(14) ストーカーになる

文字数 3,296文字

 あの合宿の、さらに次の夏が終わり、短い秋が深まりつつあった頃——。端的に言えば、ふられたあとということだ。

 ストーカーになる。

 そう決心をして、ストーカーになった。
 (ちまた)(あふ)れるストーカーの中には、自分がストーカーであることを自覚していない、あるいは自覚していながらも認めないような(やから)も多いように聞くが、そんな無自覚無責任なストーカーたちとは一緒にされたくない。自称意識高い系のストーカーだった。

 付き合っていた短期間の間に何回も送って帰ったから、彼女の自宅マンションは知っていた。一人っ子で両親と三人暮らしだと聞いていたけれど、家族にはお目にかかる機会もないままふられてしまった。

 大学の時間割を把握するのは容易(たやす)かった。一コマ目の講義が多いことには閉口したけれど、自分が受ける講義のためにはできない早起きも、彼女をストーキングするためなら苦にはならなかった。

 家を出るであろう時間に目星をつけて、マンションの出入り口が見通せる場所に潜んだ。そこをA地点と呼んでいた。彼女が利用している自転車置き場とは反対側で、こちらからは出入りが確認できるが向こうからは見られにくい。絶妙な場所だった。
 彼女が自転車置き場へ向かったのを確認したところでB地点へと先回りをする。そこからは必要十分な距離を置いて後を追うだけだ。

 結局のところ行き先は大学なのだから、大学で待っていてもさほど変わりはしない。頭では分かっていても、そうできないところがストーカーたる所以(ゆえん)なのだと、何故か悦に入っている自分がいたことを憶えている。馬鹿な話だ。

 ()にも(かく)にも少しでも長く彼女の姿を視界に入れておきたい。
 どんな些細(ささい)な情報でもいい。彼女のことを知っておきたい。
 誰よりも早く知りたい。
 誰よりも詳しくありたい。
 今日はどんな服を着ているのか。
 通学途中はどの道を通って、どの信号に引っ掛かったか。
 お昼にどの学食で、誰と何を食べたか。
 学校帰りには何処に寄り道をしたか。あるいはしなかったか。
 どの店で何を買ったか。
 どんな雑誌を立ち読みして、何の映画を観たか。
 どんなふうに笑い、何に腹を立てたか。

 彼女が受けている講義にも潜入した。なるべく目立たない大きな講義室の隅の席を確保して、同じ講義を受けた。ぼうっと彼女の後頭部を眺めてばかりいたわではない。後頭部も相当に魅力的ではあったけれど、それと同じくらい彼女が受けている講義の内容にも興味を引かれた。
 もちろん知的好奇心ばかりではなく、同じ空間にいればいくらかは同じ空気を吸えるだろうという、正統かつ伝統的かつ変態的なストーカーらしい欲求があったのも確かだ。

 盗撮にも手を染めた。
 実のところ生身の彼女以外にはさほど興味はなかったのだが、どうしても顔を見たくなることはある。すでにスマホに保存されている写真もあるにはあったが、最新画像が欲しくなるのもストーカーの常だ、多分——。自分にそう言い訳をしていた。

 ふられたあともAPTは辞めてはいなかったので、サークル仲間という関係性には変わりはなかったし、着替えやヌードを撮ろうというのではないのだから、こっそり盗撮なんかせずに堂々と撮らせてもらうことも可能だったかもしれない。それでも、やはりふられた立場としては頼みにくい。断られでもしたら、ショックでストーカー行為がエスカレートしてしまうのではないかという理性的な観測もあった。スマホのシャッター音が出ないアプリを使って撮り溜めしていった。本格的なカメラ機材の導入も考えたものの、持ち運びのしにくさや経済面での問題から実現はしなかった。

 一方で、どうしても出席しなければいけない自分の講義にはきちんと出席していた。このあたりの理性の保ちようが、そんじょそこらの犯罪的ストーカーとは一線を画すと自負するところでもある。

 ただ、どこまでなら犯罪ではなく、どこからが犯罪なのかは理解してはいなかった。マンションの前で隠れて待っていたり、通学路を数メートル離れて追走することは犯罪なのだろうか。知りたくもなかったから、調べもしなかった。

