第十三話 追憶草

文字数 2,222文字

「みんなすぐ吸うみたいだな。オレらも中庭に行ってみない?」
 包帯男ふうのタケキヨから誘われた。
 誘ってもらえるって、嬉しい。
 何日か吸わずに様子を見ようか迷っていたが、タケキヨと一緒に中庭に行ってみることにした。
「じゃあ、ボク、マッチを貰ってくるよ」
 教員室に入るまでもなく、教員室の扉の前でナベヅル先生がマッチを配っていた。皆、列を作って順番にマッチを受け取っている。
 並ぼうとするボクの正面に、メイド服の女の子が現れた。冷たい光を帯びた瞳で、まっすぐにボクを見た。
『キセルは、絶対に吸わないで下さい』
 この子を、全面的には信じられない。けれど、今は信じてもいいのではないか。そうだ、吸うべきではないと、さっきまでボク自身でも思っていたはずだ。
 ボクは女の子を見て一度まばたきした。

「ごめん、やっぱりまだ少しフラフラするから、部屋に戻って休むよ」
 ボクはタケキヨに言った。
「無理はしないほうがいいな。部屋まで一緒に行こうか?」
 大丈夫だと言いかけて、一緒に来てもらえば、タケキヨもキセルを吸わずにいられるかもしれないと気付いた。
「そうだね。大丈夫だと思うけど、一緒に来てもらったほうがいいのかな」
「よし、わかった。キセルをすぐ吸いたいけど、後のお楽しみで残しておくよ。コウヤを部屋まで送ったら、すぐに吸いに戻ってくればいいんだからな。コウヤを送ってからキセルを吸うことはできるけど、キセルを吸ってからコウヤを送ることはできないもんな」
 ああ、これはダメだ。
 タケキヨはどうやってもキセルを吸うだろう。
 そもそもボクだって、直感的に吸うべきではないと感じているだけで、キセルが危険だという確証があるわけではないのだ。ボクが間違っている可能性さえある。
「やっぱり一人で戻るよ。後でキセルの感想を教えてよ」
「本当に大丈夫か?」
「うん。大丈夫」


 ボクは寮室に入ると、女の子が入ってくるのを待たずに扉を閉めた。普通の存在ではないのだから、扉を開けたまま待つ必要はないだろう。親切に人間扱いする気分にはなれなかった。
 女の子は、やはり閉まった扉をすり抜けて部屋に入ってきた。気のせいか、なんだか彼女は、悲しそうな表情をしていた。
『きっとまず、追憶草のことを聞きたいですよね』
 彼女の言葉に、ボクはうなずき、ついでに一回まばたきをした。
『追憶草は強い麻薬です。一度吸ったら、立派な中毒者です。まず引き返せません』
「間違いなく? 推測ではなく?」
『間違いありません。吸った者がことごとく中毒になるのを見てきました』
 少し体に悪い程度の薬物、というボクの予想を、はるかに超えていた。この子はいつも、ボクの予想を残酷に超えていく。だが、多分、嘘ではないのだろう。
 やっぱりタケキヨをとめないと。
 ボクは扉に手をかけた。
『どこに行くんですか?』
「もっと早く教えて欲しかった。タケキヨ、……友達をとめないと」
『なんて説明するんですか? とても信じてもらえるとは思えません。みんなが同調しているなか、ひとり違うことを言って目立たないで下さい』
「さっき教えてくれたら、絶対にタケキヨを行かせなかったのに。もしかして、ボクがタケキヨをとめるのを分かってて、あえてここに戻ってくるまで黙ってた?」
 彼女の表情は、無表情にも見えたし、なんだか泣き出しそうにも見えた。

 ボクは彼女の言葉を待たずに寮室を出て、小走りに廊下を進んだ。
 廊下には焼き菓子のにおいが濃密に流れていた。そして静かだった。誰も歩いていない。
 においだけは、本当にいい。ひどく懐かしいにおいに感じるが、こんなにいいにおいのする菓子など、一度も食べたことはない。
 ボクは小走りをやめて、普通に歩き始めた。
 冷静に考えてみると、小走りになるほど切羽詰まった状況ではないのだ。キセルが身体に悪いとしても、吸ったら即死の毒薬というわけではない。だいたい、嗜好品というのは、多かれ少なかれ身体に悪いものだろう。タケキヨがもう吸っていたら、それはそれで構わない。感想を聞いてみよう。
 タケキヨがまだ吸っていなかったら、どうしよう。ボクには吸わないよう説得するだけの材料がない。むしろこちらが説得されて、一緒に吸ってしまうかもしれない。一緒に悪いことをしてこその親友、という気もする。

 ボクは静かな廊下を、ゆっくりと歩いた。
『追憶草はキセルから直接でなくても、流れている煙を吸うだけで、中毒になるほどではありませんが、少なからず効果が出ます。自分を見失わないで』
 ボクの隣を歩きながら、女の子が言った。
 ボクはうなずいた。
 わかっている。この根拠のない安心感は、追憶草の効果だ。それでも、いいにおいであることに違いはなかった。
 ふいに、父さんと一緒にスイカを食べた時のことを思い出した。夕日が真っ赤で、スイカも真っ赤だった。

 包帯でぐるぐるに巻かれた頭は、すぐにみつかった。
 タケキヨは、中庭に置かれた木製の長椅子に座り、動かなくなっていた。片手に、火の消えたキセルを落とさずに持っていた。
 タケキヨの他にも五人ほどの生徒が、それぞれ離れた長椅子で、彫像のように動かなくなっていた。
 ボクはタケキヨの横に座り、彼が動き始めるのを待った。

「姉ちゃんに会ってたんだ」
 やがてタケキヨは言った。
「そっか」
 ボクは答えた。
「コウヤ、ここで一緒に歳をとろうな。じつはオレ、もう、家族がいないんだ。帰るところがないんだ」
「ボクもだよ」
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