スーパーヒーロー

文字数 4,461文字

 まただ、とタイカは思った。
「運が向いてきた」
「運が良かった」
「運が悪かった」
 こういう類のセリフを、地球に来てから何度も聞いた。
 一見解決しなさそうな問題をタイカが解決した時、問題を抱えていた当人がタイカに向かって言うセリフだ。しかし、そのセリフを言われる度にタイカの思考は混乱するのだ。
 赤い帽子の男が、不思議そうにタイカの顔を覗き込んだ。
「なんだ、礼を言われても嬉しくないのか?」
 身体が動かせないタイカは、赤い瞳だけ動かして男を見た。
「いや、役に立てたことは嬉しいよ。ただどうしてもわからないことがある」
「わからないこと?」
「『運が向く』とはどういうことだ?」
 タイカに言われ、今度は男が怪訝な表情を浮かべた。
「あんた日本語が得意じゃないのか? 英語でも『Lucky』とか言うだろう。それだよ」
「いや、『運』自体の意味は知ってるよ。わからないのは、僕があなたの『運』にどういう関係があるのかということさ」
「関係って…。そういうのは理屈じゃなくてそう感じるんだ。直観だよ」
「だけど、僕は偶然ここを通りかかっただけで、あなたの運不運にはなんの関係もないよ」
「偶然が生んだ奇跡こそ、運が向いてきた証拠だろ」
「でも、どんな偶然もそれ自体は単なる偶然なんだけど…」
 男も次第に混乱してきた様子で、眉間にシワを寄せながら「いったい何がそんなに気になるんだ?」と問いかけた。
 タイカが答える。
「僕はただ、出来事に意味を求める理由が知りたいんだ」
 数学や科学と違い、理由には絶対的な形がない。そんな曖昧なものに何を求めているのか知りたい。知りたい理由はわからない。ただ気になるのだ。

 タイカはエネルギーの残量も忘れて話し続けた。網膜ディスプレイには、スリープ・モード移行のためのカウントダウンが始まっていた。
「例えば、あなたが再度危険を冒して嵐の海に出なきゃならなくなった時、同じような奇跡を当てにする?」
 男は少し考えてから首を横に振った。
「でも、必要であればまた出る?」
「まぁ、出るだろうなぁ」
「ということは、あなたの行動原理に運不運は関係ないと思うけど…」
 そう言われた男は、反論するでもなく黙ってタイカを見つめていた。何か考えているのか、それともタイカを不気味に感じているのか、彼の表情からはわからなかった。
 やがてカウントダウンが終了し、タイカはスリープ・モードに移行した。

 タイカは夢を見た。しかし、この夢は初めて見る空想ではなく、過去の体験だった。
 それはエリーと土星を見に行った帰り道の出来事だ。シャトルのコクピットに並んで座るタイカとエリーは、月の周回軌道上から地球を眺めていた。
 エリーがふと「エフェル星ってどんなとこ?」と尋ねた。
 タイカは少し考えて、エフェル文明の特色とそれを支えるテクノロジーについて話し始めた。

 エフェル人には親子という概念がない。まるでそれが彼らの本能でもあるかのように、適材適所が徹底された社会構造を持っている。
 医学的手段で受精させた卵子を人工羊水を満たした保育器の中で育て、十分発育したら保育器から出して養育施設に移される。そこでは専門のスタッフが常駐していて、各人の個性に従って適切な養育が施される。
 貨幣文明ではないので、当然金銭的な格差もない。衣食住に関することはすべてテクノロジーで賄われており、いわゆる生活費を稼ぐための労働が不要な世界だ。エフェル人はみな健全な好奇心を身に着け、それを探求するために活動している。養育施設のスタッフですら、金銭目的ではなく自己の存在意義を満たすため、自分の能力を活かして活動している。それは彼らにとって、呼吸や摂食と同義の生存行動だった。

 それを聞いたエリーは、感心するどころか感傷的な表情を浮かべた。
「それに比べたら、地球はまだまだ発展途上よね。まるで原始時代に痛い思いして手術受けるみたい。今だったら麻酔があるけど、当時の人は痛い思いをしなきゃ助かる道がなかったわけだもんね」
 そう言って、エリーは自嘲気味に笑った。タイカは黙って聞いていた。
「確かに、今の地球にはまだまだ理不尽や不条理がはびこってる。本人には全くなんの責任もないのに、犯罪に巻き込まれたり病気になったり、しなくてもいい苦労を強いられたりする。『生まれながらの宿命』って言葉もあるくらい、自分ではどうしようもないことによって、みな人生を左右される。地球もいつかはエフェルみたいな文明水準に達するかもしれないけど、現時点であの星はまだまだ哀しみに溢れてるんだよ」
 彼女の独白に対して他人事のように「へぇ、そうなんだ」とつぶやいたタイカは、エリーのひんしゅくを買った。
「そりゃあ、あなたにとっては他人事でしょうよ。縁もゆかりもない、しかも1000年は遅れた文明だもんね」
「いや、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだ」
「いいの。わかってる。でも、それでもみな歯を食いしばってがんばってるのよ。そして、そういう人々の足跡が文明を進化させるの。エフェルも今は不自由ないほど進歩してるかもしれないけど、過去の人たちは七転八倒しながらも生き抜いてきたのよ。今の私たちと同じようにね」

