真相

文字数 5,850文字

 亜空間研究所の本棟から500メートルほど離れたエリアに、研究員たちの宿舎となっている低層アパート群がある。
 すでに夜は更け、外を歩く人はほとんどいない。夜道を照らす外灯が、かすかに敷地の輪郭を浮かび上がらせるだけだった。
 エリーが住んでいたアパートは、海側の一群にあった。
 地上3階建てのアパートで、テラスは海に面している。エリーの同僚はテラスから見えるオーシャンビューを羨ましがったが、エリーは「西陽が眩しい」と文句を言っていた。
 上空にたどり着いたタイカは、着地の前にエリーの部屋をスキャンした。誰か別の人が住んでいるかもしれないと思ったためだが、スキャン結果はその可能性を否定した。
 タイカは音を立てないようにそっとテラスへ降り立ち、部屋のセキュリティ・システムをハッキングして窓の鍵を開けた。

 1LDKの部屋は、リビングも寝室もキッチンも、最後にここを訪れた時のままだった。家具や床にうっすらと埃が積もっているだけで、人が入った形跡はない。リビングに置かれたデスクの上では、コンピューター端末のインジケータが一定の間隔で点滅して、暗闇の室内にささやかな光をもたらしていた。
 タイカにとっては意外な光景だった。まるで、タイカが知っている状態のまま、この部屋だけ時間が止まっているかのようだった。
 エマニは部屋のネットワークに侵入すると、網膜ディスプレイにメールや電話の着信履歴を表示した。
 着信履歴には、研究仲間やエリーの母親からの伝言が入っていた。ところが、そのいずれにもエリーの死を示す反応がない。
 母親からの伝言にも取り乱すような形跡はなく、「最近連絡よこさないけど、仕事が忙しいの? 無理しちゃ駄目よ」というねぎらいの言葉が入っているだけだった。
「エマニ。8月30日以降に、エリナ・パーカーの行動ログは記録されているか?」
 タイカが着信内容を確認しながらエマニに問いかける。エマニは国際亜空間研究所のデータベースから、エリー関連の情報を抽出して検索をかけた。
「エリナ・パーカーは8月31日にアメリカ本国への入国が確認されています」

 なに?

「それは正式な手順で記録されたログか?」
「入力端末やデータ受信経路は正規のルートです」
「入力者はだれだ?」
「記録がありません」 
 予想外の事実にさすがのタイカも動揺したが、現時点で結論を下すには情報が少なすぎると思い直し、部屋を見回して何か参考になりそうなものがないか探し始めた。
 様々なセンサーを駆使して、机やクローゼットの中、果ては天井裏までくまなくスキャンした。スキャン範囲を隣室にまで広げ、エリーの部屋と差異がないかチェックする徹底ぶりだったが、怪しいものは一つも見つけることができなかった。
 ということは、ネットワーク上になにか細工があるのかもしれない。タイカは過去に施設内のネットワーク解析情報と、エマニが実施した現在の解析情報を突き合わせて、ネットワーク構成や回線のレイアウトを確認した。
 その結果、この部屋のコンピューター端末がデータを送受信した時だけ、通常のラインとは別の副回線のような経路に接続されることがわかった。
 エマニが網膜ディスプレイにグラフィック化した経路図を表示し、該当の回線を点滅させる。どうやらこれは物理的な回線ではなく、ソフト的に確保された通信プロトコルのようだった。データを暗号化した上で通常のパケットに紛れ込ませ、あたかも一本の通信のように偽装されたものだ。
 通信パケットの痕跡をたどっていくと、複数の中継サーバーを経由した後、ある経由地で対象のパケットだけを抜き出して、別の回線に送信していることを示すプログラムが見つかった。
「このパケットの受信先はどこだ?」
「ネットワークの途中で経路が遮蔽されています。防壁扉が解除コードを要求しています」
「解除コードを解析して送信しろ」
 地球上のあらゆるデータを収集し、そこからめぼしいパスワードを推定するAI能力は、エマニが誇る機能のひとつだ。この能力のおかげでタイカはアメリカ最深部システムのセキュリティを突破し、核融合反応炉の制御システムのパスワードを解析することができた。
「遮蔽を解除しました。最終到達サーバーの所有者は、メリーランド州ボルチモアにあるローゼンバーグ・サイバー・セキュリティー社です」
 エマニはそう報告すると同時に、新たなウィンドウを開いてローゼンバーグ社の概要を表示した。概要自体に特別変わったところはなかったが、会社の設立年がタイカの注意をひいた。
 2069年。ちょうど国際亜空間研究所が開所した年だ。
 しかし、エリー本人は企業ではなく大学の所属だった。しかも、この遮蔽の仕方は端末使用者に対してのものだ。使っている本人が自分に知られないように通信を傍受するとは考えにくい。
 タイカは何か参考になる記憶がないか、自分の脳内にある引き出しから関連情報を探してみた。

