」
 平然と語るアキラだったが、表情はどこか悲しげだ。
 出来上がったラーメンをアキラの前に置く。チューシューと麺を少しばかりサービスしてあり、アキラは両手を合わせて「頂きます」と丁寧に頭を下げた。今どきの子供にしては珍しく、キチンと礼儀作法をわきまえている。おそらく母親のしつけが行き届いているのだろう。
 アキラは慣れた手つきで割り箸をパチンと割ると、勢いよく麺をすする。
「お兄ちゃん、今日も美味しいよ。少なくともラーメンキングより百倍もうまい。どうしてもっと流行らないんだろうね」
 嬉しい事を言ってくれる。おべんちゃらなのかもしれないが、古賀にとっては彼の言葉が何よりも胸に染みた。
「ラーメンキングはアキラの口には合わないのかい?」古賀は訊いた。
「味自体は悪くないんだけど、スープに深みが無いかな。きっと調味料の入れ過ぎだと思うけど、二くち目からは舌が痺れる感覚があって、素材のうま味を出し切れていない感じがした。麺もボソボソしていて噛み応えが無く、具も平凡過ぎて個性がまったくない。チャーシューなんかペラペラで殆ど味がしないし。スタッフの接客も、ただ声が大きいばかりで手際が悪い。あれで値段が高ければ、誰も行かないと思うな、僕は」
 中学生の割に相当、辛口だ。古賀は自分の作るラーメンに、アキラが本当に満足してくれているのだろうかと不安になる。
「でも、お兄ちゃんのラーメンはやっぱり最高だよ」
 それはオマケのチャーシューのせいだろうか。だが、それでも感謝の意を述べる。
「ありがとう。そう言ってくれるとお兄さんも嬉しいよ」
「あんな店すぐに潰れるよ。少なくとも僕はもう二度と行かない」
 嬉しくはあったが、いたいけな中学生の子供に勇気づけられて、複雑な気持ちの古賀であった。
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