第七話 教室

文字数 2,372文字

 午前の中途半端な時間だったが、食堂には男子生徒と女子生徒が、数人ずついた。
 皆がタケキヨとボクのほうをちらりと見て、すぐに卓上の食べ物に視線を戻した。握り飯を食べている生徒もいれば、ご飯と漬物を食べている生徒もいた。
 食堂には、四人がけの卓が六つあり、奥の窓から、緑の濃い中庭が見えた。
「オレらも何か貰えるかな?」
 タケキヨが、厨房に向かって声をかけた。
 厨房にいたのは、ボクらと同年代に見える少年だった。厨房で働いているということは、ボクらと同年代でも、生徒ではないのか。
 黙々と手を動かしていた少年は、タケキヨの声に顔を上げた。
「握り飯でいいですか?」
 少年に聞かれて、
「二人ぶんお願いね」
 タケキヨが答えた。

 湯気を立てる握り飯が、皿に並べられて出てきた。早く食べたくて、席まで皿を持って移動するのがもどかしかった。
 席に着くと、タケキヨもボクも、いただきますも言わずに握り飯を頬張った。握り飯は温かくて、口の中でほどけた。
 朝に食べた宿屋の飯より、ずっとおいしいと思った。
 昨日のこの時間は食べる物さえなかったのに、今はもう味の違いを気にしている自分を、浅ましく感じた。


 翌日の朝食の後、生徒全員が教室に集められた。
 藩校に到着した時に迎えてくれた、からくり人形のような老人が、教室まで誘導してくれた。昨日と同じで、黒い背広に白いネクタイを締めていた。
 教室には、ボクより年上に見える生徒もいれば、年下に見える生徒もいた。皆、十代の範囲に見えた。
 眼光が鋭いのはシロウくらいで、だいたい皆、おどおどと目を泳がせていた。ボクと一緒で、訳もわからないまま、ここに連れて来られたのかもしれない。
 シロウみたいなやつばかりだったらどうしようかと心配だったが、なんだか上手く馴染めそうな気がしてきた。
 席の指定はなかったから、タケキヨの隣の席についた。

 二十人ほどの生徒が席に着いたところで、からくり人形のような老人が教壇に立った。
 老人は使い古された手帳を広げ、話すというよりは、単調に読み上げた。
「生徒の皆さん、ご入校おめでとうございます。ただ今より、当校校長のユキゾラ先生からお言葉をいただきます」
 老人の言葉のあと、ユキゾラ先生が教室に入ってきた。ユキゾラ先生の後ろに、メイド服の女の子が、影のように付いていた。
 老人と代わって、ユキゾラ先生が教壇に立つと、教室が静まり返った。
 男子生徒も女子生徒も、皆がうっとりと、あるいはぼんやりと、ユキゾラ先生を見つめた。

「皆さん、各地での一次試験への合格、おめでとうございます。ここは導樹館という藩校です。つまり、藩によって設立され、運営されている、権威のある学校です。ここに入校したということは、飢饉や盗賊の心配から解放されたということです。皆さんはここで学を修め、藩に寄与して、老いていくことになります」
 ユキゾラ先生の言葉に、教室がざわめいた。明るいざわめきだった。
 もう食べ物に困らないってことか、という類の言葉が、教室中から聞こえた。
 ユキゾラ先生が杖を取り出すと、教室がまた静まり返った。
「ここに、杖があります。これは分岐の杖と呼ばれているものです。これから行うのは、二次試験です。一次試験で使用した杖は、ごく簡易なもので、まだ皆さんの力を正確に把握できていません。分岐の杖を使って一次試験と同じことを行い、皆さんの力と進むべき方向を明確にするのが、二次試験です。それではこの教壇に向かって、一列に並んで下さい」
 ユキゾラ先生の言葉に、生徒は席を立ち、列を作った。
 タケキヨは列の真ん中あたりに入った。ボクは生徒の流れに遮られたふうを装って、列の後ろのほうに入った。
 そうだ、他の生徒に馴染めるとか、馴染めないとか、よく考えてみれば、ボクには関係ないのだった。
 なにしろボクは、嘘をついてここに来たのだ。去るまでに、せいぜい一食でも多くご飯を食べるのが、ボクの目的なのだ。
 こんなにも早く嘘がばれるとは思っていなかったが、どのみち新しい生活も、タケキヨとの関係も、長く続くものではなかったのだ。……嘘なんかついてまで、来なければよかった。

 ◇

 力を込めて杖を握りしめた時、硬質なはずの杖を柔らかく感じた。村での試験と同じだ。
 そういえばユキゾラ先生は、前の生徒に、「指先が杖にくっついたみたい」と表現していた。もしかしてこの感覚のことなのか。いや、

というのとは、どうにも違う感覚だ。
 ボクに起こるのはここまでだろうという諦めに、もしかしてボクにも力があるのではないかという期待が混ざり、ボクは杖を凝視した。
 やはり杖の感触が変わっただけだ。
 ここまでか。
 しかし、村での試験の時よりも、杖はもっと柔らかくなり始めた。際限なく柔らかくなり、指先が杖の中にぐにゃりと沈み込む。
 とろけそうな感触に反して、杖の見た目は硬質なままだ。
 柔らかくなったのは、杖だけなのか。ボクの指先も柔らかくなっているのではないか。指先が深く杖に沈み、そして溶けていく感触。
 溶けるのは、指先にとどまらなかった。杖を持つ右手を中心に、体の何割かがぬるい液体に変わり、杖は冷たい液体に変わり、そして二つが混ざり合う。冷たい液体がボクを浸食する。
 皆、こんな不気味な感覚に耐えたのか。
 そんなふうには見えなかったぞ。
 ボクに力がないから、ほかの生徒と違った、まずい結果になっているのではないか。このまま、杖に飲み込まれてしまうのではないか。
 杖を放り出したくなる。しかし、もしも何かが起きているとしたら、中途半端に杖を放すと、タケキヨの時のように皆と自分を傷つける可能性がある。
 ボクは目を閉じた。墨汁のような液体に身体を浸食され、濁った血流が全身を巡る感覚は、あまりに気味が悪く、意識が遠のいていった。
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