理想と現実

文字数 6,155文字

 気絶した少女を抱きかかえたまま、タイカはその場に座り込んだ。このまま少女を放置して去るわけにもいかず、ビルの5階でうめいている連中も野放しにはできない。通りがかった人に助言を求めようにも、繁華街の一角だというのに人通りは皆無だった。
(こういう場合はどうするべきか…)
 思案の過程でタイカの脳裏に、彼がまだ国際亜空間研究所で働いていた頃の記憶が甦った。
 仕事を終えて街のバーで研究者たちと食事をしている時、見知らぬ客数人がエリーにちょっかいを出してきたことがある。研究仲間は彼らとの押し問答の末に喧嘩を始め、それが他の客にも伝染して乱闘騒ぎに発展した頃、店の従業員が警察に通報した。
 制服を着た数人の警官を見て、タイカがエリーに「あれは何?」と尋ねると、彼女は呆れながら「警察に決まってるでしょ」と言った。この頃のエリーはまだタイカがエフェル人であることを知らないので、彼女は「警察も知らないのか」と言いたげな呆れ顔をタイカに向けた。
 エフェルには市民自身が治安維持行動を執行する権限を有しており、地球のように専門の機関があるわけではなかった。こういう場合、地球では警察を呼ぶのだ。
 タイカはエマニに命じて近隣の警察に電話回線を接続し、少女の保護と犯人逮捕の要請を行った。
 電話口の担当者は詳しい状況を聞きたいようだったが、タイカは「通りがかりです」とだけ答えると、場所だけ伝えて回線を切った。
 警察が来るまでタイカは少女のそばに付き添った。
 やがて複数のサイレンが聞こえてきて、その音で少女が目を覚ました。タイカは彼女に「もうすぐ警察が来るから」と告げて、事情が飲み込めず呆然としている彼女を残し立ち上がると、リアクターを起動してビルの屋上に向かった。彼がその場を離れたのは、到着した救急隊員が少女を抱きかかえて救急車に運ぶ様子を見守った後だった。

 琉球海溝のシャトルを目指して上空を移動しながら、タイカは自分に向けられた少女の恐怖について思いを巡らせた。
 彼女が恐怖したのはタイカのサイボーグ顔に対してのものだった。一見すると金属なのにそれがまるでゴムのように動く。地球人にしてみたら、そのように動く顔は異質中の異質だ。得体の知れないものに対して恐怖を感じるのも無理はなかった。おまけに、それはきっと彼女だけの反応ではないだろう。他の人間も自分のサイボーグ顔を見れば恐怖を感じるかもしれない。
 さらに、この顔でアメリカの攻撃衛星を破壊している。その様子はきっとリアルタイムで地上にも送られているだろう。この顔を晒すということは、自分が衛星を攻撃した張本人であると宣伝してまわっているようなものだった。
 しかし、だからといって人間としての顔を晒すわけにもいかなかった。人間の顔を晒せば、自分が亜空間研究所で働いていた事実が発覚してしまう。わざわざ進んで世間の注目を集める必要はない。
 サイボーグ顔も人間顔もさらさず、なおかつ見る人に未知の恐怖を抱かせない方法は何か。タイカは飛行中ずっとそのことを考え続けたが、答えを見つけられないままシャトルに到着してしまった。

 シャトルのコクピットに座って考え込んでいた時、フロントガラスに写った自分の顔に意識が向いた。
(要はこの顔でなければ良いのだ)
 そう考えたタイカは、試しに顔の皮膚再生プログラムを修正してみた。具体的には顔を構成する各部品について、その皮膚を再生する過程で形を微妙に変えたのだ。シミュレーションの結果、タイカの顔は本来の表情とは微妙に異なる様相となった。これで身元を隠せると考えたタイカは、一日かけてプログラムをアップデートすると、その日の夜に街を徘徊してテストを行った。
