第二十五話 ◆掌

文字数 2,158文字

 わたしは身を翻す。地面を蹴る。
 引き裂くような痛みが、全身に響く。うめき声が出る。だが、止まらない。もう一度だけだ。もう一度だけ、駆ける。
 遮るものは、何もない。一秒で四歩駆け、ステキチの間近に迫る。
 目が合う。ステキチは後ずさるが、背を向けて逃げ出すような猶予はもうない。
 わたしは、跳ぶ。
 顔を守るためにとっさに上げられたステキチの両手の間に、わたしは片膝を割り込ませる。膝を、ステキチの鼻に打ちつける。
 吹き飛んだステキチは、地に落ちた衝撃で、杖を放す。
 杖は、宙で放物線を描く。
 伸ばされたステキチの指のむこうで杖は地面に落ち、小さく一度跳ねる。

 わたしは着地の激痛に耐えながら、振り返って屍人たちを見る。
 立っていた屍人たちは皆、操る糸が切れたかのように脱力し、鈍い音をたてて地面に崩れ落ちる。
 ステキチが杖を放すとどんな暴発が起きるか、予想がつけられず、最悪、屍人の身体が爆発するかもしれないとまで思っていたが、そうはならなかった。
 見開いたままの目、紫色の唇、妙な方向を向いた四肢。黒染めの着物は土埃で白い。さっきまで動いていたとはとても思えない完全な亡骸に、屍人たちは戻っていた。

 ステキチは鼻から血を、目から涙を流しながら、杖に這い寄って拾った。
 わたしはステキチの右手を斬ろうとしたが、どこにも風見鶏がなかった。そういえば、さっきナツムラに向けて投げたのだ。
 ステキチは小さく、大きく、何度も杖を振るが、亡骸が再び起き上がることはなかった。
 亡骸が動き出したら、ステキチの右手を蹴ろうと待っていたのだが、その必要はなさそうだった。
 わたしは、一番近くに横たわっている亡骸のところまでフラフラと歩いた。亡骸の手から刀をもぎ取ると、杖を振り続けているステキチのそばに戻った。
 早く終わらせてしまいたい。わたしはこの後、キリノスケと戦わなければならないのだ。
 片手で扱うには刀は重かったが、左手が動かないのだからしょうがない。わたしはステキチに向かって、右手で刀を振り上げる。
「待って」
 ステキチは、わたしに掌を向けて言う。
「言い残したことがあるなら、聞きましょう。手短にお願いします」
 意識が遠のくのに抗いながら、わたしは刀を振り上げたまま、ステキチの言葉を待った。
「……助けて」
 ステキチが言った。
 助けて? 死闘の末に、助けを乞うのか? なんと無様な。
「それはできない相談です」
 わたしは言った。
 この期に及んでステキチの命を尊重する理由を、わたしは思いつかなかった。助命を考えるには、あまりにも邪悪な術の使い手だ。
 ナツムラたちは無念だったろう。もしステキチの術が魂属性でなければ、たぶんナツムラたちは城門に配置されていなかったはずだ。ステキチが術を使うためには、亡骸を用意する必要があったのだ。そうでなければ、お姉さまの術を知っていながら鉄砲隊をぶつけるはずがない。
 また意識が遠のき、わたしはふらついた。
 これ以上は待てない。

 わたしの振り下ろした刀がステキチの頸動脈を断つのと同時に、ステキチの突き出した掌がわたしの胸を打った。
 ステキチの掌にはまるで勢いなどなかったのに、それでもわたしは激しい衝撃で、後方へ吹き飛ばさた。
 身体が宙に浮く。
 油断していたつもりはないが、ステキチにそんなに力があるとは思っていなかった。
 背中に訪れるであろう接地の衝撃に備えて、身体を丸くする。衝撃は、……いつまでたっても訪れなかった。
 不審に思って周囲を確認すると、わたしは宙に浮いたままだった。
 わたしの眼前には、首から血を吹いて倒れるステキチと、地に座り込むわたし自身がいた。

「これは、……小太刀姫の勝ち、ということで良いのでしょうか」
 キリノスケが、血だまりの中で仰向けになったステキチと、座り込んでぼんやりしているわたしの身体とを見比べ、そう言った。
 わたしの身体は、キリノスケとわずかに目を合わせて、すぐにうつむいた。
「それで、小太刀姫はこれからどうされますか? ワタシはあなたのお父さまに加えて、お姉さまの仇にもなりました。今すぐの雪辱を望まれるなら、お相手します」
 キリノスケが聞いた。
 わたしの身体はうつむいたまま、首を力なく横に振った。
「おや、そうですか。……まあ、そのほうがいいでしょう。ワタシも深手を負ったが、あなたはもっとひどい。それに、あなたが亡くなれば、お姉さまを助ける者がいなくなる。お姉さまは、多少時間がかかっても再起できるはずです。雪辱はその後にお二人で考えればいい」

 わたしは宙を泳ぐようにして進み、自分の身体に近づいた。
 水槽の中を泳いでいるようだった。
 全ての物の形が少しずつ歪み、光は過剰に反射し、音は不自然に響いた。
 なんとしても、わたしの身体からステキチを追い出さなければ。
 どんな術を使ったのか見当もつかないが、わたしが突き飛ばされた状況からいっても、わたしの身体が見せている硬い所作からいっても、わたしの身体を乗っ取っているのはステキチに間違いない。
 しかし、掴みかかろうとするわたしの手は、わたしの身体を虚しくすり抜けた。何度手を伸ばしても、触れることさえできなかった。
『身体を返せ!』
 大声で叫んでみたが、誰もわたしのほうを見ようともしなかった。
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