第4話 まるでストーカーね

文字数 2,177文字

 改札を抜けて、修二は駅前のコンビニに入った。わたしもその後を追うように自動ドアをくぐった。でも修二はわたしに気付かない。わたしは雑誌コーナーの旬な芸能人のゴシップを書き立てた週刊誌を手に取りながら、ちらちらと彼の方を横目で見る。
 まるでストーカーね。わたしは心の中で苦笑い。彼はお弁当を品定めしていた。弁当? 風の噂では数年前にあっちで身を固めたと聞いたけれど、今は家で待つ人はいないのだろうか? もしかしたら離婚したのかも。わたしは勝手な想像を巡らせる。
 彼は和風ハンバーグ弁当とお茶を手に取り、ほかの売り物には目もくれずそのままレジに並んだ。わたしもどうでもいい週刊誌を手に持ったままレジへと向かう。どうせならファッション雑誌にすればよかった。小さな後悔。
 すぐ前の息のかかりそうなところに修二がいる。黒いスーツの襟首から少し覗いたシャツのカラーが眩しい。広い背中だ。時は信じられない魔法を使う。幼い修二はもういない。彼の首筋からは、ほのかに男の汗の匂いがした。
「レジ応援お願いします」店員の声で、奥からもう一人の店員が出て来て隣のレジを開けた。やる気のなさそうな若い店員はわたしの顔を見て、「次の方どうぞ」と言い、わたしは隣のレジに向かう。わたしのすぐ左に修二が立っている。
「お弁当温めますか?」
 隣の店員が修二に尋ねた。
「はいお願いします」
 修二が答える。わたしはゆっくり左を向く。
「あら? 修二君?」
 さも偶然を装ったふうに声を掛ける。
 彼は一瞬怪訝そうな顔をしたがすぐに懐かしい顔になった。
「あ、ども。お久しぶりです」
「ほんと久しぶり。元気だった?」
「ええ」
 チン、と電子レンジが鳴り、店員が弁当を袋に入れて修二に渡した。そしてわたしと修二はいっしょにコンビニを出る。
「ね、そのお弁当、夕食?」
「ええ。見られちゃいましたか」
「一人、なの?」
「ええ、嫁が出産で里帰りなんです」
 離婚したんじゃないんだ……。
「そっか、それは淋しいね。あ、ね、修二君、今時間ある?」
「あ、はい」
「少しお茶でもどう? それか食事でも……」
 わたしは思い切って彼を誘った。悪い女……。
「せっかくお弁当温めちゃったから勿体無いかな?」
「いいえ、これはまた明日でも食べられますよ。行きましょう」
 修二は少しの逡巡の後、わたしの目を見ながら言った。男の目だ。脈ありってとこかしら。わたしは悪い気はしない。
 わたしたちは駅から少し歩いたところにある居酒屋に向かった。
「もうすっかり春ね。この間まで寒さで震えていたのに」
「そうですね。いい夜だ」
 いい夜か。そうかもね。始まりの予感がしていた。
 店は週末の夜と言うこともあってけっこう混み合っていたが、二人きりだったのでカウンター席に座った。
 すぐにお通しが出て来る。菜の花のおひたしだ。修二は生ビールを注文し、わたしは男と二人で酒は飲まないと決めていたが、今夜は飲みたい気分だったので自戒を破り、桂花陳酒のサワーを頼んだ。
 すぐに黄金色のよく冷えたジョッキと金木犀の香りのするソーダが運ばれて来て、軽く乾杯を交わす。カウンターの向こうの壁にはたくさんのメニューの札が掛けられている。
『汗かきトマト』と書かれた札が目に入る。時期にはまだ少し早いけれど、わたしはそれを頼み、修二は魚の煮つけと串揚げの盛り合わせを頼んだ。
「あんまりおなかすいてないですか?」
「ええ。おなかはすいてると思うんだけど、なんとなく食欲がなくて」
「じゃあ串揚げ、いっしょに食べましょう」
「うん、ありがとう。ほんと久しぶりねえ。何年ぶりかしら」
「中学校卒業以来じゃないですか?」
「そっか、そうね」
「十五で卒業して、今年三十二だから十七年ぶりですね」
「修二君、その言葉遣いやめなよ。同期だよ。なんかわたしの方が年食ってるみたじゃない」
「いえ、そんなつもりじゃ」
 ほんの少したしなめただけなのに修二は悲しい顔になる。いくら体が大きくなっても修二は修二、あの時のままだ。変わらない。
「九州だって聞いてたけどこっちに帰ってたのね」
「うん。福岡が本社なんだけど、こっちに転勤になった」
「そう、それで戻って来たのね。よかったじゃない」
「ああ。でも皮肉なことに向こうで結婚して家まで買ったんだ。もう戻ることもないと踏んでたんだけど」
「え? じゃあこっちへは単身?」
「いやそういうわけじゃないんだけど」
「そっか、それで奥さんが出産で里帰りなのね」
「うん。あいつは家も実家も向こうだから。本当はこっちに来るのは気が進まないって言うか……。上の子がまだ二つになったとこだから。もう少し大きかったら来なかったかもな」
「いろいろあるのね。それでお子さんはいつ生まれるの?」
「もうそろそろ」
「元気に生まれるといいね」
「うん。そうだね」
 その時何かを思いながらじっと調理場を見つめる修二の横顔は、わたしのよく知っている昔の顔だった。
いいこと? わたしは、あなたの彼女でもなければ奥さんでもない。でも、あなたのすべてを知っているのよ。変な優越感とも懐かしさともつかない気持ちがわたしの心に湧き起こった。
 その瞬間、二十七年前の失われた記憶がわたしの脳裏に蘇った。反射的に下腹部の辺りに熱いものがじわりと広がった。
                                    続く
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