 ところが、ビルの影でひったくりに襲われていた老女を助けた時、老女どころか犯人も恐怖の叫びを上げて逃げ去ってしまった。
 シャトルに戻って鏡を見ながら喋ってみると、表情筋を動かす度に、まるで福笑いのように、目鼻口がデタラメな動きをした。
 よく考えたらプログラムの修正は配置用のパラメータだけだったので、筋肉の動きをうまくシミュレートできなかったのだ。
 タイカはその方法はあきらめ、ネット検索で仕入れた知識を元に、他のスーパーヒーローを見習うことにした。正体を隠す手っ取り早い方法。マスクだ。
 タイカが考えたのは、皮膚組織再生機能をマスクに応用することだった。有機組織とは別にマスク用の分子素材を体内に保持しておき、通常の皮膚と入れ替えでマスク用素材に置き換える。この方法を用いても、通常の皮膚からマスク素材に入れ替わる途中で機械の顔があらわになるが、変身する様子を他人に見られなければ問題はない。
 マスク用素材はエフェルのテクノロジーで合成された金属とセラミックの複合材みたいなものだ。タイカは両目以外の顔面をすべて覆うことにした。口は声帯スピーカーから出力するので、口を動かして喋る必要もない。むしろタイカの場合は生身の身体に合わせるために口を動かしているようなもので、本来は動かさなくても喋れるのだ。だから口も不要。
 タイカは早速自分の身体に改造を施し、マスク用のプログラムを組み上げた。今回は出動前にテストも済ませた。
 マスクの起動と解除は通常エマニに命じて行う。タイカが音声もしくは言語野から直接「エマニ、マスク起動」と命じると、皮膚組織は液体が蒸発するかのように骨格の微細管に吸い込まれていき、その後にマスク用素材はにじみ出してくる。陶磁器のような滑らかな質感が顔全体を覆い、唯一機械部分が露出する2つの両目の瞳が深紅に輝く。首から下は機械のままだが、服を着ているし首と手ぐらいなら見えていてもよいだろう。地球のテクノロジーでも似たような義手があるので、未知の恐怖を与えることはない。
 マスクのできに納得したタイカは、勢い勇んで再び街に出かけていった。シャトルに戻って3日目の朝だった。

 上空から那覇の街を見下ろしながら、タイカはすがすがしい開放感を感じていた。正体を隠したことで行動の制約がはずれ、誰に遠慮することもなく自分の信じる道を進むことができる。毎日亜空間研究所に通って地球人の研究を監視するという、拘束された単調な生活を送らなくても良いのだ。その上自分が持つ能力を駆使して困っている人を助けることができれば、高度なテクノロジーを持つ地球外生命体にとってこの上ない存在意義だった。
 昼過ぎになって、警察無線を傍受していたエマニから銀行強盗事件発生のアラートが鳴る。網膜ディスプレイに場所が表示され、タイカは待ってましたとばかりに現地に飛んだ。
 那覇市内で発生した強盗事件は警察の知ることとなっていて、タイカが現場に到着した時点で、すでに数十台のパトカーが銀行の正面を半円形に取り囲んでいた。
 警察無線の情報によれば、犯人は3人で各自が銃を所持しており、従業員と女子供を含む客が最低でも30人は人質になっているとのことだった。警察は銀行を包囲する以外に打つ手がなく、現在は交渉役の到着を待っているところだ。
 タイカは銀行ビルの屋上に降り立ち、ドアの鍵を素手で壊して階段を降りた。ビル自体はすでに退避が完了しており、人影はない。
 2階まで降りてきたタイカは、銀行フロアの直上に位置するオフィスに入ると下階のスキャンを実行した。スキャン結果が網膜ディスプレイに表示され、フロアにいる人々の配置が赤色で示された。
