第十八話 ◆夏村

文字数 2,238文字

 一人の男が意を決し、鉄鎖の間合いに一歩踏み込む。
 お姉さまが右手を鋭く振ると、かぎ爪が男に向かう。かぎ爪を払い落とそうと振られた男の刀に、鉄鎖は一周巻き付き、なお勢いを弱めず、爪で男の首をえぐる。男の首から血が吹きだす。
 別の男が、お姉さまの背中に切り込む。鉄鎖はまだ、正面の男の刀に巻き付いたままだ。
 お姉さまは、振り向きさえしない。予備動作も何もなく、突如、左手の杖から別の鎖が一直線に伸び、背中に迫った男の首を貫く。鎖は男の首を貫いた後、ヘビのように宙を好き勝手に曲がりくねり、近くにいた別の男の首をえぐる。
 朱色の鎖は、お姉さまによって具現された、完全にお姉さまの感知下にある存在だ。遠心力を使った最初の攻撃は、いわば偽装のようなもので、実際には物理法則を無視した操作ができる。そして出せる鎖が一本という決まりなど、ない。

 残った二人の男の内、一人はわずかに踏み込み、一人はわずかに後ずさる。
 お姉さまの杖から伸びた二本の鎖は、それぞれ別の動きを見せる。一本は鎌首を持ち上げたヘビのように、踏み込んできた男を牽制する。もう一本は地を這って伸び、後ずさった男の両足に巻き付く。男を引き倒した後、その喉を切り裂く。
「ひっ」
 男が最期に発したのは、恐怖の声のようでも、裂かれた喉からただ空気が漏れた音のようでもあった。 

 散らばる亡骸の中、お姉さまとひとりの男が立っていた。
「逃げるか、命乞いを考える時ではないですか?」
 お姉さまに聞かれ、
「いいえ。小隊の皆を逝かせて、自分だけ生き残るわけにはいきません」
 男が答えた。
 両頬をかなりの深さで切っており、血が顎に伝い落ちていたが、男の正眼の構えに崩れはなかった。
「お気持ちの強さといい、構えの堅さといい、心得がおありのようですね」
 お姉さまが男に言った。
「褒めていただく必要はありません。我が小隊など、鉄鎖姫の前では紙人形のようなものでした」
「教えていただきたいのですが、おかしいとは思わなかったのですか? 長銃の小隊とわたしの相性は、戦う前から明らかです。無駄死にを命じられて出向いたとしか思えません」
「ワタシの理解を超えた何らかの正当な意図があったと思いたい」
「お名前と、どちらの方なのかを伺ってもよろしいですか?」
「小隊長のナツムラと申します。隊の所属については、ワタシの口からは言えませんが、既にお気づきのことでしょう」

「収束」
 二本の鎖が、お姉さまの両肘から手にかけて巻き付いていく。朱色の籠手のようになる。右手には五つのかぎ爪、左手は、持つ杖まで鎖が覆い、先端にひとつのかぎ爪。全身を鎖で覆うほど力を使わず、しかし一本の鎖で戦うよりは攻撃にも防御にも優れている。
「では、ナツムラ殿、いつでもどうぞ」
「光栄です、鉄鎖姫」
 ナツムラが間合いを詰める。
 お姉さまは構えず、ゆったりと立っている。
 たくましい体格の男が、構えることさえ知らない少女を、今にも斬り殺そうとしている。何も知らなければ、そんなふうに見える光景なのかもしれない。

 ナツムラは踏み込みながら刀をすばやく振り上げ、お姉さまにまっすぐに斬りつける。お姉さまは斜めに踏み込み、鉄鎖の左手でナツムラの刀を受け流す。
 続いて横なぎに払われた刀の鍔近くを、お姉さまは鉄鎖の右手で掴む。
「粉砕」
 小さな爆発音が起き、ナツムラの刀がお姉さまの手の中で折れる。
 ナツムラは目を見開き、下がる。お姉さまは表情を変えず、前に出る。
 とっさに振られたナツムラの刀には、しかしお姉さまを斬るための刀身が、もうない。刀身は、お姉さまの右手だ。お姉さまは掴んだ刀身でナツムラの胸を素早く二度突き、最後にナツムラの首に深く刺した。
 ナツムラはゆっくりと膝から崩れ落ちた。口がわずかに動いたが、言葉は出ず、吐き出されたのは血だけだった。

 わたしが近づいた時、既にお姉さまは鉄鎖を地に落とし、左手の杖をじっと見ていた。近づいたわたしにも、杖の立てる不快な軋みが聞こえた。人ならざるものの発する呻き声のような音だ。
「相当に力を使った様子でしたが、大丈夫ですか?」
 心配になって、わたしは聞いた。
「大丈夫。この人数分、魂を吸い込めるんだから、限界まで使っても大丈夫だよ。ほら、軋みが止まってきた」
 お姉さまは静かになった杖を袖にしまった。
 わたしはちらりとお姉さまの顔を見た。一目で分かるような極端な若返り方はしていなかったので、ほっとした。それでも確実に若返ってはいるのだろう。

 杖は、蓄えている魂を力として放出し、放出したよりも少しだけ多くの魂を吸収する。その繰り返しで蓄える魂を増やしていき、強大な術の使用を可能にする。それは深化とも呼ばれている。杖の力を大規模に使えば、それに見合うだけ沢山の人を殺める必要があるということだ。使った力に見合う量の魂を回収できなければ、杖はせめて術者から魂を回収しようとし、術者は急速に老化するか、場合によってはそのまま灰塵になる。その限界点ははるか遠くにあるわけではない。お姉さまが使う広範囲の飛散のような術は、一人や二人殺した程度では、とても回収したことにはならない。はっきりとした数値は分らないが、一回使うごとに十人以上は殺す必要があるだろう。
 使うほうも命がけで使う。魔導杖とはそういうものだ。
 そして無事に魂の回収ができた時には、杖は見返りかのように術者にも魂を送り、術者はわずかに若返る。強い術者は、老いないどころか、若返っていく。
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