 その時は、自分の運命を噛みしめるエリーを呆然と見つめるだけのタイカだったが、その数時間後に突然エリーを奪われ、なすすべなく「未知」という広大な虚無に放り込まれることになる。
 エリーが死ぬべき存在であるはずがない。でも彼女の存在はこの世から消えてしまった。
 納得はできないが受け入れざるを得ない現実。エフェルでは当然のごとく回避できる災厄、起きるはずのない災厄が、地球ではどうすることもできなかった。
 あの時のエリーの自嘲は、不必要な災厄とわかっていながらそれを避けられないことに対する、一種の諦めだったのかもしれない。タイカはそう思った。
(そういえば…)
 タイカは海上に浮かぶ男の姿を思い出した。あの時男も確かにエリーと同じような笑顔を浮かべていた。あの時点で、男は自分の人生が終わることを悟っていたのだろう。これがエフェルで起きた出来事だったら、船に搭載されている支援AIが遭難者の救助にあたったはずで、彼は死を覚悟する必要すら感じなかった。
(地球人が出来事に理由を求めるのは、無意味なことをしていると思いたくないからなのかもしれない。だから、理由に納得さえできれば、それが正確でなくても良いのだ)
 そうしなければ、地球人は不条理や理不尽に耐えられない。
 用意された任務を放棄して独りぼっちで彷徨っている、今の自分のように。

 コア・ジェネレーターが回復して脳と身体制御が再接続され、タイカは自分の意志でまぶたを開いた。
 全身を覆うようにビニール・シートがかけられていたので、タイカはそれをどかして起き上がった。
 上半身を起こした拍子に、一枚の紙がタイカの胸元から落ちていった。タイカはそれを拾い上げた。そこには手書きの文字が書かれていた。
 多少時間はかかったが、エマニが懸命に手書き文字を読み取り、その訳文をタイカの視界に表示した。
「改めて礼を言う。君の言うとおり、事実はあまり脚色しない方がよいのかもしれないな。余計なことは考えず、自分のできることをするよ。
 着る物を持っていないようなので、オレの服を置いておく。そのまま人前に出たら大騒ぎになるからな。それに、念のため家の住所も書いておく。何か困ったことがあったら寄るといい。
 では我らがスーパーヒーロー君、良い旅を!」
 辺りを探すとちょうどタイカの頭があった辺りに、きれいにたたまれたポロシャツとジーンズが置かれていた。

「エマニ。今何時だ?」
「16時32分です」
 タイカはどうしたものか考えたが、考えるだけ無駄と思い直し、服を着始めた。
「体内プラントの有機化合物残量は?」
「現在64%です」
「その量で全身の皮膚を復元できるか?」
「可能です」
「じゃあ、再生プログラムを実行して」
 エマニが応答音で答えた直後、タイカの全身から真っ白は液体が染み出してきて、服を着終わったタイカの顔や腕を覆っていった。
 組織が固着すると、まるでカメレオンのように皮膚の色が肌色に変化していき、それと同時に浮き出た血管や筋肉の盛り上がりを造形した。
 人間の姿に戻ったタイカは、立ち上がると船を降りて港に立った。

 周囲に人影はない。空は真っ青で、午前の嵐が嘘のようだ。
 岸壁に打ち寄せる波の音が聞こえる。沖縄とは違う透き通った涼やかな風が、再生した彼の髪を揺らしている。
 港を通り抜けて表通りに出る。表といっても繁華街のような騒々しさはなく、片側1車線のこぢんまりとした道沿いに、薄汚れた外壁の建物が点在している程度の町並みだ。何度か車が行き交ったが、人通りはほとんどない。
 タイカが腕を組んで左右どちらに向かうべきか考えていると、二つ折りにして手に持っていた置き手紙が視界に入った。
 タイカは手紙を開いてもう一度読む。訳文は覚えているので、今度は男の筆跡を覚えるように、一文字ずつゆっくり読んだ。
 読み終わると手紙をズボンの後ろポケットにしまい、一度だけ左右を見てから、南の方角へ歩き始めた。
 歩きながら、再びエマニに呼びかける。今となっては彼に従う唯一の相棒だ。
「エマニ。『スーパーヒーロー』が何か調べて」
 応答音の直後に、検索を終えたエマニが答えた。
「検索完了しました。以下ウィキペディアからの引用です」
 そういうと、エマニは網膜ディスプレイを表示した。

“スーパーヒーローとは、超自然的または超人的な能力を持ち、一種の衣装を着て犯罪との戦いに専念する英雄的人物。
 主な特徴は次の通り。
 超人的な能力、熟練した技術、高度な装備。
 正義のために見返りを求めず、自分の危険を厭わない強い道徳観。
 自分の能力に対する責任感、職業的使命、犯罪に対する怒り、正義感による強い信念など特別な動機。
 ほとんどのスーパーヒーローは記号あるいは比喩的なコードネームを持つ。
 派手で特徴的なコスチュームはしばしば秘密の正体を隠すために使用される。”(*1)

 タイカは思わず立ち止まった。心の中で文字が示す意味を噛みしめるように、立ち止まったままスーパーヒーローの解説を何度も読んだ。
 それまで暗闇でしかなかったタイカの未来に、かすかな光を放つ道標が現れた気がした。まだその形ははっきりしないが、少なくとも進むべき方向は定めることができる。
 エリーを失ってまだ12時間ほどしか経っていないのに、今は寂しさが少しだけ前向きになっていた。
 タイカは空を見上げた。
「エリー。どうやら本当の旅はこれから始まるみたいだよ」
 与えられた任務ではなく、自分の意志で切り開く旅だ。
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