 幸い人質はカウンターの方で一箇所に集められており、犯人の一人がその見張りに立っているだけだった。他の2人の影を探すと、壁際の開け放たれた金庫から現金を運び出す姿が見て取れた。
 タイカはマスクを起動すると、片膝をついて右手を床に押し当て重力エネルギーを照射した。一瞬手の周囲に黒い靄が広がり、直後に床が音を立てて崩れ落ちて円形の穴が空いた。タイカはその穴に飛び込むと、着地と同時に視線を泳がせて、目出し帽を被った犯人全員の両手首に標準ロック、一斉に重力弾を撃ち出して骨を砕いた。
 犯人たちは反動で銃を落とし、痛みに悶えて倒れ込んだ。タイカは満足げな笑顔を浮かべ(他人からは見えないが)、犯人たちを見下ろして一件落着。あとは人質たちに「もう大丈夫ですよ」と言えば良い……はずだった。
 いや、正確には犯人の封じ込めには成功している。両手首の骨を折られてはとても銃を持つことなどできないだろう。ところが、騒ぎはタイカが予想もしていないところから巻き起こった。タイカの姿に口を開けて呆然とする人質の中で、突然立ち上がった若い男がいたのだ。
「余計なことをするな!」
タイカは反射的にその男の手首にも標的ロックした。そんなセリフを吐かれれば、人質に紛れた犯人一味と思われても仕方がない。しかし、よく観察すれば武装していない。しかも、男は素顔で目出し帽はかぶっていない。
 余計なことが何を示すのかわからず、タイカがその場に立ちすくんでいると、今度は別の男が言った。
「余計なこととはなんだ!」
 タイカが声の主を探すと、スーツを着込んだ白髪交じりの男が立ち上がって若い男を睨みつけている。
「銀行強盗を退治するのは当然だろう!」
 若い男もスーツ姿の初老に向かって怒鳴り散らす。
「そんなこと知るか! こいつらは、あんたらみたいな強欲どもから奪った金貧しい人たちに分け与えてるんだ! もとはといえば、あんたら無分別な大人たちが自分の事しか考えずに格差を広げていった結果だろうが!」
「じゃあ、おまえはこういう犯罪を黙認しろっていうのか!」
 若い男が言い返そうとした直前、人質の集団の中から別の男が「犯罪じゃない! 革命だ!」と叫ぶ。彼もスーツ姿だが、見た目でその若さがわかる。すると、人質の半数が拍手をした。若い人たちだけじゃない。中年や老人など、様々な世代が拍手している。
「冗談じゃないわよ!」
 今度は拍手をしていない中年の婦人が立ち上がって叫ぶ。
「あなたたち、なに拍手してるのよ。自分が何言ってるか分かってるの? ここにあるのは私達の大切なお金なのよ!」
 婦人はよっぽど立腹しているようで、仁王立ちで両方の拳を握りしめていた。するとその横に座っていた中年の男が「どうせ悪どく稼いだ金だろ」と呟いた。彼は見るからに古ぼけた服を着て、手に生活保護に関するパンフレットを握りしめていた。
「なんですって!?」と、その男に向かって婦人の金切り声が響く。
 男は顔を上げて婦人を見据えた。
「世の中悪どくないと稼げない仕組みになってるんだよ。真面目な無能は、こうやってそのおこぼれもらいながら仕事探し続けるしかないんだ。知らなかっただろう」
 そう言って男は持っていたパンフレットを婦人に突き出す。所々で彼の意見に同調する声が聞こえるが、婦人は動じない。
「それがどうしたのよ。わたしに言わせれば不勉強なだけでしょ」
 勢い任せに出た彼女の一言が決定打となった。何人かの若者が逆上して、婦人を取り囲む。他の冷静な人々と一緒になって彼らをなだめようとしているタイカの後ろで、スーツ姿の男が静かに移動し苦痛に歪む犯人に近づくと、転がっている銃を拾い上げて若者たちに狙いを定めた。
「いいかげんにしろ! どんな理由があろうとお前たちが奨励しているのは犯罪だ! これ以上好き勝手な言動は許さん! 誰か早く外の警察を呼んでこい!」
