第十二話 煙管

文字数 2,266文字

 ナベヅル先生は背広の内ポケットから、自分の物らしきキセルを取り出した。
「刻みタバコには、追憶草という、高価な薬草が混ぜられています。追憶草は魔導術による疲労と非常に相性が良く、頭の疲れを癒し、気持ちを落ち着けます。但し、人によっては依存してしまう場合があるので、吸いすぎには十分注意して下さい。できればキセルを吸うのは一日に一回だけ、多くても一日に数回程度までにして下さい。吸うのは必ず、この玄関ホールか食堂か中庭のいずれかで、そして必ず座って吸って下さい。横になって吸うのは、恰好としてあまりにだらしないので、禁止されています。吸い終わった後の灰は、各所に設置してある竹筒に落として下さい。過去に寝タバコによるボヤがあったため、寮室で吸うのは厳禁です。それでは、実演してみせます」
 ナベヅル先生は、空いていた籐椅子に座った。刻みタバコの袋の中に親指と人差し指を入れると、二本の指の間でタバコの葉を軽く丸めてから取り出した。
 タバコの葉はごく細く刻まれていて、茶色い糸くずのように見えた。
 先生は火皿の中に、タバコの葉を入れた。
 術がいつ使われたのか、ボクには分からなかったが、キセルは細く煙を上げ始めた。先生は、ゆっくりとキセルを吸って煙を吐き出すことを、三回繰り返した。
 焼き菓子のような、甘くて懐かしいにおいが、玄関ホールに広がった。
 初めて玄関ホールに足を踏み入れた時のにおいだ。
 先生は目を開けたまま、動かなくなった。

 先生がまた動き始めたのは、三十秒ほど経ってからだった。
 先生は軽い咳払いをして、周囲を見た。
 ざわつき始めていた生徒たちは、また静かになった。
「これは失礼。ワタシはいつもはもっと追憶草の配合を増やしたものを吸っていて、今、久しぶりに生徒用のものを吸ってみたのですが、いやはや生徒用でも十分効きますね」
 先生は、机の上に置いてあった竹筒を引き寄せると、キセルを軽く打ちつけ、筒の中に灰を落とした。
「さて、誰か、代表して試してみる生徒はいませんか?」
 先生が聞くと、シロウがまっすぐに手を挙げた。
「ああ、キミは属性がちょうどいいですね」
 先生はうなずいた。
 昨日、一緒にここに来たのに、既にシロウとボクとの間には果てしない差ができているように感じた。
 シロウのことは好きになれないが、静止した先生の姿を見て、なお率先してキセルを試そうとする度胸は、すごい。ボクには真似ができない。

 慣れない手つきでキセルを扱うシロウを、ナベヅル先生がそばから指導した。タバコの葉は硬く丸めず、空気を含ませること。火皿に押しつけすぎないこと。火が大きすぎると、吸う前にタバコの葉が灰になるから、時間をかけても慎重に小さな火をつけること。ゆっくりと三口か四口に分けて吸うこと。
 シロウがキセルに親指の爪を立てると、火皿から煙が上がり始めた。一口目を吸って、シロウは少しむせた。息を整えてから、二口目、三口目をゆっくり吸うと、目を開けたまま、動かなくなった。
 手からキセルが落ち、床で跳ねた。まだ赤いところの残った灰が、床に散った。

 先生は床のキセルをゆっくり拾って、机の上に置いた。先生にシロウを心配する気配はなかった。
 ボクには異様な光景に見えたが、キセルとはそういうものなのだろうか。
 改めて床を見ると、小さな焦げ跡が無数に残っていた。数えきれない回数、キセルが床に落とされてきたのだろう。寮室でなくても、ボヤになりそうなものだ。
「待っている時間で、補足の説明をしておきます」
 ナベヅル先生はそう言うと、ホールの一角にある扉を指した。
「あそこが教員室です。夜間でもだいたい一人は教員がいます。まあ、主にワタシなのですが。刻みタバコがなくなった場合は新しい物を渡しますし、火を具現させられない生徒用にマッチも配布しています。その他のことでも、困った時は気軽に教員室に来てください」
 そこでナベヅル先生は言葉を切り、シロウの様子を伺った。
「シロウ君が帰ってくるまで、もう少し時間がかかりそうですね。すぐにキセルを試してみたい生徒が他にもいると思いますが、このホールで一度に吸うと、煙がえらいことになるので、授業の後に、ここと食堂と中庭に適当に分かれて吸って下さい。
 さも斬新なことを思いついたとばかりに、制服の隠しポケットのひとつに杖をしまって、もうひとつにキセルをしまう生徒が時々いますが、切迫した状況で杖と間違えてキセルを取り出す間抜けを避けたければ、やめておいたほうがいいでしょう。仮に火が得意属性だとしても、キセルはあくまで小さな火をつける道具で、対人では役に立ちません。杖のように深化はしていないのです」

 シロウは目を開け、よだれを垂らしながら、五分は動きを止めていたはずだ。
 やがてシロウはゆっくりとまばたきをし、そして玄関ホールを見回した。
「母さんに、会ってました。……すごく懐かしかった」
 シロウは緩んだ表情で言った。言葉にも目にも、いつものようなとげとげしさがなかった。
「そうなんです、懐かしいんです」
 ナベヅル先生はうなずいて言った。
 シロウは椅子から立ち上がろうとして、ふらついた。
「無理をせず、しばらく座ったまま余韻を楽しんで下さい。さて、少し早いですが、初日ですので、今日の授業はここまでにしておきましょう。明日はまた、朝食後に教室に集まって下さい。午前は座学で、午後は実技というのが、授業進行の基本になります。土地柄、午後になっても霧が濃い日があって、そんな日は授業の内容を変える場合もあります」
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