(15) 男関係を整理する

文字数 2,227文字

「で、奥さまはお元気?」

 唐突に話題が変わった。

「げ、元気というか、まあ、元気だよ」

「なんだ、それ」

「いや、急に家族の話になったから」

「写真」

「え?」

「嫁の写真を見せろって言ってんの。あるでしょ、スマホの中に。わたしは年賀状に旦那も写った家族写真を載っけてるのに、そっちはつまんない干支の図柄のばっかり。不公平じゃない」

 完全なる言いがかりだが、酔っ払いに反論しても仕方ない。

「まあ、あるけど」

「はい。スマホを出して、写真のフォルダを開く」

 抵抗せず、指示されるままに動いた。新しいところでは家族旅行の写真があったはず。そんなことを思いながら見せる写真を見繕っていたらスマホごと奪い取られた。

 スマホを睨みつけるような表情は、さほど酔っているふうでもない。彼女は素面(しらふ)でもこんな感じだったと、懐かしさのようなものがアルコールと共に全身に染み渡る。

 黙って好きにさせていたら、勝手にスクロールして何枚も写真を見始めた。見られて困るものもないからいいのだが、さすがにマナー違反だろうと思って奪い返した。

「わたしとは似ても似つかない可愛らしい奥さんじゃない。娘さんもお母さん似で二重でくりっとした大きなお目々。あなたも一応は二重だけど、全然ぱっちりもくりっともしていないもんね」

 そんなシンプルな憎まれ口が妙に様になる女だ。それも懐かしさの血流を加速させ、怒る気力も失せてしまう。

「娘さん、確か春っぽい名前だったわよね。うちのは夏だけど」

「さくら」

「そうだ。確か咲く桜と書いて咲桜(さくら)。可愛い名前」

 さくらという響きも桜の花も好きだが、桜にはすぐに散るイメージも付きまとう。平仮名にしようかとも思ったが、咲くという字を合わせて咲桜とした。ずっと散らずに咲いていて欲しいと。

「そっちは夏未(なつみ)だったか」

 結婚は彼女の方が少し先だったが、子どもは同じ年にできた。桜の季節にうちの娘が生まれ、その年の夏に差し掛かる頃、彼女のところにも女の子が誕生していた。次の春が来れば仲良く小学生だ。

「最近はテレビの前で見様見真似で歌って踊って、大きくなったらアイドルになるとか言ってるよ」

「わあ。可愛いじゃない。うちの子は駄目ね。大人しいし、人見知りだし。わたしに似て根が暗いのよね、きっと。ああ、アイドルみたいな、ザ女の子って感じの女の子に育ってくれないかなあ」

「将来のことなんて分からないだろ。性格だってどう変わるかも知れないし」

 将来の夢なんてもっと変わっていくだろう。親としては本人がやりたいと思うことをやらせてやりたいとは思うものの、一方で真面目なことを言えば、芸能界なんて得体の知れない世界に娘を送り込むのは気が進まない。気は進まないが、夢が叶わずに肩を落とす娘の姿も見たくはない。

 何にしてもまだまだ小さいうちから気を揉んでみてもしようがない。いや。育ったら育ったで、いくら親が気を揉んでみたところでどうしようもないことなのだろう。親なんて子どもが育ってしまえば、あとは無力だ。きっと。

「わたし、今、一人暮らしなのよ」

 唐突だった。
 意味もよく分からず、急に血管が詰まってしまったかのように答えに窮していると、彼女は残っていた酒を呑み干して、次の酒を注文した。

「大丈夫なのか、そんなに呑んで」

「大丈夫。酔ってるように見える?」

「いや。素面……だと思う」

 すると今度は声を立てて笑い始めた。文字表記すれば、キャハハハという文字列が正に当て嵌まる笑い声だった。やはり酔っているのかと、自信がぐらつき始める。

「旦那はね、一足先にカナダに行ったの。知ってる? バンクーバー。娘は一時的に実家に預けてあるんだ」

 夫婦揃ってそれぞれの会社の国際部門で働いているということだった。うちとは違ってバイリンガル夫婦なのだった。

「来月にはわたしも行くの。家族でお引越し。転職するんだ。向こうの企業に。旦那もわたしも。正確には旦那はもう転職した。わたしも内定してる。今は今の会社の最終引継期間なの。なのに最後の最後に面倒な商談を押し付けられちゃってさ。忙しいのよ。まあ、そのおかげでこっちに来れたってのもあるんだけど。他にも諸々(もろもろ)整理しておかなきゃいけないことがあるし、娘は一週間だけ親に頼んだの。短期間なら孫の相手は楽しいらしいから、これも親孝行よ。当分は日本にも帰って来られないと思うし」

「ご両親は寂しがってるんじゃないのか」

「そうね。それだけが整理のしようのない事柄かな。親のことはやっぱり気になる。でも、あの二人はあの二人で、田舎暮らしとか言って山奥に引っ込んで好き勝手に暮らしてるから、わたしに文句を言えた立場でもないのよ。ま、わたしの方はすぐにヘマして日本に逃げ帰って来ないとも限らないけどね。でも、親のことはどうしようもないとしても、それ以外のことはちゃんとしとこうと思ったわけよ、日本を出る前に。仕事もプライベートも」

「プライベート?」

「そう。なんつーか、男関係? 整理しとこうかなって感じ?」

「げ。そんな男がいたのかよ」

「君だよ、君。あ、な、た」

 至近距離で目が合った。

「唯一、わたしがふった男。たった一人のわたしの元カレ。そして元ストーカー」

 思わず先に目を逸らしてしまった。

「あの夜」

 どの夜だ? 
 言葉には出さず、グラスの中の日本酒の表面を見つめながら頭の中を高速回転させた。

「合宿の夜。どうして、告白してくれなかったの?」

 また目を合わせてしまった。
 やはり言葉は出ない。
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