 タイカも含め、その場にいた全員が拳銃男の方を振り向いた。
 銀行強盗より状況がややこしくなってる、とタイカは思った。本来であれば犯人の動きを止めた後、自分はそのまま去るだけでよかったのに、今はヒーローとして何をすれば良いのかもわからない。そもそもこれは犯罪なのか。それともただの喧嘩なのか。
 拳銃男を罵る声と後押しする声が、フロア中に入り乱れてこだまする中、途方に暮れるタイカに1人の若者が近づいて言った。
「あんた正義の味方なんだろ。さっきみたいになんとかしろよ」
「いや、でも、この場合誰に味方すればいいんだ?」
 すると、幼子を抱えた若い女性が答えた。
「そんなの簡単よ。武器をもってる人が悪いに決まってるでしょ」
「なんで?」とタイカ。
「議論は適法。武器は違法」と、少し離れて座っていたメガネの学生。
 タイカは困り果てたが、彼らが言うことも一理あると思い直し、スーツ姿の男に向き直る。
「おじさん、とりあえずそれは危ないから、手放したほうが良いと思うよ。ほら、そこで痛がってる犯人たちみたいにはなりたくないでしょ」
「うるさい! それよりそっちの若いのをなんとかしろ。ここは犯罪現場なんだぞ」
「いや、現状で一番あぶないのはおじさんだから。そんな力いっぱい握ると暴発するよ」
 タイカがそう言っても、スーツおじさんはまるで聞く耳をもたない。まっすぐ腕を伸ばしたまま、銃口を若者たちに向けている。
「こうするよう仕向けたのはそいつらだ! まずそっちをなんとかしろ!」
 銃と状況がおじさんの感情をエスカレートさせている。その証拠に銃口が小刻みにふるえている。このままでは本当に暴発しかねなかった。ただ、おじさんの人差し指がすでにトリガーにかかっているため、ここで下手に骨を折ると衝撃でトリガーが絞られるかもしれない。そこでタイカは小さめのフォース・フィールドを作り出し、おじさんの手元を銃ごと囲んで、その後で重力子弾を銃本体に撃ち出した。その結果、銃はフィールド内で押し潰れるように分解した。その様子を見ながらタイカは新たな閃きを得る。
(わざわざ相手に怪我を負わせなくても、武器そのものを破壊すればいいのか。まぁ、時と場合によるだろうけど)
 そんなことを考えながら、他の銃も処分しようと周囲に視線を移すタイカの横を、数人の若者たちが走り抜ける。彼らはおじさんに飛びかかり取り押さえた。

 突然のことで状況が飲み込めないタイカをよそに、今度はおじさんを開放するために別の男たちが走り寄り、取り押さえる若者との間で乱闘が始まる。拍手に異議を唱えた婦人はその様子を見ながらおじさん派に声援を送り、それを聞いた制服姿の女子高生が「うるさい! 強欲ババァ!」と叫び、婦人が逆ギレして持っていたカバンを振り回すと、女子高生がサッと避けて隣のおばあさんの頭に命中。おばあさんは同じく持っていた日傘で反撃に出る。
 そんな調子で乱闘が伝染していき、文字通りの大混乱となった。老若男女入り乱れ、誰がどちら側かもわからない。性別や年齢では判断できない壁が、彼らを隔てているようだった。
 タイカは呆然と立ち尽くした。関知できる範囲を超えた状況に、彼の思考は完全停止していた。
 そこへ幼子を抱いた若い母親が寄ってくる。
「これから警察を呼びに行くけど、あなたは姿を消した方がいいんじゃない? どこの誰だか知らないけど、そんな格好を警察が見たら、また余計なことに巻き込まれるよ」
 タイカは力なく「そうします」と言って、肩を落としたまま天井の穴に消えていった。
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