 思い出したのは核融合炉爆発事故の直後、エリーの様子を見にこの部屋へ来た時のことだった。
 研究所では定期的に施設の点検を行っていたが、核融合炉爆発事故の翌日、突然臨時点検実施の通知がきた。事故の影響を調べるためというのがその理由だった。
 通知から数時間後には点検担当者がアパートにやってきて、エリーとタイカは部屋を追い出された。10分程度で作業は終わったが、その間何が行われていたかわかったものではない。エリーがその人生の幕を下ろす、ちょうど半月前のことだ。
 点検担当者はアメリカチームの一員で、女性のサポート・スタッフだった。エリーは彼女と親しげに話をした後、「じゃあ、よろしくね」と言ってタイカを伴いアパートを出た。
(名前はなんだっけ?)
 エリーが彼女と交わした会話の中で、確か「キャサリン」と言っていた。
 タイカはその名前を手がかりに亜空間研究所の個人データから彼女を探し当て、関連情報を検索してみた。
「キャサリン・ビグロー。国籍:アメリカ。出身地:ワシントン州シアトル。生年月日:2043年4月2日。経歴:マサチューセット工科大学卒業。2065年IBM入社。2069年国際亜空間研究所出向」
 IBMのデータベースからも情報を取得したが、これといって怪しい経歴は見当たらなかった。ところが、彼女の現在地を検索するに至って、タイカの脳裏に分厚い雨雲のような灰色の疑念が湧き上がった。
「現在地:不明」
 研究所のログを追いかけても、8月31日以降の記録がない。しかも、31日の行動記録にはエリーと同じような帰国を示すログが残っていた。まるでエリーの件も含めてすべてをリセットするかのように。
 タイカはエマニに命じてアメリカ政府の深部システムにハッキングをかけ、キャサリン・ビグローの名を検索した。
「該当なし」
 タイカはしばし考えてアイデアを思いつくと、エマニに研究所の個人データからキャサリンの顔写真を取得させ、その写真で画像検索をかけさせた。
「該当1件」
 表示されたのはある政府機関の技術者目録だった。写真はそのプロフィール画像にヒットした。
「氏名:セリア・ハミルトン。所属:国家安全保障局。肩書:主任技師兼情報アドバイザー」

 タイカは虚空に浮かぶ網膜ディスプレイを見入ったまま、身動き一つしなかった。両腕は身体の両横に垂れ下がり、拳は力なく開いている。呼吸すら忘れてしまったかのように、タイカの視線はネットワーク図の一点「国家安全保障局」という文字に固定された。
 国家安全保障局。通称NSA。世界中の情報を収集し続ける特殊機関。その威力は核兵器より強力で、その決断は人工知能より無慈悲だ。彼らの活動はすべてアメリカの利益を守るためであり、それがそのまま世界平和につながると、信じて疑わない人々が集っている。
 タイカの脳内では記憶の断片が凄まじい勢いで整列していく。
 一部の記憶が他の記憶と入れ替えられ、記憶同士を比較して新たな記憶を引き出した。
 エリーが行った端末の操作記録は、すべて自国の情報機関へ送信されていた。つまり、エリーは自国の政府にスパイされていたということだ。
 エリーの命を奪ったあの攻撃は、エリーを標的にしたものだったのだろうか。彼女にはタイカも知らない秘密があったのか?

 以前のスキャン結果には、この遮蔽されたネットワークは記載されていない。今回のフルスキャンで初めて発見した遮蔽回線だ。たとえセキュリティで保護されていたとはいえ、着任当時から存在していた回線であれば、エマニが気づかないはずはない。
 最後のスキャンは核融合炉爆発の直後、エリーを土星へ連れて行った帰りに、この部屋へ彼女を送り届けたときのものだ。その時点で遮蔽回線を検知していないので、回線の設置は核融合炉爆発事故の後ということになる。そして、その翌日にキャサリンがやってきた。
 爆発事故も暗殺の手段だったのか? いや、それにしては規模が大きすぎる。あの爆発をタイカが抑え込まなければ、研究所の大半は地上から消失していた。人一人を暗殺するためだけに、核融合炉を爆発させるだろうか。
「あっ…」
 タイカはそこで重大な出来事を思い出した。他人からしてみれば、今まで気に留めなかったのが不思議なほどだ。
 そうだった。アメリカ最深部に侵入したのは自分だった。アメリカにしてみれば、地球上でこのシステムにハッキングできる人間はいないという自負があったからこそ、最深部のセキュリティに採用したのだろう。それをものの数秒で突破したのだから、アメリカ政府が驚愕しないわけはない。
 そして、当然のことながらタイカに対するハッキングは地球人に不可能な芸当だ。エフェルのセキュリティを突破できる人間など、この地球にいるはずもない。
 そこで当局は、当時すでにタイカと親密な関係だったエリーに目をつけた。彼らはエリーを通じてタイカの情報を収集しようとしたわけだ。