 ストーカーと化して数日で、付き合っていた頃よりも格段に彼女の行動について詳しくなっていた。自分は彼女のほんの一面しか知らなかったのだと思い知らされた。

 友達と談笑しているときの楽しそうな彼女の表情は、何度でも再生して見たくなるほどの愛おしさと同時に、自分にはもう以前と同じ笑顔が向けられることはない現実への葛藤を呼び起こした。

 この頃知ったことがある。ストレスは胃に来るが、恋心は胃の少しだけ上に来る。そこにいったい何があるのかは未だに分からないけれど。

「名刺、頂戴(ちょうだい)よ」

 言われるままに名刺を差し出した。

「へえ。次長さんなんだ。なんか、偉そうで笑っちゃう」

「うるさい」

 少しだけ仕事の話をした。業界は違えども、社会人の愚痴など似たりよったりだ。話が合う部分あり、合わない部分あり。十五年の時間を経てそんな会話ができるようになったことに感慨のようなものはあっても、本音ではさほど興味はなかった。仕事の話がしたい相手ではないということだろうか。

 だからと言ってプライベートの話をするのには、勇気のようなものが必要だった。
 結婚したという葉書ももらっていたし、子どもが生まれたあとの年賀状には親子三人での写真が載っていたので、うちの娘と同学年だということも知っていた。プライベートに関する情報はそれが全てと言ってよかった。それで十分だと思っていた。

「そうだ。日坂くんってお笑い芸人だったでしょ」

 APTに誘ってくれて、彼女との縁を結んでくれた日坂幸人。彼は卒業後に一旦は就職した会社を辞め、友人とコンビを組んでお笑い芸人になった。それなりに売れっ子にもなっていたのだが、何年か前、相方の不祥事をきっかけに引退してしまっていた。

「よく下宿で一緒に安い酒を呑んだよ。安い酒はほんとに頭が痛くなるんだ」

「どうせエッチな話ばっかりしてたんでしょ」

「ばっかりではないよ」

「どうだか」

「女の子の話をよくしてたのは確かだけどね」

 それぞれ想いを寄せる女の子がいた。ただし、その相手に対する行動には雲泥の差があった。

「やっぱり。ま、女子も集まれば同じようなものだけど。そうそう、日坂くんって柴田先輩のことが大好きだったでしょ」

「何で知ってるんだよ」

「知らない人なんかいなかったよ」

「まあ、そうかも」

 こちらがなかなか告白できずにうじうじしている間に、日坂の方は相手が先輩であることも意に介さず、果敢に攻めまくって何度も玉砕をしていた。断られても断られても時間を置いてまた告白を繰り返したのだ。
 結果、最後には受け入れてもらったのだが、それでもハッピーエンドにはならなかった。柴田先輩はある日を境に大学に姿を見せなくなった。中退したのだと聞いたが、日坂を含め、事情や行方を知る人はいなかった。

「柴田先輩ってどうしたんだろうな」

「日坂くんだって何も知らなかったんだから、よっぽどのことだよね」

 柴田先輩が姿を消してからの日坂の落ち込みようは酷かった。どんな言葉をかけていいのかも分からないほどに。

「でも、日坂くんは偉いよ。ふられてもふられても、くじけずに柴田先輩一筋を貫き通してさ。誰かさんとは大違い」

 急に飛んできた言葉の棘が心臓にぐさりと刺さった気がして、横目で彼女を見た。
 彼女は真っ直ぐ前を向いたまま、グラスに口を付けて満足そうに微笑んだ。

「日坂くん、芸能界をやめて今はどうしてるのか、知ってるの?」

「いや。かなり大変そうだったから、連絡するのも躊躇(ためら)っちゃって。もうずいぶんと連絡も取っていないよ」

 日坂たちのコンビは、相方が薬物容疑で逮捕された挙句に自殺するという、最悪の形で幕を引いていた。

「あの二人のコント、面白くて好きだったけどなあ」

 そこからしばらくは学生時代の友人たちの近況について、お互いが知っている情報を交換し合うなど、当たり障りのない話題でそれなりに盛り上がった。

 風向きの変化を感じたのは、彼女の三杯目の日本酒が七割方減った頃だった。
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