第九話 危険

文字数 2,726文字

 目覚めのぼんやりとした視界に、最初に入ってきたのは、ボクの顔を覗き込むメイド服の女の子だった。
 彼女の顔がボクの顔に、わりに近い。瞳の色が深い。
 ボクは彼女から視線を逸らした。
 寝台の周囲をカーテンで囲まれているということは、ここは寮室ではない。医務室だろうか。
『何も言わずに、聞いて下さい。今、キミは、とても危険な状況にいます。生き延びたいなら、わたしに協力する以外に選択肢はありません。わたしの声がちゃんと聞こえてますか?』
「え、危険な状況って何ですか?」
 ボクは彼女に聞き返した。
『ごめんなさい、何も言わないで下さい。キミが目覚めたことを、周りの人にまだ気付かれたくないんです。そうだな、肯定の合図は、わたしを見てまばたきを一回して』
 ボクは彼女を見て、ゆっくりと一回まばたきをした。
『結構です。では、とりあえず、差し迫った危険の回避について話します。キミはこれから、杖を握った時に何が起きたかを聞かれるはずです。ただ気が付いたらここにいた、何も覚えていないと話して下さい。杖と融合したことがばれたら、キミは殺されます』
 殺される? 融合?
 ボクが何か言う前に、彼女は自分の唇の前に人差し指を立てて、黙ったままでいるよう、しぐさで伝えた。
『キミは魔導樹と高い親和性を持ち、加えておそらく魂属性です。お姉さまがそのことを知れば、生かしておくべきではないと、必ず判断します』
 お姉さま、とは、ユキゾラ先生のことだろうか。先生がそこまで冷酷な人とは、ボクには思えなかった。むしろ、やさしくて親切な人だろう。目の前の女の子を信用していいのか、気持ちが揺らぐ。ボクは女の子をじっと見た。
『その、……目を見開いて、わたしを凝視しているということは、納得していないということですか?』
 ボクは一回まばたきをした。
『困ったな。とりあえずは、杖を握った後は何も覚えていない、気が付いたらここにいた、と答えることだけは、是が非でも実行して欲しいです。そうすれば、明日までの時間の猶予ができると思います。詳細については、今夜にでも、キミが納得するまで話します』
 ボクは迷ったが、まばたきをした。
『ありがとう。今、キミのほうから聞いておきたいことは、何かありますか?』
「どうしてボクは話したらダメなのに、あなたはいいんですか?」
 その時、唐突に、寝台の横のカーテンが引かれた。

「目が覚めましたか。今、何か言ってた? 話したらダメとか、聞こえたけれど」
 ユキゾラ先生がボクに聞いた。
 カーテンを引いたのは、先生だったのだ。
 寝台に横たわるボクを挟んで、ユキゾラ先生とメイド服の女の子が向かい合っていた。先生は女の子にはまったく関心を示さず、そちらを見ようともしなかった。
『わたしはキミにしか知覚できません。だから、わたしがいないようにふるまって下さい』
 うすうす気付いてはいたが、やはり彼女は普通の存在ではないのだ。
 ボクはとっさに言い訳を考えた。
「ええと、ちょっと寝ぼけてて。話したらダメっていうのはつまり、……杖を手から

ダメってことです。夢でも杖を握ってて」
『悪くないです。自然な回答だと思います』
 女の子がうなずいて言った。
「さっき教室で杖を握ってからのこと、覚えてる?」
 先生がボクに聞いた。
 ボクは考えるふりをした。
「杖を握って、冷たいと思って、杖の先端に意識を集中して、少し気持ち悪くなって、……そこから先は覚えていません」
『すごく自然です! とても嘘とは思えない!』
 女の子はボクを応援してくれているのかもしれないが、ちょっとうるさい。気が散る。
「手が杖に溶け込むようには感じなかった?」
 ユキゾラ先生に聞かれ、
「感じませんでした」
 ボクは首を振った。
『今のは、どうかな。あまり良くない気がします。否定が早すぎると、怪しまれます』
 すかさず女の子から注意が入った。
「いや、そういえば、杖を柔らかいと感じた気がします」
 ボクは補足してみた。
 ユキゾラ先生は首をかしげて僕を見つめた。
「そう。分かりました。過去にも、分岐の杖を握って気分が悪くなったり、意識がなくなったりする生徒はいました。もしかしたらキミにはすごい力があるのかもしれないし、もしかしたら魔導術と相性が悪いのかもしれない。まだどちらとも言えません。明日の午前にもう一度、分岐の杖を試してみましょう」
「わかりました。ボクはどのくらいここで寝てたんですか?」
「一時間くらいかな。午後からの授業には出られそう? 無理はしなくていいけれど」
「大丈夫です、出られます」
 カーテンが風に揺れ、ユキゾラ先生の背後に、もう一人のメイド服の子がいるのが見えた。
『あれが、わたしの身体です』
 ボクのそばの女の子が、そうつぶやいた。

 ユキゾラ先生と無表情の女の子が医務室を去り、続いてカーテンのむこうから、包帯でグルグルに巻かれた顔が現れた。
「大丈夫だったか? オレの後でコウヤも医務室に運ばれてきて、びっくりしたよ」
 もちろんタケキヨだった。
 頭にも手にも包帯を巻かれたタケキヨから心配されるのは、なんだか微妙な気分だった。
 包帯の上に血が滲んでいるから、タケキヨの傷は浅くないのかもしれない。
「タケキヨこそ、大丈夫なの?」
「オレは大丈夫だけど、オレのせいでみんなに迷惑かけちゃったよ。あやうく先生にまで怪我をさせるところだったけど、ヨゾラさんがいて、本当によかった」
「ヨゾラって、メイド服の子の名前? よく知ってるね」
「ここに到着した日に、たまたまユキゾラ先生が呼んでるのを聞いたんだよ。それより、オレ、腹が減ったよ。一緒に昼食、行けそう?」
 ボクはうなずいた。タケキヨが元気そうでよかった。
 あっちにいた女の子がヨゾラということは、こっちにいた女の子もヨゾラということだろうか。さりげなく周囲を見回したが、こっちにいた子も、いつの間にかいなくなっていた。
 普通の存在ではないから、どこでも自由に通り抜けられるのかもしれない。
 今夜また話すと言っていたが、それまではもう現れないのだろうか。瓜ふたつの二人はどういう関係なのだろう。
 そういえば、ぼくの危険な状況というのは、もう去ったのだろうか。
 そもそも、なぜ彼女はボクにしか見えないんだ?
 次々に疑問が湧いてきたが、ボクから女の子を呼び出す方法が分からないから、待つしかなさそうだった。

 医務室の入口近くの椅子に、着物を着た老婆が座っていた。昨日、玄関ホールにいた老婆だ。
 医務室の先生なのだろうか。昨日と同じで、ぼんやりとした表情をしていた。
「もう良くなったので、戻ります。ありがとうございました」
 ボクがそう声をかけると、老婆はわずかにうなずいた。
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