「エマニ。NSAのデータベースでアメリカ研究チームのジョナサン・カートリッジに関する情報がないか検索してくれ」
 瞬時に該当者の情報を取得したエマニは、セリア・ハミルトンの情報ウィンドウに重なるように、新たなウィンドウを開いてカートリッジのプロフィールを開いた。
「氏名:エリック・ジェンキンズ。所属:アメリカ中央情報局。肩書:特殊諜報員」
 セリアと同じように画像検索による結果だった。写真は間違いなくタイカの知るジョナサン・カートリッジだ。
 タイカが研究所で働いていた時、与えられた私室が手狭で自分の研究ができずにいた。そこで郊外に手頃な部屋を探しはじめ、時々エリーを伴って物件を見に行ったりしていた。部屋探しは爆発事故の前から始めていたが、爆発事故から1週間くらい経ったあと、カートリッジがタイカに話しかけてきた。
「以前オレが住んでた家、なかなかよかったぞ。大きいし人里離れてるから、君の希望にぴったりじゃないか?」
 彼はエリーから話を聞いたと言っていたが、今となってはそれすら怪しい。エリーの部屋を盗聴してタイカの部屋探しを知り、意図的にエリーに話を振ったのかもしれない。当初は完全に善意だと思っていたその行為が、実際は攻撃の前準備だった。衛星兵器で攻撃しても、周囲に人的被害を与えないために。そしてなにより、人目にふれることなくタイカを監視するために。
 ここまで証拠が揃えば、何が起こったのかは明白だった。
 衛星兵器の標的はタイカだった。タイカの能力に危機感を抱いた人々が、自国民1名を犠牲にしてでも脅威の芽を摘もうとした。
 タイカが人助けだと思って実行した行為が、結局助けた人の命を奪うことになってしまった。

 その後どうやってシャトルに戻ったのか、タイカはまるで覚えていなかった。目が覚めた場所が寝室だと知り、ようやく自分の居場所を理解した。
 寝室にはガラスの窓もそこから見える景色もなく、エフェル製の建材で作られた部屋の中で、タイカはまるで地球行そのものが夢であるかのような錯覚を覚えた。
 壁に埋め込まれたコンソールに手を触れる。
 モニターに表示された様々なステータスに埋もれて、画面の隅に現在時刻が表示されていた。
 午前五時。そろそろ朝日が昇ってくる時間だ。
 ベッドを降りて部屋を出る。細い通路が左右に伸びている。その両端にドアが見え、左がコクピット、右は機関室に通じている。
 タイカは左に折れてコクピットに向かった。シートに座りメイン・スイッチを押す。微震とかすかな重低音を響かせて、シャトルのリアクターが動き出した。
 タイカは無表情のまま機械的に身体を動かし、シャトルのコースをヤマワから聞いた湖の小島にセットする。
 その間も彼の脳は思考しようといきり立ったが、タイカは無理やりその衝動を抑え込んだ。他のことを考えるでもなく、脳の渇望を無視するでもなく、タイカはただひたすら心の中で叫び続け、意識をそちらに集中した。思考を始めてしまうと何かしらのイメージが湧き上がり、そのイメージは必ずエリーを形作る。エリーを思い出してしまったら、どう対処してよいかわからない。為す術がないという状況は、彼にとって不安を通り越した先にある恐怖だった。

 発進準備が完了し、タイカは半年ぶりにシャトルを大気に晒した。空はすでに半分以上をオレンジ色に侵食され、眼下に沖縄本島の輪郭が浮かんでいた。
 様々な記憶が刻み込まれた大地。地球での生活が始まった街。しかし、今はそれらすべてがかすむほど、タイカの心は無力感に蝕まれていた。
 脳から発した小さな思考が、叫び続けるタイカの心をすり抜けて、意識の上に昇ってきた。
「エリーは死ぬ運命だったのか」
 白は永遠に白ではなく、突然変異のように黒へと変わる。正義の裏側に回ってみれば、「悪」と書かれている時もある。
 タイカはエリーを守りたい一心で自分にできることを行った。
 しかし、タイカの行為は他者に恐怖を植え付けることになり、その恐怖が凶器にかわり、タイカにではなくエリーに向かった。
 エリーが命を落とすのは、時間の問題に過ぎなかったのだ。まるで氷でできた彫刻のように、どんなに慎重に扱ってもいずれは溶けてなくなってしまう運命だった。
 タイカの意識に昇った小さな思考は、彼の脳内で反射的にある言葉を引き寄せた。
「僕がいなければ…」
 タイカの脳がオーバーロードの兆候を見せたので、エマニは再び強制スリープモードを実行した。
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